能楽が苦手だった私が能楽部所属を続けた結果6 漫画家にならないの? | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございました。

水曜日なので、能楽部の思い出をば。







大学四年生は
サークルに顔を出しつつ、
就活や教育実習、卒論制作をメインに
やっていこう、と思った私。

しかし、そうはいっていられない事態に!

それは、能楽部に新入部員さんが入ってこない!という状態に。

もし入らないと、自分達が卒業すると、
残りのメンバーは2人になってしまい、
自分の大学部員だけで舞台に出るのは
困難になってしまいます。
そして、そのまま、新入生が
入らない状態が続くと
廃部の危機です!


実は、一応、
最初、入部希望の子はいたのですが、
結局入部をする、しない、が
あいまいなまま、夏休みに突入。


話は遡るのですが、
実は大学三年生の最後の舞台の
申し合わせ(リハーサル)のとき、
私は、囃子方の先生にすごく怒られて
しまったんです。

舞囃子の謡いができてない!と。

私がそのときの地頭でした。

元々、苦手なものだったうえに、
難しい演目でした。

それでも、おそらく他の方なら
うまくできたと思うのですが、
すごくがんばったのに、うまくできなくて
申し合わせ(リハーサル)は散々でした。

囃子方の先生は、リハーサルの後に
指導をして下さりました。


そのとき、私が思ったのは、

私が地頭だったために

いつも指導してくれていた先生も
指導力を疑われただろうし、

他のメンバーも本来なら今は
家に帰宅している時間なのに
練習につきあわせてしまった、

大学の看板にも私が泥を塗った、

という申し訳なさ全開でした。


もしかして、そういう私の能力不足が
次年度の新入生0を招いたのかも
しれない、
と罪悪感で死にたくなりました。

今から考えれば
誰も舞台は見に来てないだろうし、
たまたまだった、と思うんですが。

それに本番は、
なんとか、一応、
形はあやしいながらでも
謡いはできてはいた…は…ず?
たぶん…、おそらく……?!!

でも、私は、前年度
部長だったし、地頭だったし、
というので、責任感を感じて
色々と新入生獲得を目指す努力を
することにしました。


一つ目の努力は、
新入生勧誘の目的で舞台の告知のポスターを
作成して校内に貼るというもの。

それまでは、
新入部員募集のためのビラを
貼るのはしてたましたが
舞台開催のビラを貼ったことは
あまりありませんでした。
(公的な大きいポスターを頂いたときに
貼ることはありました。)

また、新入部員募集のビラ(ポスター)は
能のイラストなどを描いたポスターのみにしてたんですが、
漫画のほうが良いのでは?
と思って、
漫画広告みたいなポスターを作りました。

校内にポスターを貼るには
大学の許可があるので
事務局にそのポスターを提出に言ったら、

事務員さんが
「え?何、この漫画。
あなたが描いたの?

漫画家目指してるの?

これだけ描けるんだもん、
せっかくだから
漫画家になりなよ!」



と言われてびっくりしたんです。びっくり




「いや、そういうわけではないのですが…」
と返したら

「なんで?目指しなよ!」
と言われました。


いや、それまでも実は漫画を描いてした。

でもそれはあくまで素人として漫画を
描くお付き合いという気持ちだけでした。

「見ず知らずの他人に
漫画家になりなよ!」
と言われることなんて
一生ないと思ってました。

そのとき、すでに塾講師として
内定してたので、
職業としての漫画家というのを
意識したことはなかったのです。


でも、このことが、私のなかで
ずっと残ってて、
今さらですが、
漫画家を目指しているのです。

小学校のときのいじめ、冤罪盗作事件で

「プロの漫画家を目指すことを
さんざん否定された」私。

私には、プロの漫画家になりたい!と
いう気持ちを持つことさえ罪なんだ、
とずっと思ってました。


それが、まさか、ほとんど私を知らない
事務員さんに言われてびっくりしたのです。
だって、私に媚を売っても
何のメリットもない立場だし、
私をいい気にさせて下に突き落とすつもりでも、もう二度と合わない可能性の高い相手に
それを言うメリットもない。

事務員さんは何気ない会話で
言っただけでしょう。

でも、
それは
私がずっと
欲しかった言葉

だったんです。




ただ、じゃあ、私はいつ、漫画を描きを
始めたんだ?ということに
なりますよね?

時間を戻します。

大学1年のとき、
冤罪盗作事件のあとにやめていた、
絵を描くことは再開できました。

きっかけは、以前、
昔の記事にも書いたように
能楽部のサブパンフレットという、
各大学の交流を目的とした
ものを、各部員一枚描く、ということから。


そのとき、先輩が
例として、前年度のサブパンフレットを
見せてくれました。

すると、トーンを貼った漫画っぽいキャラや
能楽の絵が載ってました。


なので、私は、しっかりと漫画絵を
描かないと
いけない!と勘違いして、
トーンやペン軸、ケント紙などを購入し、
生まれてはじめて、
モノクロイラストというものを描きました。


提出したら
「昔から、トーンを使ったりした
漫画絵を描いてたでしょ!」
と部員さんに言われました。


「初めてです。」
と言っても信じてもらえないほど。


私よりも上手い部員さんもいれば、
絵を描かない部員さんもいました。

でも、全員が、
嫉妬も侮蔑もしず、
「セザールさんは絵が描ける人」という
事実だけを受け入れている、という
うれしい状態でした。

小学校のときは嫉妬心で
わざと「下手」とか「いい気になるな!」
としか言われなかったので、

出会った部員さんたちは
ホントに今から思うと
とても貴重な、公平な人達だったのだと
思います。(当時は大人になれば、
みんな公平な人になると勘違いして
ましたが、うん、違うのね!と
娘を産んでから気がつきました。)


そのあと、個人のHPをつくるのが
流行っていた時期なので、
自分もイラストの絵をHPで載せたいなぁ、
という気持ちからHP開設しました。

当時は、キリ番にイラストを描く、という
風習があったので、それで、たくさんの
方に絵を描かせて頂きました。

ナポレオンメインのHPだったので、
歴史人物の漫画イラストが人気でした。




そのころは、漫画イラストを描くことは
あっても、漫画を描くことは
ありませんでした。

部員さんたちも、イラストを描く人は
いたけど、漫画は描かなかったので。



そんなある日に転換期。

大学3年生の夏休み。

私は教員免許をとるために、
夏休みの集中講義も受ける必要があったので、
講義を受けてから遅刻して部活に。

そのころは、練習したい人は
個人で練習しているけど、

部長の私が練習始めようか!
と声かけしたら、全員で練習始める、
という状況によくなってて、
私が休みでない限りは
まあ、1時間以内の遅刻程度なら
部長の私が来るまでは
緊急に差し迫った発表会がなければ
おしゃべりしよう、
みたいになってました(笑)。
まあ、それくらいゆるい日があっても
いいかな?と。

高校のとき、自分が演劇部の
部長をしたときは
真面目にやりすぎて、部員さんたちが
精神的にヘトヘトになって、
部員たちで険悪なムードになった
苦い経験から
雑談の時間も大切に、と思ってたので。


そんなある日、教員免許
獲得のための特別集中講義を
うけたために部活に遅刻して合流した私。

他の部員さんたちは

他大学の人が
架空の能楽師さんを
主人公にしたコメディまんが同人誌?を
作ったそうで、それをもらった部員さんが
みんなに見せたところでした。


それで、どうも、
私たちの大学の能楽部も
能楽をモチーフにした漫画を描こうよ!
みたいな話で盛り上がっていたときに、
集中講義が終わって遅刻して
部屋に入ってきた私。



部員さんの一人が
「みんなで話をつくったりして、
あと、絵を描けるのは、
◯◯さんとセザールさんだから、
その二人が漫画を描いて…」

と。

いや、私は漫画は描いたことないぞ!
と心の中でツッコミを入れたのですが、

あまりにみんな、楽しそうだったので
水をさすのはなぁ、と思って
だまってました。

そうするうちに、話はとんとん拍子に。

私は漫画の描きかたなんて知らなかったので
その日の帰りに本を買って勉強開始。

そして、描いてみると

「へ?なに?とんでもなく、面白いんだけど!」
と気がついたんです。


とくに面白いのは

主人公を男の子にしたんですが、
自分は女性の人生しか生きられないのに、
私の二次元の分身は男性として生まれ、
男性として生きられる、
ということ。


私はずっと、男性になりたかったけど
それは無理なこと。

性転換できる、とか、そういう問題じゃない。

なんの疑問もなく、乳幼児期から男性として
すごしたい、という希望なので。


その欲求不満を叶えてくれるのこそ、
漫画を描くことなんだ
と気がついたんです。


そこで生まれたのが

赤穂くん。


なので、赤穂くんは別格にかわいいキャラで
彼は今でも大切にしています。

最近はしゅるつるばっかだけど、
元々は赤穂くんが飼ってた謎の生物が
しゅるつるですから。




これで、私が何を言いたいか?というと、


能楽部に所属してなければ、

クリエイター、同人作家としての
私は存在してなかった、
ということです。

しゅるつる、もいないから、
あらゆる作品はないのです。


でも大学3年生のとき、
漫画を描く楽しさを知って
暇さえあれば
漫画ばっかり描いてたとき

ふと、「漫画家になりたいな」という
考えがふと頭によぎりました。

でも、その瞬間、
「そう思ったことで、小学校のころの
ように友達が突然、裏切ってきて
私を悪者にしたらどうしよう?
やっとできた大切な親友と友達なのに!」
と恐怖感が頭をいっぱいにさせるのです。


でも、小学校のときの友達(元)と
大学のときにできた親友と友達、
は違うというのはわかってる。


頭ではわかるんです。


しかし、私が漫画家になりたいな、と
思った矢先に私はいじめられました。
「あんたなんかが、漫画家になりたいなんて
おこがましい!あほ!馬鹿!キ◯ガイ!」
なんて、仲のよかった子に言われるのは
もう二度といやだ。

いじめられた後、
その友達(元)で真っ先に思い浮かぶのは
いじめられたときの思い出。
仲良く楽しく遊んでいた思い出も
思い出すけど、それが実は「嘘」の楽しさ
だったんだ、と思ってしまう。

いじめられないまま、
卒業してお互い疎遠になる形の
別れだったら、
その友達との楽しい思い出は宝物になります。


私には、友達に関する宝物の
思い出がほぼありません。

中学のときに仲良かったまま卒業した友達、
高校生のときの親友、
との思い出は宝だった。

でも、今、目の前にある、
大学でできた、親友や友達、との
思い出も宝にしたかった。
万が一、卒業の年に
私が漫画家をめざしたせいで、
その友達との仲がくずれるリスクを
考えると、怖くてめざせない!
というのがありました。


今から考えると、私は洗脳されてた
ままだったんでしょうね。
小学校で私をいじめた子たちの考えに。

実は脱却できたのは、

その後なんです。

先ほど話した、大学四年のとき、
事務員さんに
「漫画家になりなよ。」
と言われたのが、
洗脳をとく、最初の第一歩でした。

まず、大学時代の親友が
私の漫画を何度も読み返して
面白い!と言ってくれて、
卒業したあとに、よく二人で
旅行に行ってたんですが、そのとき
親友はなぜか旅行先にまで
私の漫画を持ってきて
読んでたり、

彼氏(今の夫)も喜んで読んでくれました。

実録エッセイマンガシリーズは
夫が
「セザールを主役にしたらマンガとして
面白いんじゃないの?」と
なにげなくつぶやいたのがきっかけでした。


また、
塾講師をやめるとき、あいさつしてたら、
ある生徒さんが
「僕は先生の考え方が好き!
先生の絵が好き!
なので、漫画家になってください。
そうすれば、自分が大人になっても
どこに行っても
先生の話を触れられるもん。」
と言ってくれたとき、びっくりしました。

絵については、独自のプリントを配布する
ときに挿し絵で描いてたのでした。

しかもその生徒さん。
ふだんは授業を聞いて帰るだけで
ほとんど世間話をしたことなかった子
でした。
それが授業最後の日に、突然、
話しかけて、その言葉を言ってくれたのです。





そして、娘です。

よくわからないのですが、
私の漫画とマイキャラのしゅるつるの
熱狂的ファンの娘。

お母さんがつくったから好きなわけじゃなくて、
自分の好きなものをつくってくれたから
お母さんが好き、
となった娘。

ここらへんは、ASDのまんかでも
描いたのですが、
娘は私にまったくなつかず、
私は自殺一歩手前までいきました。



そのとき、娘が赤ちゃんだったとき、
将来読めるように、私が描いた
しゅるつるの絵本を娘が
幼稚園直前あたりに気に入り、
そこから母子は仲良くなりました。


つまり、能楽部に入ってなければ、
絵を描く私も、しゅるつるも誕生して
いなくて、もしかしたら、
 私は一生娘と仲良くなれなかった
のかもしれません。
(…というか、そもそも
能楽部の友達のつながりで夫に出会えたので
そもそも娘は、わたしが能楽部に入って
なければこの世に誕生してないけれど。)


よく考えれば、
大学時代から、
私の絵や漫画を応援してくれる人しか
いなかったのに、

たかだか小学校のときの友達(元)や
担任の先生の
心ない言葉のほうを優先するという
思考回路がおかしかったのです。

でも、それが、洗脳ですよね。

だから洗脳はおそろしい。

信じるべくは
小学校時代の過去の人間でなく
目の前にいる人たちだったのに。

今なら信じることできます。
ありがとう!



今回は以上です。


ただ、今回は、
小学校のいじめで諦めてしまった
漫画を描くことができるようになった、
という話で、 まだ能楽が好きになった、
という話はしてません。


次回がついに、クライマックスです。
(最終回ではないです)