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 日本のゲームソフトが世界中で売れた理由が、ゲームニクスという用語にまとめられている。ビジネス・マーケティング的な視点で多く記述されている内容が、最後の最後で日本文化と結び付けられている。その記述は非常に素晴らしい。2007年7月初版。 
< 台湾・元智大学図書館 にあった本 > 

 

【ゲームニクス理論】
「ゲームニクス理論」 とは、テレビゲームを “科学” することで、ゲームに隠されている 「人を夢中にさせる」 ノウハウを抽出して理論体系化したものです。(p.3-4)
 著者は、ビジネス以外の分野でも適応できる理論だから “科学” すると表現している。たんなるマーケティング理論にとどまらないからである。

 

 

【ゲームニクス理論の4大原則】
第1原則 直感的なユーザー・インターフェース
     (=使いやすさの追求)
第2原則 マニュアルなしでルールを理解してもらう
     (=何をすればいいのか迷わない仕組み)
第3原則 はまる演出と段階的な学習効果
     (=熱中させる工夫)
第4原則 ゲームの外部化
     (=現実とリンクさせて、リアルに感じさせる) (p.52)
 p.68-69 には、この理論が図表つきで、より詳細に解説されている。

 

 

【Wii vs PS3】
 PS3 は、「両手で握って操作する」 クラシカルなスタイルを踏襲しているのですが、ファミコン時代と比べて、ボタン数が飛躍的に多くなっています。ファミコンのコントローラーにはボタンが5つしかなかったのし対して、PS3 では12個と倍以上になりました。
 一方で、なぜ任天堂は Wii で自らが発明したこれまでの 《絶対的ファミコンスタイル》 を否定してまで、《片手で操作する》 コントローラーを選択したのでしょうか。
 実にここが Wii と PS3、そして DS と PSP の勝敗を分けたポイントでした。(p.112)
 ゲームニクス理論の第1原則によって、勝敗は決していたということになる。
    《参照》  『私はこうして発想する』 大前研一  文芸春秋

             【Xbox360とPS3】

 ソニーはゲーム機競争において、在来の延長線上のハイスペック化で勝負できると当初から計画的に考えていたのだろう。あるいは、ソニーがもつコンテンツの豊富さを生かそうとハードウェアーを兼用する方向に向いていたのが、第1原則無視につながっていったのかもしれない。
 いずれにせよ、PS3 を打ち破ったのは Xbox ではなく、第1原則に忠実な Wii だった。

 

 

【iPod メガヒットの理由】
 転送と同期、なんとなく同じような印象があるかもしれませんが、ユーザーのストレス度がまるで違います。
 これはコロンブスの卵でした。
 これを可能にしたのが iPod に内臓された超小型のハードディスクだったのですが、iPod の優れていた点は、iPod 本体ではなく、じつはこの iTune だったというわけです。
 アップル社は iTune の操作を徹底的に自動化することで、携帯音楽プレーヤーを使用する上でストレスとなる部分を徹底的に排除したのです。(p.125)
 これも、第1原則に即している故の成功である。
   《参照》  『ソーシャル もうえぇねん!』 村上福之 (nanaブックス) 《前編》

            【iPod発売日のパナソニック・エンジニア】

 ソニーこそが、ウォークマンで携帯音楽プレーヤー市場を開拓した企業だったのに、ゲーム機でも携帯音楽プレーヤーでも、第2ステージ以降でソニーは敗北している。
 ソニーは、欧米的な経営を推し進めて、日本文化が持つ良さを失っていったのである。 ゲームニクス理論は、最後に記述するように日本文化と不可分な関係にあるのである。

 

 

【人を夢中にさせる】
 人を夢中にさせるゲームづくりの要素として、「ストレス」 は重要です。プレイヤーにある種のストレスを与えながらも、それを乗り越えた先に快感が待っていると感じてもらい、それを乗り越えたと思わせるという 「ストレスと快感のバランス」 が、ゲームを作るうえで一番大切なポイントとなているからっです。(p.27)
 ストレスが 「鞭」 で、快感が 「飴」 である。ストレスは問題によって、快感は賞賛によって与えられる。教育方法の見本がゲームの中にはあったのである。
 気づいている人は少なくないかもしれませんが、テレビゲームというのは 「プレーヤーを褒めるメディア」 なのです。
 ゲームの途中で、ステージをクリアするときやレベルアップしたとき、プレーヤーの快感を増幅するのに、ファンファーレを鳴らしたり、派手な映像が出てきますよね。(p.151)
 以上が、第3原則が当てはまる具体的な解釈。

 

 

【デジタル格差の解消】
 身の回りのものがどんどんデジタル化されています。今後の情報社会の進展を考える上で、情報に対するアクセスのしやすさ(「情報アクセシビリティー」 と言います) を向上させることは、非常に重要です。
 これこそが社会に偏在する、「デジタル格差」 を解消する鍵となるからです。(p.172-173)
 この目的でこそ、ゲームニクス理論は、不可欠であると著者は記述している。
 社会の格差を解消するという良き目的なら、日本人こそが最適な民族のはずであるから、必ずや日本人によってこの方向への進展は推進されてゆくことだろう。

 

 

【日本のおもてなしの文化】
 私が 「ゲームに夢中になる秘」 を体系化していく過程で気づいたのは、このノウハウは 「日本のもてなしの文化」 がうんだものであるということでした。
 よくよく日本のゲームを眺めていくと、常にプレーヤーの気持ちを先回りしながら、押し付けがましくない、さりげないサポートを実現していることに気づきます。
 ・・・(中略)・・・。
 ゲームニクスというものは、こうした気遣いや気配りの配慮による、「もてなしの文化」 の結晶なのです。言うなれば、茶の湯の時代から連綿と流れている和の心そのものではないでしょうか。(p.204-205)
 よくぞ気づいてくれました。これこそ日本の文化です。
 スーパーマリオのキャラクターや場面は世界中の寄せ集めで、それらの中には具体的な日本を思わせるものが全くないのですが、日本文化は、そのゲームをさりげなくサポートする造りの中にこそあったのです。
    《参照》  『カラオケ・アニメが世界をめぐる』 白幡洋三郎 (PHP研究所) 《前編》

            【スーパーマリオの無国籍性】

    《参照》  『日本が教えてくれるホスピタリティーの神髄』 マルコム・トンプソン (祥伝社) 《前編》

            【人を大切に扱う姿勢】

         

 

【制限と工夫】

 ゲームニクスには、さらにもうひとつ日本文化的な特徴があります。
 それは 「制限されることで工夫をする」 というアプローチです。
 ファミコンには十字キーと2つのボタンしかついていないにもかかわらず、そのためゲーム開発者はそこで10年以上もゲームソフトを開発していかなければなりませんでした。複雑なゲーム内容を、この限られたデバイスによっていかに実現してゆくかということは、まさにこの 「制限による工夫」 そのものでした。
 「俳句」 は、自らの表現を制限することでイマジネーションを拡大させ、「茶室」 は、質素にすることで豊かさを追い求め、「浮世絵」 は、表現と色数の制限から独自の様式を創出しました。(p.205-206)
 テレビゲームなどなかった1970年代、オイルショックで石油の使用が制限された当時、それを乗り越えようと努力した日本人技術者たちによる技術革新は、その後の日本経済を推進させる強力なバネになったのです。制限があればこそ飛躍するのが日本という国なのです。
    《参照》  日本の産業技術力について《前編》

           □ ピンチ(オイルショックと円高) をバネに □

 

 

【日本人の繊細な感性こそが大元】
 私がゲームニクスというものを体系化したきっかけは、ゲーム=悪、ゲーム=無駄、といった印象を少しでも変えられないかと思ったことにあります。なにしろ世界産業にまで発展してきた日本のテレビゲームですから、潜在的なパワーは計り知れないものがあります。そしてそのゲーム産業を支えてきたのは、日本人の繊細な感性であり、その感性だけを取り出せば他にも応用ができることを確信していたからでした。(p.169)
 “もてなす” ことの喜びは、繊細な感性を持つもの同士の間でこそ高まってゆく。日本人を製作者とし、かつ日本人を被験者として満足が得られる “もてなし” とその製品化は、それ即ち、世界最高水準ということなのである。
    《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>

         ○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である○ 

 

 

<了>