酒とホラの日々。 -64ページ目

シンプル・クリスマス・ツリー

私が好きなクリスマスのエピソードは、ムーミン家のクリスマスだ。

そもそもムーミン一家は雪が降り出すと春が来るまで冬眠してしまうので、冬の間の出来事は知らない。ところがある冬、どうしたことかクリスマスイブの日に目が覚めてしまって、クリスマスを迎える準備に追われることになる。


もちろんクリスマスの何たるかを知らないムーミン一家は、クリスマスという客人が、飾りつけやご馳走、さらにはなんと贈り物まで要求すると聞いて、なんてあつかましいやつだろうと思いながらも、てんてこ舞いで準備に奔走する。それでもなんとか準備万端整えて、どんなヤツがやってくるのだろうと待つのだが、当のクリスマスは待てど暮らせどやってこない。

そこで待ちくたびれた一家は、冬の精霊や小さな生き物たちたちにご馳走もプレゼントもあげて寝てしまう。。。


実はこのときのムーミン家の作ったツリーが見事で、ナベ、カマ、びんやガラクタなんでも木につるして飾り付けられていた。こんな素敵なツリーをぜひ私も一度作ってみたいと思っているのだが、家族の反対にあっていまだ実現できていない。


シンプルツリー

(写真は家族に抗議して(?)私がでっち上げた庭用ツリー。庭の隅に打ち捨てられたガーデン用トピアリーにクリーニングの針金ハンガーを曲げて星を作り、百円ショップの小物を巻きつけただけの超シンプルな(ビンボくさい)もの。

どうやら風邪をひいた日

先日よりのどの調子がおかしいと思っておりましたら、
今朝起きたら不調が気管支の方にまで下りてきていて、
やたら咳き込んで、慌ててうがいなどしたものの、
不調は全身にジワジワ広がって、どうにも風邪と認めざるを得ない状況です。
ふん、鳥頭だけど意外とバカじゃなかったんだ、別に風邪は嬉しくないけど。


風邪薬でも飲もうかと、薬箱をみたら、賞味期限というか使用期限が
2~3年前に切れたヤツばかりざわざわ出てきて、
さすがに、いくらゲテ物が平気の拙者とはいえ、薬の期限切れは
ちょっと手を出す気になれず、
しかたがないので夕方近所のドラッグストアーへ行ってきました。


が、店頭で薬を眺めているうちに、風邪薬って、効かないものの
代名詞だったような気がしてきて、
薬に頼るより、栄養をつけて寝るという、人間本来の自然治癒力に
期待するのが真っ当な方法のように思えてきて、
気がつけばまたチョコ買って、プリン買って、
ご愛敬でビールの新製品買って帰ってきてしまったのでありました。。。


まあ、今日はしかたがない。明日一日寝てればなんとかなる、きっと。
でもこれって、まるで「明日から頑張ればいい」、と試験勉強を一日延ばしにする
中学生の頃を思い出すような・・・というか全然その頃から行動は変わってないのかも。


わしらは怪しい防災隊

このところ、防災関連(主に地震対策)の活動が活発ですね。

関連書籍や防災グッズもこれまで以上の品揃えを見せていますし、様々な企業・行政の防災対応拠点やマニュアルの整備もこれまでにない具体性をもって急ピッチで進んでいるのをあちこちで見かけます。こうした世の中の行動を見ると、首都圏で何がしか災害の可能性が高まっているのをキャッチしている政府が、パニックを起こさないよう配慮しつつ各方面に準備の圧力をかけているのではないか、と勘繰りたくもなりますね。

でも東京都の試算によれば、東京都心直下型のM7.2程度の地震が日中時間帯に起きた場合、実に351万人(!)が家に帰り着くことのできない帰宅難民と化す、とあります。

こうした動きを受け、某社でも各事業所の社員に例年よりレベルアップした災害対策用品を配布したのですが、発電機つラジオ兼電灯、保温シート、救急箱、非常食、等々・・、そして各自防災用品を携行して、9月1日の避難訓練の日には指定の避難場所まで歩いてみる計画も立てられていたそうです。
ところがどうした手違いか、各事業所には品物の単品が届いた。ある事業所には電灯だけ、別の事業所には救急箱だけ、またある事業所には非常食だけ、といった具合。

それでも、避難訓練は日程を変えるわけには行かず、各事業所で粛々と実施されたのですが、某営業所には携帯用便器だけが山ほど届いていたそうで、みんなで便器だけもって避難路を歩いたのでしょうかね。それはさぞシュールな眺めだったことでしょうね。

こんなドタバタはともかく防災商売は繁盛を極めているようで、災害対策は金になる上に恨みを買う恐れはない、と踏んだ業者と官公庁・政治家が結託して一大利権に仕立てようとしている、というのはもっとうがちすぎでしょうね。

ま、転ばぬ先の杖、非常持ち出し袋を用意し、家具の上には突っ張り棒でも入れておくのは悪いことではないでしょう。なお、非常用物資に酒とチョコは欠かせません

天空に浮遊する


日が落ちるて空に暗色の天幕が広げられると
多くの人間は昼と別の人生を生き始める
夜の天幕には虫食いのような穴がたくさん開いていて
向こうから光が漏れてくるようだ。
虫食い穴を通る光には、昼間明るすぎて見えなかった光景が
見えるのではないか?
私もここでないどこかを期待して時々天幕の穴から

向こうの世界をのぞいている。

・・・冷え込んだ空気が研ぎ澄まされてくる秋から冬は
天体観察の好適期でもある。


ただ拙者は寒いのは苦手なので、こうした晩にはアルコール燃料を摂取することになるのだが、すると望遠鏡のピントを合わせる前に、目のピントが怪しくなることもあってフラフラと星空を散歩することになる。
これもまた良し。

晩秋か初冬か、それが問題だ

晩秋の木


12月なんて無条件で冬だと思っていたのだけれど、
この辺(東京のあたり、都心からあまり離れたところは除く)は
風に木の葉の舞う今頃の季節は晩秋の印象が強い。

日本は南北に長いから、季節のありようも様々だが
季節の設定などは都合の良いように決めればいいのだ。

朝、鮮やかな葉が舞い散る中、出かける時は晩秋
夕、星のかかり始めた木立を見上げて、帰る時は初冬
色づいた落ち葉も枝を鳴らす木枯らしも、どっちにしたって
酒のネタに不足はない。

今日の夕方、駅前の酒屋でつかまって、
期間限定出荷蔵出しの酒の試飲(にしてはちと多かった)して
帰る時の気分は春みたいなもんだったけど。

木を植えたい男

私がまだ学生をやっていたころ、近所の若い男が違法な植物を栽培したかどでつかまった。

男は、自分が栽培していたのは「ケシ」ではなく「ケツ」であり、「大麻」ではなくて「ダイアサ」という珍しい観賞用植物だと主張した、かどうかは知らないが、植物はすべて焼き払われた。

その昔、ヨーロッパの貴族や成金に園芸ブームが起きた頃、プラントハンターと呼ばれる植物採集業者が、世界のあちこちから非ヨーロッパ的な植物を持ち帰って販売していた。
とても欧州では生育できない植物を、暖房費や採光設備に金に糸目をつけず栽培することが、ステータスシンボルだったらしい。

思いもかけない植物を栽培してみたいという衝動は、植物を育てたことのある者なら誰しも多少はあるだろう。

ただ拙者の場合、法律的・経済的な制約を逸脱してまで植物に入れ込むことはないので、栽培欲の発露は非常にささやかなものだ。

たとえば、果物を食べると多くの場合タネが残る。
これがまた結構立派なものだから
ガーデナーでなくとも、ちょっと土に植えつけてみたい
誘惑に駆られることがある。

夏みかん、ゆず、柿、アボガド、等々・・
中でもアボガドの種は立派で存在感があるので
ついつい植えてしまっては始末に困った人も多いらしい。
大きくなるし、寒さには弱いし、見た目もたいしたことないし
実が成るまでには十八年くらいかかるというのだから、
育て上げるのにはそれなりの根気と環境が必要である。

モモクリ三年、カキ八年、アボガドバカヤロ十八年、なのである。

でもまあ、自分のうちが果樹園のようだったら、とたまに夢想してみる。

チョコレート革命 

拙者、酒飲みである。また大食らいである。
太っては見えないが、内臓デブである。
アル中ではないが、チョコ中かもしれない。
秋冬のチョコ新作ラッシュと販売攻勢にのせられ
いまやむさぼり食うチョコを止められない。
チョコには凹んだ気分を高揚させる効能もあると聞くから、
気分が沈んだときにはいいかもしれないと思って食っているのだが、
特に何か変わったような自覚はない。
もちろん被験者の拙者は一体だけなので、対照実験ができないから、
実のところ、いいのか悪いのかは皆目わからない。
しかし夏の終わりくらいから、量の多寡はあるものの、
ほとんど毎日チョコ食っているのだが特に太ったわけでもない。
気分が良くならないのは職場の人間の問題なので論外としても、
特に体調に変化なく、チョコレートをむさぼり食うことに
何がしかの満足を覚えているのだから、
精神の安定に何がしかの寄与はしているのだろうと思いたい。
このチョコ中毒の結果ある日突然吹き出物と肥満に悩まされる
かもしれない、などとは今のところ考えない。
むしろチョコレートの成分が体内で一定の値を超えた状態を
維持すると、宇宙人とチャネリングができて
ある日「お迎えです」とか言って円盤に乗せてもらえる
かもしれないではないか。
円盤からは怪光線がでて地球人の文明施設をすべて焼き尽くし
後にはきれいなお花畑と争いのない安らぎある世界が
待っていて、人々はチョコレートの川で沐浴をするのだが
おお、チョコレートの川がそこにほら、見える、見えるぞ・・・!

チョコの食いすぎでハイになっているようです。
皆さんもチョコレートの食いすぎには気をつけましょう。

酒の上の信心

むかしむかし、旅の坊さんが山の中で行き暮れて
野宿をすることになったときのこと。
そろそろ寝ようかという時に、近づいてきた物の怪たちに
坊さんはたちまち取り囲まれてしまった。
すきを見せればたちまちとって食われてしまうのがわかっていたから
息を潜めてじっとしていたが、物の怪はふえてくるばかりだった。
そこで坊さんは覚悟を決め、ありがたいお経を唱え始めたのだが、
すると物の怪たちはしだいに胡散霧消してしまったのだった。

(日本霊異記贋作集)



拙者も先日の夜電車の中で、うら若い女御とうらぶれたA君と一緒の折、
酒臭いモノノケオヤジの群れに周りを囲まれた。
それではとA君と拙者が、電車の中でありがたいお経(般若心経だけど)を
相唱えると、あら不思議、物の怪の群れはたちまち拙者らの周りから
引いていったのだった。
ただ、法力の不足か物の怪は拙者らの周囲1.5メートルくらいから
いなくなっただけだったのだけれど。

こうして拙者らは酒臭い物の怪の難を逃れることができたのだが、
うら若い女御は「ものすごく恥ずかしかった」とか言って、
感謝の言葉もなかった。
所詮、女には仏法のことなどわからないということか。

     ・・・ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい
     はらそうぎゃあていぼうじいそわか。


酒の上の不埒、許してくれろ。

(というか、もう大人なので、酒の上の悪ノリもたいがいにします)

長い夜

拙者、大人になってもだいぶ長いこと、
「胆力」とは腹の力のことだと思っていた。
そんな私の理解によれば、これは表層的な腹筋の力でなくて、
もっと奥深いところの力のことで、
生理的には排便のための筋肉のことではないかと思っていたのである。

また同じようにやはり、「踏ん切り」「糞切り」だと思い込んでいたから、
長くて切れの悪い便を、「胆力」をもってうん、っと断ち切ることが
「糞切りをつける」ことだとずっと思っていたのである。

ここから『物事をケツ断する度胸のことを「胆力」という』のだと
一人で理解納得していたのだが、
最終的に「胆力」の意味のとらえかたに間違いはなかったようだ。

それにどちらも学校のテストに登場するような言葉ではないから、
社会生活に問題を生じることはなかったのである。

こんな私もやがて認識が誤っていることに気がつくことになったが、
そのきっかけもまた誤認識だった。

長くつしたのピッピ
『長ぐつしたのピッピ』という児童文学があるが、私は読まなかったのだが、有名なのでタイトルくらいは知っていて、なぜ長靴の下に女の子がいるのか大変不思議だった。


それが長い靴下(オーバーニーソックスというのか?)をはいた女の子だったという事実を聞かされ、この「長い」のつながりで長い糞を断ち切るという下品な言い回しもひょっとしたら、と確認し、私は長い暗愚のトンネルを抜けたのである。メデタシメデタシ、


もちろん私は私の蒙を払ってくれた女性に心から感謝したのだが
カノジョはこの顛末をてんで信じてはくれなかったのである。

・・・この話、児童文学の紹介ブックに載せたら怒られるだろうな。

ある日、物語は突然に

子供の頃、クラスに黒猫を飼っている女の子がいた。
成績も容貌もあまり目立たないおとなしい子だったけれど、
いつも礼儀正しく行儀もよくて、
いつも周りの騒々しい僕とはまるで活動する世界が違うという感じだった。

でも、帰る方向が同じで、僕も猫が好きだったから、
僕らは誰もが意外に思うような友達だった。
猫を相手にして二人で話し込んでいる時間は楽しかったし、
その子はやぼったいように見えて、本当はとてもかわいいのを
僕は知っていた。

でもあるとき、その子は父親の転勤で猫と一緒に
岐阜に引っ越していってしまった。

子供の頃の物語は、子供の意思や感情に関係なく、
いつも唐突にあっけなく終わってしまうものだ。

ルドルフ
『ルドルフとイッパイアッテナ』 斉藤 洋 / 講談社

トラックに乗って東京に迷い込んでしまった黒猫のルドルフが
世間の荒波にもまれながらも、仲間の猫の友情に助けられ

岐阜の飼い主の女の子の元に帰り着く(?)までの、現代の路地裏の冒険。
(続編の「ルドルフたびだちひとりだち」を含む)


後にこの本を読んだ時、僕の記憶と本の物語が微妙に交錯して、
胸の奥がうずいた。

え?前にも転校していった女の子のことで感傷的になってたけど
今回はどの子のことだって?

いや、それはまあ、いっぱいあってナ。。。