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 読んだことが有るような無いようなと思いつつ、読後にエクセルの記録を見てみたら、確かに読んでいた。せっかくだから読書記録を残しておこう。日本文化の美を語った著作。歌舞伎に関して比較的多くのページが割かれている。1995年5月初版。

 

 

【日本文化を守っている人々】
 彼(アレックス・カーさん)は四国の秘境、祖谷(いや)に茅葺きの家を持っています。これを葺き替えたてんまつは 『美しき日本の残像』 に詳しく紹介されていますから読んでください。 ・・・(中略)・・・ こうした茅葺きの家に住むという普通のことが、いつしか特殊なことになってしまいました。日本の伝統工芸についても同じことが言えます。たとえば、番傘、和紙などに美を感じて、勉強のために弟子入りした外国人が日本人の後継者がいないために、いまや、その工芸の後継者、救い主になっているのです。(p.22)
   《参照》   『日本を継ぐ異邦人』 井上和博 (中央公論社)
 世界的に長引く不況の昨今、若者達が日本を継ぐ職業に戻ってくれている傾向はあるだろう。頑張ってね。

 

 

【歌舞伎】
 歌舞伎はもともと荒唐無稽な内容が多いのです。前の場で死んだはずのものが次の場で生き返っていたり、悪人、実は善人、かわいい娘さん、実は男・・・と信じられないような展開をします。しかし、その不合理なところが歌舞伎のダイナミズムでもあるのです。近代的な理性では到底あり得ないことの連続です。しかし、歌舞伎は部分が全体です。部分が独立していると言っては言いすぎですが、その部分で演じられる役者の演技や風情、音楽、様式美といったものを総合的に楽しめばいいのです。(p.42)
 能や歌舞伎が成立した当時の人々の世界認識って、異界、妖怪、霊界あってこそなんだから、こんなもんでしょう。

 

 

【荒事歌舞伎】
 團十郎は「荒事は単なる外面的なきれいさ、技巧の高さではなく、あくまで素朴に、純粋に稚気をもって演じ、強さの表現に遠慮は禁物と実感しました。きれいごとでなく、体力の限界にチャレンジする気合が荒事なんですね」と語っていました。(p.54)
   《参照》   『歌舞伎と日本舞踊』 高橋啓之 (サンリオ)
             【歌舞伎の分類、 「荒事」 と 「和事」 】

 

 

【 『義経千本桜』 】
 吉水神社は、義経と静御前が討手を逃れて隠れ潜んだお寺が変わったものだそうです。面白い宮司さんで、お茶をごちそうしてくれながら、いろいろ話しかけてきます。「ご存知でいらっしゃると思いますけど、義経さんと静さんがここへ来はったんは、冬でっせ」。あっ、そうか。(p.107)
 史実がどうかということよりも、咲き誇りつつもやがて儚く散ってゆく桜にイメージを重ねる日本人の文化的心情に合っている、ということが重要なのである。だからこそ、末長く尊ばれる伝統芸能であり名演目なのである。

 

 

【フォービオン・バワーズさん】
 戦後すぐ、GHQは歌舞伎の上演を禁じました。歌舞伎にあるフューダル・ロイヤリティー(封建的忠誠)が日本を軍国主義へ導いたというわけです。 ・・・(中略)・・・ 。
 このとき、救世主が現れました。マッカーサーの副官だったフォービオン・バワーズ少佐です。戦前の昭和15年3月から1年間日本に滞在して歌舞伎のとりこになった人で、その体験から「歌舞伎は世界に誇り得る芸術である」と、職を投げうって復興に尽力してくれました。(p.55-56)
 バワーズさんは当時28歳だったという。
 歌舞伎がアメリカに来るたびに、役者たちが前よりも確実に進歩していることにバワーズさんは喜びを隠しません。「日本の観客は役者がうまくなるまで我慢して待つのです。すばらしい。ブロードウェイでは決して待ちません。日本だけです。温かいですねえ」。外国人でありながら、日本人以上に歌舞伎を知っているのはなぜでしょうか。感性の問題でしょうか。(p.62)

 

 

【坂東玉三郎の玉】
 1990年代、女形として圧倒的な人気を誇っていた玉三郎さんに、著者がインタビューした時の話。
 花のある役者といえば、中村屋のおじさん。おだてながらダメ出しをなさるんです。「シンちゃん、毎日よくなるけど、まだタマがあるでしょ。出してよ」(笑い)。遠慮しないでおやりなさいという意味なんでしょうね。とても繊細な方でした。(p.209)
 このタマという表現は、ビミョ~~~~に可笑しい。まだ磨かれていない珠(=芸の上達の余白)の意味。女形にあってはならない男の残留物の比喩としての意味。玉三郎の(素性を評価した)玉の意味。3つ全部含んでいるだろう。

 

 

【『七人の侍』でわかる国民性】
 黒沢さんは、「各国の国民性がわかって、『七人の侍』は、おもしろいぞ」と言っていたという。
 七人のうち、アメリカ人の人気は、圧倒的に勘兵衛だそうです。『七人の侍』のリーダー格、志村喬の役です。一匹狼の個性的な面々を冷静に統率していく役です、勘兵衛が出てくると、アメリカ人は総立ちでウワーッと拍手する。三船敏郎の菊千代には全然拍手がなかったそうです。ユーロッパへ行くとまた違う。フランスのパリあたりでは久蔵が圧倒的に人気があるそうです。宮口精二という文学座の役者で、もう亡くなりました。ひと言もしゃべらなかったですね。ニヒルな剣客です。これにウワーッと拍手がくる。それだけ人間が個性的に、深く描かれています。(p.69)
 フランス人の久蔵好みは、『あるいは裏切りという名の犬』 というフランス映画を観れば、きっと納得できるだろう。

 

 

【やっぱり日本文化は能だ。】
 『蜘蛛巣城』の一場面に関して、
 普通の映画だったら主君を殺すところを撮るはずですが、黒沢監督はそんな通俗的な方法をとりません。マクベス夫人の山田五十鈴が隣の部屋で聞いている。「バサッ」とにぶい音がする。とたんに山田五十鈴がササササッと前に出ていきます。それがすり足です。ポーンと鼓が鳴ります。能管が響きます。能そのものじゃないですか。そこで黒沢さんに聞いたのです。「あそこで能をやろうとしましたね」。すると、うんざりしたような顔をして、「君たち新聞記者は、すぐそういうふうに短絡的にものをとらえる。そうじゃないんだよ。私は若いころから能が好きだった。歌舞伎より、やっぱり日本文化は能だ。能を見続けてきた」と。彼は若いころ、仁科展に入選して、映画の道に進もうか、画家の道に進もうか思い迷った時期があります。絵画についても詳しい。音楽についても強い関心を持っています。そういうもろもろのものが自分の中にあって、ここを面白くするにはどうしたらいいかを考える、それがたまたま能の形をとったり、絵画的なものであったり、音楽的なものであったりするらしいのです。(p.70)
   《参照》   『萬斎でござる』 野村萬斎 (朝日新聞社)

             【 『マクベス』 】

 成立順からしても歌舞伎が先であるわけないのだから、「やっぱり日本文化は能だ」と言えるけれど、ならば「やっぱり日本文化は、聖徳太子に帰着する」とも言えるはずである。
   《参照》   『隠れたる日本霊性史』  菅田正昭  たちばな出版

 

 

【誇るべき三十一文字の日本文化】
 現代詩の 『サラダ記念日』 の 俵万智さん。 ・・・(中略)・・・ その万智さんが最近、ヨーロッパへよく講演旅行に行くそうです。彼女の講演に、向こうの人は大変驚いたそうです。「日本には千二百年前から五、七、五、七、七、三十一文字の詩の一つの形態があります。それが現代でも続いていて、大新聞や雑誌の中には短歌欄というのがあって、多くの人が投稿しています。日本人であるなら、学校の宿題などで一生に一度や二度、必ず詩を書きます・・・。そう言うと、向こうに人は驚くそうです。 『すごいなあ、日本の文化ってすごいなあ』と。その驚く姿を見て、私は日本人としての誇りを持つことができました」と言います。(p.105-106)
 日本に短歌や和歌といった文化様式が継続しているのは、智恵証覚に秀でた日本人(日本語)だからこそ可能な「象徴伝達」という高次元文化仕様が残っているからである。
   《参照》  『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《前編》

           【象徴伝達の文化】

 天皇が詠んだ歌も、庶民が詠んだ歌も、分け隔てなく同じ歌集に編纂されているという点も、諸外国にはない際立った日本文化の特質である。
   《参照》  日本文化講座 ⑤ 【 言霊・天皇 】

             【和歌の前に平等】

 

 

【平山画伯の執念】
 私は平山さんの絵があまり好きではありませんでした。シルクロードを描いた似たような絵が多すぎます。どこにいっても平山さんの絵があると言った感じで、ありがたみが薄い。(p.138)
 みんな、そう思っていることだろう。それには訳があった。
 平山さんは「現住所は海外の美術館にあるけれども、本籍地は日本だから、日本の責任において傷んでいる作品を直してやろうじゃないか」という運動をしていたわけです。(p.139)
 別れるさい、「平山さん、まさか今夜は絵を描かないでしょうね」と言うと、「いや、描かなきゃなりません」。しまった。申し訳ないことをしてしまったと後悔しました。間もなく、その理由がわかりました。 ・・・(中略)・・・おそらく展示即売会だったのでしょう。その収益を日本古美術品の修復に回す。だから描き上げなければならなかった。(p.140)

 

 

<了>