皆さま
やはり母編は1回では
終わることはできませんでした。
長くなっておりますが、
本日もよろしくお願いします。
初めましての方は、こちらから自己紹介を兼ねた
僕の物語をお読みいただくことができます。
では、書いていきます。
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「過去の体験を闇から光に変えた僕の物語~母編②~」
前回のお話しはこちらからお読みください。
闇から光に変えたシリーズはこちらからお読みください。
しかし、母との関係は悪化するばかりでした。
何が原因だったかは記憶にありませんが、
とても心に残ってしまう言葉を
ぶつけられていました。
「男は嫌だ」
「女の腐ったのみたいだ」
「早く出て行け」
「こんなのが産まれてくるのは宝くじで当たるより珍しい」
それぞれに僕にも原因はあったのかもしれません。
ただ、とても子どもの僕には強烈でした。
そして、いつしか言われた言葉は
言われた時には、
ただただ天井を見つめることしか
できなかったように思います。
「産むんじゃなかった」
それからなのか、僕は母を信じるのを
やめました。
母を頼るのはやめようと
決めたのです。
それは同時に母だけではなく
僕の中で「人を信じるのはやめる」
「人を頼るのはやめる」という
ことでもありました。
しかし、もちろん母も
僕に対して優しい時も
大いにありました。
学校で辛いことがあった時、
僕は母に相談をしたことは
ありませんが、それを察したのか
優しく接してくれる時は
闇の中に光を見つけたような
気分でした。
僕のことをわかってくれているかのように
辛い時には
ステーキを焼いてくれていたり、
外食に連れていってくれたり
そんな思い出だってあります。
それでも、僕の心の奥は
とても傷ついていたのかも
しれません。
僕が大きくなるにつれて、
僕は母と必要最低限しか
話さなくなっていきました。
そうして、成長していく中で
僕は母から言われた
「左目が見えなくなるよ」という
言葉を信じていたようで、
とても大きな不安を募らせ
人生の課題でもある「不安」と
向き合うことになっていきます。
そうして、僕が社会人になり
家を出ていくことを自然と
決めました。
正直に言うと、やはり
母に「早く出て行け」という
言葉が僕の中に残っていました。
そうして、引越しをすると
母はこう言いました。
「何で出ていくの?家にいればいいじゃない」
出ていかなくてはいけないと
思っていた僕としては
驚きましたが、母は
建前で言っているわけでは
なさそうでした。
しかも、その時僕は
もう大人でしたが
「あなたが言ったんだろ」とは
思いませんでした。
とても嬉しく思ったのです。
それは、やはり心のどこかで
母の愛情を欲していたのだと
思います。
その後、しばらくして
部屋を出て実家に
戻ったことからも
それはわかります。
それから大人になった
僕は人生の課題である
「不安」と苦しみながら
長年向き合っていきます。
【~続く~】
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この物語を読んで何か一つでも
感じていただけたら嬉しく思います。
世の中が今よりも幸せな場所になっていきますよう
想いを乗せて書いています。
皆さまよろしくお願いいたします。