たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

毎度、当ブログをご覧いただきありがとうございます。


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無断での使用はいっさいご遠慮願います


吊り掛けで締め、次への思案へ

冬の夕暮れは早い。

日没に向かうに連れて、記録もとりあえずは終了となる。

ということで1月30日、新旧硬軟織り交ぜた江ノ電記録ラスト。

1000形をメインにと言いつつも、300形305Fが走っているならやっぱり撮りたい昭和の男。

主役から微妙に外しつつも、それとない日常風景としてフレームに置いておきたい。


そして、次第にレアになっていく同一形式の並び。

しっかり撮れるところやタイミングは相当に限られてしまうが、ここから拘りを強くしたいもの。


夕暮れは近くなっていくが、のりおりくんを駆使して行ったり来たりを繰り返す。

広角で撮ると、急カーブの多い江ノ電特有の連結器の長さが際立って見える。


とにかく、鎌倉駅はいつ行ってもずっと混んでいた。

コロナ禍の時期はどうだったか知らないが、オーバーツーリズムの現状を垣間見るような状況。

もっとも、この混みようが沿線に足を向け歩き巡るきっかけにもなっていく。


身体がしっかり動く今のうちに、できることをしっかり考えて行動に移していきたい。


今のところ、ターニングポイントは4月と考えている。

あと2〜3回、沿線に出向きたいと考えているがさてどうだろうか。


意外に似合う紫色の1002Fも、いつまで走るだろうか?

しばらくは目の離せない春になりそうだ。


そしてまた吊り掛けの音を聴きながら、藤沢へ。


「えのんくん」を見ながら、ずっと慣れ親しんだ線路を戻る。


ハイライトの腰越からの路面区間も、タイフォンを鳴らしながらゆっくりと。


唯一の半地下構造駅の鵠沼で、この日最後の305Fとの交換。


そして、およそ5時間ぶりの藤沢へ帰還。

夕方のラッシュにかかりはじめ、また雰囲気が変わり始める。


昼のような観光客は減り、少しばかり落ち着いた空気も。


現在の藤沢駅高架ホームは1974(昭和49)年6月に開業。

現代に至る路線近代化の嚆矢となっていった。


それでもホームは微妙にカーブしており、目視により確実な乗車確認が欠かせない。


再び吊り掛け音を響かせつつ、江ノ電最急勾配である35‰を駆け下りていく。

その姿を見送って、この日の記録を終えた。


江ノ電以外にも、見たいものは多々ある。

それらに目線を配りつつ、動きつつ、来るべきその時に向けて着実に積み重ねを続けている。

冬晴れ、江ノ電輝く


1月30日続き。

極楽寺検車区界隈での撮影を切り上げ、極楽寺駅に戻る。

ここから乗り込むのは、1501+1502Fの重連。

江ノ電初のカルダン駆動の走行音は、鎌倉の雰囲気に似てミステリアスな音色?


およそ1年ぶりに、インバウンドの混雑に耐えながら乗り続け…


鎌倉へ。

昨年は鎌倉出入りで限られたエリアでのみ移動だったため、藤沢から乗り通したのは久々である。


それにしても、すっかり人出が戻った鎌倉界隈。

ちょっとゆっくり観光、名所巡りというには気持ちが落ち着かない。

昨年来た時に小町通りとか散策もしたけど、なんか落ち着かなかった記憶が蘇る。


それもあって今回は鎌倉駅構内から一歩も出ず、あくまで江ノ電に集中することとなった。


1500形同士の連結面。

編成同士の連結面を見るのが、江ノ電では楽しみとして欠かせない。


そしてまた1500形に乗って…

今回初下車・由比ヶ浜へ!


和田塚・由比ヶ浜と住宅街の狭い路地の中を抜けていく、趣あるエリア。


あまりにも狭い故に、このあたりでも線路際を歩かないと辿り着かない家や店が存在する。

色々歩いて見てみたいが、まだ予備知識が無さすぎるため今回は省略。


ということで、今度は1001Fを迎撃。


相変わらず混んでいるが、到着した1001Fに余裕を持って滑り込み。


そしてまた、鎌倉へ。


1000形のデビューは、1979(昭和54)年の冬。

自分が生まれた年に、こうしたデザインの電車が登場したのは今更ながらに驚きである。


全くもって古さを感じさせない、秀逸なデザイン。

よく半世紀近く走り続けてきた。


つくづく製造から46年経っているとは思えない。

自分も相当に衰えてきたというのに(?)


その秀逸な車両は、やはり当時の鉄道ファンも黙ってはいなかった。


1980(昭和55)年度、鉄道友の会ブルーリボン賞。


今なお、江ノ電の歴史の中で唯一の燦然と輝く快挙である。

その栄光は色褪せず、これからも語り継がれ大事にされていくことだろう。

その名車の記録を、なお積み重ねていく好機は今なのである。

33年越しの初訪問、極楽寺検車区へ

さて、極楽寺検車区界隈でもう少しのんびり。


700形に動きがないか、しばらく眺めていたが…


なんかやっていたのは、シャッターの内側にいる10形あたり。


しばらくは、勝手階段あたりから電車の往来を眺める。


それにしても、線路際のこんな近いところで撮る機会は普段はなかなか無い。


そんな特別な日常が、江ノ電記録のボルテージをさらに上げていく。


そんなところで、700形701Fに動きが。

作業員立ち会いのもと誰かが車内に入り、パンタグラフも一度は上昇したのだが…

残念ながら構内を動く姿は、ついぞ見られることがなかったのである。


実は3週間後にも再訪しているが、先に書いてしまうとその時も動く姿は見れていない。

次に動く姿を見られるとしたら、どうやら営業運転開始後になりそうである。


そして、また踏切に行ってみたり


側面を撮ってみたり


そのまま後追いを撮ってみたり、思いつくことをふらふらとやってみる。


そして、新旧交代を象徴する並びも。、


昭和テイストを残す前照灯周りも。

横に見ると、300形と同じだと気づくはず。


同時期にデビューした京急800形は既に全車引退。

これまで頑なに残存率100%を堅持してきたが、その牙城が崩れる日は近い。



既に原型、と言える車両は皆無に等しい。

塗装も全く変わっている。

それでも、この現実を受け止めてモチベーションを維持していけるように。


さまざまな事象を一纏めに、今の江ノ電らしさを見ていけるようにしていきたいかなと。


ずっと粘っていても仕方ないので、1201Fの通過をもって撮影を切り上げた。

そして、乗り鉄をしながら次のポイントを探し始める。

江ノ電の冬、別れ近い冬

1月30日の続き。

2回目の極楽寺に、吊り掛け駆動のサウンドを堪能して到着。

1000形のうち1001・1002・1101Fの前照灯は、300形など登場当時の車両と同じ部品を使用。

配置を横置きに変えて、新鮮味を出したデザインになっている。


2000形は2016年からリニューアルが行われ、前面の意匠が大幅に変更された。

前面のパノラマ窓は半分近くが塞がってしまったが、イメージはなお健在である。


そして、歩いて極楽寺検車区にやってきた。

よく車窓から見ていたが、意外にも初訪問である。


700形701Fが、頭を出して停車していたほか、奥にはこの日運用が無かった20形が。


周辺は、実に閑静な住宅街。

見に行く人達も、周辺の環境に十分配慮して見守ることが肝要である。


極楽寺周辺はアップダウンが多く、角度によっては山岳路線のような趣もある。

いろいろ歩いてみると、なかなか気付けないことに気付けて面白い。


このあたり、同じ神奈川県内では箱根登山鉄道と似通ったものがあるかもしれない。


そして稲村ヶ崎方の“併用軌道”で300形305Fを迎撃。


バス窓と言われた特徴的な窓枠も、絶滅の危機に瀕して久しい。

昭和の古き良き文化を、もう少しこの令和の世に伝え続けていく。


この連結でも、歳の差30超。


やがて2000形も「平成レトロ」なんて言われ方をするのだろうか?

周りではだんだん追われる立場になってきているが、まだ江ノ電では主力の一翼を担い続ける。


そんな独特な車両たちが、独特な雰囲気の界隈をゆっくり走り抜けていく。

通えば通うほど、その雰囲気にどんどん魅了されていく。


そして、極楽寺検車区付近に戻る。

この小さなエリアに、第4種踏切があったり勝手…

言い難い線路渡り用の小階段もある。

反対側の住民の中には、小階段から本線と検車区引上線を渡らないと家に行けない箇所も。

見れば見るほど、一概に勝手と言えない相互の信頼関係が維持させているとしか考えられない。

そうした良くも悪くも前時代的なおおらかさが、絶妙なバランスでこの路線を維持させているのか。


そんな小階段から、ギリギリに電車を眺め編成連結面を撮ってみたり。

もちろん上がりきらず、物理的に立つ距離を離して安全を確保して撮っている。


ちなみに、極楽寺検車区に来たのはこれだけではない。


700形、試運転するかな?


昼だから構内を往復するだけでいいんだけど、果たして?

一昨日


昨日


今日



停滞は死と同じと言ってしまうくらい、常に動いてないと気持ちが疼く。

その反動もそれなりにある歳になったけど、それでも動き続ける。


花粉症はいよいよ悪化の一途ですが…


鉄道

音楽

演劇


この三大軸に、さらに楽しみを加えて…

三寒四温、花粉症を乗り越えて、ここからさらにギアを上げて。

やりたいことを確実にピックアップして、確実に達成、消化していく。

そのために、頑張らなきゃならないことも頑張りつつ、手抜かりなく。

 

月またぎの週末、濃い時間だったな。

やりたいことをことごとく消化して、また明日以降の戦いへ。

そして、鉄道界隈の記録放出はまたいずれ。

冬の湘南海岸・世代交代目前の或る日の江ノ電

久しぶりに湘南海岸を歩いた1月のある日。

目的は去年の今頃とちょっと違うけれども、いずれにしても海はやっぱりいい。

大好きな江ノ電が側にあるなら尚更である。


思い返してみたら、33年前に初めて撮影した場所がこの場所だった。

33年前は、まだ2000形が最新鋭だった頃。

以来折に触れて訪ねている界隈であるが、赴くたびに何かしらの発見がある。


今度は1101F+1002Fの編成が通過。

いよいよ希少となってきた吊り掛け駆動編成同士の連結。

1002Fは新・嵐電カラーに変更され「姉妹提携号」とされている。

2009年の江ノ電と嵐電の姉妹提携締結時から運行しており、現在のカラーは4代目。


700形702Fとの並びは、1時間ほど見ていると当日の運用車両を一巡して見る事ができた。

車こそ運次第だが、基本的にオフシーズンの冬の海岸で穏やかに記録することができたのである。


本当なら、最古参の300形305Fを記録のメインに据えたい気持ちがかねてから強い。

ただ、300形は床下機器が2000形や10・20形と同等に更新済み。

それもあって今回は、吊り掛け駆動で残る1000形から置き換えということになったのだろう。

色々個体差があるのは気になることはなるが、それも踏まえて鷹揚に臨まないと。


さて、さらに歩いて地下道を潜り、七里ヶ浜〜稲村ヶ崎間にある車両搬入基地にやって来た。

ここの設備は、1502Fの新製搬入から使用されている。

それまでは、江ノ島〜腰越間の併用軌道上・龍口寺前で行われていたそうである。


その搬入基地から鎌倉方にある踏切で1002+1101Fを。


七里ヶ浜〜稲村ヶ崎間というと、ここから少し鎌倉寄りの“併用軌道”との分界付近が撮影ポイントで

有名であるが(後述)、この搬入基地は後方の柵に目を瞑ればなかなか良い感じで撮れる。


それもあって、続けて1501+1502Fもここで編成記録を敢行した。

昔とは色合いが変わったが、江ノ電カラーの安定感は小田急の青帯よりも高い。


そして、その有名ポイントに向かうが…

ここだけは何故か、いつもそれなりに人がいる。

末席に加わって、腕や身体を伸ばしてどうにかのカット。

頃よくやってきたのは、1201F先頭の編成。


ちなみに、横は“併用軌道”と書いただけあり一般道で、車も歩行者もそれなりに往来がある。

これだけ構えていると、万が一かち合った時の無言の圧力…いや、叫びもありそうだが(汗)

かつても各方面で物議を醸しただけに、日常生活を侵さないように心掛けたいものであるけど。


そして併用軌道横を歩き、稲村ヶ崎駅に向けて歩きながら1001Fを。


吊り掛けのサウンドを響かせて、ゆっくり走っていくさまはやはり絵になる。


そして、異形式併結の面白さも。

この江ノ電では、今なおさまざまなバリエーションが見られる。


そして、歩いて稲村ヶ崎駅で1001Fに追いつくw

自分の足では若干危なかったことを白状しておくが。


江ノ電初の電気指令式ブレーキを含めたワンハンドルマスコン。

走り装置とは対照的に、運転機器類は新機軸が多く採用された。

車体と共に、当時の最新鋭だった京急800形の影響を色濃く受けている。


そして…

再び極楽寺にやってきた。

すると、最新鋭の姿が検車区内に!

ここからまた歩き出し、今までやってそうでやらなかった記録に動いていく。

あれは、1月30日金曜日のこと。

江ノ電20年ぶりの新型電車・700形第2編成の搬入待ちを記録に行った時のことだが…

ただ700形を撮るだけじゃつまらない、と思うのが自分のスタンス。

せっかく湘南に行くんだから、満遍なく見ておかないとね。


てことで、小田急線の「江の島・鎌倉フリーパス」を手に入れて江ノ電へ。

この場合、ほとんどが藤沢での出入りである。


ただ、この日は中々“もうひとつの目当て”には遭遇できなかった。

最大派閥の割に、そんな巡り合わせもある。


それでも、平日はまだ少し空いていたので気持ち的には余裕があって…


まず、稲村ヶ崎で最初に1000形を見れた。

3編成目・2次車の1101Fである。

1981(昭和56)年に【江ノ島鎌倉観光】時代の最後の車両として落成。

そして【江ノ島電鉄】に商号変更されてから最初に運行を開始した編成でもある。

登場時は冷房は準備工事のみで、翌1982(昭和57)年に冷房搭載工事を実施している。


さて、この時は極楽寺まで行ったのだが。

車内から極楽寺検車区内を見たら700形701Fはおろか、他の編成の姿も見えなかった。

うっかりしていたが、既に到着時間が12時を回り“お昼休み”に入っていたのである。


それもあり、すぐに藤沢行きで踵を返し、先に稲村ヶ崎で搬入待ちの700形702Fを見に行く。

ここで来たのは4編成目・3次車の1201F。


1983(昭和58)年製で、江ノ電初の【新製冷房車】として登場。

かつ【1,067mmの狭軌鉄道線では日本最後の完全新製による吊り掛け駆動方式の電車】である。

さらには現在、江ノ電の営業電車では【最後の方向幕装備車】ともなっている。

この編成の吊り掛けサウンドを聴きながら、江ノ電巡りを再開する。


そして、稲村ヶ崎では1502F+1501Fと交換。

4・5次車である1500番台2編成は、江ノ電初のカルダン駆動となっている。

昨年に入り、安全性向上のための改造を実施。

車外カメラの設置等、将来的なワンマン化を見据えたものとされている。


塗装が変更され、パンタグラフもシングルアーム化されるなど変化著しい同系列。

その中で1201Fのみが、方向幕装備のまま辛うじて一時代前を思い出させる風貌で残っている。

幕自体は英語表記入りに更新されたが、書体は登場時のイメージを残している。


そして七里ヶ浜駅を降り、江ノ島側の“併用軌道”で発車したところを記録。


併用軌道ゆえに車もよく通るので、しっかり撮れるかどうかはその時の運次第。

毎回寄るたびにゆっくり撮りたい気も出てくるが、この時は別目的がありすぐに移動。


そして、七里ヶ浜〜稲村ヶ崎間の“700形留置場所”の横を走る1000形第1編成に遭遇。

登場は自分の誕生年と同じ1979(昭和54)年で、今年デビュー47年を迎える。


そして、デビュー66年を迎える300形305F。

既に車体も床下も原型を見出すのも難しいものの、今なおレトロ車両として人気が高い。


現在はこちらの編成は置き換え対象に上がっておらず、しばらくは現行のまま走る模様。


そして、1500形の迎撃は…車に被られ失敗。


後追いも標識との位置関係に失敗し、中途半端な記録になってしまった。


それでも、まだまだ撮れる機会はある。

気持ちを切り替え直し、さらに記録できるポイントを巡っていく。

昨年秋、THE ROYAL EXPRESSの北海道クルージング終了後に東急長津田車両工場に入場していた
専用電源車マニ50 2186が、年を跨いだ検査整備の末に先週末、出場。
今日長津田を離れ、一路常駐先の伊豆急行線伊豆高原に向けて甲種輸送を開始している。
JR北海道の新型観光列車「赤い星」の改造が遅れている影響はあるのだろうが、北海道内での運行は
今年夏の運転が最後と発表されており、去就が気掛かりな中での検査施行となった。

それもあり、甲種輸送運行沿線はそれなりに過熱しそうな予感があったが…
今日は久しぶりの冷たい雨が降り、ある程度は“水入り”クールダウンとなった模様。
あまり動きが見えない状況下で、仕事帰りの八王子駅に繰り出してみた。

今日、18:16頃。

中央線が混雑などの影響で遅延している中、被りに気を揉みつつだったが無事に入線。

ちなみに中央線は、八王子折り返し快速電車が3番線に入線中であった。


マニ50単独の甲種輸送記録は、長野から長津田に回送された時以来、約6年半ぶりである。


夕方のラッシュに思い切りかち合ったが、どうにか諸々のタイミングが合ってくれた。

脚立や三脚を持つ人を見かけていただけに気を揉んだが、少なくとも自分周りは平穏だった。


改装後の実車をよくよく見たのは、一昨年夏の北海道への甲種輸送時に一瞬見たのみ。

こうしてまじまじと、停車した姿を見たのは今回が初めてのこととなった。

もっとも、東急電鉄内の事情(ステンレス車のみ)により外装は未整備。

塗装直しは、伊豆高原に輸送後改めて行われることになる。


到着後、速やかにDD200との切り離し。


このあたりの一連の所作は手慣れたもので、速やかにDD200は離れていった。


外装整備はしなかったというものの、それなりに綺麗な姿は保っていたようだった。

普段の伊豆急行線が海に近いゆえリスクがあるが、その分大切に管理されてきたようである。


来月定期列車の発着を終了する211系と、今回最後の並びに。


妻面の社名プレートは「東急電鉄」に貼り替えられている。


サイドビュー全景。


雨模様でうまく収められなかったが、それなりに特徴的な車体を記録できたのは良かった。


そして、構内入換にHD300がやってくるが…


EH200牽引の石油貨物列車が到着、丸被りにより撃沈w


周りの願いも虚しく、連結の瞬間はタキに阻まれて終わったのであった。


ほどなくして、西八王子方の引き上げ線に移動開始。

これを見てすぐに改札を出て、南口へ歩き出すが…


1両のみの入換作業は身軽で、あっという間に南側側線に押し込まれてきてしまった。


連結部分を南北自由通路跨線橋下に入れ、しばらくの休養となったのである。


このままの姿でしばらく過ごし、明日朝には新鶴見に向かうようである。

距離の割にダイヤはゆっくりで、長時間停車を経て明後日の未明に伊豆高原到着となる模様。


この八王子に佇む姿も、今回が最後となるのだろうか?

それとも、まだまだ活用の策は見出せるのだろうか?

あの電撃移籍から約7年、機会は少ないながらも華やかな走りに彩りを添えてきた逆転人生。

北海道に限らず、一昨年には四国へもその足跡を記した。

もう少し、その走りに注目しておきたいところである。


しばらくしてHD300の電気も落とされ、しばしの仮眠タイムに入った。


作業員が、ライトを照らして入念に足回りの点検をしていた。

走る機会が少ない故、その点検にも気合いが入ることだろう。


次に見る機会があるとすれば、また北海道に渡る時か…それとも?

波瀾万丈なマニ50、最後の1両のこの先が平穏無事故でありますように!

新年実質一発目の記録

2026年1月11日後編。

実はこの日に東急線での記録を敢行したのは、新綱島で行われていた写真展に顔を出すためだった。

そのため、時間を見極めながら動くことに腐心したのである。

再び東急東横線ホームに戻り、今度は上りホーム渋谷側から…


またまた東武9000系、今度は9107Fを迎撃。

量産車で唯一、かつ全車両が富士重工製。

30000系まで点々に富士重工製の電車が存在する東武鉄道だが、10両全車は同社最長の代物である。


この東武9000系が、現在では東急線内で唯一の非VVVF車(8500系動態保存車除く)となった。

かつての営団地下鉄千代田線ではないが、消費電力の違いで問題は出ていないのか気になる。

まぁ50070系と共通運用だし、純民鉄だからそこまで細かく気にしていないのもあるのか…

東武東上線内に乗り入れている5050系の姿もよく見るから、運用バランスを調整しているのか?

手法的には都営新宿線が一時期、京王競馬場線を往復運用させて精算していたのに近いのかも。


ともかく、東急線内唯一の非VVVF車であり、車体もコルゲートを残す最後の形式に。

但し最終増備の9108Fと、VVVF化した9050系はビードプレス車体にマイナーチェンジしており…

遭遇率は6/9、50070系を含めるとさらに低下すると考えてよい。


側面だけ見ていると、東急8000・8500系を思い出す。

それもここ1〜2年で激変が近づいている。


そして今度は、綱島で上りを迎撃。

東武9000系の日中の運用はFライナー特急であり、高速で通過するものと身構えていたが…


なんか…遅……い?!


ノロノロという言葉で形容できるほど、最徐行でやってきたのである。


実はこの日、天気こそ快晴だったが風が強く吹いていた。

このため、この先の鶴見川橋梁上に25km/hの速度制限が掛かっていたのであった。

それもあって、苦笑しながら列車の通過を見送ったのである。

さながら、阪急・オリックス→阪神で活躍した星野伸之投手のスローカーブばりの呆気であったw


こうして次々に違う駅に行ってみて、撮れ高を確かめることを繰り返す。

さんざん乗ってきた東急東横線だが、まだまだ知らないポイントが多いなと感じる。


続けて向かったのは…大倉山。

こちらも初めての訪問。


ここで待つことしばし…


高架を駆け上がってくる東武9000系・9107Fを迎撃!


ここまで被りもなくバシッと決められたのも、また満足度が高い。ありがたい。


ここまで撮ってきたポイントを、いずれは90000系デビューの暁には巡り直したい。

それが当面の目標。もちろん東武東上線内でもね。


そして、写真展にお邪魔してふらり帰る途中のカットをいくつか。


いつまで持つのか、東京メトロ南北線9000系と埼玉高速鉄道2000系。

東京メトロ9000系も、開業時の初期車は製造から36年が経過している。


そして、また相鉄20000系で帰路に。


池袋まで乗り通しても良かったのだが、結局武蔵小杉で乗り換えて記録を終えている。

現時点で東武90000系は、南栗橋車両管区に搬入されてからまだ動いていない。

いつから運行開始になるのかまだ見通せないが、今のうちにあれこれ記録を重ねておきたい。

さて、いよいよこのブログも全面的に2026年。
遅いw

1月は毎年恒例イベントからスタート。

それがすぐ来月だったり、はたまた来年か、再来年になるかの違いはあるけれど…

アンテナをいつもより敏感に、後悔のないように動いて…


なかなかそうも言ってられないのが、ここのところ。

雪で車がバッテリー上がって動かなくなったとか、そもそも仕事が少しばかり繁忙期とか。

今年は週末以外は、なかなか記録巡りに動けないでいる。

2026年1月11日、日曜日。

この日は前日のたび鉄部に来ていた大阪の友人と、神奈川の友人との3人で“しゃぶしゃぶ”へ。

年甲斐もなくしこたま食べ、満腹感を軽減するために東急東横線に赴いた。

最初にやって来たのは、急行も停車する学芸大学駅である。


ここで最初に出会ったのは、相鉄20000系がなんと2編成。

東急東横線なのにどちらも相鉄車とは、ずいぶん時代が変わったものである。


登場時は今までにない面構えに大層驚いたものだが、それもすっかり馴染んでしまった。

そして、東急線内で見る姿もすっかり定着した感がある。


…去年までまだ慣れてないとか言ってたくせに(苦笑)

ダイヤが乱れると東急新横浜線に入らずに元町・中華街駅にそのまま入る事もあったり…

まだ東武東上線や西武池袋線には入らないが、やがて入る機会は出てくるのだろうか?


そして、ここで迎撃したのは…

東武鉄道9000系!


昨年秋から、折々に乗り入れ先の東急線上で狙い始めている。

特に狙うのは、土休日の昼過ぎに元町・中華街まで往復する11T・13T運用。

この頃は、2本とも9000・9050系により運用されている場面ばかり見ていた。

しかし最近になって調べてみたら、そうもいかなくなってきているらしい。

やはり、早いうちに動くに限るなと思うことが多々ある最近である。


そして自由が丘に移り、空き時間を利用して大井町線をサクリと記録し始めた。


大井町線の9000・9020系は、小田急8000形より気持ち早めに離脱が進んでいる様子。

6020系50番台は先日8本目が落成したため、約半数が役目を終えた模様。

譲渡先の西武鉄道では1本が今日未明に完全出場し、そろそろ試運転が本格化してきそう。


単純計算で遭遇率も約半分くらいになっているはずで、記録がまだならお早めにと言ったところ。


前面帯復刻編成は引き続き9001・9013・9015Fの3編成が運用中。

うち9015Fは、最近は車両不具合で運用を離れているようだが…


方向幕はLED化されたが、かつての東横線時代を思い出すには十分である。


大井町線では、各停一筋で運用を続けてきた9000系。


人の流れの中に埋もれる姿も、この界隈からはそう遠くないうちに見られなくなる。


今年でデビューから40年。

東急電鉄初の量産VVVF形式のパイオニアも、いよいよその先が見えてきた。

そのあたりの思い切りは、小田急に比べると相当にサッパリスッキリしているようだ。

安全に気を配りながら、その最後の走りを記録と記憶に残しておきたいものである。