はぁ…世界さぁ…。


皆さんこんにちは。

あらぬ勢いでそそり立つことを夢見るお年頃、キャンです。


開幕早々クソデカため息で皆様を憂鬱にさせてしまい申し訳ありません。

念のため言っておきますが、僕は別に『月とスッポン』のヒロインにため息をついているわけではございません。

↑世界ちゃん。可愛い。

昨今の世界情勢が俺をしてひどく暗澹たる気持ちにさせるのだ。
そう、イラン情勢に伴う世界の混乱である。
おそらくは誰もが他人事ではなく、皆さんもそれぞれに心を砕いておられることだろう。
身近なところで言えばガソリン価格の高騰、さらには資源不足によるわさビーフの生産中止など、様々な業界で混乱は続き、収束の気配もなければ着地点も見出だせない、そんな状況が続いている。

こんなこの世の掃き溜めみたいなブログで、今さらどちらが正義だ悪だと眠たい議論をするつもりはない。
戦争なんてものは起こった時点でバッドエンド、勝とうが負けようが双方にとんでもねぇ傷痕と禍根を残すことは確定している。
人類がこれだけ歴史を重ね、過去に学び、技術を進歩させ、近年ではヘドが出るほどに相手へ寄り添い思いやる心を叩き込まれ、おそらくは大半の人が戦争には反対であるにも関わらず、結果未だに世界から戦争がなくならないという現実に、「やはり一度グレートリセットが必要なのでは?」と危険思想に陥りそうになってしまう。

今回の件では、過度に石油に依存した世界、過度に中東に依存した産地、過度にホルムズ海峡に依存した海運といった体制のリスクが顕在化され、代替エネルギーの開発や代替ルートの開拓、調達先の多角化など、大いに議論されていることだろう。
しかし俺としてはもう一つ、前々から言いたかったことがある。

先物とか金融とか、そんなもので世界動かすのいい加減やめねぇ?

これは決して、自分が恩恵に預かってないからやっかみで言っているのではない。

やっかみで言っているのではない!(大事なことなので二回言いました)

もちろんそういった仕組みがあってもいい。

常に「いつもニコニコ現金払い」で終わるような取引ばかりではないし、利点もあるだろう。

あってもいいが、あまりにも比重が大きすぎるという話だ。


先物取引で桁違いに大きな金額が動き、金融市場の動向が社会に絶大な影響を与える。

わけの分からん折れ線グラフの乱高下に一喜一憂し、場合によっては電車に飛び込む者さえ現れる。

今回の騒動もそのような社会の構造が混乱を大きくしているように見える。


毎日毎日ニュースで「イラン情勢の緊迫化で株価は値下がりしました!」「イラン情勢が一服して株価が値上がりしました!」とか、何も一服してねぇだろ、バカなのか!?という話だ。


不思議なことに、今現在我々が生きる社会においては、産業構造の中でより川上に近いほど薄給で、川下ほど高給だ。

金融マンが年収数千万を稼ぎ、デイトレーダーが一日で億の金を稼ぐ一方で、お米農家さんは時給10円で働いてるんですよ!


例えば皆さんの会社でも、現場作業員より営業が高い給料をもらうのが当たり前ではないだろうか?

決して川下の仕事が楽だなどと言うつもりはないし、付加価値と言われればそれまでかも知れない。

しかし俺はどうしても動物的に考えてしまう。

人が生きていくために、米農家とデイトレーダーと、どちらが必要不可欠か。

人が生きていくために、漁師さんと金貸しと、どちらが必要不可欠か。

人が生きていくために、セクシー女優と経済評論家と、どちらが必要不可欠か!


繰り返しになるが、結局はバランスの問題だ。

どこかに極端に偏れば、ほんのささいなきっかけで大崩壊を引き起こす、あるいは壮絶な揺り戻しが起こる。

マネーゲームがこれだけ大きく、根深く、複雑怪奇に社会の中枢に陣取っている状態では、一人一人の思いなど無に等しく、動き始めた宇宙船地球号の進路は一ミリも変わらない。


なぁみんな、もっとシンプルに生きようや。

起きて寝て、食って出して、交尾して、自然の恵みに感謝し、自然と寄り添いながら暮らし、たまに生け贄を捧げて…

『ウィッカーマン』

そうだ、ニコラス・ケイジを見よう。

人としてのあるべき姿がそこに!

離島で繰り広げられるエッチな儀式再び!?
ケイジと狂信者の狂気バトルを見逃すな!

それではストーリー!

白バイ隊員としてビシバシ違反切符を切る男の中の男、ニコラス・ケイジすなわちケイジ刑事の姿がそこにはあった。

しかし幸せは長くは続かなかった!(幸せって何だっけ?)

走行中の車からお人形をポイ捨てするという度が過ぎるイタズラを敢行した幼女に、お人形を優しくリターンしていたところ、何ということでしょう!
幼女が乗る車に大型トラックが突っ込み爆発炎上、幼女を助けようと頑張ったケイジも爆風でふっ飛ばされてしまうのだった。
↑この躍動感よ…

あれから2、3日!(きみまろ風)

ケガとトラウマにより警察を絶賛休職中のケイジは、幼女を助けられなかった後悔から、特殊なお薬がないと幻覚が見える程度には参っていた。
そんなケイジの元へ一通の手紙が届く。
何年も前に別れた元カノからだ。
手紙の内容によると、ケイジと別れ実家の島に帰った元カノだったが、現在幼い娘が絶賛失踪中、ケイジ刑事助けて!という話だった。

そしてその島の名前は、サマーズアイル島…言うなればそう、ぽかぽかアイルー島だ!

ぶっちゃけ、大昔に一方的に別れを告げられた彼女の頼みなど聞く義理もないし、そもそも娘の父親は何してんねん?という話だが、困っている元カノを放っておけるケイジではなかった。
そんなわけで早速のどかな自然溢れるアイルー島に降り立ったケイジ刑事。
同封されていた少女の写真を手に島民らに聞き込みを開始するが、どうにも要領を得ない。
皆口を揃えて「この村の子ではない」と言い、手紙をよこした元カノに至っては「あなたしか頼れない!誰も信用できない!」などと意味不明な供述を繰り返すばかりだ。
↑元カノ。幸薄そうな美人。

違和感はそれだけではない。
話に答えるのは女ばかりで、島の男たちは重度のコミュ障のように目をそらすばかりで、口を開こうともしない。
さらに島の小学校では、女児たちが男根蔑視教育を受けている。
↑男なんてただの男根です!

…この異教徒め!ペッ!

どうやらこの島では、領主のお供アイルー…もとい、シスター・サマーズアイルのもと、独自の宗教観が根付いているようだ。
男根を小馬鹿にする女児たちにムカついたケイジは、怒りの国家権力行使。
生徒名簿を強引に閲覧し、遂に行方不明の少女の名を発見するのだった。

「この嘘つきどもめ!ペッ!」

憤るケイジ刑事に対し島民らは、「うちの宗教では死という概念はない」「誰も殺人など犯していない」などと、これまでとは全く異なる供述を始める。
なんかもう色々と意味不明過ぎて、だんだんキチゲが溜まっていくケイジだったが、ここへきて元カノから、行方不明の娘について衝撃のカミングアウトだ。

「わたしたちの娘よ」



ケイジ「!!?」

衝撃の事実を知り、刑事魂だけでなく父親魂にまで火が付いたケイジ。
ついでに元カノと焼けぼっくいにまで火が付き、ますます捜査に熱が入る。
領主のお供アイルー…もとい、シスター・サマーズアイルを訪ね、ミツバチにボコボコに刺されて死にかけ、怪しい地下施設を調べて、そのまま閉じ込められて死にかけ、そうこうするうちに見えてきた恐るべき真相…。

その手掛かりは、タイミングよく今日開催される村のメイデー祭にあった。
豊穣を祈願して、奇妙な仮装で村中を練り歩く奇祭で、かつて不作の年には、血の生け贄が捧げられたという…。

折しも今年は、村の特産であるハチミツが全くの凶作。
まさか…!




…遂に始まる血のメイデー祭!
そして明らかになる事件の真相!
キレるケイジ!
殴るケイジ!
燃えるケイジ!

果たしてケイジ刑事は、我が子を狂気の村から救い出すことができるのか!?



…ちょっと『ぽかぽかアイルー村』売って来る!

ノー、違う、そうじゃない。
そもそも持ってない。

先日ご紹介した1973年版『ウィッカーマン』のリメイクとして、ニコラス・ケイジ主演で製作された本作。
カルト的人気を誇ったオリジナルと比べ、たいそう評判は悪かったと聞いておりますし、そういった評価もまぁ分かる。

一人の警官が失踪した少女を探しにぽかぽか島にやって来る→祭りの生け贄にされるのではないかと推理する→実はお前が生け贄でした~!燃やされるという大まかな流れは両作品とも全く一緒だ。(流れるようなネタバレ)
にも関わらずこれだけ評価が別れるのには、何か理由があるはずだ。

しかしまずは最初に、本作の良かった探しをしていこうじゃないか。
こき下ろすのはそれからでも遅くはない、そうだろう、キルヒアイス?

まず最初に、主人公のキャラクターを掘り下げることで話の展開に必然性が生まれている。
オリジナルでは、主人公の警部さんがたった一人で離島に捜査にやって来るわけだが、これがそもそもおかしい。
少女の失踪というまぁまぁな事件でもあるし、普通は最低二人組で動くものではないかと。
しかし今作のケイジは、休職中の元カノからの要請ということで、ほぼプライベート。
また、何年も音信不通だった元カノからの誘いは怪しさ満点で、実際同僚にも指摘されていたが、ケイジの精神状態を鑑みれば納得できる話だ。

また、オリジナル版でぽかぽか島に根付く独特の宗教観といったら、これはもうカオスの一言。
多神教と言い張るにも程があるくらい意味不明な描写の連続だったが、本作においては分かりやすくミツバチモチーフの世界観が展開される。
女王バチたるシスター・サマーズアイルを中心とした圧倒的女性優位社会で、島の産業も養蜂、そこかしこにハニカム模様が配置され、見る者へのインプリンティングに余念がない。

前作同様、女児が明るくハキハキと「男根です!」とシャウトする衝撃シーンは本作でも健在だが、オリジナルでは男根崇拝の流れで発せられたのに対し、本作では「男なんてシャボン玉」的文脈で用いられ、全く逆の意味合いになっていることも象徴的だ。

あるいは物語終盤、全ての真相が明らかになり、満を持してウィッカーマンが登場し、主人公がウィッカーマンに放り込まれて燃やされる一連の流れが間違いなく作品のクライマックスだが、オリジナル版では主人公のあまりの戦闘力の低さが引っ掛かったものだ。
若く逞しい警官であるはずなのに、ヒゲモジャの村人に簡単に転がされ、まるで演技が雑なAVのレイプシーンみたいな、気持ち程度の抵抗しか見せず燃やされていたのにはさすがに違和感があった。
しかし今作では、拳銃の弾は抜かれ、圧倒的人海戦術で押し潰され、両足をへし折られた挙げ句ロープで吊るされてウィッカーマンに閉じ込められるという念の入った描写で、見ているこちらとしても「こりゃ無理だ!」と納得するしかなかった。

ちなみに、ケイジが足をへし折られるシーンに直接描写はなく、基本音声のみでお送りするのだが、この時のケイジの「アアアァァァ~!マイレッグ!マイレ~ッグ!!」という悲鳴は、ムスカ大佐の「目がぁ!目がぁぁぁ!」に次ぐ名シーンとして後世に語り継ぐべきだと思いました。

まだある。(まだあるんかい)
ケイジを罠にはめる生け贄役の少女は、前作の少女よりさらに幼く、あと顔が不気味だ。(ルッキズム)
↑悪魔の子やん…

そんな年端もいかない幼女が、しかも実の父親に笑顔で自ら火をかけるという行為に、オリジナル以上のおぞましさを感じた。

…やっぱ宗教はアカンな…。

他にも、目と口を縫い付けられて殺されたオッサン、不気味な顔の双子ババァ(ルッキズム)、どこが乳首か分からないほど蜂に刺されまくったオッサンなど、そこそこのグロ描写も楽しめる親切設計も好評価だ。

↑肥大化乳首!?

さて、ここまで俺の感想を読んだ皆さんは不思議に思われていることだろう。
「これだけ良かった点を列挙しておいて、なぜオリジナルより評価が低いのか?」と。

確かに本作は、オリジナルと比べ映画としてちゃんとしている。
登場人物の言動も納得できるし、描写の意味も理解できるし、物語の展開にも必然性がある。
ホラー映画としても必要十分な仕上がりだ。

だが。

「納得できる」
「理解できる」
「必然性がある」

これらの長所はオリジナル版と比較する時、短所へと転ずる。
思えばオリジナル版の村人たちは、全くの意味不明、理解不能で、しかし当人らはそれをさも当然であるかのように振る舞い、まるで別の生き物のような異質さを醸し出していた。
そこへ、多くの人が理解可能な「理由」や「理屈」などを足してしまえば、不気味さが半減どころの騒ぎではない。

本作の領主、シスター・サマーズアイルの祖先は、女性の解放を訴えてこの島にやって来たという。
虐げられた女性を解放するために女性中心の社会を作りました、男性はただの労働力と子供を作る道具です、教育も女性にしか与えません、女尊男卑の宗教を植え付けます…。

個人的な好みの話にもなるが、そんなどこかで聞いたような動機はいらないのである。
いかにも人工的な狂気だ。
↑シスター・サマーズアイル。若い時は美人だったんやろうなって。

そのせいか、クライマックスである祭りのシーンや、ウィッカーマンが登場するシーンなども驚くほどの迫力不足。
土着の奇祭と言う割りには生活に根差した感は全くなく、いかにも「よく考えられた設定」で、逆にオリジナルリスペクトの獣の仮装などには違和感がある。

前作のお祭りシーンはかなりの長尺で描写され、島民らのイカれた仮装や理性のぶっ飛んだはしゃぎっぷりなど、見ているこちらも頭のネジが錆び腐れてしまうようだった。
それに比べると本作はどうしても綺麗にまとまっている感が拭えず、品のいいおばさんが精一杯狂気を演じているような痛々しささえあった。
↑お、おぅ…

また、満を持して登場するウィッカーマンも、オリジナルと比べるとなぜか存在感が小粒で、心なしか控え目に見えた。
↑「え?ぼ…ぼくでいいんですか…?」

結果としてもたらされるのは圧倒的狂気不足!
ニコラス・ケイジを主演に据えてなお狂気不足とは、これは大変なことですよ…。
もちろん、少ないながらケイジのキレ芸もあるにはある。
しかしそれでも、比較的若く綺麗なケイジだったこともあり、狂気不足を補うには全く及ばない印象だ。
↑“いつものケイジ”の片鱗を見せるケイジ。

あと、この島の特性上、儀式に積極的に関わっているのが女性ばかりなので、ケイジが女性を全力でぶん殴るシーンが都合三回くらい出てきて、それはちょっと面白かった。
↑「オラァ!」

↑「オラァ!」

まだある。(まだあるんかい)
今回生け贄に選ばれたケイジは、童貞ではない。
非童貞なんて送ったら豊穣神様も激おこぷんぷん丸やで…。

今作では生け贄の条件として、「血の繋がり」が必要とされ、そのために島の女たちは未来の生け贄候補を探して島の外に男漁りに出掛けたりしているわけだが、回りくどく手間をかけている割りにはやっていることは実に単純だ。
要は色仕掛けでしょ?っていう。
前回の俺のレビューでは全く触れなかったが、オリジナル版では童貞の他にも「最高の生け贄」としての条件が多くあり、それらを満たすために島をあげての回りくどい茶番を演じていた。
これだけ理屈や必然性を付け足してきた本作において、根本の部分で疑問を抱かせるのはいかがなものか。
そもそも好奇心旺盛な若い娘がバンバン都会に出掛けてるのに島の秘密や閉鎖性が保てるわけないじゃん。絶対帰って来ねぇって。
ホラー映画においては主人公が童貞かどうかを重視する俺としては、脱童させるならそれなりに納得のいく理由を示してほしいよね!(激おこぷんぷん丸)

ちなみに、エピローグでは島の若い姉ちゃんが未来の生け贄候補をナンパしてるシーンで終わるのだが、この時の相手の男がジェームズ・フランコなのはまた別のお話。

とまぁ、ここまで、つらつらと細かいことをあげつらってきたが、最も根本的な問題点を端的に言い表すことができる。
オリジナル版にあって本作になかったものが二つある。
そう、歌とエロですね!

「お前は結局そればっかだな!」と思われるかも知れないが、考えてみて下さいよ。
歌とエロ、これは人間の最もプリミティブな部分ではないですかね?
ましてやそれがエロソングともなれば、これはもうブラックホール並みの求心力を持つのは必然!
前作がカルト的人気を博したのも無理からぬ話だ。

実のところ今作にも、多くのべっぴんさんが登場する。
いつも物憂げな表情が印象的なケイジの元カノ。


ピチピチでムチムチ、どう見ても肉食系の若いメイドさん。


毅然とした立ち居振舞いとチャーミングなそばかすが特徴の女教師さん。


それぞれにタイプの異なる多種多様な美人さんを揃えておきながら、一切エロくならないとはどういう了見か!(激おこぷんぷん丸2号)

この際、男をただの子作りの道具、男根扱いするのはもう良しとしよう。
それならそれで、男がベッドに縛り付けられてハチミツプレイを強要されて「あひぃ!これ以上は変になりゅうぅ!どうかお情けを~!」なんて情けない声を上げて「おやおや、ただの肉ディルドの分際で意思表示なんて烏滸がましいねぇ」なんてさらにきつい折檻を食らって色んな体液を出フォーするとかそんなシーンがあれば俺の評価も大いに変わっただろうよ。

そんなわけで、一本の映画としての完成度はある程度評価できるものの、偉大なオリジナルのリメイクとしてはケイジのキレ芸をもってしても全くの狂気不足という残念な結果となった本作。
図らずも、混迷を極める今の世に必要なのは歌とエロではないかという一つの真理にたどり着いたような気がする。

毎日毎日エロソングを歌って朝から晩まで交尾しまくってたらさ、戦争なんてしてる暇ないじゃん!?
分かったらそこの投資家もとっととパンツを下ろしてあらぬ勢いでそそり立つんだ!

さぁ、早く!