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 シリコンバレーのオピニオンリーダーたちの切れの良い言葉は、多くの人々にインスピレーションを与えている。著者はそれらの言葉を探しては考えるという勉強法を継続してきたと書いている。この本は、そのおすそわけである。

 

 

【アントレプレナーに共通すること】
 優れたアントレプレナーに共通する特徴は、人生のある時期に、たいへんな集中力と気迫で、新しい知識を確実に取得している、ということです。(p.23)
 アントレプレナーとは、「進取の気性に富む人」 という意味。 一般的に 「起業家」 と訳されることがあるけれど、起業家だけが有する精神ではない。 「進取の気性に富む人」 はすべてアントレプレナーなのである。
 シリコンバレーに集まってくるような人々は、総じて圧倒的にアントレプレナーなのだろう。
 頭がポヨヨ~~~ンとしている人は、アントレプレナーばかりが集うシリコンバレーに行けば、シャキッと頭が冴えてくるはずである。集中力と気迫を生む冴えた頭脳で生きている人々が集う空間は、実際にそのような精神波動で満ちているから、本当にそうなるのである。
 そんなアントレプレナーたちから受け取った言葉を元に構成されているこの本にすら、そのような冴えた波動が籠っているものである。

 

 

【Power to the people】
 カウンターカルチャーは中央集権化された権力に軽蔑心を示し、
 まさにそれが、リーダー不在のインターネットの世界だけでなく、
 PC革命に対しても哲学的基盤を与えた。 ――― スチュアート・ブランド (p.117)

 スチュアート・ブランドが言うように、60年代から引き継がれたカウンターカルチャーと、70年代に開花したパーソナルコンピュータ技術の進歩が融合した。脈々と流れるそういう思想が、現在もシリコンバレーの技術者たちのものの考え方の基本になっています。
 一方、日本におけるコンピュータとは、米国東海岸と同じように 「コンピュータは体制側管理のためのツール」 として長くイメージされてきました。コンピュータ社会とは、まさに監視社会や管理社会とイコールであると発想する人が多い。「PCやインターネットは、個に力と自由を与えてくれるもの」 という文脈で読み説かないと、シリコンバレーの 「技術者の目」 は理解しにくいと思います。(p.119)
 これを読んで、ハッとしつつ 「そうか!」 と思う。 先に梅田さんの著作を読んでいるとき、このような文脈では読んでいなかった。
 シリコンバレーのある西海岸は、カウンターカルチャーの本場である。この地には、ジョンレノンの 『Power to the people』 の精神が今でも息づいているということ。 「個に力を与えることで、世界をよりよい場所にすることができる」 という概念である。
 アップルの 「iPod」 や 「iTunes」 開発の背景にも、現在のテクノロジーを使えばもっと広く安く音楽を届ける方法があると考え、既存の音楽産業という権威に反抗して、その世界に革命的変化を起こそうという意識がはっきりあります。
 個の自由や選択肢を押し広げ、個をエンパワーする方向でテクノロジーが実現できる可能性が見えたのに、既存の権威(法律、業界習慣や秩序など)がそれを阻んでいるときは、現状に疑問を抱き、その構造を立て直したいという反骨心で、リスクを取って果敢に攻め込む。そういう考え方によって、技術主導のイノベーションが次々と可能になるのです。(p.121)
 先に書いたアントレプレナーとは、このような意志を持って行動する人のこと。大方の日本人のように、他力依存でボンクラなまま生きているようでは、社会を変革できないばかりか、むしろ変革(社会進化)の足を引っ張っていることにしかならない。

 

 

【最高の倫理観を持ったものが社会を牽引する】
 既存体制側から個人へとパワーがシフトしてゆく過程で、シフト側に高い倫理観がないのであれば、そのようなパワーの移行は無意味になってしまう。そのような事例は、西欧史上の革命前後の事例にいくらでも見ることができる。
 ゆえに、シリコンバレーのアントレプレナー達は、「世界をよりよい場所にするために」 以下のように明確に表現するのである。
 最高の倫理観を持って、物事に対してオープンで正直であれ。
 そして隠し事をしてはいけない。 ――― スティーブ・ヴォズニアック
 Try to have the highest of ethics and to be open and truthful about things, not hiding. (p.59)
 グーグルの第一倫理も、これに沿う。

 

 

【 邪悪であってはいけない】
 「邪悪であってはいけない」(Don’t be evil.) ――― これがグーグルの第一倫理です。(p.176)
 グーグルが最も重視するのは、金儲けになるかならないかの前に 「それが社会的に邪悪か、そうでないか」 という点だという。
 古典の教養のある人々や、石門心学などの商道徳を順守している人々から言えば、当然の見解であり、それを実践している経営者は勿論日本にもたくさんいるはずである。
   《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝  致知出版社

              【公において私を糺す】

 けれど、最近は、社会的な善悪という視点を一切欠いていながら 「金を儲けてどこが悪い」 と言うアホな経営者が多くなっているのも事実であるらしい。そう言う経営者には実のところ(東大卒であろうと)大した知性は無いのである。
 世界最高の成長を成し遂げているグーグルは、我々凡人などとうてい及びもつかないような最高に冴えた知性を持つ頭脳集団なのだけれど、実際は、人間の知性と徳性は一般的には比例しているのである。
   《参照》   『痛快! 知的生活のすすめ』 渡部昇一・和田秀樹 (ビジネス社)

              【 IQ  と EQ 】

 但し、There are no rules without exceptions. と言うから、例外の発生を抑止するために、グーグルは第一倫理として 「邪悪であってはならない」 と明確に表現しているのだろう。