たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

毎度、当ブログをご覧いただきありがとうございます。

当ブログの写真の二次使用をしたい場合は、事前にお知らせください。

無断での使用はご遠慮願います


ペタは、廃止させていただきました。

255系ばかりじゃ飽きるっていうことで、唐突(かつ定期的)に始めた過去データ発掘。

その結果ピックアップを始めたのは、最近カラーデザインが変更されたE259系。

やはり旧デザインを10年以上見慣れているから、喪失感は大きくなる一方…


と、夏の終わりに向けたデータ発掘の過程上、またまた古の写真が雑フォルダから見つかった。

だいたいこういうのを始めると、後から違う写真が見つかってくるw

今回見つかったのは、高尾駅イベントより約1年後。


2010年9月22日水曜日、国分寺にて

この日は、元職を辞めてから1週間、八王子界隈で撮り鉄をしていたみたいである。

その途中に、何故か国分寺、それも真っ昼間にE259系が中央線を走行。

なんかの試運転だったのだろうか?

あまりに急に現れて、急いで撮った様子は見受けられるが。

2014年から運転を開始した河口湖発着は(たぶん)中央線内では撮っておらず、日中時間帯に

走行するシーンを収めたのはこの時が最初で最後だったようである。


2019年2月8日金曜日、三鷹にて

いきなりドーンとN'EXロゴの写真がw

Twitterを見直してみると、高円寺にある「ヴァル研究所」で鉄道落語会を観た帰りのようだ。


帰りの快速電車が、待避したからこそつい撮った写真。

このカットも、253系時代に1回、このE259系でもこの1回きり。

しかも、中央線内で乗ったことは結局無いままだった。


2020年2月14日金曜日、熱海にて

そしていよいよ、記録は飛び越えて静岡県内までやってくる。

この日、251系スーパービュー踊り子の記録で熱海界隈に足を伸ばした折のこと。

たまたま運転されていた「マリンエクスプレス踊り子」を迎撃していた。

これが、成田エクスプレス以外での運用列車の初捕捉。

塗装は変わらなかったが、特製マークを添え1日1往復を東京〜伊豆急下田間で運行していた。

何故この時熱海で迎撃しようとしたのか記憶が無いのだが、今にしてみれば貴重だ。


2020年2月17日月曜日、武蔵小杉にて

その251系の記録に加速がつくにつれて、215系やE259系の記録も増えてくる。

もっとも、ウォーミングアップを兼ねたものだったのだろうが…

成田空港行きの記録をできたのも、とても大きなものとなった。


2020年2月18日火曜日、戸塚にて

「マリンエクスプレス踊り子」を巡っては、まだまだ記録がある。

この日の最初は、何故か戸塚で東海道線上りを走る姿が。

東京への送り込み回送だったのだろうか?

 

そして時間が下って、またまた熱海で迎撃。

 

伊豆急行8000系の並びも、一時期は日常に近いものがあったのだろう。

 

結局乗る対象にはなり得なかったのは、今にして思えば残念。

もっともこの頃はまだ、地元を除くと乗り鉄まで気持ちが回らなかった部分が多かったなと…


2020年3月2日月曜日、東京にて

そして極めつけは、東海道線東京駅の地上ホームでも。

9番線で発車を待つシーンは、この時のみの記録である。

15両編成が停車できるホームに6両は短いが、原色塗装の故か風格は備わっていた。


2020年3月5日木曜日、伊豆急下田にて

そして最後は、伊豆急下田での185系・251系とのJR3系列並び。

 

富士急行線河口湖での183・189系と共に、華やかな伊豆特急揃い踏み。

但しこの並びは、この年の3月8日まで。

「マリンエクスプレス踊り子」は、251系に先立って伊豆から姿を消した。

 

その終わりは、251系がE261系「サフィール踊り子」にバトンを渡したのと比べると、極めて

静かかつあっさりと幕を引いてしまい、当時の世情を鑑みても寂しい最期となった。

 

伊豆急行線内を走ったのは7年余り。

富士急行線と比べるとまだ長いが、改めて年数を調べると思ったよりは短くも感じる。

それでも、間違いなく伊豆特急の歴史にインパクトを残す走りを遺したと言えるだろう。


2019年11月12日火曜日


2020年4月19日日曜日、どちらも代々木にて

あの日から、黒やロゴだった部分は銀色に塗り変わったが…

E259系の走りは、まだまだ続いていく。

この代々木でも、引き続きその走りは毎日見ることができる。


まだまだデザインにしっくりきていないのは、偽らざる本音。

だからと言って、居住性が改悪されたわけでも、利便性も損なわれたわけでもない。

これまでと遜色のない走りの積み重ねを、これからも期待しておきたい。

梅雨も明けて、晴れるのはいいが


暑すぎ!!


昨日は、朝9時の時点で35℃を優に超えた。

これじゃ、どこにも旅をしたい欲なんぞ起きもしない。


…ブログもなかなか書く気が起きない。


しばらくは過去のデータ掘り直しをコツコツやっておこうかな。

割合、集中記録しておきながら出していないネタがまだたくさんあるからね。

その過程で新たに見つかってくるものもあるのがまた面白いし、頭を抱えるけどね。


  じわじわ引き伸ばし画策中。

6月10日の続き。

「わかしお16号」が発車すると、今度はホーム越しに255系と並ぶ光景が。


日常の当たり前過ぎた光景も、見られなくなって3週間が経とうとしている。


この頃には、少しずつ撮影する人が増えてきていた。


17:03、回送が東京に向けて発車。


この頃には、少し引いて俯瞰気味に撮ることも。

こうすることで、現実をしっかり見渡すことができる。


この日は255系を見守る周囲も比較的穏やかで、和やかに会話を交わしながら撮影。


後続の京葉線でも、まだまだ穏やかだった。

この時は、前の子にここから255系が見れるよと声を掛けたんだと思う。


そして、千葉みなとでまた途中下車。


最後までゆっくりと編成を撮れた、夕方の出庫回送途上の千葉みなと駅。

この恩恵を活用できた人は、今回果たしてどれだけ居たのだろうか?

少ないヒントから、ダイヤのカラクリと答えを導き出せた人だけが辿り着けた場所。

自分以外にも割と情報が出なかったのは、今にしてみれば良かったなと。


ともかく、静かな雰囲気でゆっくり眺められる時間が取れたのは良かったかなと。


ただ、ゆっくり見れることは細かく現状を見れることでもある。


錆の吹き出した車体を具に眺めるにつけ、走行環境の厳しい線区の現状を憂う。

既に最後の普通鋼製車ともなり、その疲弊ぶりはより分かりやすく身に迫っていた。

検査出場からさして日が経っていないBe-03編成ですら、その状況は厳しくなっていたのだ。


そんな現実に居た堪れなさを感じ、次第に千葉みなと駅の滞在時間は短くなっていく。

まぁ、それだけ撮影を早い段階で尽くしたから、というのもあるが…


そして、遅くなった日没時間を睨んで、新たな撮影ポイントも模索する。

ただ、この日に関しては、

日没云々に全く関係ない、地下駅の越中島で締め。


開業から34年。

すっかり燻んだ感の強い越中島駅の構内を、前照灯フル点灯で通過していく。

地下駅を颯爽と走り去る姿は、3月ダイヤ改正前の総武快速線同様京葉線でも日常だった。


…それは8月・9月に運転予定の臨時特急で、いよいよ歴史に一区切り付くこととなっていく。

それに向けて、いよいよ記録も更に加速をつけていくことになる。

一昨日、トップナンバーを含むBe-01編成が郡山に向けて廃車回送された。

5月6日に館山→新宿間で乗車したのが、乗り鉄としては最後の乗車記録。


それ以降も、とかく255系は走りながらだと編成番号が確認しづらいのだが、調べ直してみると

少なくとも6月7日までは運用に入っているところを確認できている。

本来なら3月改正以降ゆっくり身体を休めきっているところだったのが、廃車回送ギリギリまで

代走にフル回転して務めを果たしたのだから、本当に本当にご苦労さんと言ってあげたい。


  ここではまだ、6月10日の続き…


追いかけ、追いつき、追い越しのデットヒートを続ける平日夕方の総武線。

一度は抜き去った255系に、幕張でまた追いつかれ…

…かけるが、


また引き離す!


255系はここで一旦停車するため、ここで引き離しに成功!

全くもう、ドキドキさせよってからに♪笑


結局、先回りを仕掛け、出迎えた場所は…

稲毛。


この快速線ホーム東京寄りで、迎撃を仕掛けた!


緩行線ホームの先端とはズレがあるし、東京行きとも被るのは予測がついていたので…

ここでE235系との共演をバッチリ捕捉!


ここで淀みなく捉えられたことが、もう少しの動きを後押しする。


そして、またまた蘇我へ。

255系を記録するためには、半ば避けて通ることは不可能な場所。


ここで待つのは、


17:00発「わかしお16号」東京行き。


3番線から撮るのを目的に、敢えて狙ったが…


到着と同時に京葉線も入線し、僅かなタイミングで終了!

コンマ数秒の絶妙なラインで記録!


そして…


粛々と発車を見送る。


E235系と同時発車・並走の記録もそれとなく。


すっかり馴染みとなったE233系との並びも、角度を変えるとまた目新しく見える。

目新しい視点を追い求めて、まだまだ追い続けていく。

その記録は、日に日に重みを増していき…

今から14年前の昨日、2010年7月17日は京成電鉄の「成田スカイアクセス線」 開業の日。

スカイライナー3代目となるAE形がデビューし、新線内で最高速度160km/hを実現。

日暮里〜空港第2ビル間最短36分、20〜40分ヘッド高頻度運行で今なおエアポートアクセスの

一翼を担い続けているのは周知の通りである。


かたや、JR東日本の成田エクスプレスは、路線ネットワークを駆使して運行範囲を拡大。

大宮や高尾などへと足を伸ばしつつ、乗り換えなしの利便性に強みを持ち続けている。

こちらも最短30分ヘッドと高頻度運行を続けてきたのと、京成電鉄との競争力維持を睨んだのか

早くも2009年度には、2代目となる新型車両が企図された。

それが今回取り上げる、E259系である。


…何故、急に取り上げる気になったか?

それは、255系ばかりだと飽きるからであるw

(読んでいる方も、書いているこちらも)


車体塗装は、それまでの253系で培われたブランドイメージである赤・白・黒を踏襲しつつ…

前面貫通扉にも「N'EX」のロゴを大胆に配するなど、より空港特急に特化したデザインに…


…なっていたのだが、今年3月ダイヤ改正から東京〜銚子間の「しおさい」への運用拡大に伴い

一部塗装とロゴの「SERIES259」への変更が昨年から今年にかけて行われた。

運用範囲が拡大するのは別にいいとしても、これまで「マリンエクスプレス踊り子」に運用して

いた時には手をつけてこなかったデザイン変更を実行したのは、どんな思惑があったのか?

誤乗防止の観点も理解はできるが、あれだけ頑なに、30年以上も守ってきたブランドイメージを

あっさり捨て去ってしまったのは、如何なものなのだろうか?

釈然としない思いを抱きながら、最近は255系を記録しつつ横で眺める日々を送っていた。


…とりあえず、まだE259系は走り続けるわけだし。

イメージチェンジを一区切りと捉え、あまり多くなかった記録から記憶を振り返ってみたい。

そう遠くないうちに、銚子に行く時に乗る機会もあるだろうしね。


2009年9月26日土曜日、高尾駅にて

実際に初遭遇したのは、ここから更に遡ること約2週間前の品川駅だったらしいが…

仕事で外回り中だったのだろうかデジカメを携行しておらず、写メで遠目に記録していたのみ。


そしてこの9月26日は営業運転開始前に、高尾駅の電留線で行われた展示イベントへ。

もっとも、この時も仕事の見回りついでで、構内に入ってはいなかったようである。

そもそも、このイベントが仕事の担当の一部で関わったんじゃなかったかと記憶しているが。


2009年10月4日日曜日、品川にて

E259系は、同年10月1日から順次営業運転を開始。

翌年6月にかけて、全ての253系を置き換えていく。

この日は画角からして、京急線の車内から咄嗟に撮影していたようだ。


日付からして、既に運用を開始した列車だと思うのだが…

そもそも、なぜ京急に乗って移動していたのか、ということが全く思い出せない。

翌年初めには物議を醸しつつ京浜東北線から引退していく209系など、貴重なシーンなのだが。

何故かこの頃は、ブログにも言及が無い時期…仕事が諸々しんどかったからだろうか。


2010年3月30日火曜日、武蔵小杉にて

この頃は、年明け早々に転勤辞令を受け、更に社内トラブルのとばっちりで夜勤専従の頃。

この日は夜勤明けですぐに現場対応に入り、その後東京駅で朝食。

その後、開業したばかりの横須賀線武蔵小杉駅に赴き、暫く集中的に記録したようである。

当時は253系を撮っておきたかった気持ちも、どこかにあったかもしれない。

だが、これはこれで、今にしてみればなかなか貴重な機会だったのかもと思い直す。

この時には215系も多く記録し、結果的には良いことづくめの記録行脚となっていった。

しかも現在では、下り線左側にホーム増設が成って全く違う風景に変貌している。

改札も綱島口が増設されたり、変化発展が著しい武蔵小杉駅。

当時は何故こんな場所に…寒いけどトイレが少なく(遠く)て不便…などと思っていたようだが

今となっては、新設されたことで迂回の自由度が増して良い結果になっていると思う。

東海道線輸送障害時には川崎駅の代わりとしても機能する、中核駅の一つとなった。


2010年12月24日金曜日、国立にて

2010年のクリスマスイブ。

この日は夜も明けきらぬうちから始動。

その際に成田空港行き列車を迎撃した折のもの。

中央線内の走行は早朝か深夜のみであったため、253系時代を含め記録数は非常に少ない。

最終的には仕事に向かったようだが、この後に253系の撮影に出向いている。

東急車輌に入場していた編成が出場し、長野電鉄に向けて譲渡のため甲種輸送されたからだ。

結果として、この日が中央線内で253系とE259系を同じ日に記録した唯一のことである。

なお、253系の改造入場もこの年の7月に立川駅で記録していたりする。


…その後は暫く、千葉界隈に赴くことはあっても

このくらいしか遭遇機は無かった。


2013年5月25日土曜日、大宮総合車両センターにて

それからおよそ2年と少し後。

この間、京葉線方面とかに多く足を運んでいた割には、E259系を撮る機会は無かった。

ようやく機会が訪れたのは、初の重要部検査が始まった頃だったみたいである。


普段なら走行エリア的に並びそうで並ばなかったであろう、今は亡き205系500番台との並び。

大宮総合車両センターの一般公開でのみ見られた、貴重なツーショットである。


2014年11月9日土曜日、富士急電車修理工場にて

そしてここから、一気に飛んで山梨県内での記録に移る。

しかも場所は、当時は富士急行線と呼ばれていたが、その電車修理工場内からのカットである。

この2014年の夏、7月26日から土休日に限って新宿発着1往復を河口湖へ延長運転。

当初は9月28日までの予定が、11月30日までの土休日も期間延長中だった。

富士急行線内は「フジサン特急」のダイヤを使用しての運転となっていた。


ともかくこの列車の利用が好調だったため、2015年3月以降は土休日のみ通年運転化。

2019年3月ダイヤ改正で、定期特急「富士回遊」の新設に伴い設定休止となった。

中央線内を日中に走る稀有な運用でもあっだが、当時はどういうわけか撮る意欲はなく…

イベントついでに富士急行線内で記録したものが、僅かに残るのみである。


河口湖にて

成田エクスプレスそのものは海外からの旅行客からも好評で、一時は30%が海外客を占めるほど

好調であったと伝わるが、鉄道ファン的には河口湖駅で183・189系と並ぶ姿が胸熱に。


入換作業も間近に眺められたことは、今にしてみれば大変貴重なものだった。


2016年11月12日土曜日、富士山にて

そして2年後。

再び富士急電車まつりに訪問しているが。

どういうわけか、ブログやTwitterなどに詳細を書き残していない。


ただこの時は、残る写真を見たところでは富士山→河口湖間で乗車していたようである。


河口湖にて

この時は新旧あずさ色との並びが、束の間河口湖駅で見られたのだった。

そんな風景も、183・189系が引退した2018年春で見られなくなっている。


2018年10月10日水曜日、日野にて

この時は、東急電鉄2020・6020系の甲種輸送を撮影した折に偶然。

全く記憶になかったが、探し直してみると何の気なしに撮っていた写真があったりする。

こういうのがあるから、記録をしっかり残すって大事!

また先人の金言を思い返して、次の機会を逃さないように準備を怠らないのである。

まぁしかし、日に日に動いておいて良かったなと実感が大きくなってくる。

切羽詰まらないと動けない人の、なんと多いことか!


  この穏やかさは、もう幻なのか

6月10日は、外房線にさらに進撃を図っていた。

上総一ノ宮で迎撃を果たし、さらに知恵を絞って…

待合室以外、全く屋根の無いホーム。

近代的な高架駅・茂原からさらに東京寄りに1駅…名前感が全く逆な「新茂原」へ。

京葉線へ直通するE233系が日常的に乗り入れるが、まるで想像つかないローカル感。

そんなローカル感たっぷりの小駅を、颯爽と…


14:51。


「わかしお9号」通過。


ちょうど京葉線直通が発車してしまったが、思ったより広く見通しの良いホーム端が幸いに。


線形も申し分なく、高い速度を維持してあっという間に通過していった。


一時のような気の迷いもだいぶ薄れ、うまい具合に記録が捗る。

だが、こんな時に運転本数故に効率よく撮りに回れないのがジレンマではあるけども。


それにしても、少し場所を変えるとグッとローカル感が増すのが外房線の魅力。

この日以降、更に踏み込んで記録に巡っていく。


…そしてまた、幕張本郷に戻り。


出庫間近の255系の様子を、遠目に。


日によって留置の場所が違っていたりして、なかなか難解な動きに終始していた。


半ばぶっつけの体で、記録に注力する毎回であったが…

その全容を解明するまでには、遂に至ることはなかった。


16:17、幕張に向けて移動開始。


この時も、急に動き出して慌てて後追いした記憶がある。

千葉行きの総武緩行線に乗って動き出すと…


出入庫線を低速で走るところを追い越した。

この日は、もう少し先行して距離を稼ぐ!

この三連休は、いつにも増して鉄分が薄かったと思う。


一昨日はピアノフリーコンサートに中学同窓生との飲み。

昨日はスーパー銭湯での休養を考えていたが、シャトルバス混雑で断念。

結局地元に戻り半日は自宅で休養、と相成ったのであった。


昨日唯一の鉄分。


そして、今日は仕事だったのだが…

幸いにして9:30に解放。

それもあり、たまたま接近を感知したためにこちらを待ってみる。

9:48、西国分寺駅。


伊豆急行「THE ROYAL EXPRESS」北海道内運行甲種輸送。

電源車のマニ50 2186と共に、計6両が手稲に向けて輸送。

すっかり夏の恒例行事になってきた感があるが、甲種輸送の撮影は今回が初。


マニ50 2186も、京葉線205系の廃車配給輸送と、東急電鉄譲渡の際に撮った程度である。


「リゾートエクスプレスゆう」用としては、ほとんど想定された運用は無かったが…

配給輸送のアダプタ役としていぶし銀の活躍を見せ、そしてようやく想定本来の使われ方に。

その機会はきわめて限られたものではあるが、それでも必要な存在として残るのは頼もしい。


いってらっしゃい、北海道へ…


むむっ!


絶妙に到着電車が4番線に来て、後追いは撮れず…残念。


…さて続けて向かったのは、の前に…

常磐線三河島駅へ。


今日は、185系B6編成によるクラブツーリズム主催による団臨が運転されていた。

大宮を起点に東北貨物線、新金貨物線、武蔵野線などを巡って品川へ。

それに友達が乗っているとの話を聞いていたが…


常磐線、人身事故で大遅延!


そのために団臨も、田端信号場で抑止となってしまった。

ほんの7分ほどの停車予定が、何と1時間半程度も停車していたようである。


ただ、こちらにとっては、それは怪我の功名でもあった。

間に合うはずがなかったものが、迎撃できることになったからである。

更に11時前から少しずつ常磐線は(先で抑止の可能性有、の条件付ながら)運転を再開し始め…

この恩恵で、こちらも予定外に三河島駅まで先回りすることに成功したのだ。


たが、深入りしてしまうと、後の予定に響きかねないとの懸念も大きく…

結局、誰も同目的がいない三河島でそのまま待つこと、およそ40分!

11:39頃。


ようやく勾配を駆け上がって、下り本線へ合流していく185系B6編成に再会。

なお、友達は前面展望を記録しつつ、こちらの存在を認めたそうであるw


人身事故によるダイヤ乱れは、予想以上に各方面へ影響を及ぼしたが…

その後は、来た電車に再度乗り、1駅戻っていって…


日暮里駅前のイベント広場で開催されていた


にっぽりトレインフェス2024


へ顔出し。


久しぶりのツーショット。

豊岡真澄ちゃんと濱崎勝明さん。

自分の鉄活に欠かせないお二人の揃い踏みが、久々に実現した。


今回はトークショーは無かったものの、グッズ販売を中心に穏やかな雰囲気。

この連休は、久しぶりな方々の元気な姿に元気を貰えた休みになった。


合間には、日暮里駅の陸橋でE8系新幹線を初撮影。

12日から運転を開始したばかりのポケモンラッピング車、かつ単独走行の臨時つばさ87号!

友人からの情報提供、ありがたい限り!


勢いついて、帰りは秋葉原へ向かい…


「新宿さざなみ2号」の回送を撮り…


…。


最後の最後に、心証を害すことが。
結局自浄作用は、かなわないのか。
そのあれやこれやは、またいずれ。

つくづく、3月の終わりから4月、5月…

そして6月のあの頃、前のめりに記録を続けておいて良かったと思う。

ちょうどこの三連休、GW以来に「新宿さざなみ1・4号」が255系で運転中だが、今のところは

改めて記録・乗り鉄に動くことはないままで推移できているのは、この積み重ねあってこそ!


  遅い梅雨入りが、記録への勢いを増した


6月8日土曜日、新木場駅

…この頃は、隙さえあれば記録する、そのピークにかかっていた頃だったんだなと思う。

遅かった梅雨入りに、およそ半月の仕事の閑散期など、要因はいくつもあったが…

何より前向きに行く気持ちがあること、それは何のジャンルでも大事なことである。

この日は午前に新宿で映画上映会。

午後は15時から墨田のいつもの場所。

その合間にわざわざ新木場駅まで赴いていって「わかしお12号」を迎撃。

今にして思えば、ただただ無謀な行脚であった。

しかも、時間の事情で折り返し「わかしお9号」すら待つことができなかった。


さらにこの時は、わざわざ東京側ホーム端に構えた。

一連記録のスタートである、3月7日の一発目がこの新木場駅・蘇我側からだったからである。


下りの迎撃は実は高校時代に既に実行済みだったことが、最近になり分かっているが…

東京行き上りをこうして見送るのは、初のことだと思われる。

京葉線が全線開通した頃、この場所で撮られた205系の後追いが乗り鉄欲を加速させた。


京葉線の初乗車は、全線開業から1ヶ月足らずの1990年4月8日。

武蔵野線・埼京線・川越線・八高線と共に、記念すべき初の足跡を記して以来34年が経った。


…続けて6月10日月曜日、総武緩行線新検見川駅。

あとはホームドアの本設を行うまでに整備を終えている新検見川駅。

実際に降りるのは、専門学校在学時以来実に約26年ぶりのこと。

鉄道絡みではなかったが、先輩宅に宿泊滞在して千葉市内を巡ったことがあり…

この時の集合が新検見川駅だったからだが、何故自分が行くことになったかは記憶がない。


そんな有縁の地で捉えたのは、幕張車両センターへの入庫回送。


10:49に通過したが、他に撮る人は誰もいなかった。


ここを通過すると、終着幕張まではもうすぐ。


四半世紀前、やはり夏の暑い日だったが…

今ほどはキツイ暑さではなく、前向きに二日間を走り切ったはずだ。

あの時一緒に戦った当地出身の先輩は、今どうされているのだろう?


さてこの日、ここからは動きに動いて

上総一ノ宮へ!


4月3日の訪問時は結局到着を待たずに茂原に戻っているので、改めて腰を据え直す。


40分ほどの待ち時間をホームで潰し…

12:33、ほぼぶっつけ本番で「わかしお12号」到着を迎撃!


上総一ノ宮駅は単線区間の終わり。

そんな線路条件をものともせず、定刻で滑り込んできた。


2番線には、京葉線から直通してきたE233系との並びが。

かつて、201系や205系が主力だった頃に来ておきたかったものだが。


そんな感慨は、わずか1分の停車しかなくあっという間に過ぎる。


2・3番ホームを早歩きしている間に、早くも列車は動き出し…

辛くも後追いを収め、見送る。

この日の午前中は、濃い曇り空ではあったが…

少し覗き始めた青空に気持ちを取り戻し、もう少しの記録を深めるべく思案を重ねていく。

たまには鉄分のない休日。


いや、厳密に言えば移動で乗ってますけど、趣味対象として全く鉄道と接していない。

たまにはそんな日もあっていい。

まぁ、仕事のある最近の平日も、ほとんどそんなもんですけど。


人には誰しもルーツがある。

こと鉄道でも色んなきっかけがあるが、人生そのものもね。

年齢を重ねてさまざま経験を積んで、時に苦しみもがきつつも前へ。

それを経て再会した喜びは、また格別。


今日は国立〜国分寺、半径5kmの行動。

当初想定よりも数十分の1、はたまた何百分の1にもなる小ささだが…

濃さは普段の鉄分と比して遜色ないどころか、遥かに濃い猛烈な生きざまの濃縮。

そのルーツがあってこその、今の自分が今ここにある。

それは誰がなんと言おうと揺るがない、絶対かつ唯一無二の根っこたるもの。


クラスが一緒になったことはなくても、




年齢が違っても、


同じ空間で過ごした日々は永遠。


なんだかんだあっても、やはりここに居たことは間違いないと思える。


それは現在進行形で、さまざまな場面での出会いも然り。

この歳になっても何かしら縁と刺激がある、なんて素晴らしいこの人生。

それらに毎日毎回感謝して、そして明日からも前を向く。


ハッキリ言って、日々相当に生きているだけでもしんどいけど…

誰かの苦しみに比べたら、まだまだ負けてらんねー。


30数年を経て発覚した“黒歴史”にも、

ぜっってぇぇに負けてらんねェ!!笑


今日はこれで良かった。

ありがたき、人の縁。

それはますます、これからも!

ここんところは、繋がり界隈にイベントやらトピックやらが多い。

それはとてもありがたいことではあるんだけど、時には時間や予算のやり繰りが…(汗)


  まだまだ記録は濃いめに。困難に負けず!

6月7日金曜日。

この日から3日間、新宿で映画監督の松本卓也氏の作品上映会が開催。

自分は7日、そして8日と連日足を運び…

これまで観ていなかった短編などの作品を鑑賞し、監督や出演俳優さんとの旧交を温めた。


…の前に、まず入庫回送。

を撮るつもりが…

幕張発車直後。

ん、


しまった!!


この日、朝から沿線火災だの非常停止、運転間隔調整だのと広がる遅延に翻弄。

微妙なダイヤのズレが、新検見川で迎撃しようとの思惑を木っ端微塵に砕いてしまった。

まだまだ千葉界隈、予測不能なハプニングが続いていく。


…そのあと新宿に踵を返し、上映会へ。

それで、十分満足してそのまま帰るのかと思いきや…

また逆に動いている。笑


まだ梅雨入りせず天気も良かったから、それを利用しない手は無かった。

午前の悔しさもあり、再度千葉県内に足を運んでいる。


それにしてもまぁ、なんかこの頃の自分は元気だったなぁ、とか。

(今も元気ですけど)


結局走りに走って、辿り着いた先は

約3ヶ月ぶりの西千葉!

ダイヤ改正前日にも訪れていたが、千葉駅3〜6番線に入線するためのアプローチ線を出庫回送が

通過するため、敢えての再訪問、そして迎撃となった次第。

あとここの線路を通過するのは、土休日の「新宿さざなみ1号」くらいである。

それをGWの乗車時に把握していて、再訪問再記録のタイミングを窺っていたのであった。


通過時間は下校ラッシュにかかっていたが…

前回のようなトラブルもなく、またカメラも淀みなく動いて無事に記録完了。

まぁ、以前に比べて“慎重居士”になってきているのは否めない。

だが、少し調子を取り戻したからと過信しないように、絶妙にブレーキを掛け続けていく。


そして、またも蘇我に。

ここでは、居合わせた人と会話を交わそうとしたが…

あまりの“コミュ障”とすら感じるほどの不遜な無視ぶりに、以降の話す気を失くす。


更にはそれが、遅延していた「わかしお16号」の接近タイミングをも測り損ねる。

なんとこの日は「わかしお16号」が蘇我に着く前に回送が千葉みなとへ発車してしまった。

回送を撮らずにスルーで京葉線に乗り換えておけば、千葉みなとで2編成の“追い抜きシーン”

見られたかもしれなかったのに、それはとうとう幻のまま終わってしまったのである。


そうこうしている間に、遅延していた「わかしお16号」は約8分遅れで到着。


なんとここで、回送でやってきたE257系5000番台と並ぶサプライズも!


…なんてのも、そそくさと京葉線ホームに移動してしまったから、中途半端にしか撮れず。


しかも所定17:08発の各停を待たせて、先に発車していく。

これで千葉みなとでの追い抜き撮影は完全消滅。


そして、少し遅れた各停で…


一連の記録3回目の千葉みなと。


天気も良かったから復習方々幾らかのカットは収めたが、長居の気力も喪っていた。


…それでも、さらに先行して舞浜まで赴き。

一度失敗した場所で、リベンジ。

日も傾いて黄金色がミックスされた、絶妙な塩梅に。


また日常の通勤輸送に、身を捧げるために。


…そして東京に向かう途中、すれ違ったのは。


遅延を乗り越え、定刻で勝浦に向かう「わかしお13号」。

夕焼けに染まりながら、この日最後の運用に走り抜けていく後ろ姿を見送って終わった。

6月前半、とにかく濃い記録行脚はさらに加速をつけてー。

255系を撮るために、間隙を縫って訪れていた千葉県。

目的を着々とこなす傍らで、横を走ってくる電車にも目が移る。


6月4日火曜日、幕張本郷にて


新京成電鉄・8800形電車。

つい先頃、京成電鉄への吸収合併が正式に発表された新京成電鉄である。

前回訪問したのが、およそ3年半前。

沿線との縁の薄さもあって訪問機は少ないままになってはいたが…

動向はマメにチェックはしている。


いや、しているだけ。


そんな中で、一番接する機会があったのが、乗り入れ先の京成千葉線。

特に駅が隣り合わせの幕張本郷駅では、よく遭遇している。

既に一昨年から廃車も始まっており、新京成オリジナリティは着実に減りつつある。


撮れるタイミングなら、撮るようにはしている。


個性的なラッピング広告車両も、京成千葉線にやってくる。


来年からは、京成松戸線へ。


その先、形式は、そして塗装は、どう変化していくのだろう?

賛否両論ありながらも、ピンクと白のニューカラーに統一が終わってそんな経ってないのだが。


またそろそろ、新京成線内にも打って出ていくことになりそうである。
既にN800形1編成が旧カラーに復元作業中とのことで、移管への動きも活発化してきそうだ。

そして、気になるのは京成電鉄側も。

3500形である。

未更新車引退から7年余、先頃3200形導入の計画が示されいよいよ先行きが気掛かりに。


この千葉線や千原線では、3000形に伍して活躍が続き…

金町線や東成田線、さらに本線の普通列車でもまだまだ見かける機会は多い。

寧ろ、後輩の3600形のほうが見かける機会が少なくなったような気がするが…


こんな機会も、だんだん少なくなってくるのだろうか?


3500形の場合、千原線でも運用を見る機会が多い。

本千葉駅で255系を出迎えた傍ら、撮ってみたりも。


特に6両編成の場合、中間車と先頭車が連結する姿も恒常的に見られる。

このようなスタイルは3500形のみで、今後見られることもなくなる貴重なポイントに。


芝山鉄道所属の3540Fも、早いところ押さえておきたいものだが…


とにかく、この1年前後でまだまだ変わりゆくネタが千葉県内に。

255系が完全引退しても、まだ通う理由はあるのかと戦々恐々…

もう本格的に取り組み始めたほうがいいのか、それとも涼しくなるのを待つか??

とりあえず他の動向も測りながら、準備を整えておく必要がありそうである。