広島漫遊3日目。
尾道から県の玄関口、福山へ。
福山駅からバスで40分、風光明媚な潮待ちの港へ向かいます。
<旅の行程>
1日目:竹原→御手洗
2日目:尾道
3日目:鞆の浦→福山
4日目:福山
瀬戸内海に半円型に突き出た岬に栄えた鞆の浦、こと鞆町です。
「万葉集」にも謳われ、近年では、某ポニョの舞台となった街です。
◆鞆町◆
(国選定重要伝統的建造物群保存地区・国指定名勝)
往時の繁栄振りを語る重厚な町家が続きます。
桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)
*入館料¥200(火〜木休)
廻船問屋だった桝屋。
明治最後の年、慶応3年(1867)、坂本龍馬率いる海援隊が乗る蒸気船"いろは丸"が、紀州藩の大型蒸気船と衝突し、鞆の浦に曳航中に沈没する事件が起こります。
その際、坂本龍馬が宿泊したのがここ桝屋。
既に幕府に命を狙われる身だった坂本龍馬は、名前を伏せて隠れ部屋に泊まったそうです。
この"いろは丸事件"で坂本龍馬は紀州藩から多額の補償金を勝ち取りますが、後世の研究では、いろは丸側に過失があったと指摘されています。
幕末の当たり屋?w
時代を遡るレトロ空間へ迷い込みます。
古代から港街として栄えた鞆町。
江戸時代には福山藩最大の商家町となりますが、明治時代以降、商船の大型化や鉄道網の発展により、時代の流れに取り残され、昭和期には完全に陸の孤島となります。
けれど、それが逆に古き良き原風景をそのまま残す結果となり、癒しの港街として再生され、平成29年(2017)には重伝建地区にも選定されました。
入江豊三郎本店
明治19年(1886)創業、"保命酒"の醸造元。
"保命酒"とは、薬味入りの健康酒で、万治2年(1659)から製造販売されている鞆町の名産品。
一本購入したのですが、飲む味醂風の味わいで、とても美味。
(バニラアイスに合う)
今も4軒の保命酒蔵が残っているそうです。
鞆の津の商家
(福山市指定重要文化財)
*入館無料(平日休)
江戸末期築造で、当初は呉服店、後に船具店となったそうです。
ところで、
鞆町の公開施設は平日休み(特に火曜はほぼ休み)で、訪れたのが火曜だった為、全てフラれました・・・
御船宿いろは
坂本龍馬が"いろは事件"の補償交渉の場として使用した旧魚屋萬蔵宅で、築220年超。
取り壊しの危機にあったのを、宮崎駿監督らが中心となり再生し、平成22年(2010)に宿兼食事処として再スタートをしました。
菱形のステンドグラスがポイント。
通りを抜けると、鞆港に出ます。
静かに打ち寄せる波。
雁木と呼ばれる、船着場の階段。
かのシーボルトも観光に訪れ、その風景を讃辞したそうです。
いろは丸展示館(大蔵)
(国登録有形文化財)
*入館料¥200
江戸時代築造の蔵を活用した資料館で、いろは丸や坂本龍馬に関する展示がされています。
常夜灯
安政5年(1859)建立の常夜灯。
現存する江戸時代の常夜灯としては、国内最大級を誇ります。
太田家住宅・鞆七卿落遺跡
(国指定重要文化財・広島県指定史跡)
*入館料¥400(火曜休)
江戸時代末期築造の旧保命酒蔵。
明治時代、廻船業を営む太田家に継承されて今に至ります。
幕末に三条実美ら尊皇攘夷派の7名の公家が都落ちした際に立ち寄り、保命酒を讃える和歌を残しました。
その敷地は区画の半分を占めます。
往時の風景を残す石畳の小路。
蔵に囲まれた小径を彷徨う。
小路を抜けて通りに出ます。
澤村船具店
*火曜休
元禄年間(1688〜1704)創業の船具店。
ひと際目立つベンガラ色が目を惹きます。
友光軒
複雑な改造が施されたかのような旧喫茶。
再び、小路に入ります。
岡本亀太郎本店・岡本家長屋門
(福山市指定重要文化財)
福山城の長屋門だったものを、明治時代に移築したものです。
山沿いを進めば、そこは寺町。
ささやき橋
古代、百済の使節団の接待役が職務を疎かにして、夜な夜な逢引きをしていた為に、海に沈められたという、少し怖い伝承が残る橋。
続いて、高台へ向かいます。
かつて鞆城が築かれていた地で、石垣はその名残り。
石段上から鞆港を望む。
風光明媚な港街。
訪れた火曜は街自体がお休みが多く、施設見学が出来なかったのが無念でした。
再訪時は土日にしないと。
次回、港街の名刹の記事を送ります。
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