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 3年前(2004年)に出版された本。3年も経過すれば、結果的にその論拠を追って検証しやすいが、この本は、さっと読んで論拠がはっきり明確に理解できるという書き方はされていない。現状の解釈や問題点の提示に留まっている記述が多かった。


【15年デフレ】
 例えば1929年10月24日にニューヨークの株が暴落して、30年からアメリカが大不況に突入、世界も恐慌に入ってゆく・・・・。ニューディール政策によって、34年~35年にかけて景気が一時的によくなった。しかし、またダメになってしまう。 (p.45)
 結局30年から始まった大不況は、45年に広島と長崎に原爆が落ちて、15年で終わる。 (p.46)
 1989年のバブル崩壊。翌年からの日本の不況。15年というサイクルを当てはめてみると、2005年頃から日本は数字の上では、確かに景気が回復している。
 しかし、デフレの原因は、当時のアメリカと現在の日本では全く違う。また、当時は、戦争に必要な桁はずれな高額兵器の需要がデフレを終結させたと解釈できるが、現在の日本はデフレが終わっているようには思えない。
 当時のアメリカは軍需品生産による内需回復だったのであろうが、現在の日本は中国市場という外需回復なのであろう。さらに当時のアメリカは高エネルギー消費による量的拡大だったのに対し、現在の日本は低エネルギー消費による質的深延の過程にある。

 

 

【「ロスト・イン・トランスレーション」】
 ソフィア・コッポラが作った 「ロスト・イン・トランスレーション」 という映画では、新宿などの風景画描かれているが、それを通してコッポラが言いたかったのは 「日本は依然として “ストレンジ” である」 といことではないだろうか。
 欧米人から見ると、世界は確実に一面化し、画一化している。これはグローバリゼーションの悪い側面といわざるを得ない。
 しかし、東京はそのなかで 「ストレンジ」、すなわち異彩を放ち続けているではないか、ということである。それは、日本の独特な感性が今もなお健在だからこそだと思う。
 ファッションにしろ、食事にしろ、インテリアにしろ、街並みにしろ、日本のマーケットには複雑多様であらゆるテイストが混在し、外国人がみればあまりの多様さにみんな驚く。そういう面では、日本はまだまだたくさんの需要を開拓する可能性があると考えてよいのではないか。 (p.84)
 この映画は、手持ちのハンディーカメラで撮影したかのような東京の風景が、人間の視点のままに映されていた。著者が書いているように、欧米人が日本に対して “ストレンジ” な印象を抱いているのは、よく分かるのである。
 単純な文化の外国人が、複雑な文化の国・日本に来れば、何とも “ストレンジ” と思い、
 複雑な文化の日本人が、単純な文化の国・外国に行けば、比較的 “分りやすい” と思うのである。
 思想も、文化も、経済も、畢竟するに、日本に到達して、あるいは日本人の手にかかることによって初めて深みを増すことになる。それは、日本語が世界で最も多様性に富んだ奥深い言語だからである。そしてその最終本拠は、日本神霊界にある。
            【日本神霊界】
 

 

【名古屋圏】
 名古屋企業群によって、日本の貿易黒字額の7~8割近くが稼ぎ出されている。都道府県別所得を見ても、東京都に次ぐ2番目は大阪府ではなく愛知県。そういう意味で基本的に名古屋圏には経済力がある。 (p.118)
 2005年2月に開港するのが、中部国際空港(セントレア)である。 (p.121)
 名古屋の人々は借金をしないことで有名なのである。そもそも愛知県は日本で最も生活保護世帯が少ない。お上から金をもらうこと自体が恥ずかしいのだろう。これに対して大阪人は平気。これは逞しさというべきであろうか。 (p.124)
 トヨタ城下町といわれる名古屋であるが、ここ(貿易黒字額)でいう名古屋圏には、静岡県西部の企業(ホンダ、ヤマハ、スズキ、小糸製作所など) が含まれている。
 日本列島は龍体そのものであるが、人体に例えれば、東京が心臓部であり名古屋は腹部に相当する。腹膜(横隔膜)は第二の心臓といわれるように、そのポンプ圧は相当なものである。危急の時に人体を蘇生させる奇跡的な力を持っている。名古屋が東京に次いで第2位の位置のあることは相応しいことである。
 
<了>