《前編》 より

 

 

【コンピュータの導入前後】
 コンピュータが導入される以前、チェックインの手続きは5段階で完了していた。しかし導入後は、それが18段階にも増えたという。
「ゲストヒストリー」 の作成もそうですが、ホテルがお客様のデータを管理・運用し、きめ細やかなサービスをするためにコンピュータを取り入れた結果、データの入力・確認作業が煩雑化したのです。
 したがって現在、あらゆるホテルで見受けられる光景は、フロントスタッフの目がコンピュータの画面だけに向かい、お客様とはアイコンタクトすら交わしていない、というものです。非常に非人間的で、そこにはコミュニケーションがありません。(p.142-143)
 これでは、まさに本末転倒である。
 現在は、日本旅館にもコンピュータが導入されているだろうけれど、老舗旅館はそれらの機器は見えない所において、パーソナルタッチのおもてなしに専念している。
 ヒルトンホテルの創業者で “ホテル王” と呼ばれたコンラッド・ヒルトンは、かつて日本の老舗旅館に滞在した折、その 「おもてなし」 に感激し、「ホテルの原型を見た」 と語りました。それほど日本旅館の 「おもてなし」 は、極限にまで磨き抜かれた 「パーソナル・タッチ」 のサービスとみなされているのです。(p.154)
 首都圏観光に飽きた台湾人は、近年、北陸地方の旅館に大勢宿泊するという。団体で行くにしても、できるだけ少人数の団体で宿泊し、日本の 「おもてなし」 をじっくり経験してほしいものである。
    《参照》  『私の中のよき日本』 盧千恵 (草思社)
            【台湾人にとって、日本が尊敬する国の第1位である理由】

 

 

【五感の総動員】
 五感が研ぎ澄まされた日本人のお客様に満足いただくために、私たち・・・(中略)・・・も五感を総動員すると述べました。まさに、それこそが 「ホスピタリティ」 をもたらすのです。香り、目に映るもの、手触り、そしてミステリアスな雰囲気や、わくわくする感じ、親密な空気、官能・・・それらすべてが 「ホスピタリティ」 を醸し出します。(p.150)
 日本人客を満足させるためには、ラグジュアリーホテルなのだから、これくらいのことはするだろう。
 以前、韓国人相手に、ビジネス書で読んだ、トヨタのラグジュアリーカー(高級車)レクサスのシート作成に関する一部を話したことがある。そうしたら、いかにも馬鹿馬鹿しいという態度であざ笑う感じだった。
            【レクサス芸術】
 その韓国人にとって、ラクジュアリー(高級)とは、どこまでも機能快の延長であって、芸術性へ向かうものだということが理解できなかったのである。ラクジュアリーの行き着く先は、機能快からクオリア(質感)快へと向かうものなのである。

 

 

【『ロスト・イン・トランスレーション』】
 ソフィア・コッポラ監督の映画 「ロスト・イン・トランスレーション」(日本公開は2004年)。ご覧になった方には、ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソン演じる主人公が宿泊するホテルがどこであるかがお分かりだと思います。(p.112-113)
 知らないよ、そんなの。
 電飾看板に満ちた薄暗い東京という迷宮の中で、欧米人が、自己を見失ってしまいそうな様子を、揺れる手持ちのカメラで表現していたという印象が残っているけれど、ラクジュアリーホテルなんて縁のない人が、どこのホテルかなんて、分かるわけないじゃん。
 パークハイアットということらしい。
    《参照》  『日本経済 完全復活の真実』 斎藤精一郎 (ダイヤモンド社)
            【「ロスト・イン・トランスレーション」】
    《参照》  『マッチポイント』 イギリス映画
            【スカーレット・ヨハンソン (愛人役)】

 

 

【欧米人が書いた 「日本」 】
 日本に関する文献をたくさん読んだという著者が、欧米人が書いたものの中で印象的だったものを3冊記述している。
 まず 『ロスト・ジャパン』。・・・(中略)・・・。日本語に訳せば 「失われた日本」 になりますが、実はこの本は最初、日本語で執筆され、日本で出版されました。1993年のことです。タイトルは  『美しき日本の残像』(新潮社) でした。・・・(中略)・・・。
 もう1冊は 『北海道ハイウエイ・ブルース』(by Will Ferguson)です。・・・(中略)・・・。カナダ人の著者が日本全国をヒッチハイクで回った体験です。
 最後に 『サムライ・ウイリアム』(by Giles Milton)。・・・(中略)・・・三浦按針についてまとめた評伝です。(p.171-172)
 後の2冊、いつか読んでみよう。

 

 

【ほとんどの外国人が驚くのは】
 ほとんどの外国人が驚くのは、意外かもしれませんが、街頭に並んだ自動販売機です。美しく、種類が豊富で、壊されず、いつもよい状態で動いている。このような光景は日本以外ではお目にかかれません。自動販売機は、日本の治安の良さとテクノロジーを体現しているかのようです。(p.176)
 外国人がこんなことに驚いていることに、多くの日本人は驚くだろうけれど、海外の街角で自動販売機を見ることは確かにまれである。
 駅には自動券売機くらいどこにでもあるけれど、海外のものは案外使いづらいのである。日本の券売機は簡単かつシンプルでよくできている。中国では、殆どの客が券売機を使わずに、昔ながらの人員窓口で切符を買っているのである。外国には、紙幣が使えないとか、おつりが出ないとか、信じられない券売機が存在しているのである。

 

 

【私が感じた 「わびさび」 】
 和英辞典に記述されている 「わびさび」 とは違った私見を記述している。
 あくまでも私見ですが 「わびさび」 とは 「生命の不完全さ」 を尊ぶ感覚なのではないでしょうか。
 日本人には自然に対する審美眼のようなものが深く心に根付いています。・・・(中略)・・・。自然とは森羅万象、すべて命宿るものであり、したがっていつかは失われる有限の存在です。つまり自然は不完全なものなのです。
 日本人はそこに美を見出しました。それが 「わびさび」 の感覚なのだと私は思うのです。(p.180-181)
 そう、必ずしも辞書に正しいことが書かれているとは限らない。著者の解釈はほぼ正鵠を射ている。ただし、自然は不完全なのではない。日本人は、栄枯盛衰する過程すべてを儚くも美しいものと見ているのである。
    《参照》  『美しい日本語の風景』 中西進 (淡交社)
           【わび:わびる】
           【さび:さびる】
 覇者や経済的成功者のような成金精神を有するうちは豪華さを要求する。しかし、自然から学んでいる日本人は、そのようなことの虚妄を知っている。絢爛たる金閣寺よりも、素朴な銀閣寺に “わびさび” の美しさを見ているのである。
 
 
<了>