本日は維新の思想的背景を探ろうと思います。

「チンピラに思想なんかないよ」とおっしゃる方も多いでしょう。
それはごもっともですが、いちおう維新には新自由主義(ネオリベラリズム)という思想背景があって、それは国際金融資本の代理人・竹中平蔵氏がメンターとなることで維新に伝わっています。

竹中氏は維新の設立に関わり、石原慎太郎氏いわく維新の議員から神と崇められていたそうです。

新自由主義とは、70年代にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンにより広められた、今では誤っていることが確定した産業廃棄物的な思想ですが、当時は世界を席巻し、アメリカではレーガン、イギリスではサッチャー、日本では中曽根に採用されました。

90年代に入って、欧米では新自由主義はその亜種である「第三の道」(マイルドなネオリベ)に変化し、2000年代後半には完全に姿を消しました。
ところが日本では、いまだに新自由主義が安倍・スガ政権に引き継がれ、第三の道は立憲民主党に継続して採用されている状態です。

自民党内には議員によって多少のグラデーションもありますが、維新に限っては、そもそも新自由主義政策を成し遂げるためにできた政党ですので、議員全員が一丸となってネオリベ改革を進めようと懸命になっています。

この新自由主義がその波及過程においてどのような経路を歩むのか、また維新がどのような形で採用しているのか、私なりに説明したいと思います。
 

まず、新自由主義は、「行政の財源は有限である」とする緊縮財政の志向がベースになります。

次に、財源が有限だと錯誤するので、「構造改革」「行革」と称し行政規模を縮小する「小さな政府主義」を進め、社会保障などを削減していきます。

そして、財源が有限だという考えから、自由市場に経済の発展を任せるため、「規制緩和」や「民営化」を進めます。

また、財源は有限なので、外資の投資を呼び込もう、海外で商売して稼ごうという「グローバリズム」を進めます。
維新が外資や竹中平蔵氏の関連企業に、行政機能の一部を売り飛ばし、利益を供与し続けてきたことは先日お伝えしました

最後に、財源は有限なので、国民に対しては「自己責任でよろしく」ということで、行政の責任を放棄します。
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新自由主義は市場の自由を優先し、行政の権限を縮小していくものなのだから、強権的な維新政治はネオリベとは違う、と言われる方もいますが、そうとも限りません。
フリードマンの弟子筋のシカゴボーイズは、チリで数万人を弾圧・拷問・虐殺したピノチェト独裁政権のネオリベ政策を作りました。
ファシズムとネオリベは両立しますし、何より、自由市場を装いながらネポティズムを進め、利害関係にある企業に利益供与し続ける安倍政権や維新行政、小池都政の実態を、私達は長年目撃し続けてきました。


この新自由主義がどのように維新に取り入れられているのか知るために、フリードマンやサッチャーと、竹中平蔵氏や橋下徹氏ら維新関係者の発言とを見比べてみたいと思います。

*ちなみに以下の背景が黒地の、名言風の画像は私が作成したものですが、転載自由です。
 

「緊縮財政」と「財政均衡主義」について

 







「財政赤字を積み上げることになるので、政府支出を削らなければいけない」「国の財源は税金しかない」「国債は税金で返さなければいけないし、国債を借りるお金は国民の預金だ」など、彼らの財政観はあらゆる誤謬が詰め込まれています。

 

「小さな政府主義」や「社会保障などの削減」について















保健所や病院を潰してきたことを認めるが、愚かな「選択と集中」に憑りつかれる橋下氏


大阪府知事就任後






「財源がない」という錯誤から、社会保障、生活保護、年金制度、医療や保険、教育・文化予算、中小企業の助成金などを縮小していこうという思想が「小さな政府主義」です。

行政の無駄を省いて「小さな政府」にすることの何が悪いんだ?と感じる方もおられるでしょう。
しかしそれは、実体市場に生まれるはずだったマネーの創出機会を奪い、国民を貧乏化させることに他なりません。
実際に維新は橋下府政以降、一般会計予算を4636億円(16%)も削減しました。
 

 

 

「自己責任論」について









コロナ感染に関しての発言


「財源がない」というデマを信じているので、行政は責務を放棄し、国民へのサービスを縮小していきます。
「自己責任でよろしく~」です。

 

 

 

 

 

「減税路線」に関して









維新の「減税路線」をもって評価される人がいますが、その評価は表面だけを見て出した結果に過ぎません。
例えば、「維新の減税」と我々「反緊縮派の減税」は似て非なるものです。
ネオリベの減税は、「行政の歳出(予算)を少なくするために、減税によって歳入も少なくする」という視点に立ち、小さな政府を作るために自ら貧乏になろうとするまったく意味不明なものです。

 

 

 

 

 

「トリクルダウン」について







そこで緊縮財政により焼け野原に放り出された国民を騙すために創作されたのが「トリクルダウン」というデマです。
「大丈夫、大丈夫、金持ちを優遇しているように見えるけど、下民どもにもおこぼれが滴り落ちるから待っていろ」という具合です。
後に竹中氏自身も「トリクルダウンはあり得ない」とデマであったことを認めています。


2009年にはイギリスのブラウン首相が「古いワシントン・コンセンサスは終わった」と新自由主義の完全終結宣言を出しました。
ワシントン・コンセンサスとは、新自由主義というカルト教団の経典のようなものです。

先日はローマ教皇に「新自由主義やグローバリズムが人間を搾取し、廃棄し、殺す。トリクルダウンは逃避でしかない」と厳しく批判され、さらにはIMFにも「財政支出・公共投資こそが人々を助け、国を成長させる。緊縮財政は必要ない」と小さな政府主義を否定されました。

世界では「新自由主義は産業廃棄物」として扱われることが常識となっていますが、いまだにこのカルト宗教を進めている維新はいったい何なのでしょうか。

正直な話、私個人は、フリードマンの学者としての、そしてサッチャーの政治家としての信念やカッコよさを一部認めています。
彼らは、間違ったことをやったし、完全なアタオカだったけど、その根底には、国家や経済、人々に対する理念がありました。

翻って、学者としての竹中、政治家としての橋下、そして維新のその他チンピラの皆さんのことを考えた時、そこにあるのは「空虚さ」しかないと考えています。
理念も信念も国家観も、何もなく、ただただレントシーカーとして、己の利益しか考えていない軽薄さが浮かび上がるのです。



維新の進める「大阪都構想(大阪府廃止構想)」には必ず反対票を投じてください。

一度大阪市を廃止にしたら、もう元には戻りません。

よくわからない人は、「迷ったら反対」です。




本日はここまで。

今月は「大阪廃止構想を止めよう月間」ですので、関連記事をアップし続けます。

ご覧いただきありがとうございます。
また次回

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