こんにちは

東京世田谷にてカサンドラの支援を行っている看護職ボランティア団体です。

 

色々と忙しくしていたため、自助会を開催できずにいました。

5月から定期的に開催いたします。

予約サイトは近日中にアップします。

5月18日(日)三軒茶屋らぷらす研修室4にて

10時30分~となります。

 

予定を開けておいてくださいね。

 

ブログもここのところ止まっていましたが

こちらも再開します

 

さて本日のカサンドラさん

テーマは「私が転んでも無関心」です

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カサンドラ歴は15年くらいになります

夫が発達障がいだと思います

なぜ別れない?と自分でもそう思います。

 

タイミングを逃したというのと

夫と同じ特性をもつ子どもがいて

「環境の変化」に敏感なので

子どもへの影響を考えて踏み込めなかったというのが

正直なところです

 

「長年連れ添うとね~」「情がわくのよ」

などと、事情を知らない方は

気軽にそう言いますが

 

年数を経てば経るほど

夫のことが嫌になるので

「情がわく」説は完全否定させてもらいます

 

 

仕事と家事と

まだ学生の子どもがいる家庭

平日はバタバタです

 

カサンドラ家のみなさんは

ご存じと思いますが

 

夫は「どこ吹く風」

のーーーーんびり

朝の支度をして

のーーーーーんびり

お茶をのんで

のーーーーーーんびり

出かけていきます

 

 

私が忙しいとか

今日は朝早くでなくてはならないとか

急ぎの仕事がいっぱいあるとか

そんな事情はおかまいなしです

 

 

「手伝ってもらえばいいのに」と

一般家庭の方はいいますが

そんなことができる人なら

とっくの昔に頼んでいます

 

 

頼んで、頼んで、頼んで、頼んで

お願いして、お願いして、お願いして

機嫌をとって、機嫌をとって、機嫌をとって

夫をほめて、ほめて、ほめて、ほめて

ご褒美をあげたり

 

いろんなことを

もう何十回もやりました

全て、効果なしです

 

自分の手柄をことさらアピールするだけで定着しません

 

いや、こんなことを話したかったんではないです

今日は「転んでも無関心」でした

 

我が家はいわゆる大家族の部類にはいるのでしょうか

子どもがまあまあたくさんいます

 

誰かがキッチンの床に

エコバッグを置きっぱなしにしていました

 

朝、ドタバタと食事を作っている時

私はエコバックの持ち手に足を引っかけて

かなり派手に転んでしまいました

 

その場にいたのは

夫、末の子どもでした

 

私「痛っったーーーーい」

肘やひざをさすります

痛くてその場にしゃがんだまましばらく動けませんでした

 

 

子ども「大丈夫?」

すぐに駆け寄り、エコバッグを片付けます

私「ぶつけただけだと思う」「病院に行くほどではない」と言います

 

 

夫近くにいます

「無言です」微動だにしません

テレビを凝視しています

声も出しません

無事を確認することもありません

 

 

出来上がった食事を無言で食べ

そのまま出かけてしまいます

 

 

ーーーーいつもこんな感じ

 

以前・・・転んだ時に

私「何で無事を確認したり、大丈夫?の一言もないの?」と

前は聞いたこともあります

 

夫「だって動いているし生きてるから」「聞いてほしいの?」

夫「大丈夫?(超棒読み)」

 

 

また別の時に・・・・・転んだ時

 

私「大変だね。手伝おうかと言ってくれたりしないの?」

夫「じゃあ、手伝おうか(棒読み。やる気は全くみられない)」

 

 

痛みと夫の対応に泣けたことが数えきれないほどあります

 

 

生きている間

転ばない人はいないし

つまづかない人はいないですよね

 

 

うちはいつもこんな感じ

 

 

今回は転んだ時を例だしましたが

こういうエピソードは日常茶飯事です

 

 

夫のことを「人でなし」と思ったことは数知れず

 

 

 

最近では

「人」ではない人と住んでいると思うことにしています

 

 

今回は転んでも

何もなかったからいいけど

 

 

私が転んだとして・・・

 

意識を失ったり

子どもがいない場面だったら

 

 

夫は救急車を呼んだり

意識の確認をしたり

けがの程度を確認したり

 

 

そんなこと

できるのかなあ

不安に思ったことが何回もあります

 

 

でも今は

人じゃないから、適切な対応は無理かもしれない

 

(私が意識なくて、動けないとき)

その時は仕方ないか

と最近はあきらめることにしています

 

 

もうそのくらいの年齢になりましたし

「生」に対する執着もなくなりましたし。

 

 

あきらめるに至る過程は

ほんとうに苦しかった

 

 

でも「そういう人」なんでしょうね

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あるカサンドラさんのお話です

 

このカサンドラさんの夫さん

高学歴、高偏差値の夫で

難しい資格をいくつもお持ちの方で

お勉強はすこぶるできる方らしいです

 

「そういう人」と語るカサンドラさん

なんか寂しそうでした

 

私は看護職ですから

「大丈夫?」っていう言葉に込められた思いって

色々あると思うんです

 

ケガや病気の程度を確認するだけではなく

「心」を表現する言葉でもあると思います

 

自分を心配して声をかけてくれる

・・・・そんな優しさに触れたいときってありますよね

特に、痛いとき、ツライ時、悲しいとき・・・

 

 

求められない寂しさを

自助会にきてお話してみませんか

 

少し軽くなるかもしれません

自助会の予約は前から使っているものと変わりません

もう少ししたら予約開始するのでお待ちください

東京世田谷にてカサンドラの自助会を開催している看護職ボランティア団体です


次回の自助会は

都合により3月になります


開催日が決定したら

早めにお知らせします



今日のタイトルは

【あーあれね】です


発達障がい特性をもつかたとの生活では

コミュニケーションが非常に難しい



家族って長く暮らしていると

話さなくなることも多いけど


相手のことが理解できていたり


安定性のあるご家庭なのではないかな?

と思ってしまいます


カサンドラ家の会話のなさは

少し違うなぁと思います


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夫と子どもに発達障がい特性があります



日々の生活で

私が何か話そうとすると


話の初めだけをきいて


【あー、あれね】と言い



私の話も聞かずに

持論を展開していきます


その話は

私の話そうと思っていたこととは

全く違うことで



ただ

話の入り口として

その話題をだしただけなのに

と思いながら



夫の知ったかぶりを永遠に聞かされる



私の得意分野でも

永遠に夫の持論を展開してくるから

ホントめんどくさい

聞きかじり、知ったかぶり



聞きたい話でもないから

途中から、相づちうつのも面倒になるし



連絡事項もあって

途中で話にはいろうとすると



不機嫌丸出し



夫【すぐそうやって人の話を聞かずに間に入ってくる】



元々は、そちらの方が

私の話に入ってきたくせに


と私は思いますが



その言葉を夫に言うことにより

不機嫌丸出しになるだけではなく



家族全員に八つ当たりしたり

大声でどなったり

大きな足音をたてドアを閉めて


食事を食べなかったり

数週間無視されたり



面倒なこと ✕ α(アルファ)が多すぎて

結局、言葉を飲み込んでしまう


結果

うちでは会話がありません



皆さんのおうちでの

長年連れ添った夫婦の間の

会話のなさと



違いますよね



うちは、これが毎日、毎日続くし

朝昼夜

毎回の会話でこのパターンです


夫の話をさえぎった時の反応も

ほぼ毎回同じだし


壊れたレコードみたいに

永遠に繰り返されます


私が抵抗しても

改善してほしいと懇願しても

私の話をまず聞いてと言っても


無理でした


壊れたレコードみたいに

永遠に繰り返されます


多分、このネガティブなループが

カサンドラへと引きづられていくんでしょうね


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あるカサンドラさんの話でした



カサンドラさんいわく



特別なことを話したいわけではなく

【今日スーパーで、○○が高くて驚き!】

のような会話でも、このネガティブな会話ループに陥るみたいです



【あーあれね】と夫が話だして

カサンドラさんは

一行しか話せないと言います



発達障がいの特性は様々です


コミュニケーションの難しさも

人それぞれ


でも共通するのは



改善が難しいこと


嫌がっている、改善してほしい

カサンドラさんの思いを

理解してくれないこと


疲れますよね


皆さんの中にも

同じ思いを抱えている方はいませんか?


同じ悩みを抱えている人と話すことで

何かヒントが見つかるかもしれません



心が疲弊してしまう前に

どこかに繋がってください

世田谷区にてカサンドラさんの自助会を開催している看護職ボランティア団体です。



カサンドラさんのエピソードを

一つずつ掲載しています



今日は

私の大変さはわからない

です

 

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私の夫、診断されていませんが

発達障がいです



そして私はカサンドラ



最近、自分がカサンドラだと気づきました



この人と一緒にいたら

自分はダメになると

何度も思いました



自分が大変な時は

一人で周囲を巻き込んでパニック

ひっちゃかめっちゃかになります



私も家族として

傍観していられる状態ではないので

お手伝いせざるをえません



私は自分の持ち分の仕事もあるため

手伝うことにより

私の負担が大きくなります



夫をある程度手伝って

見通しがついたところで

手を放そうとします



夫は落ち着いてきたので

よかった、よかった、と

いつもの呑気に戻っています


夫は、自分が平常に戻ったので

大変だった時のことは

すでに過去のものになっていました



手伝った私に

感謝の言葉も態度もありません



私【私も仕事しながら手伝っていたから、いま自分の仕事がたまって大変なんだよ】



夫【ふーん、俺の方が大変だった】

私【手伝った私はいま大変なの】

夫【ふーん】



私の仕事は、

夫が手伝える種類のものではありません


それをわかっているのか

わかってないのか



ふーん忙しいんだ

それで?という態度



それに

夫【一段落ついたから、飲みにいこうよ】



私【だから私は忙しいんだって】

夫【行かないんだったら、友達と行ってくるわ】

ムッとして出かけてしまいました


小さな子どもがいるから

仕事は手伝えなくても

その他はできるはずなのに



そう言う間もないし

話が堂々巡りだし

変な方向にいくから

いつもこんな感じ


私の忙しさなんて

全く興味ない


私の大変さなんて

理解しようとはしない


私が大変でも

手伝ってくれることはない



忙しくてイライラするし

理不尽な扱いにイライラと寂しさを感じ



何で一緒にいるのか

わからないといつも思う


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あるカサンドラさんの話でした


じゃあ

夫が大変な時に手伝わなきゃいいのに

と思いますよね


発達障がいの特性がそうさせているのか

見通しが甘いのか

周囲に迷惑をかけてしまうようなことが

結構な頻度でおこる


周りにいると

どうしても巻き込まれてしまうみたい


自助会では

カサンドラさんの多くが

こういうエピソードがあります


みんな共感しながら

支えあって

明日に生きる何かを見いだしています


どうぞご利用ください



こんにちは

東京世田谷にてカサンドラの支援をしている

看護職ボランティア団体です

 

世田谷区の三軒茶屋にある

世田谷区男女共同参画センターらぷらすにて

主に自助会を行っています

 

本日の話題は

「カサンドラさんの親」の話です

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今日はあるカサンドラさんの話ではありません

 

自助会を開いていると

全てではありませんが

カサンドラさんの「親」に

発達障がい特性の疑われる方がいます

 

ですから

カサンドラさんは小さな頃から

発達障がいのような特性を示す方が周りにいても

あまり気にならないことが多い

 

 

かえってその特性の方が落ち着く時があったりもします

違和感を覚えることも少ないかもしれません

親しみを感じたりすることもあるかもしれません

 

発達障がい特性のある方は

すごく素直な時もあるし

すごく真摯に向き合ってくれることもあるし

すごく物分かりのいい人になってくれることもある

 

でも突然豹変して「なんで?」ということも

そんな人が周りにいつもいる環境で育ってしまうと

 

人っていつも同じってことないよね

 

 

うちの親なんて

突然変わることもあるよね

 

うちの親なんて

忘れてしまうことが多くてもおかしくないよね

 

うちの親なんて

私の話をちっとも聞いてくれない

 

うちの親なんて

自分の話ばかりしている

 

 

うちの親なんて

もっとコミュニケーションが難しかったし

 

うちの親なんて

ずっと同じ話をしているし

 

うちの親なんて

何回否定しても同じ話を続けている

私がいやだっていっても理解してくれないし

 

私がいくら主張しても

一度こうだと思うと受け入れてくれたことはない

 

怒りのスイッチが入ると見境がなくなるし

 

本当に私の話を聞いてくれない

 

結局毎回同じところに帰着している

だから

長々話しても毎回同じだし

 

いつも私が悪者になっているし

 

●●(兄弟)のことはいつもほめているし

私はいつも非難されている

 

 

うちの親なんて・・・・・・

うちの親って変なのかな

みんなのうちの親ってどんなのかな

 

 

私っておかしいのかな

 

 

小さな頃からそんな家庭で育ったカサンドラさんたちには

自分の感覚が信じられないし

自分の感覚がマヒしている人もいるかもしれません

 

 

「うちの親」がもしかすると

「兄弟」かもしれないし「姉妹」かもしれない

 

 

そんな変な家族の中で育った人だと

 

 

わたしの家族に比べると

この人(パートナー)は普通かも

 

 

ちょっと変わったところがあるけれども

うちの親よりも変じゃないよね?

 

私の話をちっとも聞いてくれないけれども

うちの親よりもいいよね

 

 

なんかこだわりが強くて

変な価値観をおしつけてくるけど

うちの親よりはいいよね

 

 

おこりっぽいし

すぐに気分がかわるし

話をしようとすると逃げてしまうけど

うちの親よりはいいよね

 

・・・・

価値基準の中心が「家族」であると

 

家族自体が変な場合

 

人を見る目だったり

人の評価基準がおかしくなっているのかもしれない

 

 

それに

 

 

家族って自分の人間関係に関わる感覚を養うコアなところだから

そこが崩れていると

自己肯定感も作られずに幼少期をすごし

 

否定され続けて育っていると

自分って何なのかわからなくなったりするし

 

自分の感覚を疑うくせがついちゃうし

 

家族をもつことに夢を抱けなかったり

逆に過度に夢を抱いたり

 

感覚がおかしくなっている人もいるかもしれない

 

 

私の感覚だけかもしれませんが

 

カサンドラさんの生まれた環境って

少しいびつな関係の中で育っている人も多いかもしれないです

 

 

でも

カサンドラさん自身が悪いわけではないんです

生まれた環境に問題があった

 

それは

幼い頃のカサンドラさんには判断するのが難しい

 

幼い子どもにその重荷を背負わせるのはかわいそう

 

でも

大きくなってからも

 

自分の基盤となる「家族」が「変」って

自覚するまでってすごく時間がかかるし

 

 

何か変だと思うけれども

どこの家でもあることじゃないのかな

何が変なんだろう

自分はツライけど

この感覚はおかしいのかな

 

親には「あなたが変だから」と言われ続けて育って

ちゃんとしようと一生懸命になったけど

結局親からは認めてもらえないし

怒られてばっかりだし

すぐにきれちゃうし

自分って本当にダメな人間なんだなって思って育ってきた

 

 

こんな感覚をもちながら育つと

「自分」を見失いながら育つことになる

 

ずっと自分探しをしなくてはならない

自分の感覚すら信じられない大人になるし

人を見る目に自信がなくなる

 

いやあそれはツライよね

 

そんな人もいるんじゃないかな

 

多くはないとは思うけど

多くはないと信じたい

 

苦労して育ったカサンドラさん

もしいたらコメントください

 

 

 

東京世田谷にてカサンドラの自助会を開催している

看護職ボランティア団体の代表をしています。

 

次回の自助会は、

世田谷区の男女共同参画センター「らぷらす」にて行われる

「協同事業」に参加するため、

自助会はお休みさせていただいています

 

ただ、「協同事業」はカサンドラさん対象のものになります

世田谷区の建物で実施されますが。

区外の人も参加できるので

ご興味がある方はそちらにご参加ください

参加費は「500円」です

 

公認心理士と私看護師・助産師が参加しています

医療職が実施しているものですので

安心してお出かけいただけると有難いです

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本日もあるカサンドラさんのお話を紹介いたします

 

 

カサンドラ歴20数年、もうすぐ還暦を迎えるカサンドラさんです

パートナーと子ども、パートナーの家族が発達障がいです

 

 

結婚して

ずっと違和感を覚えていました

 

結婚して、籍が変わって、住むところが変わって

住民票も、銀行も、、保険の名前も、免許証も、

女性である私の生活は激変しました

 

 

結婚してすぐに妊娠が判明

初期の体調の変化に戸惑うことも多く

日々精一杯の生活でした

忙しい私を横目に、

のんびり、のんきに日々楽しそうにしている夫がいました

夫「仕事から帰ってきてごはんがあるっていいよね」

夫「休みの日も、ごはんがあるし」

 

私、・・・私ってごはんを作る係?

家政婦として常勤で雇われてるような気分でした

夫は、食事の時間になるまで時間をつぶしてかえってくるし

休みの日は遊びに行って、食事の時間に帰ってきて

「飯は?」「風呂は?」というだけ

 

 

私「お願い、手伝って」といいました

 

夫「何を?妊娠って病気じゃないよね」

私「体調がすぐれないし、すぐ疲れて一人じゃできない」

夫「何を?じゃあ、やらなきゃいいよ」

私「???」「仕事も家事もあるし」

夫「やってって頼んだわけじゃないし」「やらなきゃいいじゃない」

私「仕事は続けていきたい」

夫「じゃあやれば」

「やめていいって言ったのに、自分でやりたいって言ったんだから、あとは自分でやってね」

なんか変な論理です

 

 

体調が悪いから

こんな変な会話で、優しさのかけらもない会話から

一刻も逃げたい気持ちでいっぱい

 

 

実家や義理の両親、友人に相談しても

「努力したらその分かえってくるよ」

「胃袋をつかめば男の人は振り向いてくれる」

「優しくすればその分かえってくる」

「あなたの言い方が悪いんじゃないの」

「あなたって言い方がきつく聞こえるのかも」

 

そんなアドバイスばかり

努力しました

 

 

つわりで辛くても、寝込まずに食事はちゃんと作ったし

だらしない恰好はしないで夫の帰りを待っていたし

優しくしたら優しさを返してくれると信じてがんばりました

 

気づくと、私は外で仕事もして、

家では「家事係」「夫のお世話係」

「夫に優しくする係」「夫を癒す係」

「夫の相談係」「夫の愚痴を聞く係」「夫の両親を世話する係」

「近所の人との関係を良好に保つ係」

 

 

役割がどんどん増えていって

子どもが生まれたらますます役割が増えてました

 

気づくと、夫は休みには遊び呆けていて

子どもの相手もしません

 

 

「泣いてるよ」「おしっこもらしていいるよ」

「水こぼしたよ」「吐いてるよ」

「コップ割れたよ」

「機嫌悪いよ」「母(義理)が呼んでる」

 

夫は、まったく気の利かない女だといわんばかりに

気づかない私に教えてくれる係になってました

 

女性だったらそのくらい出来て当たり前、そんな態度をあからさまにしてきます

 

 

誰かに似てると思ったら

義理父の義理母にやっている態度と全く同じ

 

 

「男は結婚したらそうするもの」という刷り込みがされていて

「俺だってやりたくてやっているわけじゃない」と

わけのわからないことを言いつつ

 

 

その態度をくずしません

 

 

いくら話し合っても、そのこだわりは解けません

 

 

次第に

家だと子どもがうるさくてのんびりできないからと

仕事のパフォーマンスがおちるからと

 

 

家にはごはんの時間しか帰ってこなくなりました

 

ワンオペ育児

話を聞いてくれる人もなく

 

まさか、こんなに冷たいことをする人なんて

外で見ている限り全くわかりませんでした

 

誰に相談しても

こんなに「こだわり」が強い人がいるなんて信じてもらえません

 

こんなに「何もしない」人がいることなんて信じてもらえません

 

こんなに傍らにいる家族が「ツライ」と言っていても放置する人がいるなんて

誰も信じてもらえません

 

家族が病気になっても「無視」「放置」できる夫がいるなんて

誰も信じてくれません

 

「助けて」「お願い」「手伝って」と言っても、

しらんぷりできる人がいるなんて誰も信じてくれません

 

 

「ふーーん」と言って自室に入ってしまう

「うちはいつも修羅場だな」と蔑む目で見て自室にこもる夫がいるなんて

誰も信じてくれません

 

 

私は、いろんな係を1人でやっていて

やりたくてやっている係ではないから

本当に不本意な係分けでした

 

 

ツライ時も、涙する時も、本当に孤独で、寂しくて

疲れきっていても、誰に助けてもらえるわけでもない

子どもがいたら自分が病気になっても寝ていられない

 

 

私が一番不本意に思った名前は

「カサンドラ」でした

 

でも、カサンドラなんだとわかった時は

心の中では安堵していました

私が悪いんじゃないんだとわかったら

 

でも

 

カサンドラになってからもツライ日がすぐに解決できたわけではありませn

そこからの日々も長くて

 

 

色んなところに相談に行くと

「共依存」「アダルトチュルドレン」「うつ」「パニック障害」

いろんな名前が私についてきます

 

そして

「あなたが変わらないと」「相手は変わらない」と言われます

 

これ以上は努力できない、何をどうすればいいのか

全くわからない状態が続き

本当にツライ日々でした

 

子どもが成長したらしたで

親にはやらなくてはならない役割はいっぱい

 

 

もちろん夫は何もやりません

「大変だね」と他人事。うすら笑っていることもあります

自分が分担できるものだという認識は全くありません

 

 

いまは、どんどん両親が老いてきて

さらに私には色んな「係」が割り振られてくる

 

 

でも

すごく時間がかかったけど

 

自動的に私に当てられている役割や不本意な名前を

全部引き受けなくてもいいことを

少しずつ理解できるようになってきた

 

私がいくら「いい人」になっても

夫は変わらないことを学び

 

 

私がいくら「優しい人」になっても

夫は優しい人にはならないし

 

 

私がいくら「話を聞いて」あげても

夫は話を聞いてくれたり、話し合いをしてくれない

 

 

私がいくら「どんなにいいアドバイスをしても」

夫は私の悩みを聞いてアドバイスをしてはくれない

 

 

悲しいけれど、

その事実に気づくまですごく時間がかかったし

 

努力したら何とかなるのではないかと

淡い期待を抱いていたけど、大して変わらないことに気づいた

 

 

それだけでも収穫だった

 

全力で私に割り当てられた「係」の仕事に取り組んでいたけど

そこそこにすることにした

不本意な名前からお別れする努力の方にスイッチすることにした

 

それだけでもすごく楽になった

 

 

「いいことすれば」「いいことが返ってくる」を

一生懸命やらなくてもいいよと自分に言ってあげることにした

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あるカサンドラさんの話でした

 

自助会では色んなお話がでてきます

カサンドラさんの多くは

「私が悪いのか」といいます

 

 

いいことをしていても

いい結果が得られるとは限らない

 

努力しすぎて

パンクすることの方が大変かもしれない

 

少し考え方の方向を変えるきかっけに

自助会がお手伝いできるかもしれません

よかったらご活用ください