私の同人作品に対して言われ憤慨したこと1 | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございました。

今回は二回にわたって、私の愚痴を。

若干、毒吐き気味なので
お気をつけをえーん


牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま

こちらのブログでも散々書いてますが、
私は漫画を描くのが好きで、
私が描いた、その漫画を娘は
好きです。

お母さんが描いたから、でなく、

この作品が好きだからお母さんも好き、

という好き。


私としては、
素人漫画だな、
画力も構成力もプロには遠く及ばない、
と思っているのですが、
娘は、ほんとに好き。


子供ゆえに
もっとすごい漫画もあるのに
それを知らないから、
とも思ってましたが、

プロの作家さんの漫画は漫画、
お母さんの漫画は漫画、で
それぞれ好きらしいのです。


娘としては、その作品を他の人にも
好きになってもらいたいのに、
あまり見てもらえないのが不満らしいのです。


…とここまでは、今までの記事でも
書いたことありますが、
今回はその娘の
私の作品への愛の
暴走でおきてしまった
事件の話です。



私のつくった作品で、
娘が一番好きな作品は、
「そこそこファンタジー」。


私自身は、
自分が描きたいものを描いている
作品です。

目的としては画力の向上のために
描いてるんです。

自分が描きたいものを描こう!
という気持ちがあるから
難しい構図とか、背景とか
がんばって描こうとするから

どんどん色々と描けるようになった。


それに対して、
娘がすごく喜ぶ、
そして、Twitterやブログでアップしたとき
少しでも反応を頂けたらうれしい!

という気持ちで描いてました。


プロの漫画家になりたい!

という夢はあります。

いや、ありました、と言えばいいかも
しれません。



私の中では

プロになるための努力と

「そこそこファンタジー」を描くための努力は

接点はあるけど、別物でした。



自分の中で

「賞への投稿用のものを描くとき、

いつも自分の画力のなさの自信のなさ

で話を制限している傾向があるので
その制限している劣等感を取り払うのが
先決!」

というものがありました。

こちらは、以前、出張まんが編集部の方に
指摘された言葉です。


ほとんどの編集部の方が
「年齢が年齢だし、内容は悪くないが
画力がない!」
という言葉だったのに対して、

ただ一人の編集部の方が

「話が面白いのに、もったいない。
だって、
君、
自分が画力がないこと、と
若くないことを自覚してるでしょ。

それで無意識に作品作りを制限している。

読者は一生懸命描いた作品に対してなら
やさしいよ。

だから、年齢も気にしない!
一生懸命画力向上しなさい。

構成力やコマ割りは君の頭の中にはある。

おそらく、それを出したいのに
邪魔しているのは
あなたの画力への劣等感だから。

画力のなさそのものでなく劣等感。

劣等感は努力でなくせるから!


うちは年齢は気にしない。

だから、自分が納得できる画力になったら
またがんばりなよ!」

と言われたのです。

だから、画力をがんばってるところでした。


また、台詞まわしも、
今は「そこそこファンタジー」で
色々と試して
自分に合う、というか、
自分が自信を持って
これでいい!
と思うものをつくっていこう、と。



子供って正直なんです。

「これってどういう意味?」

とか

「この人は何を考えて言ってるの?」

と色々と聞いてくるんです。

だから、
「あ!ここの台詞まわしを変えなければ!」

とか


「このキャラを読み手に受け入れてもらうに
はこういう展開ではだめなのか、じゃあ、また別の展開をまた描いてみよう!」

とか考えられる。



私はそれで良かったんです。

たとえ人気がなくても。



でも娘はそれを許さなかった。


他の作品で、でなく
「そこそこファンタジー」で
人気を得て欲しかったのです。



それで、ついに、ある人に
「そこそこファンタジーを読んでほしい!」
と頼むようになってしまったのです。


その人、私としては
尊敬しているし、好きです。
発達障害への理解もあります。



でも、創作活動についてと
アニメや漫画についての偏見がある、
というのは感じていた。


その人は
「プロの漫画でもない素人の漫画を喜んで読む人の気がしれない。何が楽しいんだか!」
と同人活動をしている人だけでなく
同人即売会を楽しみにしている人を
愚弄するようなことを平気で言います。

そのくせ、
プロの漫画さんの作品も
だいたいは途中で飽きた、と言って
最後まで読まない。

「ガラスの仮面」も、
「たけくらべ」のあたりで
「毎回の同じ繰り返しだからあきた。」
と言うのです。
どんどん面白くなるのに
そこを見ないで、平気で
その作品を愚弄する。




「犬夜叉」も
妖怪との戦いばかりであきたと言って
桔梗が復活する前に読むのをやめてる人。


「面白い」と言った作品の
「はたらく細胞」も
漫画を最後まで読んでない。


別にそういう風に生きるのはかまいません。


私だって、
すべての作品を最後まで読まずに
挫折している作品もあります。

偏見で読まなくて
あとで読んでおもしろくて、
リアルタイムで読まなかったことを
後悔することもよくあります。



だけど、

素人さんが描いた漫画に対して
好き嫌いはあるけど、
バカにしません。

必死で1つの作品を完成させた、
というのがどれだけ大変なのか
知っているから。


でも、その人は
「私は昔は小説家になりたかった。
でも、自分は自分に才能がないことが
わかるくらい頭が良いし
冷静な判断ができるから
私はあえて小説家になる夢をやめたの」
と上から目線で言うのです。


今、プロの人だって
どれだけ「自分には才能ない」と
わかっていても、それでも
必死にしがみついて、
バカにされようがなんだろうが
がんばった結果、
プロになれた人がほとんどです。


才能があるか、ないか、なんて、
あとにならなきゃわからない。


だから結局その人は
「人にバカにされること。
自分のできないところ、ダメなところを
見たくない」という逃げの気持ちで
小説家をやめただけ。



私が
「もうプロになれるかは別として
小説書きたいなら書いて
発表しちゃえばいいじゃん。
小説投稿サイトにアップすれば
人数は少なくても読んでもらえるよ!」

と言っても

「素人が書いた作品を読む人なんて
たいした人はいない」

と言うのです。



私の中では
ずっとその言葉がひっかかってました。


素人が書いた作品も読むのが好きな人は
プロの書いた作品も読みます。


彼らは
だれが書いた作品なのか?
プロなのか?人気なのか?より
小説や漫画そのものが好きなんです。



そういう世界の人と実際に話したことも
ないくせに、
なんで、その世界でがんばって
作品を書いている人、
その作品を愛してくれる人を
バカにするんだろう、
というモヤモヤがありました。


だから、私が同人活動をしていることは
伝えてあるけど、
その人に作品を見せるつもりは
ありませんでした。


それが娘によって
その人が読んだことで、
すごく嫌な気分になったのです。

それについては、また次回、お話しします。

ちなみに、娘が好きな「そこそこファンタジー」の記事はこちら。↓↓


ひどい出来の漫画ですが、
第10話くらいまで読むとだんだんと
画力が向上しているのは
わかります。