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 夏休みシーズンだから、何となく手に取ってみただけ。2004年8月初版。

 

 

【休暇に関する考え方】
 アメリカ人は 「働くだけ働いて、休むときには徹底的に休む」 「楽しく充実した休みをとる」 という考え方を持っています。
 これに対してヨーロッパ人は、「いかにして働かないか、いかにして長く休むか」 という前提でものを考える傾向があります。
 ・・・(中略)・・・ 過度に労働を求められがちな日本人としては、見習うべきはアメリカ人かもしれません。(p19)
 日本で外資(米)系企業に入った日本人は、土日もなく始終働いているという話をきいたことがあるけれど、成果を上げた人々の休暇のゴージャスさは、まさにアメリカ人そのもののようになるらしい。
 ヨーロッパ系を見習うのは公務員だろう。公務員なんて、そもそも仕事などあまりに少いのだし、年間有給をまとめて取得して1ヶ月間、南米を回っているという人に出会ったこともある。

 

 

【休暇力のネック】
 日本の場合は休暇力を高めるためには気質面と物質面の両方からの改善が必要です。(p.24)
 気質面は、上記の休暇に関する考え方であり、物質面とは、移動効率のことで、その悪さが日本人の休暇力を沈滞させている。移動に時間やお金がかかりすぎるから、みんな家でDVD鑑賞になってしまうのである。

 

 

【休暇には明確な 「目的」 が必要】
 一日を何だかわからないうちに過ごしてしまった。気がついたら夕方だった、今日は何をしていたんだろう・・・。
 せっかくの休暇に、こんな悔しい思いをした経験は誰にでもあると思います。
 どうしてそんなことが起こるのでしょうか。
 それは休暇に明確な 「目的」 を設定していないことが原因です。
 人間は目的が明確であればあるほど、充実した時間を過ごせるものです。(p.82)
 “休暇” と “目的” が結びつくこの記述に一瞬違和感をおぼえるけれど、自分の経験を振り返ってみれば、著者が書いていることが正しいのは明らかである。
 人生も休暇もまったく同じで、目的のない人生(休暇)は何ものをも生まない。週末の暇つぶし読書であっても、「何時までにここまで」 と決めておかないと、本を一冊読み通すことすらできなくなってしまうのである。そしてタラタラと時間をかけて読んだ本ほど、印象が希薄になっているのである。休暇も仕事も勉強も読書も睡眠も、要は密度ないし集中の度合いによって価値は定まるのである。

 

 

【フィンランド症候群】
 かつてフィンランドで、心血管疾患になりやすい因子を持つ人を選び出す調査が行われた。彼らを2つのグループに分け、片方は、何のアドバイスもせず本人の自由にさせる 「放任群」。もう片方は、医者がライフスタイルに介入する 「介入群」 として15年間観察した。
 その結果、
 放任群のグループのほうが心臓死数。総死亡数とも少なかったという結果がでたのです。
 簡単にいえば 「健康に無頓着なほうが長生きをする」 ということですが、これを一般に 「フィンランド症候群」 と呼んでいます。
 つまり、いくら健康のためにするものであっても、それが自分のストレスになるのであれば意味がないということです。この点は、心を癒す休暇のとり方を考える際には、必ず注意しなければなりません。(p107-108)
 宗教団体に属しているかいないかも、この 「フィンランド症候群」 の例に当てはまるのではないだろうか、と思ってしまう。しかし、著者はそうは書いていないどころか、以下のように書いている。

 

 

【心を癒すために、直接心にアクセス】
 宗教という選択肢もあります。 ・・・(中略)・・・ 本人が信じているのであれば、リラクゼーション効果もあると思います。
 世間では宗教というだけで忌み嫌う傾向がありますが、創価学会にしても、天理教にしても、信者には働き者の良心的な人が多いものです。いわゆる新興宗教にしても、上層部には汚い人間がいることもあるのかもしれませんが、末端の信者には正直で、性格のいい人が目立つように私には思えます。
 その性格は入信後に形成されることが殆どのようですから、俗にいう 「信じる者は救われる」 「心が洗われる」 という効果はあるでしょう。
 絶対に宗教に入れと勧めるわけではありませんが、興味がある場合はのぞいてみるのもいいかもしれません。(p.112)
 著者の本職は精神科のお医者さんだけれど、医療に従事する人々は、宗教の効果をそれなりに認めている人が増えているように思う。
   《参照》   『死ぬときに後悔すること25』 大津秀一 (致知出版社)
              【宗教も 「セカンド・オピニオン」 を・・・】

 

 

【他人を喜ばせるという癒し】
 自分の心を癒すためには、他人を喜ばせる慈善活動をするのもおすすめです。 ・・・(中略)・・・。日常的なことでいえば、親の肩を揉んだり、電車でお年寄りに席を譲ったりという行為です。そのときに相手に喜ばれたり、ほめられたり、感謝されたりして、気持が明るくなった覚えがあるはずです。それが心の疲れが癒される瞬間です。(p.113)
 お医者さんなどで、とんでもない激務であるにもかかわらず疲労が蓄積されないかのように元気な人って、助けた患者さんやその家族からの感謝や喜びのエネルギーに包まれているからなのだろう。

 

 

【遊ぶために働く】
 「自分が仕事をするのは、旅行に行きたいからだ」 などといいながら仕事をしていたとしたら、今度は 「あいつは不謹慎なヤツだ」 とか 「こいつはやる気がない」 といわれかねません。
 これは仕事を神聖視する社会的習慣の影響もあるでしょうか、学生の頃に映画を見ることを楽しみに勉強に取り組んでいた経験のある私からすれば、あまりにも本質が理解されていないと思います。
 実際は休暇のために働く人のほうが仕事で結果を出せるものなのです。(p.119)
 多分、真面目すぎる日本人の多くが、遊びや芸術による魂の解放感を経験していないからなのだろう。

   《参照》   『昨日までの自分に別れを告げる』 中谷彰宏 (ダイヤモンド社)
             【動機はできるだけ不純な方が、持続する】

   
<了>

 

  和田秀樹・著の読書記録

     『休暇力』

     『〈疑う力〉の習慣術』

     『痛快! 知的生活のすすめ』 渡部昇一・和田秀樹

     『本物の実力のつけ方』 榊原英資・和田秀樹