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 95年頃にアメリカで始まったインターネットが、世界中に普及しだしたのは2000年あたりから。それ以降の人間の行動様式はどのように変わったのだろうか。2006年12月初版。
 終盤に記述されている梅田さんの考えを読んで、世界中の若者達の変容を、楽観的に受け入れてもいいように思えてきた。

 

 

【検索がネットの中心】
 グーグルだけは、「検索がネットの中心」 だと思っていて、それが正しかった、ということだと思います。 ・・・(中略)・・・ 。グーグルは、検索エンジンの意味を体現して、情報の層(レイヤー)を全部押さえて、整理し、整理対象となる情報をもっともっと広範囲にしていく、ということをやり続ける、そういう意志をもった会社です。(p.26-27)
 つい最近まで、ヤフーもグーグルに検索をアウトソースしていたわけです。(p.26) とも書かれている。

 

 

【検索の威力】
 平野さんは、デビュー作の 『日蝕』 を書いた時、片っ端から書籍を集めていたけれど、後に友達に 「ネットで検索したら・・・」 と言われその威力を知ったという。
平野 : 僕はその時に、文士ぶってテクノロジーに背を向けていいことは何一つないというのを、費やした時間と労力とで骨身に染みて感じたんです。だから、 『葬送』 の時には、かなりインターネットを駆使したんです。(p.22)
 検索によって必要に応じた知識を集めることはできるだろう。しかし、そこから先が人間の能力の出番である。

 

 

【「高速道路」を抜けた先の構造化 】
梅田 : 将棋の羽生善治さんの 「高速道路」 論というのがあって、「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです、でも高速道路を抜けた先では大渋滞が起きています」 と彼は言うわけです。僕はその大渋滞を抜け出せるかどうかのカギの一つに、構造化能力というのがあると思っています。膨大な文献を素材に 『葬送』 という小説を書くなんていうのは、その構造化能力の最たるものですよね。(p.23)

平野 : 『ウェブ進化論』 を書かれたモチベーションとしては、ネットの中で十分に語り尽くせないものがあったということでしょうか。
梅田 : 語り尽くせないことがあったというよりは、思考を構造化したかったということですね。考えを一つの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかないと思いました。(p.39)
 梅田さんはこの対談の中で、たびたび “構造化” という言葉を使っている。
 ウェブ人間論の核心となる用語の一つであろう。
 インターネットは知識という名の部材を集めるには最適である。検索機能を使って即座に部材は集められるであろう。しかし、それらの部材を使ってどのような家(構造物)を建てることができるかは、専ら人間の構造化能力に依っている。

 

 

【 「教養」 の核をなすもの】
平野 : 「教養」 というようなものを形成していく核になるものって何でしょうかね? (p.180)
梅田 : 「教養」 の核になる、読み、書き、考える力を身につけさせてくれるのは、ネットよりも、思考がしっかりと構造化された本だと思います。(p.181)
梅田 : 物語であれ、哲学書であれ、評論であれ、構造化がしっかりなされたものを、1ページ目から300ページ目までをずっと順に読んでいくということに子どものころからやっぱり親しむ、そういう習慣をつけるということの重要性は絶対になくならないですよね。それが身についていたら、ネットで物足りなくなれば、本へ戻ってくるはずですからね。(p.180)
 本を読むのが好きな人は、あまりインターネットを活用していないのではないだろうか。私は、メールを確認するときと、このブログを掲載するとき以外、ほとんどインターネットを使っていない。理由は、インターネットは読みもの(本)ではないから、である。 読みものは構造化されていて全体観がある。インターネットではそれが得られない。
 重心をいずれに置くかという点において、インターネット派と書籍派の分水嶺はこれに尽きるだろう。

 

 

【量が質に転化する】
梅田 : 実はこの間、将棋の羽生善治さんと話してて、「僕はもう四十五歳で、既にピークを越しているかもしれないって思っていたけど、最近はこれからもっと頭が良くなっていくかもしれないって思う時があるんですよ」 って話したんです。そしたら彼は、「だってインプットの質がよくなったんだから当たり前じゃないですか」 っていきなり言うんですよ。 ・・・(中略)・・・ 。
 羽生さんに言わせると、将棋の場合でも、とにかく情報量が圧倒的になっているということなんです。彼の仮説は、 「情報の量がいずれ必ず質に転化する」 ということらしいんです。シャワーのように情報を浴びて刺激を受けていて、しかもインプットの質が圧倒的になっている。「だから頭が良くなっているに決まっているじゃない」 って、彼に言われてしまった。(p.171)
    《参照》   『日本語トーク術』 齋藤孝・古館伊知郎 (小学館) 《後編》
             【「量より質」 ではなくて 「量こそ質」】

 

 

【翻訳】
 翻訳については、実は人力が一番であり続けるでしょうね。 ・・・(中略)・・・ 。ただ、ボトルネックになるのは、リアルタイム性と網羅性ということで、自動翻訳機械ができないとリアルタイムのすべての文章の翻訳は難しい。それは、今後の大きな課題だと思います。(p.37)
 アップルのスティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で素晴らしいスピーチをしたけれど、英語なので日本人の間には広がらなかった。しかし、誰かが上手な翻訳をアップしたので、日本人の間にも爆発的に広がったそうである。
 ネット上の翻訳って、職能の在る人は自発的にアップしたりはしないだろうから、時々、自発的個人によるヘンなのを見ることがある。例えば、 ジャニス・イアンの名曲 『ラブ・イズ・ブラインド』 を懐かしみながら聞いていて 「エッ!」 と思ったのは、 morning が mourning として訳されていたものを見たことがあったから。
 翻訳に限らず、誰でもが投稿できるというインターネットの弊害やデメリットを、自覚しつつ利用すべきなのは言うまでもない。
   《参照》   『平野啓一郎 新世紀文学の旗手』   TKC中央出版  
           【インターネット・テキストの弊害】

 

 

【ネット上での集団の規模】
梅田 : 情報にハングリーな人のネット上での活動量ってすごくて、いくらコミュニティに沢山の人が入ってきても、リテラシーの高い人が先にある流れを作ってしまうというようなことが起こる。エッジが立った人のヴォーディングの仕組みというのは、母集団が大きくなっても維持できるのではないかと今は考えています。(p.51)
 それは、傍聴するだけでも益するだけの内容をリテラシーの高い人が維持しているからこそ母集団が大きくなるのであって、単に参加したいというレベル人々の集団ならそうはならないだろう。

 

 

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