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 1922年生まれの著者が、傘寿(八十歳)の時に書いたエッセイ集。2002年10月初版。

 

 

【観想生活】
 じつを言うと、私はクーラーも嫌い扇風機も嬉しくないという困った人間である。暑くて寝苦しい晩には、時にこの料亭の露地を思い出して眠りにつくことにしている。(p.48)
 大体、氷は食べるより、手に持つより、ただ見るのが一番よいと私も思う。
 そして氷に似あう器はやはりガラスである。青磁も黒天目もいいけれど、透明な器の方が涼味に叶っているだろう。(p.49)
 現在のように工業技術が発達していなかったほんの少し前までの時代は、視覚やイメージを駆使して涼をとる観想法が日常生活の中で普通に活用されていた。

 

 

【実用的なものに美をつけ加えるのは日本の特技】
 明治のころはまだ巻紙に手紙を書いていた。便箋や封筒が輸入されたのが明治も末に近い時だったという。となると夢二の絵の便箋はかなり早い時期の出現である。西欧のレターペーパーに美しい絵があるかどうか知らないが、実用的なものに美をつけ加えるというのは日本の特技ではないだろうか。平安時代に使われた手紙の用紙は、私信の場合は薄紅や浅緑や紫などの薄様という上等な紙である。これを二枚がさねとし、時に金、銀、の箔を使い砂子やのげなどを散らしたりしたと思う。(p.67-68)
 最後に出てくる「のげ」って何だかわからず辞書を引いたら「ノギの訛」とあった。
 “実用的なものに美をつけ加えるというのは日本の特技ではないだろうか”と書かれているけれど、間違いなくその通りだろう。それも王侯貴族用ではなく庶民用の実用品にすらささやかであれ美が加わっていることが日本文化の特色だろう。最近では、携帯電話などに様々なデコレーションをする日本発の「カワイイ」文化が世界を席巻している。
 また、日本に住むようになった外国人女性たちは、日常の生活空間にもさりげなく美を配する習慣のある日本人の生活様式を称えてもいる。
   《参照》   『日本人が世界に誇れる33のこと』 ルース・ジャーマン・白石 (あさ出版) 《前編》
             【豊かな心をくれる、空気のような親切】

 平安時代に使われていた色つきの便箋に関する文化的解釈は下記。
   《参照》   『日本人の忘れもの』 中西進 ウェッジ 《前編》
             【日本人は色恋いをした】

 

 
【「継ぎ紙」という芸術】
 さまざまの色の染紙と文様のある紙とを、ある時は直線に、ある時はおっとりとした曲線に破って張り合わせ、アブストラクト風の画面を作る。これに金銀の箔や砂子をちらす。その典雅な色のハーモニーは類のない美しさである。(p.75)
 江戸時代は世に出ることなく、明治になって発見された 『本願寺本』 が継ぎ紙でできていたという。
 さてこの継ぎ紙という技法、そもそもは紙の節約からはじまったと思う。紙の貴重な時代だった。どんな小片でもすてずに継ぎ合わせて使ううち、色の配合や刷り方継ぎ方を工夫して、芸術にまで昇華させたので、これも日本人の豊かな感性の現れかと思う。(p.75)
 日本人の「もったいない精神」は、布(着物)の場合、最終的には雑巾になるまで様々に用途を変えて使われていたけれど、紙の場合は、一挙に芸術にまで昇華していたことになる。
 重ね継の方法を考えついたのはむろん、十二単のかさね色からヒントを得た女性たちだろう。そもそも継ぎ紙はそのはじまりも制作者もすべて謎に包まれているが、私は白河院の妃で承香殿道子とその女房たちが深い関係にあると考えている。(p.76)
 この記述の後に、推測の根拠が書かれている。女性が紡いだ日本的美意識の発生現場に思いを巡らせたい人にはいいかもしれないけれど、チャンちゃんはそこまで興味が向かない
   《紙関連》   『紙はよみがえる』 岡田英三郎 (雄山閣)

 

 

【源氏物語と老人】
 ・・・(中略)・・・ どうも『源氏物語』の作者は老人に同情がない。(p.129)
 女五の宮や源典侍について書かれた肝心なところを ・・・(中略)・・・ にしてしまったけれど、読みながら笑ってしまった。
 『源氏物語』が好きな人は、生涯に何度も読み返すんだろうけど、どうしたって登場人物の年齢に近くならないと、気づけないことがある。

 

 
【やわらなか心】
 著者は、『源氏物語』の教室を15年も開いているけれど、登場人物たちの人気ランキングに変化があるという。
 わが教室に学ぶ方たちの意識も変わってきた。その一つが登場人物たちの人気順位である。ヒロインたちの方から述べると、かつては紫の上が第一位で圧倒的な支持を受けていたが、ここ数年は朧月夜の君の人気が急上昇し、紫の上に迫っている。
 かつては、いくらか軽率なお姫さまと見られていたが、近ごろは光の君と朱雀院という二人の愛をけっこう巧みに操縦する豊かな心の女性という評判である。
 また男性陣でも光の君は別格として、薫や匂宮をおさえて柏木の人気が高くなった。薫は女性の扱いがスマートでない。匂宮の方は勝手すぎる。ひたむきな愛に殉じる柏木に同情票が集まったようである。(p.132-133)
 著者はこのエッセイに「やわらかな心」というタイトルをつけているのだけれど、このランキング理由に関してのみ言っているのではなかった。
 さて少女のころから読みなれた物語ながら、一言でそのテーマを言うことは難しすぎる。しかし、今私の考えているのは「やわらかな心」ということである。やさしさで人をくるむことと言いかえてもよい。『源氏』の作者が登場人物に望んでいる最上の行動がこれである。(p.133)
 やわらかな心で「あはれ」という認識をやさしく包んでいなかったら、時代を越えて読み継がれる日本文学の古典になりえなかったかもしれない。
  《源氏物語関連》 
   『狂の精神史』 中西進 (講談社文庫)
      【 「をかし」 と 「あはれ」 】
      ~【〈狂〉の聖化】
   『美しい日本語の風景』 中西進 淡交社
      【うつせみ】
   『この国を支配/管理する者たち』 中丸薫・菅沼光弘 (徳間書店) 《前編》
      【ヤクザの起源】

 

 
【関東大震災と堀辰夫】
 下記にある大川とは、隅田川のこと。
 大正12年の関東大震災で、堀は大川に放り出され、折よく近くにいた船に、小学校時代の同級生がいて、彼が差し出した竿の先につかまって一命をとりとめた。しかし、堀の母の志気はこのとき水死する。堀の意識が大川を拒否し、高原へ脱出するのは、このことが原因であろう。(p.148)
 でも、高原を舞台に、悲しい結末の小説を書いちゃってる。そもそも高原といっても小説の舞台はサナトリウムで、その時代は死の病に等しい結核を患う人々の療養所である。意識は大川から高原へ脱出しても、感覚は脱けきるどころか呪縛を免れていなかったんだろう。
 小説の最後の場面では、何もかもが、感傷的な心でさえ、停まってしまったような記憶がある。だからこそ『風立ちぬ』というタイトルが印象に残っているのだけれど、作品の詳細は、もう完全に忘れてしまっている。

 

 

【関東大震災と谷崎潤一郎】
 関東大震災のために東京は大変貌をとげた。バラックが建ち、文化住宅の氾濫となる。こうした様子を嫌って関西へ移住したのが、谷崎潤一郎である。 ・・・(中略)・・・ 文学者としては潔癖な態度とも言えるかもしれない。
 しかしそのあとで谷崎はものの見事に関西に幻惑される。東京より都市としての歴史は古く、伝統の魔力は文化のあらゆる面にしみわたり、東京を忘れさせた。谷崎は中国に旅行したことがあるが、このときも相当に中国文化の影響をうけている。もともとナイーブなキャラクターなのであろう。(p.148-149)
 別の個所では、谷崎が東京に戻らなかったのは、食べ物が関西に比べて不味かったからとも書いている。
 最後の文章は、「あんた、よくも東京を捨てたわね」と言っているように読めてしまう。
 大震災前の谷崎は「本郷菊富士ホテル」という高級下宿に長期滞在していたらしい。
 ここには谷崎潤一郎、宇野浩二、広津和郎をはじめ多くの文学者が長期滞在をし、文壇史の上では注目すべき存在であった。
 ここに住まった文学者たちの東京観を集約すると、自由とエキゾティズムであった。(p.149)
 著者のプロフィールを見ると『本郷菊富士ホテル』という著作もあるらしい。日本近代文学を専攻している学生さんなら、興味深い情報が得られることだろう。

 

 

【不如帰】
 わたしは「不如帰」の映画も見ている。松竹映画で浪子を川崎弘子、武男を林長二郎が演じていた。昭和5年か6年ごろで、林長二郎とは長谷川一夫の前名である。当時は映画全盛時代で、人気コンビの「不如帰」とあって場内は満員で、わたしはラッシュの電車のなかのような立見席で背伸びをして見ていた。(p.189)
 林長二郎の「雪之丞変化」についても大層な思い入れで書かれている。
 本を読む気になれないとき、図書館にあったら視聴覚コーナーで見てみようと思って書き出しておいた。

 

 
<了>