正月3日目。
この正月を故郷ですごしている人も多いのではないでしょうか。
なじみの商店街も、コンビニやチェーン店にすがたをかえ、
まるで知らない町へ迷い込んだような寂しさを感じることがあります。
実家から、しばらく歩いたところに小さな橋がかかってます。
町並みはすっかり変わってしまったけど、ここを流れる川と、
そして、この橋は今も変わらずにあります。

短歌
里帰り 橋の上まで 送りてくれし
         亡母を偲びつつ瀬音ききいる
万年筆ってつかったことありますか
おえらい人とか、文豪とか使っているから、
まあ、ただ、それだけの理由で使いたくなるわけです。
ちょっと安いやつなんかを買ってしまうと、
インクがじょぼっとでてしまいます。
かといって、高いのっていうと、
もったいないってのが頭をよぎるわけです。
「あ、いいですね、この万年筆」
「いや、気がついちゃいましたか、」
「わかりますよ、すごいなあ」
「もってみます」
「あ、ありがとうございます、ああ、軽い、わあ、書きやすい」
「安もんですよ、」
「もっているものがちがうなあ、高級品ですよ、これ」
「はは、なかなか隠しとうせないもんですね、確かに、
高かったけど、高級品かどうか」
う~ん。あてどのない空想が続くぞ。

短歌
新しきペンを慣らすにブッセの詩
       うろおぼえなるを繰り返し書く

解釈
さりげなく、教養がにじみ出てしまったかな、
ブッセの詩なんて、学校の先生の趣味で、
無理矢理おぼえさせられたから、
覚えているだけで、意味はさっぱりわからん。
個人の趣味で買うかと言われれば、買わない。
本棚にかざっておいて、
「う~ん、ブッセだ。」と、
文学の香りを本棚からかもしていたのだが、
邪魔だから、どっかに置いてそのまま、
行方知れず。
正月になりましたね。
今は帰省ラッシュなんだそうです。
家の近所のバス停留所でも親戚の方を送る
情景や、もしくは、迎えにきている情景を
かいまみることができました。
そんな中のできごとを短歌にしてみました。

短歌

   幼子と歌うは祖母か湯気の窓
      ぞうーさんぞうーさん  路地に聞こゆる

解説
路地裏におばあさんかと思われる、人とお孫さんの歌声が
聞こえてきました。
見ると、お風呂の湯気の方向がら響いているようです。
おばあさんが帰省したのやら、それとも子供たちが
おばあさんの家におじゃましているのか。
その歌声と笑い声が冬の町にあたたかく響いていました。
初詣にいってきました。
自動販売機の前である家族をみました。
缶ジュースを買ってもらった小さな子が
「これあたたかいよ、ほら」と妹に手渡すのが
みえました。
元日の深夜のある家族の光景をひとり眺めて
いました。
この家族にもよい年がきているんだなとおもいました。

短歌
地球とふ惑星に足を踏みしめて、
ひきし、大根
さっと陽を浴びる

解説
2000年度、明治神宮の献詠歌、佳作。
今年一年を振り返るとき、無事にすごせたことを思います。
一年を振り返る報道なんかを見ると、事件の数数にあっとうされてしまいます。
まさかのホリエモン、耐震偽装での被害者、中学生の自殺、などなど。
事件の被害者は、一年前、そんな事件に巻き込まれると思ってもみなかったでしょう。
だからこそ一年を無事にすごせたことに感謝しなくてはならないのかもしれません。
私は信仰をもっていないので、感謝の対象こそないのですが。
去年のカレンダーをはった時、真新しい、カレンダーの獏としてならぶ、
数字の列を眺めながら、この一日、一日を未来において、自分は、
どんなふうにすごしているのだろう、悲しくはないか、うれしい事はあったのか
と思いながら、見つめた一年前の日。平凡ながらも、春と夏と秋と冬をすごせたことに
ありがとう。

短歌
荒み吹く風は夜中にをさまりて
        犬が水のむ音の寒さよ

解説
冬の夜の風の音はなんともさむざむしいものですね。
冬枯れの夜風が通り過ぎた、わずかなしずけさのなか、
犬が水を呑む音だけが響いていました
散るって言葉の響きには、がんばったけど、
ダメだった的なニュアンスがあるように思えます。
だけど、よく見てみると、花びらは、散った後も、
風で舞い上がることもありますよね。
散るっていうのは、地面を染める意味あいもある
と思うんです。
銀杏が散って、歩道が黄色い道になるのも
季節の風物詩ですし、桜が散って、歩道が
薄いピンクにそまるのも、また、春風に吹かれて
舞い上がるのも風物詩だと思うんです。


短歌
落城の悲話の記されし 小さき碑に
         桜もみじの散りては転ぶ

解説
桜って散るあの姿が美しいんですけど、
花びら達が、地面についてから、
風がふくと転がるように地面で、
また、舞いはじめます。
電話って切るタイミングってありますよね。
用件だけで切る人ならそれはそれで
役割として、わりきっているわけだから楽です。
ただ問題は友達とか、感情交流を
主体とした相手の場合。
きるのが難しい。
言いたい事だけ言って、切る人なら、
これも楽。
おかしいのは、そういう人に限って孤独がすきだから
とか言うんです。
ほんとに難しいのは、
こっちばかりが話していて相手は聞いてくれている人。
しかも、きらないし。

短歌
孤独 が好き
       一人暮らしの友は言う
                度々かけくる電話は長く

解説
一方的に話をする人、ずっと聞いていてくれる人。
どちらもバランスというてんからすると、片寄りすぎているような気がします。
バランスを崩すのが孤独のなせる技といえます。
孤独な人ほど、極端な反応をしめす気もします。
あてどのない長い話の中に、いいあらわしようのない、悲しさを感じました。
路地裏で石蹴り、なわとび、いろいろな遊びをしたのを思い出します。
今、自動車が通り危なくて、あそばないのか、プレステの方が楽しいからなのか、
子供たちが遊ぶ姿をみかけなくなりました。



短歌
夕映えのコスモス揺れる 路地裏に
        夕餉(ゆうげ)をつげる亡母の声する

解説
「ごはんができたよ」ってなつかしい響きとなりましたね。
子供の頃、夕方まで遊んでいると、友達のお母さんの、
「ごはんができたよ」って声がして、その友達は夕闇の
中消えて、またひとり、消えて、そして、なんとなく、
子供の頃の遊びも終わってゆく。
そんな感じでしたよね。
最近は仕事でもスピードが要求される時代です。
スピードっていうのは早いってことですから、パソコンにしても、
処理能力の早いcpuを搭載したものは値段が高いですし、
電車にしても特急となると別に特急料金がとられるわけです。
こういうご時世、休みっていうのはなかなかとれず、いや、
むしろ、さぼっているかに思われるそうですね。

短歌
枯すすき 、いちめん休講田、
交じる深紅のコスモス

解説
家の実家は農業を営んでいるのですが、時間の概念が
都会の時計とはすこしズレがあります。
「どれだけ時間がかかる」の質問には、
「必要なだけ」としか答えようがありません。
自然相手では、振り子の原理があり、
右に振れたら、同じ分だけ左に振れなくては、
もとの右にはもどれないのです。
一生懸命働いたら、同じ分だけ、
まあ、やめときますか。現代の世相には反モラルなことです。
最近、無人店舗っていうのがありますよね。
古くは自動販売機なんていうのがそうですし、
自動改札なんかもそうですね。
昔は駅員さんに切符をだして、
切符の横を切ってもらってたんですよ。
後、銀行のATMなんかもその枠の中にはいると思いますね。
ATMごとドロボウするとか、随分、派手な事件が起きてますけどね。
なんとなく、味気ないんですけど、今の時代なんでしょうね。
逆に、ブックオフとか行くと、「いらっしゃいませ、こんにちわ」って
連呼されるんだけど、1分間に何回も、「いらっしゃいませ、こんにちわ」
って連呼するでしょ、うざくなります。
だんたんと時代にそまっていく私がいます。

短歌
マグカップに寒椿ひとえだ さしてあり
   だれもいない交番の机に

解説
だれもいない無人交番って多いんですよ。実際は「ただいまパトロール中」って
机においてあるんですけど、交番の机に寒椿がさしてありました。深夜の交番の明かりの中一輪、紅く。