《前編》 より

 

 

【成長した魂が認めるガイドライン】
 セックスに関する秘教的な扱いについても記述されているけれど、長くなるから書き出さない。
 また、セックスに関する著者からの質問に対して、神は以下のように答えている。
 第一に、神は何ものも否定しないということを、もう一度はっきりさせておこう。わたしはある行為を善とし、べつの行為を悪と判定するために、ここにいるのではない。
 さて、あなたの成長の途上で、何が自分に役立ち、何が役立たないか、決めるのはあなた自身だ。ただし、成長した魂が一致して認めている、広い意味でのガイドラインはある。
 他者を傷つけることになるなら、どんな行為も成長を早めることにはならない。第二のガイドラインは、他者と関係するどんな行為も、他者の合意と許可なしにはしないこと。(p.187)
 このガイドラインは、セックス以外の汎論として理解することも可能である。

 

 

【大麻】
 大麻が禁止されている表向きの理由は、健康に良くないということだ。だが、じつは大麻はタバコやアルコール以上に習慣性や健康上の危険があるわけではない。 ・・・(中略)・・・ 。もし、大麻が栽培されると、世界中の綿花栽培業者やナイロン、レーヨン生産者、それに木材生産者の半数がたちゆかなくなるからだよ。
 じつは、大麻は地球上でいちばん強くて丈夫で長持ちして、役に立つ材料のひとつだ。(p.240)
 衣服の繊維やパルプの原料として大麻はこのうえなく有効であり、実際に大麻が用いられたら森林伐採の必要はなくなるという。
 二酸化炭素排出による地球温暖化問題を叫びつつ、エネルギーを石油による火力発電から原子力発電にしようとする世界の愚かさはなんとも形容しがたい。すべての解決は大麻栽培にあるのに、石油関連繊維産業を守り、出口のないトイレである原子力産業を復活させているアメリカを中心とする上層階級の徹底的に私利私欲で狂気に満ちた利権構造による情報操作はみごとなものである。
   《参照》   『ほんとうの環境問題』 養老孟司・池田清彦 (新潮社)
             【エネルギー利権】
   《参照》   『さあ5次元の波動へ宇宙の仕組みがこう変わります』 デーヴィッド・アイク&江本勝 (徳間書店)
             【神道の媒介具である麻】

 

 

【人類が直面している問題の核心(経済格差と人間の尊厳)】
 働いても、あまりに過少な賃金しか得られず、肉体を維持するために食べて生きてゆくことすら充分にできない人々が、地球上にはたくさんいる。日本にだって仕事がなくなって、食べてゆけなくなっている人々は大勢いる。求人案件がいくらあっても、多くの失業者は、求人側の要求に見合っていないのである。
 そういった人々の存在を知りつつも、多くの人々は、「自分は苦労して働いているのに、なんで働かない人々が生活できるような保証をするのか」 と言い、そこまで苛烈ではないにせよ 「何でもかんでも与えたら、ひとは働く気をなくす」 という意見に同調する。
 だが、もっとも単純に人間らしく暮らすために、どうして働かなくてはならないのか? 誰もが人間らしい暮らしができるはずではないか? どうして 「自分で働く」 ことと、人間の尊厳とが関係するのか? 基本的な人間の尊厳とは、生まれたときからもっている権利ではないのか? そもそも、そうあるべきではないのかな?
 最低水準以上のことを望むなら ―― もっと多くの食べ物、もっと大きな住まい、もっとすばらしい衣服を望むなら ―― 目的を達成しようと自分で努力すればいい。だが、生きるだけのために苦労しなければならないのだろうか。すべてのひとにゆきわたるだけの、充分なものがある地球の上でだよ?
 それが、人類が直面している問題の核心だ。
 課題とは、万人を平等にすることではなくて、すべてのひとに最低限の人間らしい暮らしを保障すること、そのうえで、それ以上の、何を望むかをそれぞれ選ぶというチャンスを与えることだ。(p.291)
 限られた数家族がすべての産業の利権をもつメキシコのような国では、彼らだけが国民のあまりに安い労働力でつくられた製品を外国に売って莫大な利益を上げ続けている。安いからこそ買っているアメリカも共犯関係なのだけれど、このような状況がまったく改まらないから、メキシコからアメリカへ流出する経済難民が後を絶たない。
 資本主義は、このような搾取問題を放置し、格差を助長させて問題を深刻化させている。共産主義はこのような資本主義の欠点をこそ出発点としていたのであるけれど、富を分配する権限を持つ人の権力が肥大化してしまい、貪欲権力システムという同じ穴に嵌ってしまった。
 この本に書かれている神の提言は、人間の尊厳を守る資本主義と共産主義の中間方式である。ただし、人間の内(霊)的な成長と連動してこそ実現可能な中間方式のシステムである。

 

 

【高度に進歩した社会】
 高度に進歩した社会には秘密はない。ひとが何をもっているか、いくら稼いでいるか、賃金と税金と厚生年金をどれくらい払っているか、ほかの企業は何をいくらで売買し、いくらで利益を得ているか、すべてがわかる。すべてだよ。
 どうして、高度に進歩した社会ならこうしたシステムが実現するか、わかるかな? 高度に進歩した社会では、ひとを犠牲にして何かを得ようとする者は誰もいないからだよ。
 正しいことを行っている人々はつねにオープンである。並みの人間は、オープンにしなくていいとなれば、どんどん私利私欲が増長して、悪事を平気でおこなうようになる。
 天下りの腐敗ぶりや、事業仕訳で明るみに出た沖縄国際大学のデタラメぶりとかを見れば、高学歴者や学者の中には、極度にモラルの低い人々がいて、彼らこそが高度に進歩した社会の実現を阻んでいることがよくわかる。もっとも、そういった人々は、国のお金を私的に流用しただけであって人を犠牲になどしていないというのだろう。オープンでなければ何でもするという、御自身の修身(倫理)不在ぶりを棚上げにできるところが凄い。

 

 

【インセンティブと偉大さの定義】
 「経済的なインセンティブ」 は変化し、それとともに、世間的な物質を求め、獲得し、守り、ふやしたいという欲求は消える。
 偉大さは、どれほどの物質を得たかでは、はかられなくなる。世界の資源は世界中の人々のものだと考えられるようになる。 ・・・(中略)・・・ 。おおぜいの飢えたひとたちを見すごすことは、もうできない。彼らは食物がないから飢えるのではなく、食物を得られるようにする簡単な政治的メカニズムをつくり出す意志が人間たちにないから、飢える。
 このような倫理的に恥ずべきことは ―― いまのあなたがたの原始的な社会ではごくふつうのことだが ―― インセンティブと偉大さの定義が変化すれば永遠に消えてなくなる。
 新しいインセンティブとは、わたしが創った存在になること、つまり神性の物理的な表現になることだ。
 ほんとうの自分を表現すること ―― 神を実現すること ―― を選んだとき、あなたがたは二度と神らしくない行為をしなくなるだろう。(p.344-345)
 このような定義に則して社会を築けるのは、以下のような人々が多数を占めるようになった場合である。
 このグループは物質的な欲求から解放されている。彼らは霊的な真実、霊的な現実、霊的な経験にしか関心がない。このグループのひとたちは、人生は霊的な出会い、魂の旅だと思っている。そういう姿勢で、人生のすべての出来事に取り組んでいる。そういうパラダイムのなかで、人生の経験をしている。 (p.343)
 20年くらい前に出版されていたシャーリー・マクレーンの 『アウト・オン・ア・リム』 から始まるシリーズを読んでいたような人々は、この 『神との対話』 シリーズの記述がすんなり分かるはずである。
 物質的な生存に明け暮れている人々や、もっともっとと収まることのない欲望に暮れている人々は、神の社会を実現することに何の興味もないどころか、ただ単に嘲笑うことだろう。
 しかし、遠からず変革は起こるはずである。人類が自ら穏やかに賢明な選択をもって変革できないのであれば、ショック療法をもって。

 

 

【最高の目標】
 もう一度言おう。あなたがたの世界の経済的、政治的、社会的、宗教的システムは原始的だ。わたしはそれを毛ひとすじも変えようとは思わない。
 理由はさっき言ったね。わたしが定めた最高の目標を経験するには、あなたがたはこうしたことがらについて自由な選択肢と自由な意志をもたねばならない。最高の目標とは、創造者としての自分を知ることだ。(p.388)
 遍在する神はどこにでも在る。小さき者の中にも在るのだから、「小さき者に何ができようか」 という発想は間違っている。
 個人的存在としても、社会的存在としても、創造者としての自分自身であることの自覚が鍵であり、これこそが人生の最高の目標であらねばならない。
 不可知論を創り出したのは、宗教だ。 (p.414)
 邪悪かつ低級な宗教団体は、「依らしむべし、知らしむべからず」 と言って、信者を教団の集金システムとして利用してきた。未だにそんな宗教に依存し、利用されている人々は少なくないことだろう。
 今や、神は体感すべきものであり、神と人とが合一して世界を創造すべき時代になっている。既にそれが可能な時代になっているのだし、そうすべき時代なのである。
 神道は、大昔から “神人合一” を旨としている。しかし、今日のキリスト教系や仏教系の宗教団体では、未だに崇めているだけであろう。裁きの神として、あるいは御利益をもたらす仏として。そんなことで、どのようにしてこの時代を変革できると言うのか。人は人生において “創造者としての神を行ずる” ために在るのである。
 
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<了>