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 『日蝕』 と 『一月物語』 の著者に興味があって読んでみた。
NHKの「トップランナー」という番組で平野さんが語ったことを書籍にしたらしい。

 

 

【賢明な作家】
 「若いのに、作家としても賢い人だなぁ」 と思ってこの本を読んでいた。作家としての精神的な素性を余りばらさないところが賢いのである。 “秘すれば花” である。しかし、たった一箇所それらしい記述があった。
 中学生のときに三島由紀夫の作品 『金閣寺』 に衝撃を受けたという。  (p.66)
 私には、この箇所だけで十分である。平野さんの世界が分かる気がする。
 それにしても、中学生の時に読んでいたというのが尋常ではない。私が読んだのは二十歳くらいの頃だった。
 まあ、そんなことはともかく、言文一致という風潮にあわせて口語風の小説が多い中で、私は平野さんのような書き言葉ならではの文体の作家が絶対に貴重だと思っている。日常の口語とは全然違うからこそ、独特の雰囲気を持つ際立った作品になるのだ。

 

 

【上質な退屈】
[平野]  『名作』 とか 『古典』 とか呼ばれるものを読むには、確かに一定の忍耐も要求されるでしょう。それでも、僕はいいと思う。“上質な退屈さ” は必要だと思います。
[インタビュアー]  “上質な退屈さ”、いい言葉ですね。すごくいいと思います。どうでもいい情報、どうでもいい活字が氾濫するこの時代、まさに求められているのは “上質な退屈さ”。
[平野] 僕は、読む前と読んだ後とで、自分が何も変わらないような本は、読む意味がないと思うんですよ。・・(中略)・・。毒にも薬にもならない本が多すぎると、僕は思うんですよね。 (p.80-81)
 まったく。
 

【インターネット・テキストの弊害】
[平野] 僕は基本的にあまり読者と作品以外の場所で接点を持ちたくないと思っているので、アンオフィシャルのものも見ないようにしています。・・(後略)・・。
[インタビュアー] 文を表すにあたって出版が唯一の手段であった時代には、選ばれた人しか私記を公開するということは出来なかった。それだけ、フィルターにかけられた文章が公にされていたわけですよね。
[平野] 特に子どもには、ポルノ画像が簡単に入手できるなんてことよりもずっと問題だと思いますよ。判断力も思考力もよく育っていない彼らが玉石混交のテキストで全て同列で目にしてしまうことの弊害は大きいと思いますね。
[インタビュアー] 確かに、垂れ流しにされているのは有害な画像だけではなく、むしろ一目で有害かどうか判断のつかないテキストの方が始末が悪いかもしれないですね。“上質な退屈さ” を選ばずして、 “どうでもいい暇つぶし” に翻弄されている人々のなんと多いことよ! (p.81-82)
 学生の頃は潤沢に時間を所有していたから、あるいは“上質な退屈さ”に近い読書をしていたかもしれないけれど、近年の私は “暇つぶしのための読書” をしているだけである。テレビよりも本のほうがマシと思っている程度だ。
 しかし、最近は印刷方法が進化して、誰でも製造原価が1冊400円程度で本が出版できるようになっているらしい。そうなれば、書店に並んでいる本でも、玉石混交の石の比率が増えてしまうのだろう。
 もっとも、芥川賞だって 『蛇にピアス』 などというバカみたいな作品が受賞していたりする。あらゆる文学賞も、選考委員が出版社の要求に屈するなら、インターネット・テキストと同様な玉石混交状態になってしまい、まともな読者から完全にそっぽを向かれるようになるだろう。
 世界で同時に評価される一般市場製品の品質は、とりたてて判定する側の資質を問わない。しかし、日本文学の品質は、“上質な退屈さ” を経験してきた読み手(選考委員)によって判定されねばならない。
 
<了>

 

 

  平野啓一郎・著の読書記録