たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

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キハ110と花粉に戦った1ヶ月前。


昼前の小川町駅。

ふと目を転ずると、昭和のいぶし銀・東武8000系が居る。

八高線では越生・寄居とこの小川町で日々並ぶ機会があった。

それにしても、つくづくこの東武8000系という形式の息の長さには感服する。

キハ110とて33年と頑張ったほうであるが、かたやこちらは43年以上という化け物ぶりだ。


やはり今回の新型車両導入を知る人がそれなりにいるのか、カメラを向けている姿も僅かに。


これまでは東武東上線を撮り回るとそちらばかりで、八高線を顧みたことが全く無かった。

新型車両導入計画発表からほぼ時間も取れず、そのあたりの取り組みの詰めの甘さは汗顔の至り。


意外に見てないポイントが、屋根の上。

昔友達に某電車で付き合ったことがあるが、模型をやる人には要チェック箇所だそうで。


それと、小川町駅で気になったポイントが…

7番線側の後方確認ミラー。


なんと、待合室の建物を突き破るように設置されているのである。

これって、スタンダードなのかしら?

あまりのビジュアルに、個人的にかなりツボに入っていたのだった。


さて、東武東上線4番線には再び50090系がやってきた。

今度はオリジナルカラーの51093Fである。


さらにふと、目に入った銘板。

かつては国鉄気動車の主要メーカーだった新潟鉄工所。

経営破綻してから、はや四半世紀が経過。

富士重工業も鉄道車両製造から撤退し、現在は新潟トランシスに事業が承継されているが…

こうした古き良き名称も、引退が進むとともに過去のものになっていく。


さて11:37、再び高麗川に向けて静かに動き出した。

乗っている乗客はごく僅か。

最初の停車駅は明覚。

いきなり列車交換で5分停車となる。


現在のログハウス風駅舎が建設されたのは1989(平成元)年9月と、はや37年。

その個性的な駅舎は地元産の木材を使っており、関東の駅百選に選ばれている。

なお旧駅舎は遡ること約1年前の11月、火事で全焼したという経緯を有する。


さて、しばらく待っていると…


HB-E220系による高崎行きが到着!


こうして見るとHB-E220系という車両は、外観的には少し前時代的構造になったのだろうか?

片開き扉が維持され、しかも3扉なんて昭和の国鉄気動車でも見られなかった形態である。

キハ30・35・38だって3扉両開きだったから、なおのこと先祖返りに感じる。

同じハイブリッド気動車でも、仙石東北ラインで運用されているHB-E210系は両開き。

今回の設計コンセプトは、考えれば考えるほどますます謎に見えてくる。


そんな世代不詳な車両たちと、ほぼ平成の時代を見つめ続けてきたログハウス風の明覚駅舎。


そして、バトンを次世代へ…の並び。


ただ、高麗川同様発車メロディが鳴らない。


先に高崎行きが発車。

続けてこちらも…

信号が青に変わったのを見て、再び乗り込んでいく。

30年余りの積年の鬱憤?いま、消化の時。


11:00、小川町着。
但し、埼玉県である。

そういえば、小川町に八高線で降りたことが今まで一度も無かった。

東武東上線でも、実質2度来たのみである。


それにしても、停車中の駅は実に閑散としている。

その静けさは、高麗川駅以上である。

ただ、ディーゼルエンジンのアイドリング以外は。

それもまた、鉄道好きにとってはたまらないBGMなんだろうけどもね。(自分もまた然り)


また改めて、車内を記録。

平成一桁台製造の同車のトイレは、バリアフリーに対応しておらず出入口も狭い。

トイレの向かい側は座席が無く車椅子・ベビーカースペースとなっている。


車内はボックスシートが1人掛け・2人掛けとも4組ずつ設置。
1人掛けの設置は、JR東日本ではこの系列が初である。
ロングシートのエリアも長く、混雑時の流動・詰め込みにも対応している。

…この頃から混雑時も見越し、かつ、極力座席に定員乗車できるよう目論んでいたとみられる。
電車の方も、近郊形車両のロングシート化が拡大傾向だったことを思い出す。
JR化後に増備された211系2000・3000番台も然り、都心に乗り入れていた113・115系の一部が
ロングシート化改造された事例もあったくらいだったし。
新設計のE217系やE231・233系は4扉でボックスシート設置車両が減ったし、E235系1000番台の
投入に至っては、グリーン車以外オールロングシートになってしまった。
地方幹線でも、701系の初期車両のようにオールロングシートに振り切った例もある。

それでも路線環境からキハ101形(左沢線)やキハE130形100番台(久留里線)がロングシートで
製造された以外は、JR化後の世代交代でもほとんどはボックスシート設置が残っていた。
飯山線「おいこっと」などのように、観光用を意識した改造を行ったものもある。
そのあたりのサービスの意識は、会社側には残っていたはずだった。

そんな中での、今回の八高線・釜石線へのHB-E220系の投入。
ここまで仕様を振り切ったのは、何が要因・動機だったのだろうか?
そのあたりの考察を、後刻高崎まで乗り通す時に一定の答えを見出すことになっていく。


そんなことを考えながら、穏やかな小川町駅構内でキハ110と共に過ごした贅沢な時間。


もうちょっと早くから動きたかったけれど、それでも穏やかで本当に良かった。

しかもこの日は土曜日なのに、花粉飛散ピークの影響だったのかほとんど撮る人もいなかった。


おかげで、想定以上に存分にキハ110を堪能できた。

これができて、もはや悔いはない!


…八高線ではね。


ところで、共に小川町駅に入線し、しばらく並んでいた東武鉄道の50090系は…

埼玉県こども動物自然公園とコラボした、51092Fクオッカトレインである。

昨年10月13日から運行されているが、当編成がラッピングされたのは3回目である。

ちなみに最初のブルーバード号の時は、ツアー電車にも乗っている。

それと何気に、ブルーバード号や川越特急のラッピングの時の記念乗車券もコレクションしていたw


しかしまぁ、のどかだ。

高麗川駅でも思ったが、鉄道界隈でこんなのんびり過ごすのは相当久しぶりのことだ。

後日のキュンパス旅でも然り、基本的に時間に追われることが多い故に余計に。

ちょっと公私もろもろで心身に負荷が掛かっていることも一因かもしれないけどね。


バックミラー越し、なんて遊びもちょこっと。

そういえば八高線は、非電化営業線では唯一のATS-P供用区間である。


さて、51092Fが池袋に向けて発車していったので、東武東上線ホームに移動してみた。

小川町駅は東武側にしか駅舎がなく、跨線橋上に乗換IC改札があるが事実上共用改札である、

ここでしばらく、次の東上線電車が来るまでさらに記録を残していく。

いま思うと、ようこんなに撮ったな。

30年余の反動、いかばかりか。

これほどまでに乗り鉄欲に特化した形式は、今まで類を見なかったかなと。


発車15分前を切った、高麗川駅。


エンジン音を聴きさえしなければ、電車と変わらないくらいのスタイリッシュさがあった。

いい意味で国鉄から脱却して、シンプルで洗練されたデザイン。


八高線導入車はプラグドアではなかったが、それでもリフレッシュのインパクトは強かった。

ほぼ非冷房でロングシートばかりだった路線が、冷暖房付きセミクロスシートへレベルアップ。

かつては極力避けていた高麗川〜高崎間の乗車が、一気に楽しくなった。

首都圏でキハ110系に乗れるのはここだけ、あとは近くて小海線くらいだったから余計にだ。

(水郡線は特に理由は無いが乗れておらず、訪ねた時には既にキハE130系に置き換えられていた)


駅舎が橋上化された後も残された地下連絡通路。

バリアフリーにも対応されず、狭いまま残された姿が辛うじて過去を物語る。

同様の地下連絡通路があった拝島駅は橋上化の際に閉鎖されたから、唯一の遺物である。


とそこに、川越線から電車がやってきた。

10:32発八王子行きである。

乗り換えが押し寄せてくることを考えて、確保していた座席に戻る。


と身構えたが、思ったよりも乗り換えは少なかった。

今度の列車は小川町行き。

川越から来る電車で乗り換える人は、そんなに多く無いのかもしれない。

寄居あたりまでなら、川越から東武東上線・越生線を使ったほうが速いだろうしね。


そして、今度は八王子方から列車がやってきた。


そして10:35、川越行き発車とともにいよいよ発車。

しかし、電車は発車メロディが鳴る仕様になったが、こちらは何も鳴らずに動き出す。

そのあたり、ワンマン運転のセオリーも平成と令和の世代差といったものを感じるが…

油断すると容易に乗り損ねる危険性があり、時間管理に一層の注意が必要になる。


さて、小川町行きの車内は結局そんなに混まなかった。


ボックスシートもポツポツ1〜2人座っている程度で、実に静かで穏やかな旅立ちとなった。

いつものエンジンの唸りを堪能するが、登場時に比べると幾分スピードも控えめか?


そして、変速進段のショックも以前より増したかな?という印象を持った。

製造から30年になると、そのあたりの経年変化があるのだろうか?


それでも、走り自体はいつも通り快調である。


…が、ふと外を見ると、やはり空気が黄色く見える?!

いよいよ、あの花粉の猛威が襲ってきたのだろうか??


ただ幸い、キハ110系は乗務員室扉以外は窓が開かない構造。

換気目的で窓を開ける人もおらず、外と遮絶した終始快適な車内である。

同年代の209系では運行トラブルの影響で開閉可能な窓が増やされていたが、キハ100・110系には

そういった話は幸いにも聞いた記憶がなく、大過なくここまで走り続けてきた。


そして、順調に走り続けてきたところで東武東上線をオーバークロス…と、


なんだあれは?!


見たことのないカラーリングの電車と、並走?!

そして、HB-E220系が待つところに、到着。


11:00、小川町駅。


高麗川から、僅か25分。

午前のミニトリップ、呆気なく終了となった。


そして、高麗川行きは入れ替わりに発車したばかり…

さっきまで高麗川で1時間待ったのに、また小川町で××分…

実にのんびりした運用は、まだまだ続く。

久しぶり、そして最後の高麗川駅でキハ110

正直、この時期にキハ110系に会えていて良かったと思う。

自由通路完成直前の過渡期で、撮影条件は宜しくは無かったものの…

この時しか撮れない記録で有終の美を飾れたのは、満足している。


自分の身体のコンディションも、決して完璧ではなかったにせよ。

まして、スギ花粉のピークに入らんとしている時期だった。


それでも、この時に決行しなければもうタイミングが無かった。


さらには、来月に控えた“あること”の抜本的なシフトチェンジもできなかった。

それを掴めただけでも、この日の記録はとても大きかったのである。


賑やかなのは、発車を待つ気動車のアイドリングだけ。

心地いいエンジンの回転音が、絶妙に身体を動かしていく。


再び車内に入り、キハ110の運転台を覗き込む。

JR東日本管内では、1980年代後半から主流だった電気指令式ブレーキを持つ2ハンドル。

既にJR東海キハ85系でも採用されたシステムであった。

自動空気ブレーキばかりだったこの時代に、抜群の制動応答性が実現。

そのブレーキの効きには、高加速と共に初めて乗った時に感嘆したものだった。


そして、1990年代前半にはあまり馴染みがなかった半自動ドアボタン。

自分にとっては八高線キハ30系列の一部・キハ38や、相模線205系500番台程度。

それが八高線電化時に209系3000番台・103系3500番台と共にメジャーなアイテムになっていく。


この日は高崎方からキハ110-219+221の2両編成であった。


一時期は単行運転すらされていた八高線であったが…

HB-E220系投入のため、再び2両編成以上に戻っていた。


さて、高麗川駅も実は撮り鉄への警戒レベルは上がってはきていた。

この日は何も無かったが、さて他の日、とりわけ最終日は大丈夫だったのだろうか?


そんな穏やかな改正半月前の、午前のひととき。


まだ、時間が余る。


ホームの動きも、そんなに無い発車15分前。

実にゆったりな時間を過ごしていく。

JRグループ他のダイヤ改正から、早くも一週間あまり。

ありがたくも割と前後に記念乗車券のリリースとか、他の私鉄のネタがそれなりにあるが…

自分の場合はそれ以上に、ライブや演劇といったエンタメ要素も活発な情勢。

6月くらいにかけて縁のある人が活発に動きがあり、選ぶのに難儀する嬉しい悲鳴である。


さて、そんなダイヤ改正にかかわる最大の動き。

一度、意を決して腰を上げたものの遭遇できなかったものがあった。


八高線のキハ110系である。


それでなくとも本数は少なく、実際に運用に入ってくるかはその日次第。

他の路線に比べて遥かに運用が捉えづらい悩みがあった。

しかし、動ける時に動いておかないと、もう次の機会は無い。

そんな背水の陣で、ようやく動き出したのが2月28日土曜日であった。


だがこの日は、もうひとつ懸念材料があった。


スギ花粉飛散ピーク!

季節外れに気温が上がり、スギ花粉の大量飛散に警戒する情報が飛び交っていた。

かくいう自分も、かれこれ24年来の花粉症ユーザー。

それでなくとも奥多摩・高尾方面への乗り入れを避けてきたのに(M電の件はどうした)埼玉方面や

果ては群馬・高崎まで自分の重症を顧みずに、果敢に乗り入れようとしているこの時に!


ただ、そうも言っていられないというのがこの頃の自分。

とりあえず、高麗川で会えなかったらもう大人しく諦めれば良い。

それだけ気持ちを固めて、すっかり世代交代しワンマン化されて久しい南線に乗って…

おお!


キハ110、再会!


そもそも2月に入るまで高麗川に行くこと自体ご無沙汰だったのだが、キハ110も相当に久々。

そして、その高麗川駅の変化ぶりにもなかなかに驚くこととなった。

かつて西側にのみあった駅舎が橋上化され、さらには3月20日から東西自由通路が供用開始へ。

構内を横断して自由通路が架けられ、すっかり様相が一変してしまっていた。


高崎・川越方の先頭車が並ぶあたりは、すっかり自由通路の下に影になってしまっていた。


乗ってきたE231系が発車していき、改めて編成を撮るが高崎方はこの通り。


そこで八王子側に回ると、ほぼ昔通りに撮影が可能であったが…

そんな時に、ある重大な事実に気づく。


今まで、高麗川で気合いを入れてキハ110を撮っていたか?

考えてみれば、高麗川で乗り継ぐ時はまず座席確保が最優先。

そもそも、普段なら乗り継ぎ時間も少なく、腰を据えて撮りに来た事がなかったのだ。

まず座席を押さえ、ホッと一息ついてホームで飲み物を買うついでにちょこっととか。


それだけに、高麗川での撮影記録は2番線高崎側からワンパターンにというのが多かったようだ。

とりあえず乗った証明のような感じだったが、どうやらそれすらもしなかった日もあったらしい。


それと、キハ110系は折々に書いていたしまた書いていくが、好きな車両の一つには確実に上がる。

ただ八高線では、ほぼ乗ることそのものに楽しみのポイントを費やしていた。

電車並みの高加速、高いエンジンの唸りに気持ちを預けた“乗り鉄”的嗜好を堪能していたのだ。


それと、うちから一番近くに乗りに行ける気動車運行路線。

(それでも1時間くらいかかるが)

それもあり、一時期は“大廻り乗車”のマストアイテムにすらなっていたのである。

特に2007年秋の“配置転換前の有休消化期”には、何回乗りに行っていたことか…

という話は、ここでは省略。


とにかく、高麗川駅でこれでもかと撮り回ったのは乗り入れ開始30年で初めてのことだった。

ただ今回に関しては、ダイヤのギミックが大いに関係している。


この日、自分が高麗川駅に着いたのは9:36。

高崎行きが9:20に発車したばかりで、このキハ110の列車は10:35発小川町行き。

高崎から2分前に到着したばかりで、なんと折り返しのタイムラグが1時間弱もあったのだ。

それまでずっとエンジンをアイドリングし続け、車内を暖めて待っているのであった。

車内も開放されていて、使いでによっては電車待ちにも使える状況であった。

昨今の燃料情勢を考えると、かなりのハイコストになってきていたのではあるまいか。


ともかく、それだけ待ち時間があるので、これでもかと撮りに巡っていた。


外観は、登場当時からほぼ原型を保っていた。

側面の方向幕がLED化された程度である。


車内も運賃箱・運賃表示器が更新された程度。


室内アコモデーションも1+2列のボックスシートとロングシートの組み合わせ。

こうして見ると、HB-E220系との違いがハッキリとわかる。


停車駅案内もほぼ変わらないが、無人駅が増えた分上から貼り足されている。

首都圏近郊区間に全て包括されるとはいえ、この八高線でも退潮は確実に進んでいる。

まずダイヤの状況を見ても薄々と感じていたが、それは乗ってみてますます現実となっていく。

と同時に、HB-E220系導入の合理性が次第に明らかになるのである。

2月20日、横須賀色が“また”立川まで走ってきた日。


仕事帰りに相模湖まで赴いて“バルブ撮影”を敢行し、そのまま乗車して立川に向かう。

相模湖ではそれなりに静かだったが、東京都内に入っていくとだんだん賑やかになる。

それは別に横須賀色だからとか立川乗り入れ終了だからというのも僅かにはあるが、高尾18:35発と

普通に帰宅ラッシュの一部であることも考慮しておかないといけない。

学生の部活帰りとか、割と逆方面への流動が多いのが中央快速線の日常なのである。


ただ、中央快速線E233系は10両編成から12両編成が標準となり、差は開く一方だった。

このあたりの両列車の差が、常磐・成田線との違いであった。


武蔵野線に直通する8両編成の「むさしの号」も然り、両数や扉数の違いはホームドア整備するには

どうにもマイナスになってしまうのは否めない実情がある。

もはや時代は、郷愁がとかのんびりしたことを言っていられなくなってきているのだろうか。


そんな時代の変化が、いよいよ高尾以東の東京都内から3扉車淘汰の区切りを迎えた。

長いこと見慣れてきた「立川」の行き先表示も、いよいよ見納めである。

そんな中で、この211系横須賀色との組み合わせは僅かな機会のみのレアなシーンだった。


そして八王子から豊田、日野と停車し…


18:53、立川に到着。


横須賀色運用入りの報が入ると、ここのところの人の多さがさらに膨れ上がる。

それとなく話には聞いていたが、その多さはちょっと想像を超えていたと告白しておく。


それでも、まだこのあたりはおとなしい方だった、ということも。


いずれにしても、日常で立川駅を使う身としてはなんとも不思議な雰囲気だったけどね。

それでも通常は到着から3分ほどで、車内点検後閉扉して東京方の引上線に回送されていく。


M電が東京方の引上線に回送される姿は、かつては一日通して見られた光景だった。

しかし、最末期の朝の立川6:55始発大月行き1453Mは豊田→立川間回送で5番線直接折り返し。

同じく小淵沢発立川行き526Mも4番線着後直接折り返しで回送豊田入庫だった為、引上線を介して

折り返す定期列車はこの544〜547Mが最後かつ唯一となってしまっていた。


この日は中央快速線に遅延が生じており、5番線への入線は19:27頃。

寒い中入線を待っていたのは自分含め僅かだったが、結構厳しいものがあった。


平日のみ4番線には立川19:33始発快速東京行きが居たため、編成記録は著しく困難であった。

ちなみに18:53に4番線に到着した時にもほどなくして5番線に入線してきたり、かつラッシュ時には

ダイヤ乱れが多く発生することもあり、満足いく記録は運次第に依る部分があっただろうか。


とにかく絶妙に記録しづらい時間帯に最後に残ったのが、このM電のラストシーンであった。


かつてはブロワー音を響かせて、115系が発車を待っていた。

JR化後、5番線(当初は6番線)の発車メロディに使われていたのは宗次郎作曲の「清流」。

確か最後のほうをカットして、時間によっては数回繰り返されていた記憶がある。

以降「線路の彼方」〜現在のIKSTと言われるシリーズに変わったが、自分はこの曲の思い出が強い。

自分にとって、上野原の祖父母の家に向かう時、乗り鉄の旅立ちの原点と言ってもいい。


そんなことを懐かしく思い出し、発車をただ見送るつもりが…

この日、ハタと気付き4番線側へ移動!


ほんの僅かな遅延のタイミングを察知し、始発東京行き発車後の4番線側からギリギリ編成を捕捉!

すぐに列車が動き出し、僅か十数秒の記録に終わった。


走り去る姿を流して、これで記録を終了。

これで、横須賀色を立川〜高尾間で記録するのは最後になるかと思っていたが…

さまざま動きを広げていく中で、あと一回、その機会が巡ってくることになる。

ダイヤ改正からそろそろ一週間。

ロスもあるけど、目に見えて疲れが出始めている。

こういう部分のリスクは、年々月々増してきている気がする。


2月20日金曜日、朝の豊田駅。

朝のカフェの時間を削って、出庫を見ることも増えた。

出庫してくるまで、どの編成が入ってくるか最後でよくわからなかったのもあったのだが。


朝の豊田発はかつては甲府行きだったが、最後のほうは大月止まりになっていた。

近年は大月を境に系統分割するパターンも増えてきており、時代の変化を実感する。

14日からの新ダイヤでは、大月始発甲府行き3本、松本行き2本、韮崎・小淵沢・長野行き各1本が

設定されており、現在の中央東線普通列車最長運用は大月〜長野間1往復(441・446M)となる。


211系の運転台は、205系に続き電気指令式ブレーキを採用し足元が広く取られた。

この構造の大概は213系やJR東海311系・JR東日本719系・JR四国6000系にも受け継がれている。


正直なところ、長野に転属してからの紺地の普通字幕はあまり好きにはなれなかった。

N322編成のように、何故か残った旧来の白地の方が好ましい国鉄世代の端くれなのである。


朝のラッシュ時間帯とはいえ、豊田始発の下りはその喧騒とは遠かった。


そして8:08、若干の乗り継ぎ客を取り込み、大月へ短い旅に出ていく。

これが朝の豊田駅の日常であった。


…そしてその日の夜。

石老山…とは?

仕事を終えたその足で、久しぶりに都県境を越えて相模湖まで足を伸ばしたのである。

そこまでして迎えたかったのは…


18:17。


2番線にやってきたのは、横須賀色N608編成。

列車番号544M、この日夕方唯一の上り普通立川行きであった。


この特急待避の停車時間が、貴重なリバイバルカラー編成の非公式撮影会に。

かくいう自分も、ここでこのカラーを撮るのは11年ぶりとなった。


しかも、平日夜のため撮影者はほとんど居なかった。

それだけに、下りホーム東京方に三脚を立てて撮影していた輩が居たのを見逃していなかった。

一応駅員に通報したが、点字ブロック内側を大きく離れていたためお咎め無し扱いだったのである。

そんな厚意に気をよくして、他駅でも繰り返すのは厳に謹んで欲しいものなのだが。


それでも、終始静かな構内だったのはまだ救いだった。

そして、花粉がピークにかかる前だったのも個人的には都合が良かったのである。


そして2番線へ。

待避中、かつての115系はドア半自動扱い→手動開閉であった。

現在の211系はボタン開閉である。

もっとも、211・E233系化により相模湖以西は待避あるなしに拘らず通年半自動化された。


しばらく、静寂が相模湖駅を包んでいたが…


それを打ち破り、E353系「あずさ46号」が通過した。


それにしても、こんな静かな駅だっただろうか?

かつて仕事でも何度か赴いているが、やけに寂しさが際立つこの日の訪問であった。

そしてこの日も、リバイバルカラーのこの編成に身を委ねてまた東に向かうことになる。

3月13日、長い歴史に一区切りが打たれた。


中央線M電、立川〜高尾間乗り入れ運用廃止。

かねてからいつ終わってもおかしくないと踏んで、仕事の行き帰りなどに見てきた。

気が向いたらちょいちょい乗りもしたし、記録もしてきた。

それだけに最後は、極めて穏やかに、寧ろ冷ややかな程の静かな気持ちで見送るつもりだった。

日常のすぐ側にあったものだから、そんなものかというくらいだったのだ。

それは、11年前の115系引退の時にさんざん懲りて不愉快な気持ちになっていたからだ。

やっぱり、いざ終わりになると騒ぎ出す一部の蛮行は一生かかっても理解できないのであろう。


それは、ただ日常のままだったらここまでにはならなかったのだろう。

そう、1編成だけ色を変えたりしなかったなら。

2月11日水曜日。

祝日であるが、仕事を済ませたその足で豊田駅に向かっていた。

今回のダイヤ改正で同時に見納めになった、豊田始発である。


幾度も朝に夕に撮ってきたが、この日は少しばかり様相が違った。

この日の豊田18:04発447M・普通松本行きにN608編成「復刻横須賀色」が運用に入ったのである。


それもあって、普段は比較的静かな(とはいえ、運用終了が近づくにつれ少し撮影者は増えてたが)

豊田駅だったが、この編成が入ってくると明らかに撮影者が増えてくるようになったのである。


あと多かったのは、2月6日に運用に入っていたN322編成。

前面の「普通」表示が白ベースのままの異端編成であったが。


東海道線や宇都宮・高崎線時代はきわめて“普通”だったことも、もう普通じゃないんだなと。

周囲のある意味想定外の熱量に、ジェネレーションギャップを感じることが増えてきた昨今?


…かくいう自分も、1月に帯色変更がなされて以来初めてのN608編成撮影となった。

もはや115系のような塗装は望むべくもない、望むならしなの鉄道に行けという状況になってたから

懐かしさ、郷愁を感じるのはその2色の帯色“だけ”なのであるが…

それでも11年前以来の豊田界隈での邂逅は、ほんの少しだけ胸が熱くなってきていた。

それくらい、2015年までは極めて日常の、かつ伝統かつ思い出のカラーリングだったからである。


まぁ、それでもこの日はまだ静かなほうだった。

豊田駅はね。


特に、豊田始発ができたのはJR化から相当後。

いつの間にか知らぬうちにできていたから、立川発着に比べると違和感が拭いきれぬままだった。

この豊田4番線でこの色を撮るのも、回送やさよなら列車など数えるほどだったのである。


そして、松本行きという行き先も快速線内からついに消滅。

全て高尾発着に統一され、個人的に一つの時代が終わったなと感じさせることであった。

かつては立川発着も多数設定され、身近に一番遠くへ行く憧れの行き先表示だったのであるが。


ただ、帯色が変更されたN608編成は(トイレ付近以外)オールロングシートの2000番台。

車内を見ると、大月以西に乗り通していくには“ハズレ”と言ってもよかった。

もっともそれは、令和の今の時代からしたら、昭和生まれ特有の“時代遅れ”の感覚なのかもしれない。

そのことは後々、八高線や釜石線を訪ね歩くにあたっても、色々感じることになっていく。


とにかく、懐かしいツートンカラーに群がる人は多い。

しかしそれは、115系時代を知らない人が一定数居ることを踏まえないと一概に語れない。

そのあたりのジェネレーションギャップが、リバイバルカラーの周りには散見されるのである。


ということで、この日は乗って八王子へ。


時間は余裕があったので、もう少し乗って行こうかなとも考えていた。

可能だったら上野原まで。

上野原までが自分にとって、一番馴染み深い区間だからだった。


しかしそもそも、それは115系か201系が居た頃のこと。

211系だとやっぱり感覚が違う。

それでいてオールロングシートだと、なんとも違和感が拭いきれなかった。

そして八王子で、心が折れた事案を目の当たりにした。


この日、最後尾には後ろだというのをいいことに点字ブロックをはみ出し撮影する輩が。

それもいい歳して、再三の注意も無視して。

相変わらず自分のファインダーの範囲内は正義、というのを標榜する為体。

その悪態蛮行にほとほとうんざりして、この日の追跡記録を打ち切った。

こういう場面に出くわすと、どうにもモチベーションが下がる。


以来、仕事で豊田駅を訪れても撮影する機会は少なくなった。

13日にはあるポイントを試すものの、失敗したりもしている。


そして、朝の発車に近い時間に降りても朝食を優先することが増えて行った。

(日野中線〜)豊田〜高尾間で出入庫回送が残ることもモチベーションダウンに影響していた。


2月18日水曜日

運行終了まで、あと1ヶ月。


どうしよう、何かしようか?


そうは頭を巡らすのだが、なかなか気持ちが上がらない。

そうこうしているうちに、そのほかの動きが大きくなってきていた。

次なる布石は、既に始まっている。
東急9000系、移籍続く。

昨年11月12〜14日にも9005Fと9012Fが甲種輸送されていたが、昨日には9010Fが八王子へ。

小田急8000形の廃車が中々進まない中で、こちらは早くも5本目が輸送されている。

この内東急テクノシステムで改造されていた9005Fが7104Fに、西武武蔵丘車両検修場で9003Fが
7102Fに改造・改番の上出場、現在車両基地内で調整が行われている。
そろそろ本格的に本線試運転や多摩川線への移動など、動きが見えてきそうなのだが。


昨日。

長津田から八王子まで輸送された9010Fは、未改造のまま搬出されていた。


駅南側には、構内入換のHD300-7とともに待機。


14日からワンマン運転が始まった横浜線との並び。

1年前の南武線のそれと比べると、比較的スムーズに始まっているようである。


そして、今日は6本目となる9007Fが出場との知らせが。

今日はわりと時間があったので、仕事帰りに片倉に行ってみたが…

残念ながらこのセレクトは失敗に終わる。


①東神奈川行きに被った!


そういや先日のマニ50出場の時もそんな記述がどっかにあったが、思い出したのは迎撃後。


辛うじて後追いをそれとなく流すのみ。

しかも、暖かくて感覚が鈍ったが


②まだ3月も半ばじゃないかよ。


日もまだ長くないし、しかも曇ってたし。

昨年の輸送の時とほぼ同じダイヤなのに、なにしてんだか自分。

やれやれと思いながら八王子に戻る。


八王子に戻ると、既に牽引してきたDD200は切り離されていた。


9007Fは9005Fと同様に、東急テクノシステムであらかた改造が施工された。

前面は新しいスカートが装備され、側面に乗降監視カメラとドア開閉ボタンが増設された。

この他、VVVF装置など一部の床下機器が交換されている。


未改造車と違うのは、側面の社章と車号プレートが取り外されている点。

しかし、車体帯と路線ステッカーはそのまま存置されているのはこれまでと変わらない。


そして、速やかにHD300にスイッチされて入換開始。

外に出てみると、高尾方から押し込まれているところだった。


今回も、先に到着していた編成よりも1線北側に押し込み。


このあたりの入換は実にスピーディー、八王子駅構内でもはや伝統の所作である。


束の間の2編成の並び。


かつては幾度も大井町線で見られた並び、今の帯色装備で並ぶ姿はこれが最後である。

特に9007Fは大井町線生え抜きとして、およそ38年間、実直に走り続けてきた。


そしてここで、9007Fに動きが。


クハ9107に、反射板が取り付けられた。

八王子から川崎貨物までは編成最後尾となるための措置である。

さらにはドアが開けられ、留置にあたっての点検も行われていたようだ。


八王子機関区跡に整備されたコインパーキングから、初のカット。


こんなカットも撮れるようになったかと感慨もひとしおだったが、邪魔にならないように留意。


すっかり夜の帷が降りて、一時の静寂。

実際にはちょいちょい撮り鉄が構えていたが、今回は比較的穏やかであった。


自動空気ブレーキ管引き通しのため、せっかく取り付けた新しいスカートも半分取り外し。

そんなクハ9007の不思議な表情を、車止め付近からクローズアップ。

明日2編成は連結され、共に川崎貨物駅経由で方向転換の上新秋津に送られることになる。



次は西武線上で会おう!


そして、小田急電鉄ではここにきて新5000形の増備が再開されている。

これまで川崎車両とJ-TREC横浜で製造されていたところ、最近は日本車両から出場している様子。

これが続くと、8000形も廃車が再開→西武鉄道譲渡も再開となるのだろうか?

2026年度も西武鉄道界隈は色々動きが活発…特に今後諸々気にする機会が増えそうである。


…8000形、ね。

こっちも色々と…

(某月某日、某所にて)

これからも、江ノ電への愛着は止まらない…


2月21日記録最後。
まだまだ鵠沼で定点観測。
さながら“闘争”のような、今までに無かった対峙。

今度は2003F+1201F。

正調江ノ電新標準色のペアである。


何故1201Fだけ方向幕が残ったのか、今にしてみるとよく分からない。

それでも、その1編成の存在が絶妙なモチベーション維持になっているから面白い。


そして、ちょいちょい変わる塗装も。

今月からは1101Fが「ONEPIECE電車」に衣替えしていて、なんかウズウズしているw


まずは、真っ先に消えそうな1001・1002Fを後悔ないように撮り尽くさないとね。


その過程で、鵠沼に訪れるのは必然だったのだろうと今となれば理解できるのである。

寧ろ、何で今まで行ったことが無かったのか不思議ではあるのだけど。


行って初めて気づいたけど、鎌倉行きの後追いもそれなりに絵になる。


この分だと、まだまだ面白い場所たくさんありそうだなぁ。

最初に本で見たところとか、巡ってみたいポイントがワンサカある。


そして、305Fを迎撃!


角度を変えると、改めていい個体だと強く認識。

走っているなら、惜しみなく記録していかないとね。


と、ここで乗っていこう!と線路沿いを駆け出したが…


目前でドアが閉まり、ゲームオーバー。

鵠沼駅の階段に足が鈍り、つい1回シャッターを切ったのが誤算だった。

橋での撮影からそのまま乗車は、歳の絡みもあるがなかなかハードルが高いと痛感。


ただ鎌倉行きは乗れたので、一度江ノ島に行き折り返すことに。


この日のラストランナーは、1500形の重連だった。


そして、鵠沼の交換でそれとなく305Fを見て…


藤沢で下車。

12:03から15:48と、4時間も滞在していなかったが…

それでも濃い記録ができて、満足した一日だった。


次に記録に行くとしたら、700形が運転を開始してからか?

それとも1000形の引退計画が明るみになってからかな??

いずれにせよ、まだしばらく情報を注視し続けておきたい。