能楽が苦手だった私が能楽部所属を続けた結果6 | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございます。

今日は水曜日なので、
能楽部についての思い出のお話シリーズです。





前回までのお話は
自分が能楽部での活動をきっかけに漫画を
描けるようになった、
という話をしました。




第一回はこちら↓ 



これは、小学校のときの
いじめ、と、冤罪盗作事件で
絵を描くこと、漫画を描くことに
恐怖感を持ってた私に
また絵や漫画を描く楽しさを
戻らせて頂けた、
大切な出来事でした。


でも、これだけじゃ、
別に能楽部じゃなくて、
他の部活に所属をしていても、
おこった可能性はあります。
(ただ、このときに出会ったメンバーの
みなさんは、私にとって
とても大切な友達なので、
能楽部以外に所属してたら
今の楽しい人間関係はなかった、
というのはありますが…。)



私は能楽の何が良いのか?

わからなくて、大学1年生から
悩み続けていました。

いや、能楽だけではありません。


文学部に入ったのに、
日本文化の良さがわからない。

嫌いではないんです。
でも、一番にならない。

というか、

モヤモヤする、
違和感がある、
疎外感を感じる、

そういう感じでした。





でも、周りの人は日本文化が好きみたい。

だから、私も好きにならないと!
とがんばったのですが、無理でした。



こちら、今から考えると、
「感情をもつ=結果だけ出そう」
とするから辛かったのです。


大切なのは、結果を出すために
がんばる過程です。



得られる感情は
過程をしっかりやったための
結果に過ぎず、
その過程は自分に合ったやり方でないと
絶対に結果は出せません。



このように、大学4年になり
塾講師に内定した春の段階でも

まだ能楽も日本文化も日本史も好きになれず
そのまま卒業かな?と思ってた私。

しかし、6月に教育実習に行き、
散々、そのときの先生たちに
尊厳をズタボロにされました。

そのときの話は以前のブログにも書きました。



そのあと、
怒りが収まらなくて
「何かしっかりと成し遂げたい」衝動に。


教育実習先の先生が言うような
ダメな私ではないんだぞ!と。
こう思えるぐらい、
大学生活は人間関係に
恵まれていたんでしょう。
自己肯定感を得られたからこその怒り。


そんな矢先に、もう夏休みに突入する時期に
なってきたのに、能楽部に
新入部員が入る兆しがない、
ことがわかりました。

前回もお話ししたように、
ポスターも貼りました。

でも無理でした。

もう、これは、
学祭のときにがんばってアピールするしか
ない!!


という状態に。

今までは、
1月の大切な発表会(大会)の前の
練習みたいな位置付けで
ステージで能(仕舞)を舞う、

ということのみ、していました。


でも、それだけでなく、

「能って、こんなものなんだよ!」
と広く知ってもらう必要があるね、
それをしよう!

ということに、部員さんたちの
話し合いでなりました。


そのとき、その一貫で、
みんなで能楽についての
説明冊子を作って、
ステージの舞台を見ている人に
配ろう!ということになりました。



まあ、それはとても大変な作業でした。


なにせ、自分の大学には
先例がないから。
(先例があったかもしれませんが、
もう資料もない)


そして、今だと、能楽のイラストを
無料で使える素敵なサイトさんもあったり、
SNSで色々となんとかなることもありますが、

いかんせん、私が大学4年のときは

能楽の絵についてのサイトは
ほとんどありません。

あったとしても、
無断で使えない。


なので、
絵を描けるメンバーは
挿し絵を描こう!

そして、全員でページを振り分けて
文章を書いていこう!と
いうことになりました。


そのとき、私は

絵については、
能の各種類(一番目物~五番目物)についてと
表紙、を描くことに。


そのとき、メンバーの一人が

「オリジナルのゆるキャラ作って、
その子が冊子の
いろんなところにいるのも
どうかな?」

と提案。

それで、その、ゆるキャラを作るのが
私に。

これでまあ、色々と悩んだ末、
私は仕舞「殺生石」を舞うことに
なってたので、

野干(やかん、いわゆる、美女に化ける九尾の狐)と、
能の大成者の観阿弥、世阿弥さんから、


「やかん」、「かん」あみ、「ぜ」あみ、で、

「やかんぜ」

という九尾の狐のキャラクターを
つくりました。


実は、この、やかんぜ、が、
私の最古のゆるキャラです。

(最近の作品でも「やかんぜ」を
出してますが、実は彼女とは
長いお付き合いだったから

「そこファン」に出しました。

もしかしたら「そこファン」を最期に
クリエイター&同人活動を
やめることも考えているので、

自分がお世話になったキャラは
出しまくる予定なのです。)


最初は、動物のゆるキャラなんて
私はつくれない!
と思ってましたが、

一回つくると、まあ、そのあとは
ホイホイ出来てしまい、
今は、めちゃくちゃいますね。
しゅるつる族、とか、多すぎる…。(笑)



また、大学には外国からの留学生も
たくさんいらっしゃるので、

英語版も作ろう!

ということに。

でも、英語の学部の子は一人しかいなくて、
さすがに、その子、一人だけに頼むのは
酷だと思って、私が少しだけ引き受けました。

みんなが作った日本語ページを
英語に直すかたち。

そして、みんなのページを頂いてから
いざ、英語に直そうと思ったら、
うーん、直せない。
すごく焦ったんです。


それで、大学生になって、母に泣きつきました。

母は英語が大学の専攻だったので。


そうしたら母が
「これは英語というより、
日本語の問題かも?

日本語だと、わたりきってあるものは
省略してある。
なので、その文の間を読み解く必要があるね。」

と。

でも、私は能に詳しくなかったので、
他の人の文章を英語に直すときの
行間が、うーん、読み取れない、
だと気がつきました。


今までは
「能を好きになろう!」という
努力しかしてこなかったのですが、

このときは
「英文に訳せるようにしよう!」
という、英語の頭に切り替わったんです。


一応、これでも、中学のときは
1年から3年まで、常に、英語は学年トップ
だったし、高校でも、英語、とくに
グラマーは得意でした。
なので、当時の私は
英語、とくに、英作文に関しての
プライドは高かったんです。
英会話がポンコツだったから
英語全体は苦手なんですが

英作文は大好き。
(大学レベルではないかもしれないけど)


なので、必死に

「勉強」

したんですよ、英作文をやりとげるために
能楽について。


そうしたら、
能楽だけでなく、
日本文化や日本の歴史も知らないといけない。

それについても、めちゃくちゃ勉強した。


すると、あるとき、

突然、わかったんです。


「奇跡の人」の「ウォーター」みたいな!



ヘレン・ケラーが
それまではなぜ文字を覚えさせられるかわからなくて癇癪起こしていたのに、
あるとき突然、
「あらゆるものに言葉がある」
と理解したように、

私の中で

「能は紫なんだ!」

とわかったんです。


いや、どの文献にも
「能は紫」だとは書いてないですよ。

何が言いたいか?というと、


「紫」とは
静かなる高貴、
というイメージが私にはあります。

また、紫は青と赤が混ざってできた色であり、
その赤と青の配合割合により
赤紫、青紫、となりますが、
二つの印象は全く違います。

それと同じように

能楽というのは、

貴族(公家)と武士(武家)が混ざりあった芸術
であり、その配合割合により、
二つの印象は違ってきます。
しかし、どちらも切り離せない、
そういう文化。


貴族の文化である「源氏物語」を
演じるのに、
静寂という美しさを持つ「武士」の
雰囲気が混ざりあっている。


武士らしい話もある。
でも、そのなかに、貴族の「気品」も
混じっている雰囲気がある。



神様の話も、妖怪の話もある。
でも、彼らは、貴族や武士と
なにやらの関わりがあったりする話
が多いです。



それこそが「能楽である」と。

まあ、実際に、
能楽は、室町文化なので、
そういう風に社会でも習いますが、
当時は、言葉を丸暗記しろー、とか
文化史は教科書読めばわかる、という
謎の言葉で教えない先生が多いので。



私は実は何でも色で感じとる人。

共感覚というものがあります。

数字も色が感じるし、人間だって
感じる色で区別してます。


また、体系的、統計的、に考え、
全体把握とカテゴライズをできたら
初めて理解できる人なんです。



やっと、自分なりの「能楽」が
わかったことから、
もちろん、英作文もできました。
母が大学時代に使ってた英英辞書も借りて
まあ、かなり大変でしたが。

添削もしてもらいました。(笑)






そのように、
能楽を「なんとなく好きになろう」で
がんばってた3年間。

能楽についての説明を
書けるようにしよう、と
能楽について勉強しまくった2週間。

3年間どんなにがんばっても
ダメだったのに、
この!たったの!2週間で
初めて私は能楽が好きになったのです。


なんとなく、ですが、

能の拍子って
「西洋で言うと、4分の5拍子!小節はいらんじゃん!」みたいなツッコミ、
そういう独自の考えで能を見るようになって
初めて、能楽が好きになりました。



好きになろう、では好きになれない。


理解しよう、で好きになれる。



私はいつも、なんでも同じ。


歴史だって、好きになったのは
理解できたから。

娘と仲良くなったのは、
娘を理解できたから。


私は、

理解できて初めて
好きになれる、
そういう思考なのです。



ちなみに新入部員さん、なのですが、
冊子つくりとは関係なしに、
学祭直前に三人も入って頂けました。
ありがとう!



結局、新入部員獲得には
冊子つくりは関係なかったけれど、


私にとっては、

ゆるキャラのつくるきっかけ、
能楽を理解できて好きになるきっかけ、


を作ってもらえた、
とても大切な機会でした。

そして、私は卒業をしました。

その後、卒業生てして舞台に出たり、
現役生の舞台を観に行ったり、
部活に顔を出したり、同窓会に出たり、
そういうことはちょこちょこしてました。

能楽を好きになれなければ、
たぶん、卒業と同時に、
能楽部とは縁を切っていたでしょう。

でも、そうしたら、夫とも会えなかったし
娘は存在してなかった。

今日は以上です。

次回が最終回です。

内容的にはこちらで終わりなのですが、
あとがき、を書きたいなぁ、と。