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 あまり政治的な問題は好まないけれど、ゴーマニズム宣言以来、古書店でよくみかける著者の本を読んでみた。

 

 

【慰安婦問題】
 左翼の上野千鶴子と、右翼ではなく良識的・知的日本人である日下公人さんの会話。
 上野は 「自称・被害者・絶対真理」 で押し通し、日下氏とこんなやり取りをしている。

上野 : ご本人たちが 「強制があった」 とおっしゃってる事実をどのように受けとめられるのでしょうか。
日下 : ご本人が 「自分で進んでやった」 とはそれは言わないでしょう。そう言わなければ自分の親戚全部に迷惑がかかりますからね。
上野 : いまのご発言はご本人がうそつきだとおっしゃたのと同じことになります。それだけ申し上げておきます。
日下 : はい、そうです。

 恐るべき日下氏の勇気!   (上巻 p.90)
 日下さんのように、公共の場ではっきりとした言論をしてくださる人ってそうはいない。あたりさわりのないあやふやな言論では埒が明かないのである。
 今日の韓国でも続く反日言論統制の徹底した一貫性を見れば、それに違う発言をした場合、本人とその家族を含めてどうなって行くかの事例などいくらでもあるのだから、その点を視野に入れた日下さんの発言は、史実としてのみならず、史実を曲げて言論統制してきた左翼側の核心を突き刺す真っ当至極な見解なのである。
 韓国で人気キャスターであった人でさえ、日韓共催ワールドカップサッカーで韓国チームを応援する日本人大衆に好感を抱き、親日的発言 をしただけで失業するというお国柄である。そのような国の、対日政治問題に関する自称被害者本人の発言などというものを 「真理」 扱いする日本人など、出鱈目という以前に、単なる愚者である。
 韓国内で起こっている言論統制は、それぞれの家庭の生活基盤が失われるという恐怖を引き換えに行われている。対岸のみの状況では無い。日本国内でも家庭の安定が崩れた場合、人の言動は容易に変わるのである。
 

 

【家庭の安定が崩れた場合】
 家族も物語である。切っても切れない絆があると信じ込める情熱で成立している。
 人は案外、脆い。
 家族に何かあったり、家族との信頼関係が崩れると一気に情緒が乱れ始める。
 言論人も家族に問題があるときは、発言までが狂っていく。
 濃密な共同体に所属していた者が、そこから離脱すると、あっという間に言動がおかしくなっていく例をわしは何度も見た。
 プライベートなストレスはパブリックな言動にも影響を及ぼす。(下巻 p.27)
 世界の闇の権力中枢は、メディアなどを使って、日本の官僚・政治家を恣に操ってきた。失業させ経済的基盤を奪うことさえすれば、容易に一国の政治など操れるのである。
   《参照》   『連鎖する大暴落』 副島隆彦 (徳間書店)
              【アメリカに逆らうと、どうなるか】

 アメリカの属国となりはてている日本のみならず、韓国の反日言論支配を行ってきたのも、世界の闇の権力中枢の意向に沿うエージェントたちである。 「分断と統治」 という最もシンプルな手法によって東アジアのみならず世界は分断され統治されてきているのである。

 

 そのような闇の権力がアジアに進出しつつあった帝国主義の時代、その有様を危惧し、日本国内で際立った活動をしていたのが玄洋社である。

 

 

【玄洋社】
 「玄洋社」 は西南戦争の後、自由民権運動の政治結社として発足した。
 ざっと説明すれば、その後、国権主義に。
 さらに大アジア主義に転じ、アジアが欧米列強の植民地支配下に置かれていた時代に、帝国主義を批判し、韓国・中国・インド・フィリピンなど、さまざまな国の独立運動に無私の支援を続けた。
 特に近代の中国を作るのに、最大の支援をしたのは、この 「玄洋社」 であったことを明記しておく。(上巻p.101)
   《参照》   『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』 金文学 祥伝社 《後編》
             【孫文=孫中山】

 福岡の 「NTTドコモ九州」 の大きなビルの足元に、「玄洋社跡」 という小さな記念碑がある。
 かつて、日本には大物がいた!
 玄洋社の頭山満が!
 そして頭山が敬愛した西郷隆盛が!

 西郷隆盛は言った。
「文明とは道義があまねく通っていることを称える言葉であり、宮廷の荘厳さ、衣服の美麗さ、外観の浮ついた華やかさを言うものではない。世の人の言うことは、何が文明やら、何が野蛮やらちっともわからんぞ。 ・・・(中略)・・・ 。本当に西洋が文明ならば、未開の国に対しては慈愛を根本とし、懇々と諭して開化に導くべきものを、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして己の利益を図るのは野蛮じゃ」 (上巻p.104)
 そう、利益のために平気で戦争を企画して実行するネオコンを中心とするアメリカも、それに隷属する日本・中国・韓国の政治家も官僚も、断じて文明人ではない。道義ゼロ。
   《参照》   『さあ5次元の波動へ宇宙の仕組みがこう変わります』 デーヴィッド・アイク&江本勝 (徳間書店)
             【レプティリアン血族】

 

 

【キリスト教の愛】
「基督教は単に愛を教ふる宗教ではない、義を満足させる愛の宗教である」
「近代人は義を避けて愛を解せんとするが故に真の愛を解し得ない、全て深い愛の人は強い義の人であった、キリスト教の神は焼きつくす火である、故に其愛は宏遠無量である、怒らざる罰せざる愛は偽りの愛である。」

 わしは富岡幸一郎氏・著の 『内村鑑三』(五月書房) を読んでいて、このくだりを目にした時、ふいに落涙してしまった。
 あれほど嫌いだったキリスト教に感動するとは、歳をとって涙腺がゆるくなってしまったせいにちがいない・・・ (下巻p.41)
 愛と義は確かに連動している。義を貫く意識のない人の愛は、仮に可憐であるとしてもチッポケである。いや、可憐ですらないだろう。義がなければ愛はないのと同じである。それにどうしても愛という言葉を冠したいのなら自己愛と言うのである。

 キリストという言葉には、「油を注いだもの」 という意味があったはず。一方、ブッダは、「煩悩を消したもの」 という意味がある。さながら、「火」 と 「水」 の働きそのものである。
 神国・日本の言霊では、神=カミ=火水であるから、キリスト教や仏教が渡来する以前から、日本はキリスト教と仏教のエッセンスを具有する国だった。仁侠の世界で言われていそうな 「義理と人情」 という言葉があるけれど、前者を 「火」 に、後者を 「水」 に対応させることができるだろう。

 

 

【韓流ブームの心理】
 中年女性が韓流ドラマに嵌るのは、要するに “こんなふうに私だけを見てほしい! 私だけを愛してほしい! 私だけに執着してほしい! ・・・“ という男への願望なのであろう。
 実際こうまで女のことしか考えない男などクズである。昔なら女々しい奴と軽蔑されていた。
 「公」 的なことを考えるのが男の使命なのに、「私」 的な事柄に埋没する男など、人生を面白くする魅力があろうはずがない。
 しかし近頃の女はこんな男でいいのだろう。自己愛のみが過剰な女どもは、自分だけに夢中になってくれる男を望んでいるのだ。
 大学を卒業したばかりのわしの秘書は言う。 「自分の思い通りにならない男と付き合うためには 「尊敬」 が必要なんですよ。韓流スターの追っかけをやってるオバサンたちは夫を尊敬してないんじゃないですか?」
 男を尊敬するよりも、男を調教したいという女の自意識の肥大化が韓流ブームや純愛ブームの背景にある。(下巻 p.59)

 男と違って 「公」 に意識の向かない女の “愛” は、 「義」 に向かうどころか 「自己愛」 の権化となるのである。おかしな女たちが社会の前面に出ると、確実に国が滅びる。
   《参照》   『I LOVE YOU 1』 アーリオーン・北川恵子 (扶桑社)
             【男と女】  
    

 
<了>
 

  小林よしのり・著の読書記録

     『挑戦的平和論 (上巻・下巻)』

     『入国拒否』

     『反米という作法』