《前編》 より

 

 

【日産ゴーン改革の影】
 最近、トヨタばかり槍玉にあがっているけれど、ゴーン改革の時は称賛ばかりで影の部分はあまり報道されなかった。明らかに日本のマスコミは、グローバル・スタンダードに偏向している。
 2003年10月30日、日産は国土交通省に国内外で25車種、256万台に上るリコールを届け出た。リコールの原因は、エンジンの回転センサーである。かつてエンジンの日産ともいわれただけに、自動車製造業者としては大変な損失である。さらに、アメリカの調査会社 「JDパワー・アンド・アソシエイツ」 による 「米国自動車初期品質調査」で、日産のレベルは、業界平均値を下回る結果となっている(「数字のマジックだったカルロス・ゴーン 『経営神話』 」 『月刊現代』2004年9月号)。
 この原因は、ゴーン氏の下請け叩きにある。部品や原材料の供給元に強引な値下げを迫ったため、製造工程で手抜きが行われ、品質が低下したのである。 ・・・(中略)・・・ 
 2004年11月29日から5日間、日産は追浜工場、九州工場、系列の日産車体湘南工場の操業停止を余儀なくされたが、これは鋼材の調達に遅れが出たためである。
 この損害は60億円に上るともいわれる。これは、鋼材の調達先を大幅に絞った弊害である。(p.124)
 

【ルノーの 「金づる」 にされた日産】
 日産とルノーは相互に出資しているけれど、てんで対等ではない。
 ルノーは日産自動車の筆頭株主として支配権をにぎることになった。一方、日産自動車が2475億円で手に入れたのは、議決権のない株式で、金を出してもルノーの経営に口をはさむことができない。 ・・・(中略)・・・ 。
 2005年4月、ゴーン氏は、ルノーのCEO(最高経営責任者)に就任した。(p.126)

 

 

【ゴーン氏の報酬】
 2002年の日本企業のトップは世界ランキングで23位に入った日産のゴーン氏だとされている。推定報酬額は、233万ドル(約2億6千万円)である。
 日産は、日本で最高利益を上げた企業ではない。それどころか、工場を閉鎖して2万人を超すリストラを実施した。そのゴーン氏が、高額な報酬を手にしているのである。(p.126-127)
 まさに 「一将功なりて、万骨枯る」 の諺そのもの。グローバル・スタンダードの実態がこれである。

 

 

【日本電産】
 日産のゴーンの逆を行くのが、日本電産の永守氏である。
 キヤノンとは異なる手法ではあるが、リストラなし、定年なしで成長を続けている企業がある。日本電産である。同社は、自社に不足している技術を有する企業を買収しながら成長してきた。
「わたしは企業の最大の社会貢献は雇用だと思っています。世界で最もたくさんの従業員を抱えるということを日本電産グループの誇りにしたいですし、それは、ある程度健全収益が上がらないとできません。わたしの目標は、売上高10兆円で従業員100万人です」( 『日本電産永守イズムの挑戦』2004年12月、日本経済新聞社刊)(p.132)
 2003年にはかつてのライバル、三協精機を買収したが、赤字決算が続いて瀕死状態だった同社の業績をわずか1年のあいだにV字回復させた。(p.133)
 日産の社員を2万人リストラして、ルノーの金ずるにしたゴーン氏であるが、永守氏は三協精機の社員を誰一人リストラせずにV字回復させている。
 バンクーバー五輪のスピードスケートで銀メダルと銅メダルを獲得した選手の所属する企業こそが、日本電産サンキョーである。日本電産の経営者である永守氏こそ、金メダルに値する。

 

 

【アメリカだからこその数字評価による成果主義】
 アメリカのように世界中からやってきた移民が隣り合わせで暮らしている国では、一致団結して団体戦を戦うような一つのグループを作るのが難しい。このようにみんなバラバラの国を一つにまとめていくには、育った文化的背景が違おうと何だろうと、誰にでもわかる尺度が必要である。
 それが成果を表す 「数字」 である。
 日本社会には 「和」 という一貫した暗黙のルールがあるが、アメリカには 「殺し」 の精神はむろんのこと 「騙し」 の精神もあれば、何でもある。このように、さまざまな考え方をもった人々の 「共通語」 は数字しかない。(p.160-161)
 人種のるつぼであるアメリカでは、いろいろな価値観の人がいるから、誰にでもわかる単純な人事評価システムが必要になる。それが、数字ですべての評価を決める成果主義である。(p.165)
 数字で評価する成果主義は、「和」 を尊ぶ日本人には、そもそもからして全く相応しくないのである。

 

 

【日本企業が嫌がる外資出身者】
 かつては大手外資系企業で日本企業の倍の年収を得ていたような人が、仕事がなくて困っているといったケースも多いようだ。「MBA保持者が日本企業をだめにする」 といって、外資出身者を毛嫌いする人事関係者もいる。経営者達も、過度のアメリカナイゼ―ションが日本に不協和音を生じさせていることを肌で感じているようだ。(p.193)
 いまどきは、成果主義で高給の得られる外資系に就職を希望する大学生が多いと聞いているけれど、基軸通貨ドルの終焉を告げるカウントガウンが始まっている現段階で、外資系に入ったとて、その後、日本国内で再就職が可能かどうか、この記述内容を心得ておいた方がいい。

 

 

【 「奪う」 のか 「与える」 のか】
 そもそも資本主義は、日本の 「和」 の精神とは正反対の思想である。なぜなら、資本主義とは 「奪う」 ものであり、和の精神とは 「与える」 ものだからである。
 そして、資本主義をより強力に推し進めようとして成立した国が、アメリカである。アメリカン・スタンダードとは、人殺し以外(理由なきイラク戦争など見れば “以外” とはいえないが)のことは何でもやる究極の資本主義を体現するシステムである。(p.189)
   《参照》   『魂の旅』 中丸薫 あ・うん
             【ベトナムとビアフラ】
   《参照》   『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《前編》
             【略奪経済】  
 20年間以上のアメリカ生活を振り返ってみて実感することだが、アメリカでは自分の利益以外のことを考えている人のほうがまれである。また、貴族社会の伝統が根強いヨーロッパの人にとって、労働は身分の低い人たちがやることである。これはつきつめれば、身分の低い人たちからしぼりとって、楽をして生きる人がいるということにほかならない。資本主義の奪うという根拠はここにある。(p.202)

 

 

【会社という集団あっての個人】
 日本人は、集団で戦ったほうが強いのである。個人あっての会社ではなく、会社あっての個人だということを忘れてはならない。
 アメリカン・スタンダードの信奉者は、日本社会では敗者になる。逆に、アメリカン・スタンダードの精神に反するものが勝者になる。これは成果主義を取り入れた組織であっても同じである。
  ・・・(中略)・・・ 
 田中氏は、2003年1月に行われた 「ノーベル化学賞受賞記念学術講演」 で、次のように語っている。
「この巨大分子イオン化技術の開発は、一人の天才、あるいは優秀な技術者によって成し遂げられたものではありません。これはとくに日本人が得意とするチームワークの勝利といえます。」 (p.205-206)
   《参照》   『田中耕一の「自分を活かす」術』 大富敬康 (講談社)
            【日本人の長所】
   《参照》   『お父さんの技術が日本をつくった』 茂木宏子 (小学館)
            【明石大橋の建設に携わった方】

 

 

【日本人の生きる道】
 日本は間違っても戦争の道を進んではならない。日本は戦争では勝者になれないし、もともと殺し合いを好む民族ではない。そのためにもいま、日本の原点とも言うべき、「和」 の精神に基づいた経済システムで自信を取り戻さなければならない。
 国の内外からたとえどんな批判を受けようとバカにされようと、「和」 の精神を貫き物心両面で国際政治という枠を超越して各種の援助や支援・資金等々を与え続けることこそ、日本、そして日本人の生きる道なのである。(p.221)
 同感。

 

<了>