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近江町市場、再び

金沢駅近くのビジネスホテルに一泊した翌日の土曜日。
午前中は、金沢観光の“ド定番”――兼六園をゆっくりと見学し、昼には再び近江町市場へと足を運んだ。

今度は、前夜とは別の海鮮の店に入る。
天野次長は海鮮丼を、大杉主任は寿司を注文した。

やがて、料理が運ばれてくる。

2人は、無言でうなずき合った。
それは言葉にしなくても通じる、“これは間違いない”という確信の表情だった。

「……これって、人間がダメになるパターンのやつですよね」
と、大杉主任がこそっとつぶやく。

「そうねえ。でも、誰も見てないし、いいんじゃない?」
と、天野次長も軽く笑いながら答えた。

2人は、しばらく黙々と目の前の海鮮を味わった。

 


旅の終盤にふさわしい、静かな満足感がそこにあった。

帰りの北陸新幹線の車内にて。

「ところで、大杉さん。近江町市場で、何か気づいたことあった?」
と、天野次長がふと思いついたように問いかける。

「そうですね……まず、人がすごく多かったことです」
と、大杉主任は真面目な口調で応じる。

「そうね」

「あと、屋根があるから、雨の日でも雪の日でも、観光客にとってはすごく行きやすい。あれは大きな強みだと思いました」

「なるほど」

「それに、海鮮のお店がいっぱいあって、競い合ってる感じがしました。選ぶ楽しみもあるし、どの店に入っても“外れない”安心感がありましたね」

「なるほど、なるほど。ああいうのって、今風に言うと“マルシェ”って呼ぶのかもね」

「マルシェ?」

「フランス語で“市場”って意味なんだけど、最近じゃ“こだわりの食と暮らし”みたいな、ちょっとおしゃれなイメージで使われてるのよ」

「へぇ〜、なんか分かる気がします」



「あと……“寿司パラダイス!”」

「Yes!」

2人は思わず顔を見合わせて笑った。

そして――天野次長はタブレットを取り出し、画面を開いて大杉主任に向けて差し出した。

「ちょっと、この数字、見てみて」

そこには、ある統計データが映し出されていた――。

このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

近江町市場(石川県金沢市)

金沢の中心に位置する近江町市場は、藩政時代からおよそ300年、金沢市民の台所として親しまれてきた歴史ある市場だ。
時代の移り変わりのなかでも、そのにぎわいは衰えることなく、金沢の発展とともに栄え続け、今なお「おみちょ」の愛称で市民に愛されている。

狭い小路を挟んで、約170の店舗が軒を連ねる。新鮮な旬の魚介や野菜、果物はもちろん、精肉、土産物、菓子類から、生花や衣類といった生活雑貨まで――目移りするほど多彩な商品がそろっている。

 

 

 

飲食店は43店舗。そのうち35店舗が、海鮮を中心とした料理を提供しているという。

「“食の集積地”というか……すごい賑わいですね、次長!」

と、大杉主任が驚きを隠せない様子で言った。

天野次長は、活気に満ちた市場の様子を見渡しながら、ゆっくりとつぶやいた。

「この賑わいから、地方都市が学ぶべきことは多いんじゃないかなあ。こういうのも、立派な“勉強”よ」

「なるほど……」

と、大杉主任は感心したようにうなずいた。

「よし、この店に入ってみましょうか」

「知ってるお店なんですか?」

「いえ、初めて」

「はぁ……」

――しばらくして。注文した料理が運ばれてきた。

「ハズしませんねぇ〜、次長!」

 


と、大杉主任が目を丸くする。

「そっちの海鮮丼もすごいわね」


と、天野次長も笑顔で応じた。

テーブルの上には、金沢の海の恵みが惜しげもなく盛りつけられている。
それぞれが思い思いに箸を伸ばし、言葉少なに味わいながらも、心の中では同じことを感じていた――
“このまちには、人を惹きつける何かがある” と。

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予定変更!

「さぁ、切符買って、さっさと大阪に帰りましょう!」

と、大杉主任が軽やかに言う。

しかし、天野次長は駅舎の方をじっと見つめたまま、少し考えるような表情を浮かべていた。

そして――ゆっくりと口を開いた。

「大杉さん、明日の土曜日、何か予定入ってる?」

「いえ、特には……」

「そう。せっかくここまで来たんだし、今夜は金沢に一泊しない? 部長の許可をもらってから、樫本さんに近くのビジネスホテルを手配してもらいましょうよ」

「いいですね〜! 乗ります、乗ります、その企画!」

 



「晩ごはん代は奢るけど、宿泊費は自腹でよろしく」

「え〜、山本副部長だったら、いつも高級料理に高級ホテル付きなのに〜」

「まあ、今回は“自己都合”ってことで……」

「はい、分かりました!」

こんな軽いやりとりも、視察の充実感があってこそだ。
2人はその場で部長に電話を入れて許可をもらい、金沢で一泊することとなった。

「さて、そうと決まったら――“おみちょ”に行きますか」
と天野次長が口元をゆるめて言う。

「なんですか、それは?」
と、大杉主任が首をかしげた。

「近江町市場。地元の人には“おみちょ”って呼ばれてるんですよ。新鮮な魚介がうまいんです。市場の中に、地元民しか知らない名店があってね……」

そのとき、大杉主任の目がきらりと光った。

「……まさか、晩ごはんって、そこのことですか?」

「当たりです。今日は腹いっぱい食べましょう」

天野次長の声には、どこか旅の続きを楽しむような、弾んだ響きがあった。

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学生が安く住める理由

大矢さんの一通りの説明が終わった頃、ふと大杉主任が、犬の散歩をしている若者に声をかけた。

「こんにちは。ワンちゃん、かわいいですね」

 

 

「はい、この子は、ここの高齢者の方の犬なんです。僕が時々頼まれて、散歩してるんですよ」

若者は人懐っこい笑顔で答えた。

「えっ、それってアルバイトなんですか?」と、天野次長が興味深そうに尋ねる。

「いえ、ボランティアです。ここでは、困っている人に頼まれたら、自然と“手伝う”って空気があるんですよ」

あたりまえのことのように、若者は肩をすくめて笑った。

「このまちには、美術大学の学生や、他の大学生も一緒に暮らしているんです。家賃はすごく安くなっていますが、その代わりに、地域の高齢者を手伝ったり、イベントを一緒に運営したりするんです」

 



と、大矢さんが補足した。

「なるほど。つまり、学生が安く住めるのは、“思いやりのある助け合い”が前提なんですね」
大杉主任が納得したようにうなずく。

「しかも、その“ゆるいつながり”が、お金では測れない価値を生んでいる……これは、すごい」

と、天野次長が思わずつぶやいた。

「もちろん、有料のバイトもあります。でも、すぐに人気が出て埋まっちゃいますよ」
と若者はさらりと笑って言った。

高齢者、学生、子ども、障がいのある人――
さまざまな人々が自然に混ざり合い、互いに支え合いながら暮らすこのまち。

そのありのままの姿が、日本版CCRC(生涯活躍のまち)として全国から注目されている理由の一つなのだ。
と、天野次長は心の中で静かに思った。

やがて視察が終わり、大矢さんが金沢駅まで車で送り届けてくれた。
駅のロータリーで車を降りると、天野次長と大杉主任は深々と頭を下げて、大矢さんへ感謝の言葉を述べた。

 



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懐かしき良き地域とコミュニティ

「高齢者、大学生、病気の人、障がいのある人――
分け隔てなく、誰もが手を携え、家族や仲間、そして社会に貢献できる街。
かつて存在した“良き地域コミュニティ”を、もう一度よみがえらせる街……か」

大杉主任が、手にしたパンフレットを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
その声には、どこか懐かしさのような響きがあった。

「あの建物が、サービス付き高齢者向け住宅です。全部で32戸。部屋は1LDKで、大切なペットとも一緒に暮らせるんですよ」


と、大矢氏が歩きながら説明を添える。

「木の温もりを感じますね、これは木造ですか?」と天野次長が尋ねると、

「はい。構造にもこだわっていまして、テラスからは街路の木々が一望できます。春には桜、秋には紅葉も楽しめますよ」

と、大矢氏は微笑んだ。

「こちらが児童入所施設です。障がいのある子どもたちが、4つのユニットに分かれて、3つの建物で生活しています。“小規模ケア”の形をとっていて、一人ひとりの状態や個性に合わせた、きめ細やかな支援ができるのが自慢です」

 



淡々とした説明の奥に、積み重ねてきた時間と想いが滲んでいた。

天野次長は、しばし目を閉じてその場の空気を吸い込むと、
「ここでは“暮らし”が、ちゃんと息づいているんですね」と、静かに呟いた。


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『Share金沢』の成り立ち

さて、その週の金曜日。
天野次長と大杉主任は大阪から敦賀駅まで行き、敦賀駅で北陸新幹線に乗り換えて、金沢駅へと向かった。

JR金沢駅に到着すると、すでに大矢さんが出迎えてくれていた。

「ようこそ、金沢へ」

 

「本日はよろしくお願いいたします」

簡潔な挨拶を交わすと、大矢氏は手配していた車の助手席に乗り込み、走り出すと同時に語り始めた。

「『Share金沢』は、地域で共に暮らす価値をかたちにする場として注目されていますが、実は最初から大きな構想があったわけではないんです。地域で困っている人を支えたい――そんな、ごく素朴な思いから始まったんですよ」

振り返るように語るその声は、どこかあたたかかった。

「私は幼い頃、障害のある方々とお寺で生活を共にした経験がありましてね。その時からずっと、『誰もが当たり前に暮らせる社会をつくりたい』という想いを持ち続けてきました」

「そうだったんですね……」と、天野次長が思わず声を漏らす。

「そして、もう一つの原点は青年海外協力隊での経験です。障害者支援の人材育成という任務を通じて、現地でのインフラ整備や、地域の人々との交流を積み重ねながら、『そこに住み、関わり合って暮らす』ことの意味を改めて実感しました。

加えて、私は“幸せは人から人へ伝播する”と信じているんです。人と人とのつながりは、単なる関係性を超えて、幸福感や生きがいにまで影響する。だからこそ、福祉サービスという枠にとらわれず、地域の中で自然に人が集い、役割や居場所を感じられるような仕組みをつくりたいと思ったのです」

穏やかな語り口ながら、その言葉の一つひとつに、重みと熱がこもっていた。

「『Share金沢』では、地域住民が主体的に関わりながら、多様な人々が共に暮らすまちづくりを実現しているんですね」
と、天野次長が感心したように言うと、

「これからの高齢化社会に必要なのは、制度やサービスだけではありません。人と人との関係性を育み、支え合う力です」
と、大矢氏は静かに、しかし確信を込めて返した。

その実践の姿勢は、分断や孤立といった現代の課題に、“つながり”というかたちで答えを示している――
そう天野次長は、心の中で静かに噛みしめた。

 



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『Share金沢』

7月上旬の月曜日。恒例の週次案件会議の日だ。
一通り、手持ちの案件と今週の動きについて各人が報告し終えると、進行役の俺は最後のひと言を投げかけた。

「では最後に、部長から何かございますか?」

その言葉に応じて、千﨑部長がゆっくりと口を開く。

「先日の件だが――山本副部長が企画してくれたCCRC関連の『Share金沢』視察についてね。今回は、天野次長と大杉主任の二人に行ってもらおうと思っている。副部長、どうだろう?」

「もちろん、異論ありません」と俺は即答したうえで、少し口角を上げた。
「CCRCの視察には、やはり女性の視点が欠かせませんし。それに、沖縄でのお二人の大活躍に、まだご褒美を渡せていませんからね」

部屋にふっと和やかな空気が流れる。

「加えて、四菱総研の松川さんに紹介してもらって、CCRCの有識者である金沢学院大学の大矢さんにアテンドをお願いできそうなんです。きっと、実りある視察になると思いますよ」

すると、天野次長がスッと立ち上がり、やや芝居がかった調子で言った。

「私どもに、お任せください」


その一言に、会議室の空気が和らぎ、笑いが広がった。


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地政学リスク・経済安全保障・危機管理

 

最後は、金城支店長が石垣空港の中まで見送りに来てくれた。

石垣空港に着くころには、青空も見え始めていた。

 

石垣空港


俺と千﨑部長は那覇行きの便に乗り、そこで伊丹行きの最終便に乗り継いで大阪へ戻った。

機内の静けさの中、俺はタブレットを取り出し、メモ機能に思いつくまま打ち込んだ。


地政学的リスクが高まるなか、経済安全保障や海外危機管理への関心が急速に高まっている。


国境を有する離島を抱える自治体では、有事において県民の生命を守ることが何より優先される。


だが同時に、地域経済の持続可能性にも目を向けなければならない。人口減少は地域の衰退を招く。経済基盤の強化と、地域を守る体制の整備は、不可分の関係にある。
 

他国が周辺海域に進出し、管轄権の「既成事実化」を図る一方で、日本の海上保安庁は、巡視船をもって静かに、しかし確実にそれに対峙している。


国境の島々での実効支配の維持——それは、戦わずして守る、もうひとつの“最前線”なのだ。



窓の外には、夕暮れの雲が静かに流れていた。
沖縄・石垣島で出会った人々の眼差しや言葉が、重く、静かに残っている。

 

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最も印象に残ったのは…。

 

「ええ。領海侵入は、今も断続的に繰り返されています。決して簡単な状況ではありません。ですが、我々は力を誇示するのではなく、法と規律に基づいて、冷静かつ確実に対応する。それが、海上保安官としての信念です」

その言葉には、揺るがぬ芯があった。

 



「放水銃も、機関砲も見せていただきましたが――」
千﨑部長はふと目を細めて続けた。
「最も印象に残ったのは、甲板に整列したあの職員たちの眼差しです」

 



石橋副部長が静かに頷く。

「極度の緊張の中、彼らは国家の最前線で使命を果たしている。その覚悟に、我々は最大限の敬意を払わねばなりません。だからこそ、いま海上保安体制の強化は、国家的な最優先課題とされているのです」

そして、副部長は少し声のトーンを落として、続けた。

「現在、11管区にある巡視船のうち21隻中15隻がこの地域に対応し、約700名の職員が任務に就いています。ここはまさに、“海の最前線”です」

ふと、外に目をやった。

午前中の晴れ間が嘘のように、空はどんよりと曇り、雨がしとしとと降り始めていた。

その灰色の海の下で、今日も誰かが沈黙の覚悟を背負いながら、任務にあたっている。
それが、“国境を守る”ということなのだと、俺は改めて思い知った。

 

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石垣海上保安部

 

午後からは、石垣海上保安部の視察だった。

出迎えてくれたのは、副部長の石橋氏。帽子のつばを軽く押さえながら、遠くに停泊する巡視船「とかしき」の方をじっと見つめていた。その背中には、海の男特有の静かな緊張感が漂っている。

 

「ようこそお越しくださいました。こちらへどうぞ」

石橋副部長の案内で、俺たちは巡視船「とかしき」の内部をくまなく視察した。
写真撮影は、当然ながら厳禁だった。

 



船内はどこまでも整然としていた。無駄なものが一切ない。計算し尽くされた動線、磨き上げられた金属の手すり、そして、静寂の中に満ちる緊張感。

「正直、緊張感が肌で伝わってきます」
千﨑部長が、ふだんの飄々とした口調を封じ、低く言った。

「あの海域で、毎日のように任務にあたっている職員の皆さん。その責任感と集中力には、ただただ頭が下がります」

「やはり、近隣国の海上の動きは――」

部長が言葉を濁すように切り出すと、石橋副部長は、ほんの一瞬、視線を海にやった。

 

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