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 サラッと読めてしまう本だけれど、外国との文化比較という視点で読むならば、その素材とななる情報が多く込められた書籍である。

 

 

【パリ vs 京都】
 (パリは)内陸の盆地で野菜にはある程度めぐまれていても肉や魚には乏しい。京都とそっくりである。ところが食材の乏しさをカバーする方法がパリと京都では大きく異なっている。
 パリの食材の貧しさ、鮮度の悪さの克服に使った戦略は 「ソース」 である。フランス料理はソース料理だと言われるように、そのソースおよびフォンの豊かさは他の食文化を圧倒する。
 そしてソースの食文化とは、ソース=文化によって、食材=自然を支配する文化である。
 京都はパリとは逆の方法をとる。自然を食に取り込むことで、つまり自然と共存することで食を豊かにしてきたのである。 (p.47-48)
 樹木や草花を幾何学的に配するベルサイユ宮殿の庭園と、「借景」 という考え方で自然の山々の景観を利用する日本庭園の違いも、支配 vs 共生 の対比になっている。

 

 

【「古今伝授」】
 王朝文化および日本文化の古典たるべき 『古今集』 も、十世紀後半に起こった日本語の大きな変化によって、それ以降の人々には理解しにくいものとなった。そこで現れたのが「古今伝授」という方法である。・・(中略)・・。ある文章に実は深遠な真理が隠されていて、その読み方がわかる人にのみその真理が明らかになる、との考え方はユダヤのカバラにも似ている。 (p.57)
 文化というものは表に顕れているものだけではない。一般大衆には報知されぬが故にこそ、守られているものがある。ユーラシア大陸を横断してきたであろう秦氏が造成に関わっていた風水都市・京都。深層に託された神秘的な文化があるからこそ個性的な繁栄が守られているのだろう。

 

 

【「物」 と 「文化」 】
 真のサバイバル能力は 「物」 = 「価格」 ではない “何か” なのだ。
 それは 「文化」 = 「継承」 である。 (p.69)
 物流の発達した現在の地球では、どうしても 「物」 はグローバル化してしまう。「物」 の供給が飽和すれば、「差別化」 が要求される。「差別化」 の行き着く先こそが 「文化」 なのである。
 揺ぎ無い深い文化を託し持つ京都は、世界全体が豊かになればなるほど、その輝きを増すであろう。

 

 

【美の伝承】
 美は本質的に継承されるものである。それはまさに環境情報そのものであり、アプリオリな存在である。美の環境の中に生れ落ちるかどうかは、抽象性そのものである美を理解する上で大きな条件である。
 特に日本はこの “美の継承” という事を伝統的に重んじてきた国だったと言える。それは華道、茶道、日本舞踊、能、狂言など、あらゆる日本文化に見られる家元制度が証明している。常にゼロ・スタートであることが公平な競争であるとする欧米型の人生観からは、この家元制度の感覚は生まれない。 (p.81)
 

【江戸 vs 京都】
「宵越の銭は持たない」 「火事と喧嘩は江戸の華」 などというが、まさに江戸文化は “遣い切る美” がその本質であったとも言えよう。それに対して京都の美意識は 「継承する美」 である。一人の人間、ひとつの世代では為し得ない “美の伝承” こそ京都の美に対する本質的理解なのだ。 (p.83)
  《類似》  『ぶらり江戸学』 杉浦日向子 マドラ出版 
 

【顧客が先生、売り手が生徒】
 生徒としての店が 「どうでっしゃろか」 と顧客に聞く。先生としての顧客が 「これでええ、これを大切にしなはれ」 と言う。そして 「これでええ」 といわれた特徴を一点曇りなく守りきるのが京都の老舗である。(p.146)
 「お客様は神様です」 という発想は、日本の常識であっても世界では常識ではない。これを解く鍵は、「権力者ではない天皇が中心と成っている国家、日本」 であろう。
 諸外国では 「権威と権力は同一人物が保持している」 と考えている。軍事力ないしお金が即座に権力と結びつく諸外国では、売り手や生産者の意識に、生徒としての謙虚さなど生じようもない。生ずるとしたら反発心や恨みであろう。美しいもの、高品質なものなど出来ようもないのである。

 

 

【京言葉には否定語がない】
 基本的に京都には否定語がないと言える。一見 「肯定語」 に見える「よろしゅおすな」も、注意深く聞かないと間違えるのが京言葉である。 
 有名な「京のぶぶ漬け」がこのファジー言語の代表である。「まあ、ぶぶでも」 といわれて「そうですか」と上がり込んでしまったら失格である。「まあ、ぶぶでも」の真意は、「もうそろそろこの辺でお帰り」 という 「否定語」 なのだ。
 表の言葉と裏の意味が表裏一体をなす “メビウス型” コミュニケーション、それが京言葉コミュニケーションである。 (p.165-166)
 日米交渉で、日本の首相が 「前向きに考えておきましょう」 と言ったのを、日本の文化を心得ないアメリカ人通訳が直訳したために、後々問題になったことがあったそうだ。
 Yes No をハッキリ表現するのが当たり前の外国人は、日本人の “相手に気を使ってハッキリ拒否しない文化” を理解できずに、「本音と建前の国=日本」 と安易に決めつける。異民族が混ざり合ってしまう大陸国家と、単一民族でやってこれた島国の日本、という違いがある。

 

 

【敬語表現豊かな京言葉】
 京都の人々はプライドが高いため、プライドを傷つけられたり、内面に土足で踏み込まれたりすることを嫌がる。そのため、他人の人格を重視した敬語表現豊かな言葉を作り出した。 (p.204)
 これは京言葉のみならず、日本語の特性でもある。敬語や丁寧語の多様さは、世界中の言語にない日本語の特徴でもある。支配・被支配の関係が根底にある階級社会を持つ諸外国では、相手の人格を尊重する必要がない故に、敬語や丁寧語はさほど発達しないのである。

 

 

【ホモの縁結び】
 数多ある京都の寺社。ご利益にもいろいろある。
 変わったところでは、蓮池寺が、なぜかホモセクシュアルの人たちの縁結びの神になっているそうである。平家物語の熊谷直実と平敦盛の因縁から生まれた信仰だという。 (p.178)
 敵が清らかな青年であったことを知って討つに忍びなく逃した話が、ホモの縁結び!? 

 

 

【京都を愛する人々の辛辣なジョーク】
 「京都で一番景色のいいところは?」
 「京都タワー」
 「え!」
 「京都タワーが見えないから・・・」 (p.193)
 京都駅のまん前に立つ京都タワー。これを揶揄する理由を、著者は 「これらが経済性や権威といった東京流の現実的論理によって成り立っているからである」 と書いている。
 日本の伝統と文化を秘めた雅な街・京都。そのイメージに全然あわない京都タワー。設計した人物は誰? 私は知らない。
 ウィキペディアには、以下のように書かれている。 台座となっている京都タワービルの高さを加えた全体の高さは131m。1964年12月28日開業。設計は建築家山田守。構造設計は京都大学工学部建築学教室による。タワーの独特な姿は、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの。ローソクをイメージして 建設されたとよく言われるが、これは誤り。しかし夜の京都タワーを見上げて、「あれはローソクだ。」とうそぶいても、疑う人はまずいない。
 
<了>