今から二年ほど前のことだ。
当時俺には、どうしても劇場で見たい、気になる映画が、立て続けに三本あった。

『アベンジャーズ エイジ オブ ウルトロン』
『ターミネーター 新起動』
そして、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』である。

『アベンジャーズ』『ターミネーター』と言えば、大方知らない人はいないのではないかというくらいのビッグネームだが、『マッドマックス』は、いささか格が落ちるように思われた。
ところが、あれよあれよという間に、口コミで評判が広がり、その年のアカデミー賞の、しかも芸術系の部門を総なめするような無双ぶりである。
まさか、『マッドマックス』の名を冠した作品がアカデミー賞に輝く日が来ようとは、夢にも思わなかったなぁ!

しかしその頃は、下の子が産まれたばかりで、嫁さんは産後で不安定だし、上の子も赤ちゃん帰りで不安定だしで、とても、「ぼく、まっどまっくすみたいにゅ~」などと言える雰囲気ではなかった。

なので、劇場は諦めて、ビデオレンタルを待ったわけだが、実際に見てみて思ったことはこうだ。

妻子を置いてでも、見に行けば良かったなぁ!

ということで今回は、アカデミー賞も納得の世紀末ロードムービー、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を御紹介したいと思います!


さて、『マッドマックス』と言えば、目が笑っていない笑顔でお馴染みの、ナチュラルボーン・マッドマックス、メル・ギブソンの出世作として有名だ。
一作目では、妻子を殺された警官の、狂気の復讐劇といった風情だったが、二作目以降は、世紀末の荒野を舞台に、モヒカンの悪党どもと血で血を洗う、完全に『北斗の拳』の世界になってしまった、そんな人気シリーズでもある。
まあ、正確には、『マッドマックス』の世界観を『北斗の拳』が丸パクりしたというのが正しいが、『北斗の拳』により、日本で、より確立され普及した世紀末感、ヒャッハー感が、今回の『怒りのデス・ロード』で逆輸入されている。多分!
日米による、見事な世紀末の拡大再生産だ!

主演こそ、メル・ギブソンではないものの、そのイカれた世界観は健在というか、シリーズの中でも最もイカれ切っていると言っても過言ではない仕上がりだ。

そんな『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のストーリーを説明するならこうだ。

化物みたいなタンクローリーで行って帰るだけ!

相変わらず適当な説明だなぁと、侮蔑に満ちた嘆息が聞こえてきそうだが、ちょっと待ってくれ!
今回に関しては、マジでこの通りなんだ!

まずは冒頭、渋いモノローグでかっこつけるマックスだが、一瞬でモヒカン軍団に拐われ、輸血袋などというイカれたアイテムにされてしまう。
マックスが拐われた先は、僅かな水源を牛耳り、民衆を支配する、世紀末独裁者、イモータン・ジョーが治める、イカれたコミュニティだ。
↑世紀末独裁者イモータン・ジョー

一方その頃、イモータン・ジョーの右腕、片腕女戦士、フュリオサが、ジョーに反旗を翻す。
ジョーのハーレムの、美人妻軍団を引き連れて、化物みたいなタンクローリー、ウォータンクで、ジョーの元から逃げ出したのだ!
↑片腕女戦士フュリオサ

↑美人妻軍団

↑化物みたいなウォータンク

一行は、核に汚染されていない緑の大地を求めて、フュリオサの故郷を目指す。
もちろんイモータン・ジョーは黙っていない。
配下の実戦部隊、ウォーボーイズを率いて追撃する!
ウォーボーイズとは、放射能の影響で、頭はツルツル、肌は真っ白、長くは生きられない運命の元に生まれたため、いかに熱く激しく死ぬかに命を懸ける、明日なき暴走集団である。
おまけに彼らは、イモータン・ジョーに心酔しており、ジョーのどうかと思う無茶ぶりに答え、次々に死に花を咲かせていく、そんな命のいらないガイたちだ!

↑ヒャッハー!!

ちなみに、ここ一番の死に化粧は、口の回りに銀スプレーだ!

そんなウォーボーイズの一人、世紀末童貞、ニュークスくん。
↑世紀末童貞ニュークスくん

彼の輸血袋として、マックスも、フュリオサ追撃に駆り出される。
ちなみに輸血袋とは、放射能に血液を汚染されたウォーボーイズたちが、命をつなぐために、強制的に輸血してもらう健康な人間のこと。
そんな重要な輸血袋を、最も危険な車の先っちょにくくりつけて爆走するという、命のいらなさっぷりである。

フュリオサと美人妻軍団、マックスとニュークスくんが、なんやかんやでウォータンクに同乗し、イモータン・ジョーの追撃をなんとか振り払い、フュリオサの故郷に辿り着くが、そこは既に汚染された死んだ大地。
悲嘆に暮れるフュリオサにマックスは、「緑の大地ならあったじゃん?ジョーんちに」と、事も無げに言い放つ。
確かにやつは水源を握ってるので、モサモサ緑はあるのだが、散々苦労してここまで来てそれかよ!という話である。

こうして、再びイモータン・ジョーと追いかけっこをしながら、元いた場所を目指して爆走!
途中でイモータン・ジョーも討ち取り、圧政から解放された民衆に歓迎されながら帰還するフュリオサと、無言で群衆の中に消えていくマックスでエンドだ!

さて、このように、イカれた改造車で世紀末の荒野を、終始爆走し続けたような本作だが、一体どのへんがアカデミー賞級だったのだろうか?
確かに、カラッカラに乾いた荒野の描写は、ある種、芸術的ではあった。
また、マッドがマックスなハイテンションな世界観も素晴らしく、火を吹くギターで爆音を奏でながら戦いに赴くジョー軍団を見た時は、とんでもないバカ映画に出会えたなぁ!と、嬉しくなったものだ。
↑多分『マクロス』的アレだ!

しかし俺が思うに、本作の最大の魅力は、爆走する車窓からの景色のように過ぎては消えていく、尊過ぎる死に様たちにあると思うのだ!

『北斗の拳』は分かりやすい勧善懲悪ものであったが、本作の世界ではそもそも、善悪などはとうに超越している!
誰もが過酷な世界で、過酷な運命を背負い、今日を精一杯生きている!
悪役であるイモータン・ジョーでさえ、病に犯された体にむち打ち、ムキムキに見えるプロテクターを身にまとい、強いリーダーを演じるという、涙ぐましい努力をしている。
『北斗の拳』の第三部に登場し、ケンシロウをして「こんな国にも漢はいた」と言わしめた、アサム国王に似ていなくもない!

↑アサム国王

そんな、今を精一杯生きる輝かしい命たちが、怒濤の如く散っていく様は、あまりに尊く、あまりに美しい!

登場人物が死ぬことで涙を誘う作品は数多ある。
しかしそれらの作品の多くは、これでもかとばかりに死を演出する。
「そろそろ死にますよ?泣く準備はいいですか?」といった塩梅だ。
しかし本作の死は、唐突に訪れ彗星のように流れていく!

例えばこうだ。
いつか汚染されていない大地に植えるため、様々な花の種を大切にストックしている、通称種籾ババア。
『北斗の拳』で有名な種籾ジジイは、なすすべもなくモヒカンに殺された上、命懸けで守った種籾はケンシロウに適当にばらまかれるという憂き目を見たが、種籾ババアは違う!
手に武器を取って、ガンガン戦う!
しかし、乱戦のドサクサで致命傷を負ってしまい、花の種を入れた箱を抱き締めて息絶える。
ほんの一瞬のうちに映し出された彼女の、最高の死に顔はどうだ!?

何かをやり遂げた、漢の中の漢の顔をしているではないか!

さらに、本作において、マックスを差し置いて影の主人公とも言うべき、世紀末童貞、ニュークスくんの生き様、死に様は、我々の魂に深く刻み付ける必要があるだろう。

ウォーボーイズの一員として、もう長くはない命を感じつつも、フュリオサ追撃に大張り切りのニュークスくん。
輸血袋のマックスをくくりつけたまま砂嵐の中に突っ込み、「なんてラブリーな日だ!」と、テンションマックスだ!

しかしそこは世紀末童貞である。
あっさり、輸血袋マックスに反逆され、かなりぞんざいな扱いを受ける。

その後のさらなる追撃では、イモータン・ジョーに直接銀スプレーをかけられ、やる気満々でウォータンクに乗り込むも、一瞬でドジり、「ジョーに失望された…」と、どうかと思うほどショボーンとしてしまう。
ここで、ジョーの美人妻軍団の一人に、ちょっぴり優しくされて、すぐにほだされ、仲間になる。

なぜなら彼は、世紀末童貞だから!

こうして、一行の仲間に加わって、童貞ながら尽力したニュークスくんだが、最後は一行を逃がすためというか、一人の人妻を助けるため、ウォータンクを横転させ、追っ手もろとも爆発炎上するという、童貞界トップクラスの死に様を見せる。
この時ニュークスくんが見せる、「俺を見ろ」という静かな呟きは、芸術的ですらあった。

色々と説明してみたが、この作品に関しては、「とりあえず見てくれ!」としか言えない。
いつものヴァンダムとは違い、見て損はないと断言できる!

だがそれでも、俺はあえて言いたい。
ちょっと撫でられただけで命を懸けた、世紀末童貞ニュークスくんの生き様を魂に刻み、心の童貞は失うな!と。