イメージ 1

 古文献や古紙など、紙に関することがいろいろ書かれている。

 

 

【綸旨と漉き返し紙】
 なぜ、「綸旨」 に漉き返し紙が用いられるようになったのでしょうか。
 もともと 「綸旨」 は、天皇の意向を文書で伝えるという役割があります。 ・・・(中略)・・・。
 綸旨は、もともと “勅旨” ではなく、裏向きの用であるという意識があったために、漉き返し紙を使用したのではないかとも思われます。もう一つの考え方として、当時の上層階級を支配していた陰陽思想によって、漉き返し紙を使用することで陰の部分の役割を受け持つという思考があったのではないかとも考えられます。(p.48)
 昔の文書の中には、重ね書きされていたり裏紙が使われていたりするものが多くある。それらを単に紙が貴重だった時代のあり様として済ますことはできない。
 茶道に表千家と裏千家があるように、あるいは気学の方位が裏返しで示されているように、とかく 「古今伝授」 という物の中には秘伝らしきものがそれを知る人によってのみ伝承される工夫がされている。
   《参照》   『京都の発想』 谷口正和 徳間書店

              【 「古今伝授」 】

 

 

【つくも神】

 中世の人は、古くなってうち捨てられた道具たちが、妖怪となって現れると信じていました。長い年月使われているあいだに、人間と同じように、魂が宿るようになると考えていたのです。室町時代に製作された 「付喪神(つくもがみ)絵巻」は、古くなってうち捨てられた道具が、妖怪となって街へ繰り出しているようすをしめした百鬼夜行絵巻として有名です。
 往古の人は、紙、特に手紙や文章など文字を書き付けた紙には、それを書いた人の精神(こころ)が宿っているという意識があったのではないかと想像するのですが、みなさんはいかがでしょうか。(p.33)

             【国語という「呪文術」】
 人形(ひとがた)という人の形を模した紙に名前を書けば、その名前を書かれた本人の代用になる。今日でも神道の神事には当たり前に使われている。
 人名でなくとも、文字の書かれた紙は、それを書いた人の魂が宿っているのは昔も今も変わらない。不用意な扱いはたいそうな罰当りを招いているのである。
   《参照》   『日本の「ち・から」』  友常貴仁  三五館  《後編》
             【<本>を跨いだら「凶」。物覚えが、急に悪くなる】
 道元の 『正法眼蔵』 の 「第五十四洗浄」 には、いわばトイレにおける作法が記されているという。
 用後は籌(ちゅう=棒)をつかうこと。紙を使ってもよいが、故紙特に文字の書いてある紙は使ってはいけないと書かれています。(p.34)

 

 

【古紙再生】
 日本は古紙再生の分野では世界一だと誇ってよいと思います。特にその品質においては極めて優れています。(p.77)
 その当時(1989年)日本においては、古紙利用率が55%でしたが、アメリカでは20%程度だったと記憶しています。(p.78)
 日本人は、脱墨(脱インキ)の要求水準が高いので、この技術は進んでいる。僅かなホクロのようなシミが残っているだけで、大王が犬王や太王になってしまうこともありうる。

 

 

【紙の原料】
 叩解(こうかい)とは、セルロースから枝状繊維を出す操作のこと。

 紙の原料として大麻繊維の叩解は大変な作業で、苧麻(ちょま:からむし)の叩解は大麻より楽であったとされています。さらに楮(こうぞ)は、もっと楽に叩解できると述べられています。これはまさに、正倉院に残された紙の素材を時代順に並べると、紙の原料としての植物繊維が、大麻→苧麻→楮と変化していったことと一致します。

 原料として大量生産・大量入手が容易なのは大麻である。現在の工業力をもってすれば、大麻を原料として機械で叩解し、紙を大量生産することなど実に容易なはず。
   《参照》   『神との対話 ②』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
               【大麻】

 

 

【昔の人の名前】
 東大寺正倉院に残る 「正倉院文書」 で、古代史家によく知られた 「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」 という文書があります。 (p.102)
 この戸籍の地域は、現在の江戸川区葛飾柴又を含んでいるという。この戸籍を調べると、葛飾近辺では、“トラ” や “サクラ” という名前は、当時からポピュラーだったとか。
 ちなみにこの下総戸籍でもっとも多い名は、男性では “麻呂(まろ)” (13名)、女性では “若賣(わかめ)” (16名)です。(p.103)
 男性の麻呂は納得しやすい。 “賣(め)” は女性を表わす当時の一般的な文字だから、その時代、最もポピュラーだったのは “ワカ子ちゃん” である。

 

 

【朱と丹】
 元来は、 “丹(に)” はベンガラ(あるいはベニガラともいう)すなわち二酸化鉄(鉄錆の赤い部分)を、 “朱” は水銀朱すなわち硫化水銀を指していたのですが、時代が下るにしたがい、ベンガラを朱といったり、水銀朱を丹といったり混乱しています。(p.119)
 かつて読んだ本で、この赤色に関する不整合が気になっていたのだけれど、“なんだ、そうだったのか” と今頃思う。 高野山の赤は、水銀由来の “丹” である。

 

 

<了>