ある冬の日の夕暮れ
晴れた冬の日には、夕闇が迫ってくる空を眺めるのが好きだ。
冬は時間に伴う空の変化が早いので、
日が落ちるにつれてあたりの景色はどんどん色彩を失っていって、
やがて樹木も家も、黒曜石のような澄んだ闇の中に浸されて
闇色の階調だけですべてが描かれるモノトーンの世界に入っていく。
この時、唯一色のついた活動物として自分だけが取り残されたような
感覚は、ぞくぞくするほどの孤独と似ている。
社会的な営みにあって毎日を流される私たちは
誤解しがちなことではあるが、
孤独とは常にネガティブなものではない。
孤独においてのみ、私たちは世事のわずらいを脱して
社会の単なる使用価値ではなくなり、
全宇宙と対話する契機を得ることができる、ともいえる。
*
掃き出しの窓から外に出ると、地の際に薄明を残した同じ空に
金星と火星がかかっているのが見えた。
遠い星の光だが
このときばかりは孤独界から
元の世界へ戻る合図のような気がした、冬の日の夕暮れ。
うー寒い、寒いのは当然飲む口実になる。
なんとご指名「欲求バトン」!
ここのところ飲んだくれて、ボーっとしていたら
奈々さんに
「欲求バトン」(!)なんてのに指名を受けてしまいました。
ここはあまり深く考えずに書いてみましょう。
◇Q1.今やりたい事。
・好きな相手(複数)との対話(どうせなら食事しながら。
とりあえず対話だけど、その後進展次第ではどこまで行くかわからない)
・瞑想(いつも迷走してるから)
・企業型労働からのExodus
・経済的動機だけの労働からの解脱
・斬新な児童文学を書くという心境に至ってみたい
(今まで書くことの対象として考えたことがなかった)
・人間の自由とあらゆる束縛からの開放について人々と対話して
世界中を旅して回りたい
・家で酒飲んで笑って寝ていたい
◇Q2.今欲しいもの。
・都心の別宅(愛人は付いてなくて良い)
・高原の山荘(避暑用)
・南の島(避寒用)
・知的好奇心に満ちて健康でお金持ちの美女の愛の独占権
◇Q3.現実的に考えて欲しいもの。
・ピアノを弾く時間
・散歩をする時間
・新しい出会い
◇Q4.現実的に考えて欲しいし、買えるけど買ってないもの。
・青森の酒「田酒」純米大吟醸
・温室(私が昼寝できるくらいの)
・白川静の「字統 改訂版」(平凡社)
・中村光の「荒川アンダーザブリッジ」(ガンガンコミック)の第2巻
・INDIGOの今年出たCD「FLAIR」
・新しい皮のスニーカー
◇Q5.今欲しいモノで、高くて買えないもの。
・どっかの教会を買い取りたい
(パーティールームに改装して毎度みんな呼んでどんちゃん騒ぎ。)
・どっかのお寺
(本堂を移築ゲストルームみたいに改装して、
パーティーの後みんなで雑魚寝。合宿みたいできっと楽しい)
◇Q6.タダで手に入れたいもの。
タダは好きだけれど、なんでもタダで対価なしに手にはいるようになったら
きっと欲求もなくなりそうな気がする。
もちろん、「タダほど高いものはない」なんて言葉に臆する拙者ではないが。
◇Q7.恋人から貰いたいもの。
男の場合の常として、現実の悪辣さを忘れさせる癒しの場として存在してくれること
Q8.恋人にあげるとしたら?
毎日の楽しさ、手応えと、一緒にいる意味と確信。
*
以下略。
Q9.このバトンをまわす人。
Q10.このバトンを無視したら?
春の夢
私は花咲く夢を見た
それは色とりどりの5月の花の
いうまでもなくシューベルトの歌曲で名高い『冬の旅』。
今でも時々歌詞が口をついて出るのだけれど、
この歌曲集は若者向け(少年~青年の部Aまで)のような気がしている。
ごく若い頃は平気だったのに、
失恋の絶望を引きずるような冬の彷徨は
青年の部Bにはつらすぎるのである。
人生の悲哀をうたう杜甫の詩は若い人に
人生の喜びをうたう李白の詩は大人達に、
と言われることと同じようなことなのかもしれない。
*
実は私も今朝、春の夢を見た。
起きたら会社に行かねばならない現実が
寒気とともにのしかかってきた。
う~、寒い、もう少し寝床で春の夢を見ていたい、と
毎朝切実に願う冬の朝である。
別にどこにも色恋も色気もないな。
(そろそろ呪いを解かねばいかんかも・・・)
私の中のオバサン回路
今日、実は休み。
休みとなるとなぜか朝起きるのも辛くない。
少々の寒さなんて、、、いや、やっぱり寒い。
七時にベランダの気温計、(この場合は寒暖計と言った方がいいな)を見ると、
何と摂氏0度フラット~。
寒さ、体感気温マイナス10倍!、0度くらいで寒冷地の方ごめんなさい。
そうです、人間は楽な方にはすぐ慣れるので、
拙者はもう温暖地向けの軟弱人間として生きて行くしかない。
その上今日は風もある、う~む休み気分も萎え気味か
と、新聞広告を見ると近くのコンビニ本日開店、
先着100名にアイスクリームが無料。
で、再び活動スイッチオン!
そりゃ、行ってきましたよ。吹きすさぶ寒風も何のその。
だってタダは大好きだ。
でも今日は寒いし、楽勝かと思ったらこれがまた、結構
おばさんや年寄りがいっぱいいて、危うく先着に漏れるところでした。
「なんだい、あの連中、こんな寒い日にアイスもらいに
やってくるなんて、何考えてんだ」、とマジで思った
拙者でありました。
で、タダのアイスクリーム食べながら、
意外と小さいじゃないかこのアイス、と文句を言い、
この寒いのにみんなよくやって来るよ、と自分のことを棚に上げて他人を批評し、
食ったらスタコラ引き上げる自分にも
しっかりオバサン回路って組み込まれているのかも知れないな、と
ちらと思ったのでありました。
タダのイベントのためなら0度くらい何だ。
なにかないと、寒くて動く気にならんし、
どうせなら、酒でも振る舞ってほしいもんだ。
越冬者たち
家の中に取り込んだ植木鉢にカマキリのタマゴがついていた。
春になれば硬いタマゴの中からざわざわと
小さなカマキリがびっくりするほどたくさん這い出してくるのだ。
カマキリの赤ん坊は、小さくともちゃんと大きな鎌と目を持ち
なんとも愛くるしい。小さきものはみなかわい、とはよく言ったものだ。
でも家の中では出てきても行き場はないし、
一緒にしておくと共食いしてしまうので、
これから冬を越して早春になったらタイミングよく
外に出してやりたいのだけれどうまくいくだろうかな。
また、いつ家の中に迷い込んだのか、電灯の傘の裏にはテントウムシがいて
ことしの冬越しは家の中ですることに決めたようだった。
部屋の中では不自由はないのか、気温が高すぎないのか不安だが
一冬をともにすごす小さな滞在客である。
(さらに、寝室で天井を見上げたら蚊がとまっていた。
彼(彼女?)もまたこうして成虫のまま一冬を越そうというつもりなのだろうか。
だが、私はこれまでの態度を一変し、平手打ちをもって
蚊にはこの世からお引取り願った。人間はかくも身勝手なものだ。)
歳末のにぎやかさ
師走を迎えた町はいよいよ、お歳暮とボーナスと歳末の売り出しとクリスマスで騒々しさを増してきた。以前はこうした狂騒から距離を置いて自分なりの行動を貫くのがクールだと思っていたこともあったが、今はこの喧騒が本当にいい眺めだと思う。
この騒々しさが、
金儲けが第一の目的だとしても、
胡散臭い宗教が色目を使っていたせいだとしても、
ただ騒ぎたいだけだとしても、
イルミネーションがグロテスクだとしても、
少なくとも同じ時代に生きる人の息遣いがそこにはある。
私は宗教を信じない。
存在も行いも疑わしいような聖人も、
もっともらしい説教も、
軒昂なイデオロギーも、
立派なマニュフトも。
でも「人間の今」だけは信じる。
日々の生活、泣き笑い、誰しも共通の幸福という高みを目指す
人間の営みをこそ信じる。
だから、私は臆面もなくメリー・クリスマスと言うこともできる。
たぶん私は人間が好きなのだろう。
あ、それから酒も酒の肴も好きなのだが。
声に出して読みたい日本語訳
世の中では「声に出して読みたい××」なんてのがベストセラーになっているようだが、わざわざ「商魂たくましいだけ」の本に本を照会してもらう必要もない。一般的には余計なお世話である。せっかくの名文もあんな本で切り売りされてしまうと、価値も大下落である。
たとえ詩であってもパソコンのマニュアルであっても、良い文章にはリズムと調子、書き手の息づかいがあり、文字にならなかった意図や心情・信念まで文の向こうにかいま見える事もあって、読み手はこんなリズムに何かを感じたら音読をする。音のリズムがまたなにがしかを読み手にもたらしてくれるのだが、これが意識を高揚させることもあれば、癒し、ストレスを解消してくれることもある。音読の効用である。
本は訳文だって構わない。
たとえばこんな
(古沢岩美の美麗なイラストのついた筑摩版が良い)
シャーラザッド姫の語りもいいけれど、音読には感動的な終焉の「結び」の章が好きだ。
『失楽園』 ミルトン /岩波文庫
エロ爺さんの書いたポルノの方じゃありません。
ミルトンは失明後口述筆記でこれを書いたと言うけれど、どういう頭の構造をしていたのか、その深い教養に脱帽。原文も良い。
鍋の季節
冬季に入ると、当家は毎週決まって土日のいずれかの夕食は鍋となる。
鍋料理というものは複数名でやればにぎやかで、
具に凝れば少しだけリッチな気分にひたれたりするものだが、
見方を変えれば、この鍋料理とは、各人、各々自炊の上盛りつけは省略という
わけだから、いろいろ手間も省けていいことづくめ(?)なのである。
ただ、毎週鍋をやり続けると、
冬の終わりにはさすがに飽きが来るから、
鍋料理のバリエーションの拡大には気を配らねばならない。
でも、少々冒険をして妙な具を取り合わせてもこれを
受け入れる度量のあるところが鍋のまたいいところではある。
(古来より日本には闇鍋なんてものもあるくらいだから。)
で、先日新たなバリエーションとして
「コロッケ鍋」というものをやってみた。
ベースは普通の寄せ鍋でよい。
ただ、鍋の仕上げにコロッケを数個くずしながら入れてかき混ぜる。
するとジャガイモのとろみのついたコロッケ鍋の出来上がり。
とろみは独特だけど、ちょっとジャンクっぽいかな?
西洋人のチキンスープ・ライス入りってみたいなモンじゃないの?
とか言いながらも、みんな食ってしまいましたとさ。
関係ないけど、思い出した本『チキンスープ・ライスいり』
モーリス・センダック / 富山房
バスルームの奇行
これ、チーズにあらず、石けんである。
拙者、いつもはなーんにも考えず
ボトルの液状のボディーソープを使っているのだが、
突如気分を変えようかと思いたって、香りの強い石けんを購入。
固形石けんなんて久しぶり。いつ以来かと考えたが、
痩せる中国石けんというのをもらって、使ってみたら皮がつっぱるだけだった
あの時以来だろうか。
写真のものははオールカマーとかいう名前が付いていて、
100グラム、450円くらい、だったかな。
スイカズラの香りが広がって、たしかに脳髄のどっかを刺激するような気が
するようなしないような。
風呂で香りで遊べるのだから、まあ値段分の元は取ったかも。
石けん屋(?)の店先には多種多様な色と香りの石けんが並んでいて、
こりゃあ風呂で気分を変えるのに使えそう。
・・・夜中、風呂でクンクンやってったら、やっぱり変かな?
歩いて帰ろう!
出張帰りの夕方、
珍しく平日の早い時間に地元の商店街を歩いたら、いつもと違う町の顔に出会った。
いつも朝出かけては帰りは遅く、休日と夜の眺めしか知らない私は
まるで町にふらりと現れたよそ者だ。
だから地元なのに、新鮮な気分で思わず見とれてしまったのだが
しだいに灯のともる夕焼けの町は、家や家族の色と空気が濃く漂う。
駅から出てきた人も買い物をしている人も
ここではみんな足は家路に向いていくからなのだろう。
こんな夕日と電気の明りが等しく存在するつかの間の時間帯を
暮れきってしまうまでずっと眺めていたい気もしたのだが、
町の空気に押しやられるように帰路を向いた私の前を、
幼い小さな兄妹が、手をつないで歩いていった。
夕映えの光、溶けて行く空、
行き交う人の重なった色の波、
暮色ににじんだ店先の灯。
そこは忙しさを競うような速足もなく
人をとがめるようなクラクションもなく
ゆっくりと歩く者の眼前にだけ現れる世界だった。
だから私も、ゆっくりと歩いて帰った。




