《前編》 より

 

 

【文系型人間と理系型人間の違い】
 私の実感としては、文系型人間と言われている人たちのほうが、偉い学者の言うことや、有名な学説の熱心な信者になってしまう傾向があるように思う。 ・・・(中略)・・・ 偉い学者の名前を挙げて、「誰々が何々といっていました」 というふうに根拠となる人名や学説を引き合いに出すと、比較的簡単に相手は説得されてしまう。(p.48-49)
 日本の官学のルーツは江戸の儒学者達らしから、文系学問と権威主義の根は深いのだろう。文系の学問は、多くの文献を読むには時間が要するから年齢と学識は比例していたのだろうけれど、理系の学問は、時代ごとに新たに発展する分野が多いから年齢と学識は必ずしも比例しないものだし、そもそも理系の学問的態度は、仮説と検証の繰り返しだから、そこに権威は介在しないのである。

 

 

【情報の適応性】
 グルメ情報の場合は、評論家のタイプによっても情報の信憑性が違ってくる。 ・・・(中略)・・・ 私は40代なので、20代のラーメン評論家がすすめる店の味は、こってりしすぎていてどうも合わない。しかし、40代のラーメン評論家がすすめる店は、結構好みの味の店が多い。年齢的にあっさりした味が良くなっているのかもしれないが、少なくとも味に関する限りは人それぞれ嗜好が違う。(p.152-163)
 情報を元に自分に合うかどうかは自ら検証すべきことであるけれど、情報提供者に付随する情報も検証する上で考慮されるべき重要な情報である。
 上記の例は、個人を民族や国家や国民に置き換えても当然成り立つはずである。
 心理学の理論の殆どは、アメリカかドイツで実験された結果であって、それが日本人に当てはまるという保証はどこにもないのだ。文化的にも宗教的にも異なる日本人には、当てはまらない可能性も少なくないと思う。
 にもかかわらず、「フロイトはこう言っている」、「ユングはこう言っている」 と言って、日本人の心をフロイト理論やユング理論で解釈しようとする。そこに、最も疑うべき要素があると言っていいだろう。(p.168-169)
 いまだに日本人として固有の判断ができない人々が少なくない。むしろ第二次大戦で敗戦を経験した権威主義的学者さんの系譜には、そんな人々が多いのだろう。学術界にあったってそれら全ての人々が日本文化の貴き固有性を知っているとは限らないのである。
   《参照》   『国家の正体』 日下公人 KKベストセラーズ
              【崇洋媚外】
              【出羽の守】

 

 

【生きた心理学】
 検証という意味でいえば、セブンイレブン・ジャパンのほうがはるかに心理学的な手法で検証を繰り返しているように思う。 ・・・(中略)・・・ 同社では、顧客動向やデータなどで、常に顧客ニーズの仮説を立てた上で実際に検証しているから、同社の関係者のほうが心理学者よりもはるかに顧客心理についてわかっていると思う。(p.170)
 権威を表に立てているようでは、時代に遅れるばかりである。
   《参照》   『コンビニでは、なぜ8月におでんを売り始めたのか』 石川勝敏 (扶桑社)

 

 

【 「集団心理」 と疑う力】
 集団心理として典型的だと言われるものの一つにリスキー・シフトがある。一人で判断したことよりも、集団で相談して決めたことのほうが、向う見ずな結論が出ることが多いというものだ。たとえば会社内で来季の売上目標数字を決めるとき、個人としては誰もが、前年と同じ数字を維持することすら難しいと思っていても、会議で相談すると、「売上高前年比10%増」 などという結論に至りやすい。自分が臆病者と思われたくないという心理が働いたり、大勢の中で気が大きくなったりするためだ。また、自分一人で決めたわけではないので、責任が分散されるという気持ちもあるだろう。こうして 「売上高10%」 を前提に予算や人材配置を組み立ててしまうことによって、結果的にコスト増で前年より利益が大幅に低下するという最悪の結果を招くこともある。(p.87)
 第二次大戦中の大本営は、常にこのリスキー・シフトという集団心理によって支配されていたと言えるのかもしれない。
 集団心理でもう一つ強調されるのは、同調心理だ。(p.88)
 集団実験で、サクラに最初に意見を言わせると、その方向に意見が一致してしまう。
 テレビに出て来るコメンテーターなんて、現実の生活がかかっているから、メディアの支配者の意向に違うコメントなど、まず言うことはありえない。この場合は同調心理ではなく迎合心理なのだけれど、そういったコメンテーターこそがサクラであることを知っておくべきである。

 

<了>