酒とホラの日々。 -43ページ目

議員宿舎の金の声 

  ・・・芳一。芳一や、 今宵もむかえに来たぞ・・・。

 


 議員宿舎の金の声  感覚異常の響きあり


 庶民操縦の腹の色  増税必至の理りをあらわす


 定率減税も久しからず  ただ春の夢の如し


 社会保障もついには滅びぬ  ひとえに風の前の塵におなじ


                                  ベベベンッ♪



東京赤坂では、夜な夜な今をときめく銭無し芳一による琵琶の演奏と語りの

ライブショーが開かれていました。(o^-')v


* *


所得は増えない一方で来年からは定率減税も全廃、庶民増税は必至といわれたあげく公共サービスは切り捨て。
金持ちは優位に、庶民はますます貧乏に、この流れは変わりませんね。中にはあいも変わらず市民の一致団結を呼ばわる人もいますが、あまり期待が持てません。


そもそも社会の価値観が単一化し、財貨の多寡ですべてが評価される世の中では、人間の行動にはある特性があります。
つまり、「貧乏人は互いの足を引っ張り合う、金持ちほど助け合う」
それゆえ、下層階級の社会は混沌として今後も犯罪が多発し、貧困のスパイラルから抜け出せない。金持ち絶対の今の体制はますます磐石となるのでありましょう。

こんな世の行く末を嘆くのでしたら、拝金教、経済効率一神教を捨てて、モノに使われ、モノに遊ばれる暮らしを見直して、目先の欲望に振り回されず、本当の自分の幸福とは?ということをひとりひとりが見直さない限り何も変わらないことでしょう。

* * *

その後銭無し芳一はホームレスから一躍スターとなって一時引っ張りだことなりましたが、大手興行会社と契約トラブルで、活動も収入もままならなくなって、引きこもりとなってしまいました。


芳一、芳一がいない。・・・おやこんなところに芳一の財布だけがある・・・。
なるほどこれでは芳一は返事ができるはずがない。
確かに芳一をむかえに来たという証拠に、この財布を持っていくとしよう。。

こうしてまた、今は一文無しの芳一なんだとさ。。。






                  

自己責任が開くニッポンの明るい未来

【ニッポン経済大政翼賛会入会試験問題】


最近の日本に、ごく普通に見られる以下のケースの記述を読み、最後の設問に答えなさい。



(ケース1:教育)



 町内の子ども会の主催するクリスマスパーティーを行うことになりましたが、
 町内役員に充分な飲食費をあてがうと、子供の人数分のケーキが買えなくなりました。
 やってくる子供たちは20人ですが、15個だけ買えたケーキは先着順に
 配ることになりました。
 役員は遅れて16番目以降にやってきた子供たちに、
 「お前が遅く来たんだから、それは自己責任だよ」と言って帰ってもらいました。



(ケース2:ワーキングプア)



 ヨネばあさんはずっと役所の臨時雇いで役場の掃除の仕事をして働いてきましたが、
 経費削減の折、役所の臨時雇いはなくなって、役所を退職した元役人の作った
 民間会社が安く請け負うことになりました。ヨネばあさんの仕事は変わりませんが、
 社長のご機嫌取りと社長のベンツを磨く仕事が増えた上に、この会社の
 安請負と天下り社長のピンはねのため、手取り給与は半分になってしまいました。
 半分の手取りでは食べるのがやっとで持病の治療に医者に行くこともできなくなりました。
 年も年だしいまさら他の仕事にもつけません。
 「こんな仕事を選んでしまったのも、病気になったのも、自己責任だよね」



(ケース3:ホームレス)

    

 健介は時代の先端を行く職場も働く時間も自在に選べる自由な労働者でした。
 自由な労働者には誇りを持っていたケンスケですが、

 自由な労働者以外にはなりようがなかったのです。
 いつも雇い主の会社はケンスケが雇用形態に疑問を持つと、

 すぐ健介にさよならを告げるのでした。
 職を転々とするうちにふとした病気から職を失って、もともと貯金する余裕のなかった彼は
 気がついたらホームレスになっていました。
 住所不定のホームレスを雇ってくれる会社はありません。
 「あんな就業形態を選んだのは俺だし、これって自己責任だよね」



(ケース4:ホワイトカラー・エグゼンプション)

   

 「社長、ようやく社員に残業代を払わずに済むようになりそうです。」

  

 「何言ってるんだ、大きな声では言えないが、

 わが社は残業代なんか出したことがないだろう。」

 「ええ、それがやっと国のお墨付きが出て、堂々と社員は働かせだいだけ働かせることが
 できるんです。」
 

 「ああ、コイズミ以来のあの法案だな。やっと実現するのか、遅かったな。ふははは
 この前、過労で頭がおかしくなって首くくった山田みたいなやつがいても、
 基本は自己責任で通るわけだな」
  

 「労災保険くらいは出るでしょうが、責任についてはいかにもその通りでございます。
 仕事をどれだけやるか裁量は個人任せになるんですから、
 成果を挙げられなくて給与を下げられるのも、仮に成果挙げて過労死するのもみんな
 『自己責任』ってことで、これで労働基準局の手入れを心配する必要はなくなります。
 なにより労働コストの抑制効果は抜群です」

  
 「ふぉっふぉっふぉっ、それはめでたい、これでますますの景気拡大は間違いないな」

  
 「御意にございます」

  

* *

  

(問題1) それぞれのケースでは誰のどこに負うべき自己責任があるのか答えなさい。

  

(問題2) 四つのケースを元に小泉内閣・阿部内閣および経団連を讃える小論文を書きなさい。


  



今日も誰かの無責任を、私の『自己責任』だと引き受けてくれる人がいる。  
「いや~、『自己責任』って、ホントーに便利な言葉ですねー!」




***************************



追注:過去に何回もありましたように、シリアスものではありません、いつものブラックですので念のため。

毎度抗議を寄せられても困ります。


私たちは自己責任という言葉を安易に絶対的な逆らえない掟のようなモノとして使っていやしまいか、という疑念からこの悪い冗談を書いただけで、captain-jackが特定の政治団体や思想、御用学者のお説に肩入れしているわけでは決してありません。


いつものホラだというのにこんな注意書きを書かなくてはならない、ブログの難しさを感じますが、読み手も様々なのでまあ仕方ありません。今回は記事を引っ込めていないだけまだましですが。
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

理髪店と私をめぐる虚々実々

私は髪を切りに、最近でこそ理髪店に出かけていくが、この理髪店がどうしようもなく苦手だったことがある。理髪店とか床屋の店自体には何も思うところはないのだけれど、苦手なのは顔を剃られることで、椅子にくくりつけられて上体に白い布をかけられ、すぐには手を出せないような体制でむき出しの鋭利な刃物に顔をさらすというのに、いささか居心地の悪さを感じていたのだ。


それなら、顔そりは結構です、と断ればいいようなものだが、一律の料金に込みのサービスを断るのはいかにも惜しいようにも思われたし、顔そりの断りを切り出すのも、ましてサービス一部省略に伴う値引きの交渉をするなどというのもみんな面倒に思われた。

 

私はどちらかといえば何でもずけずけと言い放つタイプの人間ではあるが、床屋というものはなんとなく緊張感を解き放ってリラックスしていたいところであるので、余計な緊張感を生むような言動はつまらないことでも余計面倒に感じられるのかもしれない。

 

今は床屋の料金体系も多様化して、たいていどこでも顔そりの有無を選べるメニューも用意されているからどうということはないのだが、当時はまだ、床屋のサービスも料金もどの店においてもたいてい一律で、成人男性の調髪というものは黙って座れば顔剃りのサービスが当然セットされているものだった。これを客が断わるのも、床屋の側が断わられるのも極めて例外的で、「顔剃りは結構です」と言って万一、「どうしたんですか?」と床屋に聞かれれば、客としてもそれ相当の理由を用意しておかなければならないような雰囲気があった。いや、実際はひとこと言えば済んでしまったことなのだろうが、私はそんな雰囲気の中で床屋に行くのをいつも逡巡していたのである。そこで当時の私は髪を切りに美容院に出かけていた。ご存知の通り美容院では顔剃りはない。

 

最近は男でも美容院に行くのは全く珍しくないが、たいていスポーツ刈りみたいな私が美容院に出かけて行くのはわれながら奇妙な気がしたものだ。もっとも美容院は若い女性スタッフが多く、まだ充分に若かった私としてもそう居心地の悪いところではなかったのだけれど、決してそれが目的でいっていたのではないので念のため。

  
毎年歳末の今頃になると、髪を切るのも極めて不定期で不精な私であっても、正月前に床屋に行っておこうと考えるくらいだから、年末の理髪店はきっと混雑して忙しいことだろう。そんな多忙の中だったら顔剃りの省略の客は歓迎されたのだろうか。正月の準備の時期になるといつも思い出す私と床屋をめぐる過去のことである。


*****


本日は軽くさらっと(あ、いつも;;)書いてしまったが、 何かで目にしたブログの指南本によればエッセイや小説風の記事は書いてはならない!とあって、ブログはすべからく言葉をぶつ切りにして叩き並べるような「ブログ文」で書かねばならないらしい。なるほど有名人のブログも「テメ、この、お前、バカ?」みたいなのをよく見る。ここは見に来てくれる人も充分大人のブログなので、ブログ文体でなくとも許してくれますよね。歳末だし。(歳末はカンケー無いか)内容の手抜きは勘弁してください。

  

閑雅のとき



FreeBird





歳末の雑踏と喧騒を逃れて


海へと下る川沿いの道を歩いてみると

枯れ葦が途切れた河口には

緑灰色の汽水の上に重たい雲が垂れ込めていた。



行きかう船も岸辺の建物も、

遠ざかるほどに色もやがて輪郭も失って

混沌の影に溶け込む無音の世界。



びょうと広がる海とばくと迫る空との間にひとり佇んで

圧倒的な無為な世界と対峙するとき

人は社会的な足がかりを完全に失う。


 


社会的な立場も役回りも自分の存在の説明には役立たず

人は為すことではなく、在ることでのみ自らを

見つめねばならない。



自らを忙しさに追い込んで人生の慰楽とする者には

時に茫漠とした無為の時空は耐えがたいものとなるが、

それは自らの内に意味と充実を見出せず

自らと向き合うことから逃れ、社会に使われ自分をすり減らすこと

でしか自分の存在する意味を見出せないためである。



誰しも一人で何もしないときに圧倒的な安心にも似た

充足感に満たされることがあるだろう。意識しなくとも

足らないものも余分なものもない心の平衡を感じることだろう。




忙しさに溺れずこれを知る人は幸いだ。



閑暇のうちにおいてのみ人は自分のためだけの自分を取り戻し


全世界・全宇宙と対話している。











これが本物のデスノートだ!



デスノートが人気らしく、いい年こいた大人でも漫画に読みふけっている者も
多いらしい。私も映画を見たが(テレビで)、特にコメントは、ないな。
アニメのほうはもう少しましなのだろうかな。

ところで、私の机の上にも一冊の黒いノートがある。
本物のデスノートである。

どうせまたホラだろうって?いや、いや本当だってば、
ウソだと思うのならこの記事のタイトルの下の「テーマ」を見てみるといい。

・・・どうだ、ホントだろう?

なんなら、あなたの写真と名前を送ってくれたら
ご希望の日時と方法を添えてノートに名前を書いてあげようじゃないか。フッフッフ。


クオヴァディスノート


さて、そのデスノートだが、
表紙は頑丈一点張りの塩化ビニール製で、中身はフランス製だ。
ずっと愛用しているのだが、そろそろ来年度分を買わねばなるまい。

なかなか使い勝手が良いんだよね、このクオ・ヴァデス・ノート

ここ2年くらい手帳はこれを愛用中。

まだ納得いかないというのなら、手帳のページを参照して欲しい。
Quo Vadis社 url:http://www.quovadis.co.jp/home.php


「クオ・ヴァデス」といえば、シェンキェビッチの同名の歴史小説が有名だが、

このシンプルな手帳も、シンプル故に愛用者が多いらしく、今や手帳の定番だ。



え? クオ・ヴァデスでなくてクオ・ヴァディスだろうって?

いいんだよ、デスヂスも(当然ディスも)日本語では同じなんだよ!



就寝前の読書

私には寝る前にもちょっとだけ本を読む習慣があったのですが、もともと寝つきが極めて良いところに加え、近頃は寒くなってきたせいか、ますます床に入って眠りに落ちるまでの時間が短くなって、ほとんど秒殺というか秒眠という有様で、床で本を読むというのは不可能になりつつあります。


本を読みながら力尽きて眠りに落ちることの気持ちのよさをあきらめねばならないのも心残りな気もしますし、わずかとはいえ読書機会が失われるのもまたもったいないような気分です。

 
そこで、一計を案じたのが、睡眠前の寝床で音読。音読するとならばしばらくは確実に起きていられる、というわけですね。もっとも寝る前なので、重いもの、不快なもの、理解に能力を総動員しなければならないようなものは読みません。

 
そこで今は、北条重時の「極楽寺殿御消息」を読んでいるのですが、なるほど世に聞こえし名文、平易な中にも偏狭なヒューマニズムを超えた徳と善性が溢れて、これがなかなかいい感じです。シンプルに諭すような訓戒が我が身を省みるきっかけを与えてくれるとともに、寝る前に安心と幸福に包まれる気分になります。

 
この文自体は三代執権時頼の、幕府の連署(執権に次ぐ政府要職)だった北条重時(極楽寺殿)による武家の家訓とされています。 ただ使用人や身分賤しい者、ぼけた年寄りや馬牛の類にまで等しく愛情をもって接することを勧めるような思想が、戦乱と政治不安の乱世の時代ににおいても一貫して強調されていることが、私には少々驚きでもありました。

 
また、読み進めるうちにこれは私が子供の時分に読んだことがあると気づいたのですが(当然当時は子供向け現代語訳)、当時この訓話に接して、「なんだ、当たり前の行動要領と同じではないか」と少々意外にも誇らしくも思ったのを覚えておりましたところ、大人になった今読んでみますと、まったく自分も世の中の風潮もまるで至らないところばかりが目に付いて赤面することもしばしばでした。

  
・・・相手が誰であれ狭いところですれ違うときは道をあけ充分に配慮せよとか、年寄りの話はすぐに終わるのだからたとえ間違いであってもうるさがらずにいたわりをもって相手をしろとか、外にに出るときは身だしなみは充分に配慮し、一旦人前に出たら身だしなみに気を使うようなそぶりはほんの少しも見せてはいけない 等々・・・


あんなバカが道をよけもしないのに、何で俺だけよけなければならないのか、とおもうこともないでしょうか。年取った親の諫言に今の世の中は違うんだよ!と厄介そうに反論したりしていないでしょうか。 ところかまわず絶えず頭をなでつけ化粧や身づくろいをするのが当たり前になってはいないでしょうか、それは品格を伴う行動でしょうか、等々。

 
私たちはいつの間にかいつもイライラして、ささいな行動も直接の損得で捉えて、尊大で配慮に欠ける大人になっているのかもしれないと気づくだけでも、眠い一時にこの本を読んでみた甲斐があります。 損得に関わりなくかつて世の中に当たり前にあった徳目をわがこととして再点検するのは、世の風潮に引きずられない人としてよく生きる上で意味のあることでしょう。



家族にも是非聞かせてやりたいものだとも思うほどですが、なに?夜中にでかい声で古語の音読したら、周りの家族が迷惑だろうって?
大丈夫、うちの一家はみんな寝付きよい熟睡一家ですので、誰も聞いていやしません。^^



効能あらたかなアンチエイジング、若返り法


デパートの売り場で、当世流行のアンチエイジング化粧品の店頭販売の場面に出くわしたときのこと。

ショーケースを挟んでお客のご婦人に、その効能のすばらしいことを控えめな語調ながら自信たっぷりに販売員が説明しているところに、後ろで見ていた五十年配と見受けられる紳士が割って入った。


「君、その効果は本当かね、本当に若返るかね」


「ええ、もちろん個人差もございますが、お使いになった方へのアンケートで、ほとんどの方が効果があったと認められております。わたくしどもも自信をもってお勧めできるお品です」

「そうか、そうか。それならこれをうちの家内が使ったら、私は
家内からもう気の滅入る愚痴やつまらない世間話を聞かずに済むのだな!」


 ――--女は若いのがいい、なぜなら身の上話が短いから  

  (フランスのことわざ)




* *



なるほど私も会社で、年配女性に閉口することがあるが、それは当人の話題内容においてであって、顔の皮の具合においてでは決してない。

当節はアンチエイジング大はやりで、誰も彼も「うわっつらの若さを追い求めて、自分を欺くことに喜びを得ようと錯覚したがっているようだが、一方で愚痴と愚痴に連なる身の上話や、つまらないゴシップネタに明け暮れるようになるのは人間の「耄碌(モウロク)」の一形態である。もっとも忌むべき老化形態のモウロクをないがしろにして、何のアンチエイジングなのか。

たわいもない話をするのも愛嬌のうちだ。だがこれも程度を超えると、自らの品性を保てない人間と映るようになる。そして大人が自らの品性を維持統制できないというのは耄碌の現れである。


もちろんこれは、男も同じ穴に落ちていることに変わりはないし、女に対しての責任もあるだろう。


たとえば家で共通の話題が、テレビの下卑なバラエティー番組や芸能ネタ、ゴシップニュースや浅薄な流行本ばかりで、一緒になって、ネタをこき下ろしたり感情的に憤慨したりしているだけなら、これはまさに世間の悪徳に身を浸して、人品を貶める訓練をしているようなものだ。 この結果を経て人は愚痴と身の上話とゴシップの人となり、まさにモーロク教育の効果を発揮するのである。


* * *



それでも耄碌を嘆くことができる人はまだいい。captain-jackは耄碌以前に耳と耳の間には骨と筋肉しかないので(爆)・・だからオズの魔法使いに脳味噌をもらいにいこうか・・・それともサンタにおねだりをしようか、もう12月だし。。。




アメーバメッセージが届いたら

いつの間このアメブロにメッセージ機能なんて言うのができてだいぶ経つが

いったい何のためのメッセージ機能なのか相変わらず私には分からない。

それなのに時々よく分からないメッセージを届く。

いちいち相手にするのも面倒なので、概略かいつまんでここで紹介してみると・・・



(その1)あなたのブログは変です。
ブログは日記だからその日の出来事や体験を書くモノです。
それをあなたはあなたの頭の中で発酵した悪い考えを
嘘も本当もごちゃ混ぜに書いていますね。起承転結も結句もむちゃくちゃです。
これでは読む方が混乱して良くない影響を受けます。
社会人として常識在る文を書きましょう。


  なんだよあんた、小学生の作文じゃあるまいし、
  虚実境目無く、文による表現の可能性の限り俺は俺の好き勝手なことを書くんだヨ!


(その2) <警告>大日本下品党は大日本○由○主党の登録商標です。
勝手に使わないでください。


  スミマセン、すみません、知らなかったんです、決してわざとじゃないんです。
  ただ、そんな有名な党を本家としておつきあいできるなんて光栄ですので
  まだ少し大日本下品党の宣伝をさせてください。


(その3)いきなりメッセージってびっくりですかあ?
Dカップの人妻ですが、こんな形の出会いもあり?明日おひまですか?
夜間ならいつでもお電話ください。


  即刻削除


(その4)仏壇仏具大割引セールのご優待券を差し上げます・・


  無視


(その5)あなたはリベラリストのような顔をして結構右翼的発言も
見られますよね、それにあちこちに衒学的な記述がちらつくのも
許せないな。女の子と仲良くやってるような記載がなければもうちょっと許して
やってもいいんだけどね、何かとハナにつくんだよね、このブログ。


  あんた、何言ってるのかわかりません。こんなメッセージをよこすやつは、きっと女にもてない
  イヤミで足の臭いヤツでしょう。


(その6)あのう、captain-jackさんって○○中学のD先輩ではありませんか?
わたし、体育館の裏でもらったお手紙まだ大事に持ってます。


  私はそのような者ではありません。とっても硬派でした。


  ああ、もう疲れてきた。


(その7)【人妻メッセージをお届けします】 
今日は寒いですよね。
突然なんですけど、
なんかすごくHな気分になってきました・・・。
会えませんか?
もう一人では飽きました・・・。


  うるせええっ!!”!




このように、ネット上を飛び交うメッセージなんかにつきあってもロクなことはないのである。


小さな大飛行家たち

「兄ちゃん、もういいか?」
「まだだ。まだじっとしていろ。」
「まりこがもうがまんできないって。」
「まりこ、いい子だからもう少しだけまつんだ。」
「兄ちゃん、おれもう・・、手はなしていい?」
「あと少しだ。あと少ししたらいい風が吹く。そしたら・・。」

やがて風がやってくると、おれたちはいっせいに
腹に力をこめて糸をはき出した。 長く・・・長く・・・。

風をつかんだ糸はたちまちおれたちを明るい空へと引き上げて
生まれた草むらが、地面が、木が、山が、どんどん遠ざかっていった。

風に乗って、新しい土地へ、まだ見ぬ希望へと。



生まれたばかりの小さな小さな蜘蛛の子は
自らの糸を風に放って、空へ、まだ見ぬ大地へと飛び出していく。
飛行する子蜘蛛は木の梢の間にきらきらと光って見かけることもあれば、
高層を飛ぶ観測気球に捕獲されたこともあったらしい。

 
晩秋も押しつまった野山で、晴れた日の空に光る糸のようなものを見かけることがあるが
これは新しい活動の場を求め、細い糸と風を頼りに飛んでいく蜘蛛の子たちである。
どうか幼い小さな飛行家たちの行く末にも幸運を。

晩秋の空にきらきらと光る糸が見えると、やがて山里は雪におおわれることから、
雪の季節への変わり目の合図として、子蜘蛛たちの飛行『雪迎え』と呼ばれる。



そんな雪迎えを名前に冠した酒があって、いつも私のお気に入りである。


雪むかえ


え? 季節の話だと思ったら酒の話なんかするなって?

でも、酒は酔って気分を変えるだけではないし、
味・香り・外見・文字などによる様々なメッセージと想像を提供し
それを酔いがゆすり、くすぐり、人生を豊かにしてくれるのである。

酒の効用とはそういうものだ。

(酒飲みは酒飲むのに理由を考えるのも大変なのだ 汗;)


酒を飲まない者には理解不能らしいが、酒を自己の統制下に置けないのなら

飲まない方がいいので、まあそれは仕方ない。あきらめてください。




冥王星復活と理科年表


今年の天文学会の国際会議で、冥王星が惑星から降格させられてしまったのはまだ記憶に新しいが、これは全世界的な有無を言わさぬ決定で、世の中一斉に冥王星を惑星扱いしなくなるのかと思っていたら、どうもそうではないらしい。

アメリカの発見した唯一の惑星であるために、アメリカがあれこれ惑星の解釈をいじって、最後まで冥王星を惑星の地位にとどめようと画策したのはご存知の通り。


政治経済ばかりか文化もまたアメリカの影響下にあることおびただしい日本もアメリカへの遠慮からか、新しい理科年表の太陽系惑星一覧には冥王星がまだ残っているとのことだ。

なんだか学問的解釈も国家や学閥の感情や政治的配慮に左右されることの露骨な例だが、こうなると曲学阿世も碩学も紙一重ということだろうか。

理科年表

いずれにしてもこれは久々に理科年表(2007年版)を買わねばなるまい。
最後の惑星としての冥王星記載になるかもしれないし。

社会人にもなると理科年表なんて縁がないと思っている人も多いかもしれないが、これが単なる読み物としても、生活上の手軽なデータの参考書としても実はとても面白い。

たとえば暮らしていれば誰しも日脚の変化を実感するだろうが、遠距離恋愛のカップルは日の出日の入りの時刻データを見て彼女(彼)の地域との時間差を数字のうえでも確認してみると、より一層互いの距離と絆を実感できるかもしれない。

台所用品に使われる金属の材質と特性は?たとえばガスコンロの炎は1200度で鍋のアルミの融点は660度だから、空焚きすればどうなるか、等々、科学データは身近な事柄のすぐ隣にあって生活上の理解を深めてくれる。

また、ぼーっと世界の主要都市の平均気温を眺め回すとアイスランドのレイキャビクあたりがなんだかとても過ごしやすそうに見えたりして、行先の候補を勝手に探ってみるというのも理科年表の楽しみだ。 

(こうした点で、風水と同じくらい息抜きには役立って、どんな占いよりも根拠は確かである)

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なお、冥王星についてはアメリカが惑星再昇格のウルトラCを画策しているという噂は根強い。
核ミサイルを巨大彗星に打ち込んで軌道を曲げ、冥王星と合体させて惑星判定の根拠となる大きさを補おうとしているという怪説も出る始末だ。

 
合体に失敗して間違って冥王星もろとも木っ端微塵にならないよう、お祈り申し上げるが惑星だろう矮惑星だろうとそれでも冥王星は回っている。 冥王星はそっとしておいて欲しいと思っているのではなかろうか。


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・・・実は今回は、アメリカのミサイル陰謀に冥王星人が怒って攻めてくる「冥・米宇宙戦争」の話を書こうと思ったのですが、(生物がいたため冥王星は惑星に再認定されることになるが、アメリカは冥王星との戦争に負けて地球上から消滅してしまうというお話)ちょっとブログには長すぎてブラック過ぎるので、これはいずれまた。