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 「読む前に、ゴミ箱へ捨ててしまえ!」 という感想。これこそ、近年の文学賞のバカさ加減の極致である。選考委員は、日本社会をぶち壊そうとする上位意思にコントロールされているに違いない、と思う。ふざけていすぎる。


【芥川賞比較】
 この作品と同時に芥川賞を受賞した、綿谷さんの 『蹴りたい背中』 を、今年4月頃読んだ。コンピュータ社会を利用して逞しく生きている小学生が登場していて、それなりに現代という時代を映し出していた。私がエクセルに記録している、読書リストに、『蹴りたい背中』 のコメントとして、「これが芥川賞?」 とだけ書いてあった。しかし、この 『蛇にピアス』 を読んだ後なら、『蹴りたい背中』 の方が、まだかなりマシに思える。


【小説に教養は不可欠】
 小説は、豊富な人生経験と圧倒的な読書を重ねてきた作家の手によるものでないと、読むに値する作品にはならないと思う。
 『蛇にピアス』 は、セックス、刺青、ピアス、殺人、という特殊な世界が描かれているだけで、芸術性は100%ない。おそらく著者には教養もない。若干二十歳の女性なのだから教養を期待しても無理は無理。読者が、著者を選ぶべき時代なのかもしれない。
 チャンちゃんは、社会人になって、殆ど小説を読まなくなったが、数年前、『後宮小説』 を読んで、酒見賢一さんという作家の名を記憶した。その後、『墨攻』 というタイトルの本を読んだ。この著者は40歳程度である。『後宮小説』 と 『蛇にピアス』 を比較できるだろうか? 私にいわせれば比較以前である。もしも、「『蛇にピアス』の方が良い」 という人がいるならば、その人は、小説をろくに読んだことが無い人なのであろう。
 深い内容の本をろくに読んだことがなくって、したことがあるのはセックスだけというならば、「本など書くな!」 とチャンちゃんは言いたい。小説は感覚や感性だけで書けるものではない。教養が学歴に比例するとは言えないけれど、無教養はインプットが圧倒的に足りてないから必然的にそうなるのである。大学時代に好きで小説を読み耽っていても、それがすべて血肉になるはけではない。読書を重ねたからといって、全ての人が作家になれるわけではないけれど、少なくとも読書を重ねた人々ならば、読者としての一定の鑑識眼は持てるものである。
 年齢、学歴が表記されていなくとも、作品を読んでみれば、著者の精神的な内実はバレバレである。この本の著者はセックスの経験ばかりが先行しているだけの人物ではないか。こんな作品を評価した選考委員には、「即刻、自害せよ!」 と言いたい。ふざけていすぎる。

 

<了>