CDA -14ページ目

CDAの研究会

CDAキャリアカウンセラー



CDAの研究会



CDAでは継続学習の一環として「研究会」制度を設けています。

しかし、会員専用ホームページから登録しないといけないこともあり
会員にもあまり知られていません。
私自身もしばらく知りませんでした。


今度、この中の一つをお手伝いすることになり、いま今後の勉強会
について企画しています。


ここでは主にCDAの独立、CDAの自立というテーマになりますが、

座長と話を詰めれば詰めるほど、奥の深さに気づかされます。


なぜかというと、独立に関してはまぁフリーランスが対象ということで

現在フリーの人、これからなりたい人、フリーに興味のある人が対象ですが、

自立に関してははっきりした定義が無く、対象が広い。


CDAの自立=人間としての自立(自立性を持った人間作り)という

なにもCDAに限らない社会人全体の課題だからです。


イチ会社員の私が、そのようなところにクビを突っ込んでしまいましたが、

若さを武器に?持っている知識をフルにさらけだしたいと思います。


研究者同士の集まりとか、そんな大層な集まりではありません。

独立・自立について一緒に考えて行きたい方は是非ご参加ください。


http://www.j-cda.org/cda/sapport.html

ベスト8

CDAキャリアカウンセラー




ビーチバレー


昨年に引き続きまたベスト8でした・・・。


なぜあと一つが勝てないんだろう。


これで3回目のベスト8か。


あと一つで銅メダルがもらえるのに。



敗因は・・・体力とメンタルと技術。全部じゃん・・・。


とりあえずいつまで続くかわからない朝筋トレをはじめます。





試合後は毎年恒例の馬堀海岸の近くの旅館へ


夕食は旅館のプライベートビーチでバーベキューと生ビール。

海の向こうを見ながら、1年後はどうなっているのか、振り返ってしまいました。

遠くのほうで東京湾の花火がすこーしだけ見えました!



毎年、この大会で私の夏は終了です。

さぁこれからもマイペースでいきましょか。



キャリアメンター

CDAキャリアカウンセラー




先日、私のキャリアメンターの紹介で


職業論の大御所、梅澤先生とお話しをさせていただく機会がありました。

当日とあるホテルのレストランで待ち合わせだったのですが、時間に行ったら
改修工事中で真っ暗・・・。

聞いてないよ~!!


しかもメンターは携帯をそんなに利用するタイプじゃなさそうだったので携帯番号を
メモって来るのを忘れ、途方にくれました。


PCのメールアドレスに送ってみたり、カバンの中の書類で何か連絡先がないか
探り、近くの喫茶店やガストを覗いたりしましたがいない。


家に名刺があることは知っていたので、カミさんに電話したら「これから丸井行こうと
思ったのに」と文句を言われましたが、何とか家に戻ってもらい名刺を探して
携帯番号を教わりました。


そして携帯にメンターの携帯に連絡したら、「1回ホテルの前にいったけど、いなかったよ」
なんて言われ、ずっと待ってれば良かったと後悔。(それでも結構待ってたんですよ!)


そんなことで、現地についてから1時間後に先生とお会いすることができました。


といっても、メンターと先生の話を横で聞いているだけでした。。。

梅澤先生は職業論の第一人者として長年研究、主に大学での教授として活躍されています。
JCDAジャーナルなどでも頻繁に論文を発表されています。


日本では「キャリア」について定義する言葉がないので、何か一つほしいとおっしゃっていました。
長年研究されている先生でもキャリアの定義が見つからないというお言葉が印象的でした。

いろんな意味でいい経験をしました。


『職業とは何か』
講談社


『大学におけるキャリア教育のこれから』
学文社

人探しの難しさ

CDAキャリアカウンセラー



人探しの難しさ



登録ではすべてを把握できるわけではない。


登録時点では、それなりに出来るだろうと判断した人材が実はクチだけということも多々あるが、


もっと重要なのは、受け入れ先の人との相性(性格)も大事なのだと感じる。




また、派遣スタッフのスキルが高すぎたり、受け入れ先の担当者のスキル不足(テクニカル、社会経験)によってもはじかれてしまうケースがあり、つくづく派遣先、スタッフの要望を細かく聞いていかなければ良いマッチングは出来ないと感じる。




ここ最近の傾向として


技術系の派遣社員はある程度のコミュニケーションがなければ、次が決まらない状況にある。


それほど、仕事数が減っている為、受け入れ先も慎重になっている。


といっても、極端にコミュニケーションが苦手な人がすぐに治せるほど甘くない。










中途半端なカウンセリング

CDAキャリアカウンセラー





本屋さんでキャリアに関しての本を手にとってみたところ、こんなことが書いてあった。


「キャリアカウンセラーのレベルが中途半端な状態でキャリアカウンセリング


をすると、余計な情報を与えてしまい、余計混乱させてしまう可能性がある。」



確かに。。。


私の仕事は派遣登録担当だが、困っている人にはつい業界に関するありったけの

情報を渡してしまうことがあり、人によっては歓迎されないという経験をしている。



ただ、その判断が容易ではない。

キャリアコンサルタント* ラボラトリー *

CDAキャリアカウンセラー



キャリアコンサルタント* ラボラトリー *




以前もこのブログでとり上げましたが、

キャリアコンサルタント・カウンセラーの資格を持つ人専用のSNSが今だけ会員を募集しています。



私も第1回オフ会も参加しましたが、皆さん志が高い人ばかりです。


このSNSの目的は団体に関係なく、将来キャリコンはどうあるべきか、どうしたいか真剣に
情報交換できる場です。

随時募集をしているわけではないので、少しでも興味のある方は、この機会にぜひご参加ください。



<キャリアコンサルタント* ラボラトリー *>
http://www.career-wing.jp/CCL/



※加入条件は厚労省指定の民間キャリア・コンサルタント資格及び、
国家検定キャリア・コンサルタント試験の合格者(有資格者)となります。

民主党へ政権交代した場合の派遣法改正

CDAキャリアカウンセラー



民主党へ政権交代した場合の派遣法改正




■派遣業種の制限


・製造業派遣が禁止


・26業種以外の派遣禁止




■派遣期間の制限


・2ヶ月以下の期間の派遣禁止



■派遣先の責任強化


・派遣会社が社会保険、健康診断の事業種負担分を支払えない場合は派遣先が支払う


・安全衛生教育は派遣先が行う




これが決定すると2010年4月から施行する可能性が高い。


これにより、製造派遣を行っている会社の大半が倒産する。

「キャリアカウンセラーとは」


CDAキャリアカウンセラー



最近のCDA活動を通した感じたこと。


「キャリアカウンセラーとは」


資格で例えるとわかりやすいが

産業カウンセラー と コーチング を包括したもの

これこそが本来のキャリアカウンセラーなのだと感じています。


そう考えると、キャリアカウンセラーの奥の深さ、守備範囲の広さを改めて感じます。


アメリカでは心理学の大学院を卒業後し、ある程度の実務経験をしないと
キャリアカウンセラーと言えないことを考えると当然の気もします。
あるデータによるとアメリカでのキャリアカウンセラーでさえ年収は300万~600万ドル
らしいです。日本の民間資格では期待するほうが酷なのかもしれない。


それにしても、この日本、国からの支援がないくせに資格取得者が増えすぎだと感じるのは私だけでしょうか。

日本人の場合、アメリカから来たものとかを珍しがるクセ、そもそもカタカナ表記に弱いこともあるのでしょうが

カタチのはっきりしない「キャリア」とか「カウンセラー」とかにイメージだけで吸い寄せられてしまうのでしょうか。


でも真剣に学習していけば、自分の考えが甘かったとか、奥の深さに気づいていくことでしょう。

それにも気づかない人は、この資格を活かして仕事をするべきではないと思います。


いつもどおり、何がいいたいかわからない結末。。。

ビーチバレー

CDAキャリアカウンセラー



5月以来今年二回目の参加。朝五時半起きはキツイっす。
引っ越しのダンボール出しが終わってないので早めにあがりましたが、あまりの動けなさにショックです。今日八景島はコート常設イベントとして かおる姫とか西村晃一?などきてましたよ。

レポート:西洋史(ガリア戦記)

CDAキャリアカウンセラー



4回目でやっと通った西洋史。




ガリア遠征の原因、経過、結果、歴史的意義について以下に論ずる。



1.原因、経過、結果

ガリア遠征のキッカケとしては、「ヘルウェティイ族」がガリア統一をにらんで新しい土地を求めて移動した際、「ハエドゥイ族」の領土を荒らしたこと、隣国に危険な国を置いてはローマが安泰ではなくなること、そしてローマはBC107年に「ヘルウェティイ族」に撃破され、カッシウス、カエサルの親族ピソが命を奪われたことを理由に戦争を始めた。カエサルは59年(41才)に初めてコンスルとなり、その翌年から51年までの8年間ガリア戦争となった。


58年、「ヘルウェティイ族」、他部族からの討伐依頼によるアリオウィストゥス「スエビ族」との戦い。57年、ローマに対抗して部族同士同盟を組んだことからのベルガエ人の「ネルウィイ族」、「アトゥアトゥキ族」との戦い。56年、「ルカ会談」では60年に結んだ私的な政治協定のゆるみを改めて締め直す意味で、ポンペイウスとクラッススが三国同盟の延長をするが54年のユリア、53年のクラッススの死により崩れることになる。55年、スエビ族に追い出され住居を求めてやってきたゲルマン人「テンクテリ族」、「ウシペテス族」との戦い。54年、ガリア軍の援軍にブリタニア人がいることから「トレウェリ族」との戦い、「エブロネス族」が反旗をおこす。53年、「エブロネス族」との戦いでは歴史から名前を消すほど徹底的な復讐であった。52年、ガリア遠征最大の山場ウェルキンゲトリクス率いる「アルウェルニ族」の戦い。これはカエサルの侵略を防ぐガリア人民族解放戦争であった。実は民族統一は過去にカエサルがまいた種であり、自分でその芽を摘むことになったのである。51年、ウクセロドゥヌムの要塞での戦いが最後となりガリア征服事業が完成となる。7年目までカエサルが書き、8年目はヒルティウスが書いた記録とされている。


2.ガリア戦記の特徴と近年の研究
この本は客観的な視点として三人称で書かれていることが大きな特徴である。その他、各部族との戦争のキッカケに都合よく大義名分をかざしたり、「彼らはみな泣きながらカエサルの足元に平伏した」など随所に自分を大きく見せるように書かれている。ガルバの12軍団のアルプス山岳戦は3年目の初めに記載されているが、実は前年2年目の秋の出来事とされる。またこれが落ち着くとガリアは平和になったと書いてあるが、3年目におこったウェネティ族の反乱によりまだ統一されていないことを知る。このことから、初めから8年もかかることを想定しておらず、これを機にルカ会談でのガリア知事任期延長があったのではないかと考えることが出来る。


ガリア戦記はいつ書かれたか。
ヒルティウスの「どんなに無造作に、どんなに早く書き上げたかを知っている」という言葉から、ウェルキンゲトリクスを倒したすぐ後の3ヶ月間という説が有力視されている。

なぜガリア戦記を世に出したか。
この時代の背景として、一人支配や共和政を崩す恐れのある人は全て保守派から標的となった。ローマの繁栄は属州からの税により潤っていることや、共和政ではもはやまとめきれない規模となっていたが、ローマ政治家はローマしか見ていない、ここにカエサルの世界帝国理念が芽生えてきた。ヒルティウスいわく、「世の歴史家が知識を欠いてはならぬと考えたためである。」としているが、実際はガリア遠征後、元老院保守派の弾劾に対する自己弁護とコンスル選挙を控えての民衆の投票獲得の手段だったと考えられている。

しかし、なぜあそこまでガリアの各部族の細かい状況までわかるのか。相手の上層部でなければ知りえない情報を相手目線で臨場感溢れるタッチで書いている。戦のたびに人質をとり事情徴収していたのか、日々の偵察に力を入れていたのか。「後世の歴史家が執筆せずとも利用できるほどにすばらしい出来」とされるようにヒルティウスもカエサルの文才を認めている。部下の見ていない場所での隠蔽や、現在の史料の多くが10世紀前後に書かれ、その間歴史家によって改ざんされたとも考えられるが、ガリア戦記の読者には彼の部下もいたことから、大きな嘘は書けないはずである。


なぜカエサルはローマにいなかったのか。
クィンティリアヌスの「弁論術教程」によると「もしカエサルが広場の仕事だけに没頭していたら、ローマ人で彼以外にキケロに匹敵する者はいなかったであろう」と言われることや、数々の逸話があるように弁才はトップクラスだったと言われている。しかし、カエサルは当初は借金の返済があったことと、その後ローマ内にキケロ、小カトーがいて思い通りにならないがガリアではトップになれるという計算があったのではないか、しかし最終的にローマで1番になることを目指したときに弁才と文才があっても戦争を絡めなければならないと悟ったからのではないかと考える。このことから、現代の歴史家シュトラスブルガーを筆頭にカエサルは大政治家ではないという意見が多いということも納得できる。


3.ガリア戦争の意義
ガリア戦争はカエサルをイギリスの英雄にした一つのキッカケにすぎない。カエサルをポジティブにとらえれば、帝政の定礎者、後世の多くの芸術家が注目をしていることだが、
ネガティブにとらえれば共和政の破壊者でもある。


しかし、そもそもガリア戦争がなければ、カエサルにまつわる資料、当時のヨーロッパの資料は後世まで受け継がれなかっただろうし、コンスルを7回当選しているマリウス、海軍を蹴散らしたポンペイウス、弁才キケロ、独裁者のスラなどと大差ない人物だったと考えられる。実際には、ファルサロスの戦いの勝利こそが都市国家に対して一人支配の勝利だと考えられているように、ガリア戦争後にすぐ死んでいたら、その後の一人支配はなかったかもしれない。確かに一人支配の根底にあるものはマリウス傭兵政策によるクリエンテラ創出であり、実際に帝政となったのはアウグストゥスであるが、その真ん中に位置づけられるガリア戦争により、都市国家をなくすキッカケとし一人支配の方向性を植えつけたことは誰が見ても明らかだろう。目に見える形でカエサルが現代に残したものとして、ガリア戦記という書物、ユリウス暦、現在のスペインやフランスでの建造物、文化などがあげられる。


<参考文献>
カエサル 長谷川博隆 講談社
ガリア戦記 カエサル 講談社
図説 永遠の都 カエサルのローマ 佐藤幸三 河出書房新社

文字数 2,496字