2023.9.25 西武2000系2031F、国分寺線最後の記録⑥ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

さあ、最後の仕上げへ。

もうちょっと復習も兼ねて、見据えるものはもっと先も。


今度はクモハ2417に乗って、一駅だけ移動。


クモハ2417はクハ2418と共に1988(昭和63)年西武所沢工場製。

書類上の落成日は1988年3月25日で、新2000系の2451Fとは約2ヶ月しか違わない。

4両編成に至っては、既に廃車された2501Fと僅か1日、2503Fと5日、2505Fが6日差。

新2000系が当初は東急車輌で製造されていたのもあるが、ここまで近いのは相当珍しい。

しかもラストナンバー2419Fは、これらよりも後の1988年4月18日付の落成である。

既に屋根上通風機や床下機器は新2000系仕様となっており、何故車体が旧2000系とされたか

いくら廃車代替とはいえ、ずいぶん頑なだな…と感じさせる移り変わりである。


そんなことを考えながら、またも恋ヶ窪で下車。


新2000系も、ここ2年ほどで急激に廃車が進行した。

中でも4両編成は、既に9本が廃車となってしまった。

まだそれでもなお主力の一翼であり続けるものの、以前より見る機会は少なくなってきたか。

他社でも類例が思い出せないほどの実状「3Mユニット」の珍編成も、そう長くなさそうだ。


さて、撮った記憶が曖昧だった恋ヶ窪駅東村山方のホーム先端で、2031F国分寺行きを出迎え。


ポイントを渡るために速度を落とすのと、対向列車も被らないから少し落ち着けば楽勝。


そしてこのあたりから、国分寺線内の運転間隔が10分から12分に延びていた。

コロナ禍を経て減便されているのを、この期まで把握していなかった。

まぁおかげで、国分寺方にも早歩き程度で回り込むことができたのだが。


そして、発車も見送った。

しかもこの時、まだ東村山行きは恋ヶ窪駅に到着していない。

それを踏まえての、長めの停車時間。

運転間隔2分の延びは、思った以上に余裕をもたらしていた。


そして約1分、東村山行きを出迎え。

ここはまず、そのまま見送り。


続けて、折り返してきた2031Fを国分寺行きホームの東村山方で出迎え。


このパターンも、ホームで多少余裕を持って編成写真の撮影ができた。


そして、余裕をもって見送り。


間延びした時間間隔、感覚と共に、気持ちも次第に穏やかに。

これで大体、別れる踏ん切りがついた。

いよいよ最後の別れに向けて、自分なりの総仕上げになる。