反米大陸
中南米において、米国の帝国主義的な新自由主義への対抗策が社会主義化する中南米の現在。たとえ民主的な政権であろうとも、米国にとって不都合であれば、暗殺などを画策し、米国の言うことを聞く軍事政権を樹立してきた。その反動でもある。
新自由主義を70年代にチリ・アルゼンチンの軍事政権、80年代にメキシコ、ブラジルなど債務危機に陥った国にIMFの融資条件として強要。それにより政府の赤字は減るが中小企業・地場産業は崩壊し、家計は逼迫する。こうして反米左派が政権を取り始める。(28-30)
米軍アメリカ学校。中南米のエリート軍人を集めて教育。暗殺や拷問を教え込む。ノリエガも卒業生で、民主的な政権をクーデターなどで倒し、親米の軍事政権を樹立させる。ジョセフ・ケネディは「世界の歴史上に設立された、どの学校よりも多くの独裁者を生み出した」と議会で非難。(145-149)
【書物としてGOOD】 2007年
新自由主義を70年代にチリ・アルゼンチンの軍事政権、80年代にメキシコ、ブラジルなど債務危機に陥った国にIMFの融資条件として強要。それにより政府の赤字は減るが中小企業・地場産業は崩壊し、家計は逼迫する。こうして反米左派が政権を取り始める。(28-30)
米軍アメリカ学校。中南米のエリート軍人を集めて教育。暗殺や拷問を教え込む。ノリエガも卒業生で、民主的な政権をクーデターなどで倒し、親米の軍事政権を樹立させる。ジョセフ・ケネディは「世界の歴史上に設立された、どの学校よりも多くの独裁者を生み出した」と議会で非難。(145-149)
【書物としてGOOD】 2007年
ホロコースト
ゲットー → 射殺 → ガス と変遷していくホロコーストの歴史。
第一次世界大戦にて反ユダヤ主義者が「後方におけるユダヤ人の影響増大」を訴え、それを受けて軍部は「ユダヤ人統計調査(センサス)」を実施。ユダヤ人攻撃に根拠があることを裏付けようとするも、ユダヤ人のドイツへの忠勤が明らかになり、公表せず。ドイツ国内の10万人のユダヤ人が出征し、77%が最前線で戦い、35%が勲章を授与され、1.2万人が戦死。(12-13)
マダガスカル計画、起源は1885年ポール・ド・ラガルドの「ドイツ論。「彼はナチ党の理論家が人種主義の偉大な先駆者とみなした人物でもある」。「この時期はまさしく帝国主義全盛の時代であり、またアメリカではネイティブ・アメリカンを居留区に押し込める政策が行われており、決して非現実的な話ではなかった」。その10年後にはユダヤ人自らがウガンダへの移住を試みようとする。(79-82)
ゲットーはたんなる隔離策ではなく、非積極的なホロコーストで、「一人当たりの一日の配給量はわずか219カロリー」、それからさらに減り、ワルシャワのゲットーだけで約10万名が発疹チフスに罹患。
ソ連と開戦する頃には、各地でユダヤ人を射殺。ドイツ軍に占領されたリトアニアの首都カウナスでは「行動部隊Aに唆された現地の人びとが、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった」。(123) 総計7800人が殺害。その模様の写真が124頁にあり、凄惨極まりない。
銃殺は精神的に負担であり、またゲットーも許容の限界となり、収容所、そしてガスによる殺害が始まる。
「ユダヤ人 最後の楽園 (講談社現代新書 1937)/大澤 武男 」と合わせて読みたい書物。
【書物としてGOOD】 2008年
第一次世界大戦にて反ユダヤ主義者が「後方におけるユダヤ人の影響増大」を訴え、それを受けて軍部は「ユダヤ人統計調査(センサス)」を実施。ユダヤ人攻撃に根拠があることを裏付けようとするも、ユダヤ人のドイツへの忠勤が明らかになり、公表せず。ドイツ国内の10万人のユダヤ人が出征し、77%が最前線で戦い、35%が勲章を授与され、1.2万人が戦死。(12-13)
マダガスカル計画、起源は1885年ポール・ド・ラガルドの「ドイツ論。「彼はナチ党の理論家が人種主義の偉大な先駆者とみなした人物でもある」。「この時期はまさしく帝国主義全盛の時代であり、またアメリカではネイティブ・アメリカンを居留区に押し込める政策が行われており、決して非現実的な話ではなかった」。その10年後にはユダヤ人自らがウガンダへの移住を試みようとする。(79-82)
ゲットーはたんなる隔離策ではなく、非積極的なホロコーストで、「一人当たりの一日の配給量はわずか219カロリー」、それからさらに減り、ワルシャワのゲットーだけで約10万名が発疹チフスに罹患。
ソ連と開戦する頃には、各地でユダヤ人を射殺。ドイツ軍に占領されたリトアニアの首都カウナスでは「行動部隊Aに唆された現地の人びとが、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった」。(123) 総計7800人が殺害。その模様の写真が124頁にあり、凄惨極まりない。
銃殺は精神的に負担であり、またゲットーも許容の限界となり、収容所、そしてガスによる殺害が始まる。
「ユダヤ人 最後の楽園 (講談社現代新書 1937)/大澤 武男 」と合わせて読みたい書物。
【書物としてGOOD】 2008年
変貌する民主主義
「フランス革命は、人権という差別のない「普遍的」な理念と、ナショナリズムのような国民国家の内外を区別する「特殊的」な思想という相矛盾するものを、同時に創始したことになる。」(139)
「熟議民主主義論」(政治には討議や熟議が必要。討議による公的な意思形成 を必要とする。)
↑
↓
「集計民主主義」
【通勤用にGOOD】 2008年
「熟議民主主義論」(政治には討議や熟議が必要。討議による公的な意思形成 を必要とする。)
↑
↓
「集計民主主義」
【通勤用にGOOD】 2008年
アラブの大富豪
サウジ家のアルドルアジズには36人の王子、その王子から254人の王子。その中にキングダムHDのアルワリード王子。そこからさらに王子が…で、サウジの王位継承法ではアルドルアジズ初代国王の直系男子に王位継承権があたえられるため、現在は1000人以上の王子がおり、生まれると同時に相当な金額が毎月支払われる。
【つまみ読みにGOOD】 2008年
【つまみ読みにGOOD】 2008年
日本の10大新宗教
○ 大本 出口和明(王仁三郎の孫・別に野上竜の筆名)の小説「大地の母」全十二巻「全編を通してくり返されるのは、神話的なドラマであり、初代教祖である出口なおと王仁三郎の神懸かりであり、二人に降った神同士の対立と抗争である」 学生・軍人・知識人・貴族が入信。
○ 生長の家 谷口雅春、早稲田大学で直木三十五・西条八十・坪田譲治と同窓。「耽美主義と人道主義に魅れた谷口は、早稲田大学在学中に一人の前科者の女性と出会い、学業を捨ててまで、彼女を不幸な境遇から救おうと考える。だが、経済力がないため果たせず、そのうえ、二人の関係が郷里に知れたことで学資を止められる。やむなく大学を中退し、摂津紡績に技術練習生として入社する」→「三角関係に陥ったり、資本主義の世界に対する疑問から、工場長と激論したことをきっかけに工場をやめる」→「心霊治療や催眠術に関心」→「大本への入信」→「個人の罪の問題に強く関心をもっていた谷口には、神による最後の審判を強調する大本の路線には違和感」→それでも王仁三郎の口述筆記→「出口なおが神懸かりで記した「御筆先」と、それを王仁三郎が漢字混じりに書きなしたものとを比較対照し、不敬罪に該当する箇所がないかを調査する作業」→教団発表の予言に食い違いを見つける。また出口家を天皇家に代わる地上の権力者にしようとする啓示に決定的な疑問→一燈園という宗教的共同体(便所掃除させてもらいながら家々を渡り歩く「路頭行願」)にであい、大本を去る(その前に、大本が最後の審判が起きるとしていた1922年5月5日は過ぎていた)→あれこれ苦労して雑誌「生長の家」を創刊→1940年に宗教団体法が施行・生長の家が宗教結社として認められると天皇信仰を打ち出す→太平洋戦争を「聖戦」と主張、文部省編纂の「国体の本義」を手ぬるいと批判→戦後は天皇崇拝・国家主義・家制度の復活・明治憲法復元・紀元節復活・優生保護法改正を主張→1992年 二代目総裁谷口清超の長男雅宣が太平洋戦争を侵略とし、聖戦論を否定する見解を出す「これは、天皇主義の右翼的な教団という旧来のイメージから脱皮しようとする試み」
○ 生長の家 谷口雅春、早稲田大学で直木三十五・西条八十・坪田譲治と同窓。「耽美主義と人道主義に魅れた谷口は、早稲田大学在学中に一人の前科者の女性と出会い、学業を捨ててまで、彼女を不幸な境遇から救おうと考える。だが、経済力がないため果たせず、そのうえ、二人の関係が郷里に知れたことで学資を止められる。やむなく大学を中退し、摂津紡績に技術練習生として入社する」→「三角関係に陥ったり、資本主義の世界に対する疑問から、工場長と激論したことをきっかけに工場をやめる」→「心霊治療や催眠術に関心」→「大本への入信」→「個人の罪の問題に強く関心をもっていた谷口には、神による最後の審判を強調する大本の路線には違和感」→それでも王仁三郎の口述筆記→「出口なおが神懸かりで記した「御筆先」と、それを王仁三郎が漢字混じりに書きなしたものとを比較対照し、不敬罪に該当する箇所がないかを調査する作業」→教団発表の予言に食い違いを見つける。また出口家を天皇家に代わる地上の権力者にしようとする啓示に決定的な疑問→一燈園という宗教的共同体(便所掃除させてもらいながら家々を渡り歩く「路頭行願」)にであい、大本を去る(その前に、大本が最後の審判が起きるとしていた1922年5月5日は過ぎていた)→あれこれ苦労して雑誌「生長の家」を創刊→1940年に宗教団体法が施行・生長の家が宗教結社として認められると天皇信仰を打ち出す→太平洋戦争を「聖戦」と主張、文部省編纂の「国体の本義」を手ぬるいと批判→戦後は天皇崇拝・国家主義・家制度の復活・明治憲法復元・紀元節復活・優生保護法改正を主張→1992年 二代目総裁谷口清超の長男雅宣が太平洋戦争を侵略とし、聖戦論を否定する見解を出す「これは、天皇主義の右翼的な教団という旧来のイメージから脱皮しようとする試み」
広田弘毅
「国民の人気に頼りがちな近衛は、世論を煽って熱狂的な支持を得た末に、日中戦争を収拾できなくなった。もともと職業外交官であり、経験に富む広田は、一回り以上若い近衛を諫める立場にあった。しかしながら、現地での停戦を否定するかのように近衛内閣が派兵や戦費調達を決定するなかで、副総理格の広田は消極的に賛成を繰り返した。
そのころの広田は、軍部に抵抗する気力を欠いていたし、大衆迎合的な近衛の手法とも距離を保てなくなっていた。近衛流ポピュリズムの危険性に気づいたのは、むしろ外務省中堅層であった。だが広田は、部下たちの意見を受け容れなかった。」(196)
「ただでさえ国民は、非常時であるほど長期的な見通しよりも感情に流されがちである。そのようなときこそ外交指導者は、勇気をもってポピュリズムや世論から距離を保たねばならない。しかし広田の外交は、強い意志を感じさせるものではなく、むしろ日中戦争が長期化する一因をつくったといわねばなるまい。」(197)
城山三郎「落日燃ゆ」は広田を持ち上げすぎじゃね?が本書の本旨。上記引用箇所に当たる196から197は、書き手の意志がみなぎる文面で、圧倒される。
広田が首相になる際に天皇がいった「名門を崩してはならない」とは、貴族院改革や華族制度改革に慎重を期するようにとの謂い。(それでも広田は貴族院制度調査会を設置し自ら会長になるが改革の実現にはいたらない)
【通勤用にGOOD】 2008年
そのころの広田は、軍部に抵抗する気力を欠いていたし、大衆迎合的な近衛の手法とも距離を保てなくなっていた。近衛流ポピュリズムの危険性に気づいたのは、むしろ外務省中堅層であった。だが広田は、部下たちの意見を受け容れなかった。」(196)
「ただでさえ国民は、非常時であるほど長期的な見通しよりも感情に流されがちである。そのようなときこそ外交指導者は、勇気をもってポピュリズムや世論から距離を保たねばならない。しかし広田の外交は、強い意志を感じさせるものではなく、むしろ日中戦争が長期化する一因をつくったといわねばなるまい。」(197)
城山三郎「落日燃ゆ」は広田を持ち上げすぎじゃね?が本書の本旨。上記引用箇所に当たる196から197は、書き手の意志がみなぎる文面で、圧倒される。
広田が首相になる際に天皇がいった「名門を崩してはならない」とは、貴族院改革や華族制度改革に慎重を期するようにとの謂い。(それでも広田は貴族院制度調査会を設置し自ら会長になるが改革の実現にはいたらない)
【通勤用にGOOD】 2008年
昭和の名将と愚将
半藤+保阪の対談。
同じ明治17年生まれながら、日露戦争では、東條は兵站の手伝いをしただけ、山本五十六は実戦に参加。これがシンボリックで、東條あたりの世代(陸士17期以降)はドイツに留学し、国家総動員体制には高度防衛国家の整備が必要と頭で学んでくる。(15-16)
特攻や玉砕は文化の頽廃、と保阪。(17)
山本五十六の死(4/18)は5/21まで伏せられる。その日、国技館では大相撲が催されており、「海ゆかば」で黙祷。龍王山-青葉山の取り組みで、組み合ったまま動かず、取り直し。再び組み合ったままになり、引き分けになる。すると山本大将が死んだ日に闘志の足りない相撲をとったと、出場停止に。(162-163)
ノモンハンでは、歩兵七十二連隊長の酒井美喜雄大佐は「負傷後送のち自決」となっているが、戦闘状況の尋問のあと、拳銃を置いて出て行かれて自決を強要された。歩兵七十一連隊長岡本徳三大佐は入院中に斬殺。(179-180)
インパールの牟田口廉也、戦後しばらくしてイギリスでインパール作戦に関する書籍が出て、作戦構想をほめる部分があり、それのコピーを持ち歩いていた。それどころか昭和史の研究家のもとに自ら電話をしては、そのコピーの説明をしてまわった。(199-200)
瀬島龍三のブラックホール。
【つまみ読みにGOOD】 2008年
同じ明治17年生まれながら、日露戦争では、東條は兵站の手伝いをしただけ、山本五十六は実戦に参加。これがシンボリックで、東條あたりの世代(陸士17期以降)はドイツに留学し、国家総動員体制には高度防衛国家の整備が必要と頭で学んでくる。(15-16)
特攻や玉砕は文化の頽廃、と保阪。(17)
山本五十六の死(4/18)は5/21まで伏せられる。その日、国技館では大相撲が催されており、「海ゆかば」で黙祷。龍王山-青葉山の取り組みで、組み合ったまま動かず、取り直し。再び組み合ったままになり、引き分けになる。すると山本大将が死んだ日に闘志の足りない相撲をとったと、出場停止に。(162-163)
ノモンハンでは、歩兵七十二連隊長の酒井美喜雄大佐は「負傷後送のち自決」となっているが、戦闘状況の尋問のあと、拳銃を置いて出て行かれて自決を強要された。歩兵七十一連隊長岡本徳三大佐は入院中に斬殺。(179-180)
インパールの牟田口廉也、戦後しばらくしてイギリスでインパール作戦に関する書籍が出て、作戦構想をほめる部分があり、それのコピーを持ち歩いていた。それどころか昭和史の研究家のもとに自ら電話をしては、そのコピーの説明をしてまわった。(199-200)
瀬島龍三のブラックホール。
【つまみ読みにGOOD】 2008年