「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ -21ページ目

「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
不登校の娘への授業記録、歴史の勉強で自分たちが勉強しやすいように情報整理した内容、ASDなりに勉強して生き抜いていきたいこと、についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

みなさま、昨日もありがとうございます。

国語についての記事を最近書いてますが、
今日はそのシリーズの最後です。




こちらは画像があった方がいいかな?
と思って、

ひさしぶりに、ごじたくーるシリーズの
書き方をしました。
(ごじたくーるシリーズとは、
コロナ禍による長期休校による
娘と自宅学習したときに書いた
絵日記風の記録ノートのことです。)


今回は、短歌について。


画像は全部で四つあります。↓







前回の記事で書いたのですが
「国語は同調するような授業を
しがちですが、同調は必ずしも必要なく
理解さえできればオッケー」です。






学校の授業だと
「この短歌はすばらしいものですよー!」
「すばらしいでしょ!ねっ!ねっ!」

「すばらしいと思えないアンタは
だめなやつだ!」

みたいに感じてしまうみたいです。

先生はそういうつもりはないでしょうし、
定型発達の子でも、すばらしき歌と思わない子もいるけど、それについて気にしないだけだと
思います。


でも、娘は、すっごく真面目、
悪くいうと融通がきかないので、

そういう風に被害妄想みたいになります。



算数や理科は
ただ知識だけだけを提供するので
解けない、わからなくても
平気みたいなのですが、


国語は、わからないと

自分が心が汚く
自分だけが悪者のような気がして

かなりストレスフルだったみたいです。





短歌については
高校の古文読解みたいに
説明したら

そっちのほうが娘には楽みたいです。


「自分の言葉だけで訳せる」
ので、

感情も自由なんですよね。



読解力はあったり、内容によっては
思考的なものは高校生くらいなのかな?
と感じますが

感情が幼稚園に近い印象もうけるので、

小学校の国語では
娘はわけわかんなくなってしまうのかな?と。









あと、文章そのままを読めないので訳すとき

「文章を文章で考える」よりも



「単語だけ見て、自分で文章を組み立てる」

ほうが娘には楽みたいです。

私もです。


英会話が苦手なのも、
もともと聴覚からの情報が入りづらい特性のせいもあるとは思いますが、

英会話って、基本的に
英文→日本文、
の繰り返しで、品詞分解や単語の意味を細かく考えないことを推奨されるので
頭に入らないのかな?と。



まあ、得手不得手がはげしいASDの娘には

娘に合う方法でがんばっていってほしいなぁ、
と思います。



次回からは、また
「創作活動ノイローゼになった理由と脱却」についてお話ししたいと思います。


みなさま、昨日もありがとうございました。


前回、小学生の国語のテストについてモヤモヤした話をしました。




今回も、国語についてお話したいと思います。



今回は物語文に対してのモヤモヤ。








よく
「ASDは空気読めないし、
人の心がわからないから
国語が苦手」

と言う人はいますが、
それは違うと私は思います。

ASDは、自分の立ち位置がわからないだけ、
言っていることをそのまま鵜呑みにするため
空気が読めないだけで、


国語は、しっかりと言葉で感情が
書いてあるし、所作などで感情を
読み取るには、ちゃんとパターン化された
所作と感情の組み合わせなので


本をしっかり読みこなせば

国語はできます。

物語文も読みこなせます。







ただ、私の場合だと

国語そのものが面白いと感じたのは
中学からで、

国語が本格的に好きになったのは
高校からです。





でも、小学校の国語は苦手意識が
ずっとありました。


今回はそれについて
お話ししたいと思います。


前置き長くなり、失礼しました。

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま


小学校の国語の授業って


教科書を見ればわかるのですが、

物語文の
学習のねらいのページに
「自分の好きな場面はどこですか?
また、その理由は何ですか?
を書きましょう」


とか

「もし、自分が、登場人物のAさんと
同じ立場だったら、
自分はBさんに何と声かけしてあげたら
よいと思いますか?」

みたいなものありません?
(実際には、国語なので、疑問文、質問文でも、
「?」の表記は使いませんが…。)



あれが、娘をすごく困らせていて、

娘はパニックになり、

「国語がわからない」
「国語が楽しくない」

も泣き出してしまいました。





多くの人は

「え?なんで?そんなことくらいで?」

と思うかもしれませんが、

ASDの娘にとっては大問題でした。



上記のような、学習のねらいは

「小学生なので、身近なところに置き換えて
考えたほうが、わかりやすいだろう」

という親切心でつくられているのでしょうし、

他にも

「自分なりの言葉で、ちゃんと説明できる力をつけさせたい」

というねらいがあるのでしょう。



でもね、その前提として…


「読者(生徒)が
国語の登場人物と、
同じ感情や価値観を持っている」

というのが、この場合、必要なんです。



しかし、小学生の国語の物語文で
出てくる登場人物たちって

基本的に


「友達と仲良くすることに幸福感を感じる子供」
「毒親でない両親と暮らす子供」
「小手先の言葉で騙される子供(神話や迷信などを使って)
「運動が好きな子」


なんですよ。


「一人で黙々と、自分の納得する作業をやり、
常に、頭のなかは、公平性や正義感を
どう自分の感情と折り合いをつけていくか?
について悩んでいて、その悩みの解決を
自分で考え出すのに使命感や幸福感を感じる
こともある」


みたいな、物語文の主人公は

小学校の国語の教科書で見かけたこと
ほぼありません。



このような主人公って

純文学ではよく見かけるし、
高校の教科書では、よく出会える主人公。

森鴎外や夏目漱石や芥川龍之介の
作品の登場人物では
常連さんに近い登場人物?
みたいなレベル。




私は小学校のときに習う国語に出てくる
登場人物に関して、

その人物を理解はできるけど、
自分とは全く別の生き物、
と感じていました。


しかし、高校に入って、
初めて芥川龍之介の「羅生門」を読んだとき


「初めて、自分が同調できる主人公に
出会えた!」

と嬉しかったのです。

そのあと、森鴎外の「舞姫」の主人公が
すごくすごく、彼の悩みに同調でき、

「人間って

すごく自分勝手で
矛盾した心を持ち合わせている生き物だけど、
それゆえに悩んでいる人もいる。

決して綺麗なものでも、模範とすべき人物
でもないのだ。」

と思った高校時代。






これについて、何を言いたいか?というと、



国語の物語文の登場人物に
「同調できる」と楽しいけれど

別に必ずしも
「同調」する行為は
国語力をつける点では必要なく、

ましてや、テストで点数とるだけなら
むしろ「同調」の強制は意味のないこと
である、


と私は言いたいのです。



国語力に必要なのは

文章の読解力です。


読解とは理解すること。



物語文の登場人物は
どういう人物なのか?を

文章を証拠として
深く考察する

ことです。

自分勝手に登場人物の性格を
決めつけるのでなく文章内から、
自分で導きだした結論の根拠を
出す形。




娘には

「国語の登場人物は

定型発達の子だったり

大人の都合の良い架空の子

として描かれていることも多いから

発達障害のあなたは

その登場人物を自分に置き換えなくていいよ」

と同調することをしなくてもよいと
お話ししました。


さらに


「やるべきなのは

その登場人物が
どういう性格や価値観なのか?

を文章内だけで考えること。」

と、考察、理解することに重きを置くよう
説明しました。




次回、国語の短歌についてのお話を
したいなぁ、と思います。

(国語についてのお話は次回で
いったん終了です。)


みなさま、昨日もありがとうございました。


この前までは
「創作活動ノイローゼにおちいった理由と脱却」シリーズを書いていました。

このシリーズはしばらくお休みして、
育児関係のお話をしたいと思います。


実はここ数日は、娘関係で
色々とありました。
もうダメかと思いましたが
なんとか前に進めそうです。

時々、止まったり戻ったりはするとは
思いますが、前を向けるようになりました。

まだ解決に至っていないため
こちらに書けるのは一年後かな?
とは思っています。
(色々と解決するのが一年後なので)

上記の大きな問題については
書けませんが、
その中で、解決した細かい内容について
ちょこちょこ書いていきたいです。


…ということで、
今回は、ASDの娘がつまづいた
勉強関係についてのお話を
したいと思います。


黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま





娘は最近、学校の勉強が辛いみたいでした。


「難しくなった」と言っています。


たしかに、高学年になったので、
難しくなったんだろう、
と思っていたのですが

どうも違うようだと

娘の勉強を見て思いました。



だいたいテストで間違えているのは

「設問があいまいだから」

が原因でした。






例えば国語の文章の問題で

「下線部アで、たかし君が、ゆうと君に
おこったのはなぜですか?」

という問題に対しても

答えを書き込む部分が

「ゆうと君が、たかし君に(              )をしたから。」

になってて、内容を知っているので
娘は自分の言葉で書いたら×になっていた、

とかそういうもの。


本文に、同じ文章構成のものがあり、
(  )の部分を抜き出して書かないと不正解に
なるみたいです。





これ、もし、塾の模試でこういうタイプの問題をつくると、一次校正で直せと言われます。

もし、最終校正を切り抜けてしまったとき、
別の回答があったとき、
めっちゃくちゃ責任者に作成者は
怒られます。

模試の場合は、
1点の差で偏差値がかなり変わってきて、
それによって、生徒さんのその後と大きく
変わります。
レベル別クラスだと、
それによりクラスが変わったり、
模試の判定次第で志望校を変えることに
なってしまったり。


なので、模試の問題を作るときは

「絶対にこの言葉で書かないといけない、と
解答者がわかるような書き方にしなければ
いけない」
のです。


なので、さっきのほうの問題では

「本文から、6文字で抜き出しなさい」
というように、本文から抜き出すことを
しっかりと明記してあったり、

逆に
抜き出すことを明記してなかったら
同じような内容なら丸にしないと、


フェアじゃない、

と思うんです。


でも、学校側からなら
「暗黙の了解でしょ」とか
「問題を解くときに口頭で説明してある」
などと言われるんだろうな、と。



そこらへんが、なんというか、
ASDの娘にとっては、
モヤモヤするんでしょうね。


モヤモヤすると、頭がそれでいっぱいになり
パニックをひきおこすのです。

それで娘から出る言葉は

「わからない」
もしくは
「難しい」
になってしまうんですよね。



国語だと、まだ、
「小学校の国語のテストは
本文中から探すこと」
と出来るんですが、

他にも問題なのは、理科や算数でも
それをされるんですよ。


教科書に書いてある通りの言葉でないと
✕になってしまうんです。


これももし、塾の模試ならNGなレベル。


教科書に書いてある文章の歯抜けの
問題だから、
教科書を丸暗記してたら答えられるけど、
理解してたら、別の似た単語で
書いてしまうこともあるので、
丸でいいのでは?なレベルも。


うーん、悩むんですよね。
学校側の主張もわかります。

ただ、
「この場合は、本当は教科書の言葉の
ほうが適切ではあるけれど、
一般的にはこの単語も使うから
そちらでも○でよいのでは?」
というレベルの場合が多くて。


学校側の意図としては、

教科書と違う別の言葉を使ったものを
一つでも○にすると、
他の言葉で微妙に違うものを○にしろ!
と言い出す保護者もいて、
それで対応が大変だからなんだろうなぁ、
とわかるんだけど、
まあ、うーん、さじ加減がむずかしい。

だからって、似た言葉を全部○に
してしまうと、文章を読まないで
自分勝手に書く子も出てきてしまうし。


こういう場合は
「次のなかから選べ」とかにしたほうが
安全なんですが、
そうすると、4分の1の確率とかで
偶然に合っている生徒さんがいたり
するので、それを防ぐためなんだろうけど、

とまあ、わかるけど…なものが
多くて。



模試みたいに、問題数は多いわ、
丸暗記では覚えきれない単語数、
ほとんどの子が解けない難しい、
という状態だと、
選択問題でもたまたま合うことは
マレだから良いけど、

学校の確認テストみたいな定期テストだと
まあ、勘で合っちゃうものも多いからね。

みんな100点だと内申点つけづらいし。




こういう風に、大人の私は冷めた目で
見ることできるけれど、

大真面目な娘としては

どうして?どうして?どうして?

になっちゃうんだろうなぁ、と。


なので、つきっきりで、

教育業界における
暗黙の了解な部分


も教えていく必要があるんだろうな、
と感じます。


今回は以上です。


次回は、

ASDの娘が国語が嫌いになった理由について
書きたいなぁ、と思います。


みなさま、昨日もありがとうございます。

今日は真夜中の更新ができなくて
すみませんでした。

実はこの前、娘が下校中に嫌な思いをして、
それで母子とも、その嫌なことをした子の
真意がわからなくてモヤモヤして
頭がまわりませんでした。

娘は大泣きし、
宿題もやれなくなってしまうレベル。


まあ、たぶん、多くの方、とくに定型発達の
方からしたら、

おそらく「ささいなこと」レベルの
嫌なことかもしれません。


「あの子、嫌な子!嫌い!」
という風に思うだけでパニックにならない
かも?
(ただ、悩むこともあるし苦しむことは
あると思います。)

しかし、私や娘の場合
「なぜ、その子がそれをするのか?
その子の真意や思考パターンは?」
という疑問が出て、自分なりに納得する
答えが出ないと、

相手が自分に嫌なことをするのは
よっぽど自分自身に落ち度があったのか?

と罪悪感で苦しんです。


周りの人に
「そんなこと考えなくていいよ。
相手がおかしいって切り捨てりゃいいよ!」

とよく言われるんだけど、
それは無理なんです。


だって、
「もう二度と、嫌なことをされたくない」から
その回避方法がわからないと怖くありませんか?

回避方法は、相手を精神分析し、
その分析に従って、どう対処するか?を
自分で編み出さないといけません。

そうでないと集団生活を切り抜けるのは
難しいことも多いので。


フツーでないからと言って

フツーだったら享受できる権利まで

私は放棄するのもどうなんだろう…
と思います。

法の下では、だれもが
自由を行使する権利、
幸福追求する権利があります。


私には、子供に普通教育を受けさせる義務が
あります。


それを、娘に嫌なことをする人のせいで
義務を果たせず、権利を放棄するのも
…うーん…という感じ。

私達にも教育を受ける権利はあるのでは?
とは思うのです。

自分自身で学校に行く気がなければ
学校に無理して行く必要はありません。

でも、学校に行きたくても
どうがんばっても
行けなくて辛い結果になるのは
学校に行けなくなった私達に
なるんだよね?と私は思うのです。


最終的に不登校になるのはかまいません。

でも、発達障害の子の場合、
その人の性格にもよりますが、
どこに行っても
孤独感を感じたり差別されることも
多いとは思います。

だから、可能なかぎり、
相手を精神分析して
回避できる問題は回避したいのです。

その精神分析まで批判されたら
死ぬしかないよね!と言っているようなものです。




…と前置きがながくなりましたが、
他人にはささいなレベルなのに
娘と私を困らせたことはどういうこと
だったのか?を話したいと思います。



娘が下校途中に、突然、
特に仲良くもない、
顔見知り程度の女の子に
声をかけられました。


しかも、下の名前を突然呼び捨てで。


そして、何の前置きもなく
「なんで毎日、傘を持っていってるの?おかしいよ!」
と言い出したんです。

いや、梅雨だし、天気予報で
お天気キャスターさんが
朝は晴れているけど夕方になると雨が降る、
と言ってたり、
ところによっては、
にわか雨が降ると言ってたから

娘は朝、晴れていても、そういう日は
傘を持っていっているだけ。

完全に晴れの1日の予報なら
傘は持っていかないので


その子が「毎日」と言っているのは
間違っています。


娘が
「いや、天気予報で雨降るかも?と
言ってたから」
と返しても、
「雨降ってきたなら急いで走って帰ればいい!」とか言う子。


????


別に、娘が傘を持っていこうがあなたには
関係ないよね?




また、その後に
「水筒を持っていくのもおかしいよ!」と。

いや、学校側が熱中症対策で
必ず持ってこい!
と言ってるぞ!


その子は「喉が乾いたら水道の水を飲めばいい」と言います。


学校にいる間はそれでもいいかもしれないけど、学校のお水って、飲めないお水が出るところもあって、飲めるお水が出る場所は限られてるし。

さらに、登下校のときに、水筒がないと
下手すれば、これからの季節、
熱中症で倒れるぞ?
命の危険もあるよ。




さらに、娘の髪型や服装についても
イチャモンつけてきたり。


すべて
「こちらの勝手でしょ?」
という内容ばかりだし、

相手の言っていることは
おかしいことばかり。




ただ、これだけなら、

学校でイライラしたことがあって
おとなしそうな娘に難癖つけて
ストレス解消しただけでは?
と思えます。


しかし、次に言い出したことで
娘はパニックをおこしました。


「あなたが私を怒らせたから、
私は引っ越しをする!
来週引っ越しをする!
今日、遊ぼうよ!」

とその子が言いました。


????

????



突然、「自分が怒っている」と言い出し、
それが娘のせいと言われ、
さらに、それでお引っ越しする?



娘とほぼ交流ないのに?


お引っ越しって親の都合だよね?

私はその親と話したこともないよ?



さらに、
自分を怒られた!だから引っ越さざるおえない!と娘に責任おしつけた発言のあとで、

「遊ぼう!」


っておかしくないですか?

自分を怒らせるような相手と遊びたいですか?


娘が断ると
「じゃあ、明日は?土曜日は?日曜日は?
来週は?」

と聞いてくるその子。


「来週は?」

????


来週はお引っ越しして
もうここにいないのでは?
それとも同じ学区内のお引っ越し?


もうわけわからない。


娘はとにかく、はやく家に帰りないと
いけないので!と言って、
逃げたそうです。


でもその子は
「公園に来て!」
と叫んでいたそうです。



娘は
「私は何か、無意識な発言で、あの子を怒らせることをしたのかな?」
「お引っ越しさせるほど、私は悪いことしたの?その悪いことって何?」
と悩んで泣きだしました。



私も意味がわからなくて微妙にパニクりました。



2人で
「とにかく脅してでも何でも、
その子は遊びたかっただけでは?

以前も、
あなたの家の
お菓子を食べたいから家に遊びに
行っていい?
と初めて会ったその日に言ってきた子でしょ?

お菓子やゲームねらいでしょ、その子。」


という結論に落ち着いたのですが、

娘も私も

明らかに相手は難癖をつけて、
嘘をついているだけだけど、


「難癖の指摘→突然の引っ越し宣言→あなたは私を怒らせた発言→遊ぼう!という誘い」
という、脈絡がわけわからくて、
どうもモヤモヤしてしまい、
宿題もイライラしてやれず。


もうこれは、実母に話そう!と。

信頼できる人と話すと
相手が欲しい答えをくれることもあったり
話すことで自分で答えを出せたりするので。

そして、実母に電話したら


「それって、娘と仲良くなりたくて、声かけしているだけ。好きな子にちょっかいを出して
いる小学生男子みたいな感じでは?」

「おそらく、家で否定か罵倒しかされたことなくて、それでしか他人と関わる方法がないだけでは、その子?」

と言われました。


それで、今までの点が線に繋がりました。

母が正解!だと思います。



おそらく、その子は、
「娘と友達になりたい。」
だけなんですよ。

娘自身と仲良くもなりたいのか
娘の背景にある、
お菓子やオモチャ、ゲームが
目的なのか?はわかりませんが。



よくコミュニケーションとるときに
相手を指摘する人っていますよね?



仲良くなった結果、相手にツッコミを
入れる形で指摘することはあります。

「おいおい、柄×柄の上下組み合わせの
服装はおかしいだろぅ!(笑)」とか。

傍目から見ていると
「指摘する」→それが仲良しの証

とも見えます。

でも、それは違う。


お互いを信頼し、お互い好きだから

指摘することもできる。



仲良くなるまでは
相手の考えを尊重したり、
相手の喜ぶことを
お互いするうちに、

信頼感がうまれるのです。


また、仲良い親子でも、
親に怒られると子供は言うことを聞く、
ということはよくあります。

でも、基本的には、怒られない。
親に愛されているという実感が
子供にあるから言うことを聞く。

親が言っていることは正しいと思うから
怒られるとやる、ということ。


前提条件は、信頼関係がある。




しかし、傍目から見ると

「自分が怒れば他人は言うことを聞く!」

という図式に見えます。


さらに、親が常に怒ったり脅したりして、
子供に言うことを聞かせることしかしない
親子関係もあります。


もうそうなると、

「相手に言うことを聞いて欲しいなら
相手を怒らせたり脅す」と思う子供が
いてもおかしくありません。



さらに、本やドラマ、アニメなどで

「感染症ではない不治の病におかされたら、
周りはやさしくしてくれる」
「お引っ越しすることがわかると、
お別れパーティーをひらいてくれたり、
お引っ越しする前に遊んだりする」
というシーンってよくあるじゃないですか?


たぶん、その子は

「娘の持ち物や服装を指摘する」のは
「仲良いもの同士の会話」のつもり。

「お引っ越しする発言」は
「それだったら遊んでくれるよね?」
という意図。

それでも娘がなびかないから
「私を怒らせた発言」。
「怒られたら言うことを聞かなきゃ
いけないんだよ!→私と遊べ!」

なんでしょう。

それでも娘が反応しないから


「遊ぼ!」と直接的な発言に。




その子は、その子なりに
必死にコミュニケーションをとろうと
して、裏目に出ているのでしょう。


言われた人からしたら
「常に、持ち物や服装を監視されている気が
するし、常にダメ出ししかしてこないから
話されるのが不快。

さらにとっぴな嘘をついたり、

怒り出すから意味が不明。

それで遊びたい、っておかしくない?」

になるのが本人にはわからない。



おそらく娘以外にも、同じことをしている
のでしょう。


たまたま下校中に娘を見かけたら
声かけしただけ。







娘もそれで納得したみたい。


なので
「相手が指摘したことは、相手は特に意味があって言っているわけでなく、目についたものを否定しているだけ。だから、彼女の指摘は


言葉として脳に情報を入れるな!

音だけにしろ!


何か言い出したら、
また指摘してるわ、と思って
言葉を言葉とて入れない努力だけしなさい。」

「相手が何を言おうと


遊ぶ

とは言う必要はない。


あなたが一時の同情で遊んでも
彼女が救われることはない!」


と話しました。



本来は、心療内科に連れていったら
もう少し他人との関わり方を知ることは
彼女はできるのかな?
とは思いますが、
もうそれこそ、ご家庭の問題…。

難しいです。













みなさま、昨日もありがとうございました。


運動会が気になって
頭がまわらないので、
いっそ、運動会について
グチグチお話しをしようかな?
と思います。




運動会、自分が当事者のときは
砂アレルギーの私には
蕁麻疹や目のかゆみや鼻水ダラダラ
との闘いで地獄だったし、
運動神経が悪い私には
クラスの足手まといになるための
イベントだったので、
嫌でしょうがなかったです。


ただ、具体的に、誰かにひどいことを
された、とかはなかったです。


「おまえが同じチームじゃなきゃ
勝てたのになー」みたいな嫌みは
言われましたが、
運動会過ぎてしまえば
みんな忘れてしまうので、
嫌ではありましたが…なところ。



学校側が
「とにかく開催すればいい」
みたいなスタンスだったので、

一番になりたい子!
勝ちたい子!

はいても、クラス全員ではありませんでした。

少なくとも先生は

練習で遊ぶ子とか真面目にやらない子を
怒ることはありますが、
がんばっているのにうまく出来ない子に
対して
「みんなに悪いと思わないのか!」
「そんな出来じゃ、お母さんが悲しむぞ!」
「うまくできないなら、運動会当日は
休みなさい!」
とは言いませんでした。


なので、運動会は嫌だったけど
トラウマになることはありませんでした。

でも、娘の幼稚園は上のような言葉を
娘に投げかけました。


娘は幼稚園にいた、3年間
常に
「運動神経が悪い人間は価値のない人間!」
みたいに罵られ続け、

運動会はトラウマに。


幼稚園卒園を機に
もうこの地域にいたら
娘は潰される!
と思ったので引っ越し。

小学校は、私のときと同じように

「とにかくやればいい」

のスタンスだったので、
格段と楽になりました。



でも、娘は幼稚園のトラウマが
抜けきれなくて、私より
運動会は辛いみたいです。

でもだいぶ、幼稚園のときよりは
生き生きしてきました。


私自身は
幼稚園の先生と小学校の先生では

価値観や思考パターンも違っているため

小学校と幼稚園は違うと
わかってるので、

運動会見学は楽になりました。

コロナ禍前だと

ただ、他の保護者の方が

暑いからって、近くのコンビニで
アイスを買って食べながら
運動会を見ている人がいたり

子供の競技が終わったら
さっさと帰っていったりする人も多くて

びっくりはしました。


小学校ってお菓子とか禁止だから
保護者もそうじゃないの?!
と不思議に…。


閉会式にも子供は出るから
最後まで見ないの?

と。


保護者の方も、幼稚園のときほど
あまり力が入ってないみたいです。


地域的なことかもしれないですが…。


ただ、子供の勝ち負けに
こだわる保護者の方も
いらっしゃるみたいで
びっくりしたことも!


コロナ禍前は入場制限がなく
夫婦や祖父母も一緒に
子供の応援をしているご家族も
いました。


その中で、たまたま近くにいたご家族が
短距離走で子供の応援をはげしくされていて
その子が一位になったとき、
すごく喜んでました。

いや、それはわかりますよ。

私だって一位になればうれしいもんです。


しかしその後、娘が走る番になったとき、
まあ、娘は遅いこと遅いこと。

そうしたら
その、はげしくご自身のお子さんを
応援していたご家族の会話が
聞こえてきました。


「あの、足が遅い子、あとで
お母さんに怒られるんだろうな、
かわいそう。」
とか家族で会話されてました。


私たちが娘の親とはわからなくて。

そのとき、私の母(ばーちゃん)と私が
娘のあまりの遅さに大笑いしてしまい、
は母が
「あまりに遅いから、写真がたくさん
写せるし、一人でうつるから、
わかりやすい♪」とニコニコして言うものの
だから、

そのご家族は居心地悪そうな雰囲気に。

いや、別に私達、怒ってないから。

それに、発達障害の娘は
能力凸凹すぎるから、
凹の部分をいちいち気にしてたら
胃に穴があくよ!
前に進むには、
凸を伸ばし、凹は無視する(集団生活に支障がない程度の努力はする)、
が大切。


夫(娘の父)だけが、
娘があまりに遅いことに対して
恥ずかしかったそうで。


いや、別に、運動神経が悪いことは
最初からわかってるし、
恥ずかしいのなら、練習しなきゃ
速くはならない。
その努力を娘は放棄してしまったので
最下位なのは受け入れるしかない。



なので、運動会では
運動神経が悪い娘は
勝てたらうれしい程度でいいよ、

と私は思います。

…というか、幼稚園のころの娘に
比べたら、娘は生き生きしているから
いいじゃない、と。



私たちが娘が負けても大袈裟なくらい
ニコニコしたり、
あざけ笑いでなく大笑いするように
見せているのは

「幼稚園の先生が言うようなお母さんやおばたさん」はどこにもいないよー!
と娘に示すためです。


「かけっこで負けちゃったら
お母さん、恥ずかしい思いをするよ!」
と何度も幼稚園の先生におどされたと、
娘が幼稚園卒園してから
娘に聞きました。



私は、自分が努力して得た結果でないと
許せないから、力が入ってない分野で
最下位になっても平気

なんですが…。

それに、子供で自分の自己顕示欲を
示すのってストレスじゃないですか?

だって、他人に顕示欲を任せるのって
結局、他人におべっかつかわないと
いけないじゃん。

自分をよく見せたいなら
自分ができるようにする努力に
したほうが、成長もできて
一石二鳥だと思うんだけど。
努力できない、したくない分野で
まあ罵られてもしょうがない、
と覚悟を決めて。




運動会、はやく終わってほしいです。

みなさま、昨日もありがとうございました。

「創作活動ノイローゼ」シリーズは
はやく続きを書きたいと思いつつ、
運動会騒動がおさまるまでは
蕁麻疹が出て頭が
うまく整理できないので
いったんお休みします。

かゆい…。


そういえば先日、
知人に赤ちゃんが産まれました♪

そうしたら、
予防注射?定期検診?
聞いたこともない病気?


など、色々とオンパレードなので
パニックになったので、
教えてほしい、と言われたので
色々とお話ししました。



「母子手帳の後ろの方に
予防注射のことも書いてあるし、
検診についての記入欄の近くに
月齢ごとの成長の目安なども
書いてあるので
それを見るのが一番だよー。」と
話したら、


「え?!母子手帳に!!」
とびっくりして後ろまですみずみ見て
確認していました。


あとは
定期接種と任意接種の違いや
不活化ワクチンと生ワクチンの違いとか
スケジュールの違いとか。


そして、こちらが私が
もしあのとき、知っていたら…と
一番思える内容を言いました。

それは


「何版も印刷されている本を
似た内容で数冊買って、
すべて同じ内容で書かれていることは
ほぼ真実、メジャーな対応だと
思えば良いよ。

ただし、出版年はかならず確認。


雑誌は、最新の情報を得るには
非常に有効。

ただし、雑誌の場合、
広告費とかの関係か、
どうも裏に、
製薬会社や教育関係の会社、
食品販売会社との
取引?忖度?みたいな記事も
ちょこちょこあるから。


無料配布の子供向けの冊子も要注意!

もちろん、すべての雑誌や冊子が
あやしいものではないよ。


そこに書かれている
食育とか
早期教育は
鵜呑みにしないように。

教育関係なら
母や私に確認したい、と思ったら
気軽に言ってね。

また、予防接種関係で
母子手帳に書いてあるものや
厚生労働省が定める内容と
違うものは気を付けたほうが
良いよ。

間違ってはいないものが多いけど、
全部雑誌の言う通りにすると、
精神的に参るよ。


私はそれで育児ノイローゼになった。

とくに、アメリカではー、とか、
WHOではー、と書いてあるものは
要注意!」


という話をしました。




子育てや育児って

不安感をあおったり
選民意識をプッシュすると
お金を出してくれることが
多いのを、

うん、塾業界やって、


実感しているので、

早期教育とか
不安感を前面に出す記事は
気を付けたほうが良いです。


基本的に、ぶっちゃけ、
なんでもはやく始めたらから安心とか
ではないので。




その知人のお子さんとも
コロナが収束したら
会えるといいなぁ。



みなさま、昨日もありがとうございました。

最近は娘は運動会について
モヤモヤすることがあって、
それで頭がまとまらなくなっています。


昔の記事で書いたように
娘は運動が好きではないのと
幼稚園のトラウマで
運動会そのものが嫌いです。







ただ、運動会は嫌だけど、
ちゃんとがんばって練習するし
当日も出るつもりです。


しかし、「運動会、嫌だ」
と言うと、

運動会の大切さを話されたり

「嫌でもやらなきゃいけないことはある!」
と、説教されることも多い娘。



それはわかっているうえで、
「嫌!」という気持ちだけ言ってるのに、

相手は、自分の気持ちを勝手に
悪いほうに推理されること、
それがモヤモヤするみたいです。


気軽に愚痴さえ言えないわ、と。


「なぜ、あの人は

嫌だけどやる気はあるの、という

気持ちをわかってくれないんだろう?」
というモヤモヤ。


弱音を吐いたら
バカにされるか
説教されるだけ、

というのが辛いみたいですね。


私もそういう経験が多くなったから

信用できる相手に、でなくと
弱音は吐かなくなりました。






娘は他にも

「怪我しないように!と先生は言うのに
怪我しやすい競技をわざわざする、
という、言ってることとやってることが
違う矛盾点」に気がついてしまい
イライラしてしまいます。


まあ、本音と建前、伝統と習慣、などの
違いがまだわからないから、
イライラしやすくなりますよね。

大人になると
「怪我しないように、とさえ
言っておけば、怪我した子の責任に
できるしね。
昔からやってた競技を新しいのに
するには会議が必要だから、
今でもいっぱいいっぱいなのに、
もう新しい会議をしたくないよね。」
も打算的に思えますが、


大人はみんな正しいことを言っていると
思っている子供時代は
大人の矛盾にいちいちイライラしてしまち
ますよね。




そういう感じなので、
宿題も身が入らない、
でもやるけどね。
音楽教室も、一応練習するけど
どうも頭に入らない感じになっている娘。


同時並行作業が苦手で
一つのことが気になると
思考がとまってしまいがちな娘には

まあ、よくあることです。

…というか、私も。


昔のように、
うまくできないから、すぐ癇癪おこしたり、
宿題や練習から逃げ回ることは
しなくなりましたが、

なんというか、

「がんばっても、どうも、
いつもより成果が出ない。」

という感じで本人も悩んでました。



なので、私は
「よし!じゃあ、運動会が終わるまでは、
宿題も練習も、やっておけばオッケー
ぐらいにしよう。

音楽教室の先生に怒られても
気にしない努力をしなさい。」
と言いました。


そうしたら、娘のほうが焦りました。

常にちゃんと真面目にやらないと
他の子から置いていかれるのでは?
と。


実は、そういう風に思いがち。




幼稚園や小学校のうちから
常に真面目に勉強しないと
将来困るとか…そういう不安。


でも、例えば
大学に行きたいという希望なら
最も必要なのは、
「高3まで勉強を続けること」
であるし、

将来なりたい職業があるなら
その職業に必要なスキルなどを
常にやりつづけることが
大切なのかな?と。

長い年月、続けることって、
かなり難しいことです。


毎日常にフルパワーだと
もたないです。


勉強が乗り気じゃないときや
がんばってはいるけど結果が出ないときも
あります。

そのときに、常にフルパワーで結果をださないといけない、という価値観であると、


「私にはこれは合わなかった!
私は本当はこれをやりたかったのだ!」
と言い出し、別の分野に行ってしまう。

しかし、途中で、やはり、
つまづくので、また別の分野に。

こうして、常に

真面目を探す旅人になってしまいます。


どんな分野でも
停滞期、低迷期はあります。

なので、ながく続けるには

「とにかくやった」という時間も許すことです。

とにかくやるだけやっていくと、

あるとき、やる気が出てきたり
何かのきっかけでできるようになったとき、

やるだけやった分野も意味のあるものに
なったりするので。



入試前とかだと、そうは言ってられませんが、

小学校だし、
音楽教室も発表会や試験はまだまだ先なので

とにかく今は

運動会が終わるまでは
「とにかく宿題も練習もやるだけやる」
という形を整えるだけでいいかな?と。


娘は提出すべきものをしないと
不安感がたまりやすいので
宿題はやって提出しないと
たぶん学校に行けなくなるので。



切り替えが下手なんだなー、
感情面が不安定なんだな、
とは思いますが
それも含めてこれからも
力を合わせて
がんばって生きていきたいと
思います。







みなさま、昨日もありがとうございます。


昨日は、母の日でしたね。


我が家では


「母の日や父の日のプレゼントは
ナシにしよう」

という形になっております。


その理由は、

「娘の癇癪防止のため」

です。


どういうことか?というと、


「他人のために作ろう(買おう)とすると、
本当にこれで良かったのかな?と
常に不安で、完璧主義に陥る」

ため、
少しでも作ったものにズレが生じると
やり直しの繰り返しになったり、
買い物も、めちゃくちゃ悩んで買えない。



そして、
すぐ癇癪がおこるんです。



どうしてそうなってしまったのか?
というと、


幼稚園のときの影響が
まだ残っているからです。

娘が通っていた幼稚園の先生は

とにかく

「大人が求める、フツーの子に
しつけることが教育」

と思っている人達ばかりでした。


なので、

「お残しをしない」
「元気よく、ハキハキと」
「協調性を!」

という価値観しか認めませんでした。


目標にするのはかまいませんし、
そういうことができる子を誉めるのは
別に良いです。

幼稚園の方針というのはありますので。


でも、そうでない子を徹底的に否定して
不安にさせる、はおかしい、と思うんです。

それを幼稚園の先生はしました。


娘が、他の子のようにやれないことを
執拗に毎日毎日、指摘し

「こんなんじゃ、将来困るよ!」
「これができないと、お母さんが
悲しむよ」

と常に娘をおどしつづけました。


教育現場で色々知った
大人の私からすると

「自信のない教師の言う常套句じゃん!
今でなく未来に先送りしたり、
目の前にいない他人を使って
子供を動かそうとしてる、
虎の威をかる狐ー!」

とわかるのですが、

娘にわかるはずもない。

「大人は何でも知っている」
と思う世代ですよ。


なので、娘の中で
「先生の言うお母さん」が
どんどん膨らんでしまい、
「幼稚園の先生の言うような子に
ならないと、お母さんに嫌われる。
失望される。」
という恐怖感で苛まれたのです。

それでも、年中さんの春までは
時々休みながらも、
幼稚園に行ってました。


それが年中さんの夏ごろに、
拒食症になり、
幼稚園を長く休むことになり、
私がずっと娘といることに。


そうしたら、
娘は
「あれ?お母さんは、先生の言うような人じゃ
ない!」
と気がついたんです。


その後、幼稚園に行けるようになりましたが、
年長さんの秋に不登校(園)に。


それで、そこで初めて、
先生が、「お母さんが悲しむよ!」
と毎日のように言っていたことが
発覚しました。


つまり、娘はほぼ3年間、
ずっと辛さを我慢してたんですよね。



幼稚園は、特に母の日や父の日には
力を入れてました。

母の日の工作をしっかりとしてました。

でも、先生たちは
「こんな出来じゃ、お母さん悲しむよ」
とか
「いいかげんにプレゼント作る子は
お母さんに嫌われちゃうよ」
と言っていたみたいです。

娘自身は、工作は得意だし、
まじめな子だったので、
それは言われたことはないのですが、
他の子が言われているのを何度も見て、

「完璧に作らなきゃ、お母さんに
嫌われる!」

という恐怖感に苛まれました。


小学校に入学してからは
学校では母の日は完全スルーなので
そこは気楽に。

しかし、娘は幼稚園の影響から
なかなか抜けられなくて
「完璧な工作作品を作らなきゃ!」
となってしまって、

私やお父さんのために作ろうとすると
うまく完璧にできなくて、
何度もやりなおしで、
癇癪の嵐に。


発達障害であること、IQ数値が
わかったので、

「他人のためにつくるのはやめた方がいい」
「自分が作りたい作品をつくることに
目を向けた方がいい」

ということにして、それで三年間がんばったら、工作での癇癪はほぼなくなりました。


娘と私は
もう二度と、あのころの苦い気持ちに
もどりたくないね、
ということになり、

「母の日のために、作るのはやめよう。」
でも、何かプレゼントはしたい娘。

なので
「自分が作って気に入った作品を
母の日に渡す」
という形にしました。


今年のものはこちら。



しゅるつる族の私(セザール)の帽子♪




他のご家庭のように、


「母の日に、特別な何かをー」は
なく、平常運転の我が家でしたが

幼稚園時代のあの頃の地獄の日々に
比べたら、すごく幸せな母の日です。
みなさま、昨日もありがとうございました。

水曜日なので、能楽部の思い出をば。







大学四年生は
サークルに顔を出しつつ、
就活や教育実習、卒論制作をメインに
やっていこう、と思った私。

しかし、そうはいっていられない事態に!

それは、能楽部に新入部員さんが入ってこない!という状態に。

もし入らないと、自分達が卒業すると、
残りのメンバーは2人になってしまい、
自分の大学部員だけで舞台に出るのは
困難になってしまいます。
そして、そのまま、新入生が
入らない状態が続くと
廃部の危機です!


実は、一応、
最初、入部希望の子はいたのですが、
結局入部をする、しない、が
あいまいなまま、夏休みに突入。


話は遡るのですが、
実は大学三年生の最後の舞台の
申し合わせ(リハーサル)のとき、
私は、囃子方の先生にすごく怒られて
しまったんです。

舞囃子の謡いができてない!と。

私がそのときの地頭でした。

元々、苦手なものだったうえに、
難しい演目でした。

それでも、おそらく他の方なら
うまくできたと思うのですが、
すごくがんばったのに、うまくできなくて
申し合わせ(リハーサル)は散々でした。

囃子方の先生は、リハーサルの後に
指導をして下さりました。


そのとき、私が思ったのは、

私が地頭だったために

いつも指導してくれていた先生も
指導力を疑われただろうし、

他のメンバーも本来なら今は
家に帰宅している時間なのに
練習につきあわせてしまった、

大学の看板にも私が泥を塗った、

という申し訳なさ全開でした。


もしかして、そういう私の能力不足が
次年度の新入生0を招いたのかも
しれない、
と罪悪感で死にたくなりました。

今から考えれば
誰も舞台は見に来てないだろうし、
たまたまだった、と思うんですが。

それに本番は、
なんとか、一応、
形はあやしいながらでも
謡いはできてはいた…は…ず?
たぶん…、おそらく……?!!

でも、私は、前年度
部長だったし、地頭だったし、
というので、責任感を感じて
色々と新入生獲得を目指す努力を
することにしました。


一つ目の努力は、
新入生勧誘の目的で舞台の告知のポスターを
作成して校内に貼るというもの。

それまでは、
新入部員募集のためのビラを
貼るのはしてたましたが
舞台開催のビラを貼ったことは
あまりありませんでした。
(公的な大きいポスターを頂いたときに
貼ることはありました。)

また、新入部員募集のビラ(ポスター)は
能のイラストなどを描いたポスターのみにしてたんですが、
漫画のほうが良いのでは?
と思って、
漫画広告みたいなポスターを作りました。

校内にポスターを貼るには
大学の許可があるので
事務局にそのポスターを提出に言ったら、

事務員さんが
「え?何、この漫画。
あなたが描いたの?

漫画家目指してるの?

これだけ描けるんだもん、
せっかくだから
漫画家になりなよ!」



と言われてびっくりしたんです。びっくり




「いや、そういうわけではないのですが…」
と返したら

「なんで?目指しなよ!」
と言われました。


いや、それまでも実は漫画を描いてした。

でもそれはあくまで素人として漫画を
描くお付き合いという気持ちだけでした。

「見ず知らずの他人に
漫画家になりなよ!」
と言われることなんて
一生ないと思ってました。

そのとき、すでに塾講師として
内定してたので、
職業としての漫画家というのを
意識したことはなかったのです。


でも、このことが、私のなかで
ずっと残ってて、
今さらですが、
漫画家を目指しているのです。

小学校のときのいじめ、冤罪盗作事件で

「プロの漫画家を目指すことを
さんざん否定された」私。

私には、プロの漫画家になりたい!と
いう気持ちを持つことさえ罪なんだ、
とずっと思ってました。


それが、まさか、ほとんど私を知らない
事務員さんに言われてびっくりしたのです。
だって、私に媚を売っても
何のメリットもない立場だし、
私をいい気にさせて下に突き落とすつもりでも、もう二度と合わない可能性の高い相手に
それを言うメリットもない。

事務員さんは何気ない会話で
言っただけでしょう。

でも、
それは
私がずっと
欲しかった言葉

だったんです。




ただ、じゃあ、私はいつ、漫画を描きを
始めたんだ?ということに
なりますよね?

時間を戻します。

大学1年のとき、
冤罪盗作事件のあとにやめていた、
絵を描くことは再開できました。

きっかけは、以前、
昔の記事にも書いたように
能楽部のサブパンフレットという、
各大学の交流を目的とした
ものを、各部員一枚描く、ということから。


そのとき、先輩が
例として、前年度のサブパンフレットを
見せてくれました。

すると、トーンを貼った漫画っぽいキャラや
能楽の絵が載ってました。


なので、私は、しっかりと漫画絵を
描かないと
いけない!と勘違いして、
トーンやペン軸、ケント紙などを購入し、
生まれてはじめて、
モノクロイラストというものを描きました。


提出したら
「昔から、トーンを使ったりした
漫画絵を描いてたでしょ!」
と部員さんに言われました。


「初めてです。」
と言っても信じてもらえないほど。


私よりも上手い部員さんもいれば、
絵を描かない部員さんもいました。

でも、全員が、
嫉妬も侮蔑もしず、
「セザールさんは絵が描ける人」という
事実だけを受け入れている、という
うれしい状態でした。

小学校のときは嫉妬心で
わざと「下手」とか「いい気になるな!」
としか言われなかったので、

出会った部員さんたちは
ホントに今から思うと
とても貴重な、公平な人達だったのだと
思います。(当時は大人になれば、
みんな公平な人になると勘違いして
ましたが、うん、違うのね!と
娘を産んでから気がつきました。)


そのあと、個人のHPをつくるのが
流行っていた時期なので、
自分もイラストの絵をHPで載せたいなぁ、
という気持ちからHP開設しました。

当時は、キリ番にイラストを描く、という
風習があったので、それで、たくさんの
方に絵を描かせて頂きました。

ナポレオンメインのHPだったので、
歴史人物の漫画イラストが人気でした。




そのころは、漫画イラストを描くことは
あっても、漫画を描くことは
ありませんでした。

部員さんたちも、イラストを描く人は
いたけど、漫画は描かなかったので。



そんなある日に転換期。

大学3年生の夏休み。

私は教員免許をとるために、
夏休みの集中講義も受ける必要があったので、
講義を受けてから遅刻して部活に。

そのころは、練習したい人は
個人で練習しているけど、

部長の私が練習始めようか!
と声かけしたら、全員で練習始める、
という状況によくなってて、
私が休みでない限りは
まあ、1時間以内の遅刻程度なら
部長の私が来るまでは
緊急に差し迫った発表会がなければ
おしゃべりしよう、
みたいになってました(笑)。
まあ、それくらいゆるい日があっても
いいかな?と。

高校のとき、自分が演劇部の
部長をしたときは
真面目にやりすぎて、部員さんたちが
精神的にヘトヘトになって、
部員たちで険悪なムードになった
苦い経験から
雑談の時間も大切に、と思ってたので。


そんなある日、教員免許
獲得のための特別集中講義を
うけたために部活に遅刻して合流した私。

他の部員さんたちは

他大学の人が
架空の能楽師さんを
主人公にしたコメディまんが同人誌?を
作ったそうで、それをもらった部員さんが
みんなに見せたところでした。


それで、どうも、
私たちの大学の能楽部も
能楽をモチーフにした漫画を描こうよ!
みたいな話で盛り上がっていたときに、
集中講義が終わって遅刻して
部屋に入ってきた私。



部員さんの一人が
「みんなで話をつくったりして、
あと、絵を描けるのは、
◯◯さんとセザールさんだから、
その二人が漫画を描いて…」

と。

いや、私は漫画は描いたことないぞ!
と心の中でツッコミを入れたのですが、

あまりにみんな、楽しそうだったので
水をさすのはなぁ、と思って
だまってました。

そうするうちに、話はとんとん拍子に。

私は漫画の描きかたなんて知らなかったので
その日の帰りに本を買って勉強開始。

そして、描いてみると

「へ?なに?とんでもなく、面白いんだけど!」
と気がついたんです。


とくに面白いのは

主人公を男の子にしたんですが、
自分は女性の人生しか生きられないのに、
私の二次元の分身は男性として生まれ、
男性として生きられる、
ということ。


私はずっと、男性になりたかったけど
それは無理なこと。

性転換できる、とか、そういう問題じゃない。

なんの疑問もなく、乳幼児期から男性として
すごしたい、という希望なので。


その欲求不満を叶えてくれるのこそ、
漫画を描くことなんだ
と気がついたんです。


そこで生まれたのが

赤穂くん。


なので、赤穂くんは別格にかわいいキャラで
彼は今でも大切にしています。

最近はしゅるつるばっかだけど、
元々は赤穂くんが飼ってた謎の生物が
しゅるつるですから。




これで、私が何を言いたいか?というと、


能楽部に所属してなければ、

クリエイター、同人作家としての
私は存在してなかった、
ということです。

しゅるつる、もいないから、
あらゆる作品はないのです。


でも大学3年生のとき、
漫画を描く楽しさを知って
暇さえあれば
漫画ばっかり描いてたとき

ふと、「漫画家になりたいな」という
考えがふと頭によぎりました。

でも、その瞬間、
「そう思ったことで、小学校のころの
ように友達が突然、裏切ってきて
私を悪者にしたらどうしよう?
やっとできた大切な親友と友達なのに!」
と恐怖感が頭をいっぱいにさせるのです。


でも、小学校のときの友達(元)と
大学のときにできた親友と友達、
は違うというのはわかってる。


頭ではわかるんです。


しかし、私が漫画家になりたいな、と
思った矢先に私はいじめられました。
「あんたなんかが、漫画家になりたいなんて
おこがましい!あほ!馬鹿!キ◯ガイ!」
なんて、仲のよかった子に言われるのは
もう二度といやだ。

いじめられた後、
その友達(元)で真っ先に思い浮かぶのは
いじめられたときの思い出。
仲良く楽しく遊んでいた思い出も
思い出すけど、それが実は「嘘」の楽しさ
だったんだ、と思ってしまう。

いじめられないまま、
卒業してお互い疎遠になる形の
別れだったら、
その友達との楽しい思い出は宝物になります。


私には、友達に関する宝物の
思い出がほぼありません。

中学のときに仲良かったまま卒業した友達、
高校生のときの親友、
との思い出は宝だった。

でも、今、目の前にある、
大学でできた、親友や友達、との
思い出も宝にしたかった。
万が一、卒業の年に
私が漫画家をめざしたせいで、
その友達との仲がくずれるリスクを
考えると、怖くてめざせない!
というのがありました。


今から考えると、私は洗脳されてた
ままだったんでしょうね。
小学校で私をいじめた子たちの考えに。

実は脱却できたのは、

その後なんです。

先ほど話した、大学四年のとき、
事務員さんに
「漫画家になりなよ。」
と言われたのが、
洗脳をとく、最初の第一歩でした。

まず、大学時代の親友が
私の漫画を何度も読み返して
面白い!と言ってくれて、
卒業したあとに、よく二人で
旅行に行ってたんですが、そのとき
親友はなぜか旅行先にまで
私の漫画を持ってきて
読んでたり、

彼氏(今の夫)も喜んで読んでくれました。

実録エッセイマンガシリーズは
夫が
「セザールを主役にしたらマンガとして
面白いんじゃないの?」と
なにげなくつぶやいたのがきっかけでした。


また、
塾講師をやめるとき、あいさつしてたら、
ある生徒さんが
「僕は先生の考え方が好き!
先生の絵が好き!
なので、漫画家になってください。
そうすれば、自分が大人になっても
どこに行っても
先生の話を触れられるもん。」
と言ってくれたとき、びっくりしました。

絵については、独自のプリントを配布する
ときに挿し絵で描いてたのでした。

しかもその生徒さん。
ふだんは授業を聞いて帰るだけで
ほとんど世間話をしたことなかった子
でした。
それが授業最後の日に、突然、
話しかけて、その言葉を言ってくれたのです。





そして、娘です。

よくわからないのですが、
私の漫画とマイキャラのしゅるつるの
熱狂的ファンの娘。

お母さんがつくったから好きなわけじゃなくて、
自分の好きなものをつくってくれたから
お母さんが好き、
となった娘。

ここらへんは、ASDのまんかでも
描いたのですが、
娘は私にまったくなつかず、
私は自殺一歩手前までいきました。



そのとき、娘が赤ちゃんだったとき、
将来読めるように、私が描いた
しゅるつるの絵本を娘が
幼稚園直前あたりに気に入り、
そこから母子は仲良くなりました。


つまり、能楽部に入ってなければ、
絵を描く私も、しゅるつるも誕生して
いなくて、もしかしたら、
 私は一生娘と仲良くなれなかった
のかもしれません。
(…というか、そもそも
能楽部の友達のつながりで夫に出会えたので
そもそも娘は、わたしが能楽部に入って
なければこの世に誕生してないけれど。)


よく考えれば、
大学時代から、
私の絵や漫画を応援してくれる人しか
いなかったのに、

たかだか小学校のときの友達(元)や
担任の先生の
心ない言葉のほうを優先するという
思考回路がおかしかったのです。

でも、それが、洗脳ですよね。

だから洗脳はおそろしい。

信じるべくは
小学校時代の過去の人間でなく
目の前にいる人たちだったのに。

今なら信じることできます。
ありがとう!



今回は以上です。


ただ、今回は、
小学校のいじめで諦めてしまった
漫画を描くことができるようになった、
という話で、 まだ能楽が好きになった、
という話はしてません。


次回がついに、クライマックスです。
(最終回ではないです)








みなさま、昨日もありがとうございました。



春休みを満喫中の娘。

春休みは宿題がないので
堂々と遊べるのは良いですね。




娘は裁縫をやりたくてしょうがないので
春休み中のおもちゃはこちらを購入♪
(我が家は、長期休みのとき、1つじっくり
遊べるゲームやオモチャを買う、と
いうルーティーンを徹底させました。
ルーティーンにしたほうが
ASDの娘は落ち着くので。)

しかし、編み物は私もさっぱり。

教えられん!
けど、娘も説明書を読んでもさっぱり。


なので、私ががんばってつくったら
この残骸ができあがりました。



裁縫、ほんとに苦手なんだな、と実感。

でも、たぶん、
私の中で「編み物の原理」というものが
わかってないからできない、
というのは経験上わかってるので、

自分で編み物に向き合っていったら
あるとき突然わかるようになると
思うので、がんばりまーす。


そういえば、


私立中学受験をする場合は
もう娘の年齢で塾に通い始めますし、
私立中、国立中受験をしない子でも
塾に通い始める時期になってきたので、
来年度はどうなるのかなぁ、と。


情報通のママさんに
「この塾はいいよ!
とか進められるけど、

「ここの塾が言ってる受験指導は
うわべだけのことしか言ってない。
分析力ないよ。」
とか
「この塾がどういう指導しているか知ってる」
とか知ってるので、
ママさんの誘いにのらない私。

でも、最近は、ほとんどのママさんと
ほぼ交流ないママ友さん少ない私は
気楽なもんです。



私の場合は、小学校のうちは
塾に通わせる予定はないです。
私立中学受験予定もないので。
まあ、私立中の内情も知ってるから…。
うちの子には合わない。


私立中受験指導をバリバリの塾の
塾講師をしていた身としては、
たしかに、
先に進んだ授業をしているから
塾に通わない子より一歩進んでいるように
みえがちなんですが、
そういう子はごく一部だと知ってるから
あまり焦らないというか、なんというか…。

あと、娘の場合は
解けるけどモヤモヤする、
もいう子なので、
そのモヤモヤの理由がわかる人は
少ないと経験上わかっているので
塾に行けば解決するわけじゃ
ないんですよね…。
むしろ、先生によっては
勉強嫌いになってしまう。


…ということで、小6までは
私が教えようかなぁ、と思ってます。

ああ、いつになったら
仕事を復帰できるのだろう?

と不安感は否めませんが、

でも、娘は教えてて
すごく面白い子で、
母子としての相性より
師匠、弟子、として相性が良いんですよね。




それが良いか悪いか?は
人によって違うとは思うんですが
少なくとも私たちはその関係によって
とんでもなく仲良し母子になったから
いっかー!と思ってます。