《前編》 より

 

 

【「恐竜の首」派と「ロングテール」派】
 ロングテールは、インターネットの本質にかかわる極めて重要な問題提起を含む新語である。(p.98)
 例えば、縦軸を売上額、横軸を売り上げ順位として書籍の売り上げをグラフ化すると、恐竜のような形の分布になる。その様子は、体高10メートル以上で、1キロ以上のロングテールをもった恐竜である。長さ(横軸)は高さ(縦軸)の100倍。つまり、細くて長~~~い尻尾のある恐竜である。
 パレートの法則でいう処の、主要な20%を対象とするのが「恐竜の首」派。
 取るに足らぬ80%を対象とするのが 「ロングテール」派である。
 「恐竜の首」 部分で事業展開する電通と、ロングテールを追求するグーグルでは、何から何までが違う。「絶対に儲からないから、そんな小さな客やそんな小さなメディアの相手をするな」 と電通が考える対象こそが、グーグルにとっての市場だ。そんなロングテール市場が大きいことを仮に電通が認識したって、リアルの大組織のコスト構造の重みゆえ、たとえ少々の売り上げが上がっても、やればやるだけ損が積みあがるから、絶対に追及できない。(p.111)
 社会がインターネット化するに及んで、リアルの書籍市場の売り上げが伸びたのも、書店にはおかれていない、ロングテール部分に埋もれていた書籍が検索され注文されるようになったからである。アマゾンは、ロングテール(書店におかれていない書籍)が、全体の書籍売り上げに占める比率は3分の1と発表している。(p.105)
 単純にパレートの法則をあてはめると、ロングテール部分の売上比率は20%となるけれど、インターネット化でそれが33%になった。13%は伸びたということになる。
 工業化社会が推進するリアル経済は、「恐竜の首」 の部分に集中する傾向があり、必然的に格差社会を生む傾向がある。情報化社会は、「ロングテール」 の部分を覆うことができる故に、リアル経済においても分散化させる力があることは、アマゾンの実例からも認めることができる。
   《参照》   『ウェブ人間論』 梅田望夫・平野啓一郎 (新潮社) 《後編》

            【ネット環境が本全体の売り上げを伸ばした】

 

 

【ブログの効果】
 「実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの1年半の過程で身をもって実感した。(中略)ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料で放出することで(無形の)大きな利益を得られる」 ということに尽きると思う。」(p.164)
 “本人を成長させる” という記述はその通りだと思う。読む本の冊数は減ったけれど、頭に残る量は明らかに増えている。そして何よりも、こんなブログであれ公開することで、誰かしらがそれぞれの著作を紐解き、自ら手にして読んで少しでも向上してくれたら嬉しい。放出したものが他者を資することとなり、因果応報の法則に従って、来世の自分自身にまで巡り還って、さらなる向上に繋がったらもっと嬉しい。
 チャンちゃんの来世の希望は、アダムスファミリーとして生まれてくる事である。だから今世はできるだけ多く血を献上しようと現在まで127回、金属の管で吸い取ってもらっている。でも、まだこの回数では、アダムスファミリーとしての資格は得られず、蚊の親分程度の来世かもしれない。それでもブログで間接的に提供した知の徳分が結実していれば、ちょっと賢い蚊となって遍く吸い渡り、瞬く間にひっぱたかれて生存期間数時間でした、などという短い生涯にはならないだろう。
《追記》 
 上記の献血に関するコメントは、冗談半分で書いていたのだけれど、献血の実態を知った2012年以来、献血は一度たりともやっていない。下記リンクをだどってください。

              【輸血は絶対にしてはいけない!】

 

 

【日本の歪み?】
 日本という国は 「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」 ばかりの発想で支配されている国であるという再発見をした。
 日本の大企業経営者、官僚、マスメディア幹部。いわゆるエスタブリッシュメント層の中枢に坐る、私よりも年上の人たちの大半が、組織を辞めたという個人的経験を全く持たないのである。そのことが日本の将来デザインに大きな歪みをもたらしてはいないかという懐疑も、私の中に同時に生まれた。(p.233)
 「転石苔を生ぜず」 で “才能” を重視し、「ベスト・アンド・ブライテスト」 志向に傾斜しやすいアメリカと、 「石の上にも三年」 で “徳分” の価値を認め、「和をもって貴しとなす」 日本を対比すれば、日本の側に上述のような、単一組織帰属由来の “発想の固定化傾向” があるのは止むを得ないだろう。
 しかし、それ故に “日本の将来デザインを歪ませる” ことになるかどうかは分からない。著者の懐疑が、結果的には杞憂であったと言えるような将来になってほしい。
 勉強好きな日本の中小企業の経営者たちは、エスタブリッシュメント層の中枢や公務員のように固定的な発想しかできない人々ではない。景気の上向かない時代が長く続いて、現代では、返って安定志向の若者が増えているそうだけれど、就職以前に海外で様々な体験をしている若者は、ちょっと前より圧倒的に増えている。時代に適応しうる潜在的発想力を秘めた日本人の比率は増えているはずである。
 よしんば、増えていなかったとしても、それはそれでこう考えればいい。縦軸に発想の頻度、横軸に発想順位をとれば、安定志向の日本人たちは、発想の偏狭さにおいてロングテールの領域を構成することになるだろう。安定志向の大多数は、 “発想の偏狭さ” というデメリットと思われがちな属性の裏側で、安定を盤石なものにしているのが日本という国の特徴なのだろう。シッポはただ長いというだけで安定に寄与する大切な役割を持っているのである。(思いつきで書いた、よしんば以降の記述、ちょっとアホ臭い気がする)
 やっぱり、過度な安定志向から動きが悪くなると、不適応死してしまうよね。 
 
<了>

 

  梅田望夫・著の読書記録

     『フューチャリスト宣言』 梅田望夫・茂木健一郎

     『ウェブ時代 5つの定理』

     『ウェブ進化論』

     『ウェブ人間論』