三重県 鳥羽 ミキモト真珠島 2026.5
三重県漫遊の4日目。別宮と一の宮を巡って鳥羽に戻ります。ホテルに帰る前に鳥羽の名所に寄りました。<旅の行程>1日目:伊勢2日目:伊勢→二見→鳥羽3日目:伊勢→度会→志摩→鳥羽4日目:伊勢→鈴鹿湾に浮かぶ島に渡ります。◆ミキモト真珠島◆御木本幸吉銅像*入場料金¥1,650真珠と言えばのミキモト。ここが養殖真珠発祥の地で、島全体がミキモトが運営する観光施設になっています。真珠島の歴史は明治26年(1893)、御木幸幸吉が相島と呼ばれていたこの島で、真珠の養殖に成功した事に始まります。その後、鳥羽町が御木本幸吉に相島を売却、昭和26年(1951)にレジャー施設として開業しました。真珠博物館博物館は昭和60年(1985)の開館。島内には他に御木本幸吉記念館や真珠販売店、レストランが設けられていて、海では海女の実演も行われます。御木本幸吉は安政5年(1858)、鳥羽で代々、うどん店を営む家の長男として生まれました。祖父は石材や炭の運送や販売でも財を成し、父も粉挽臼の改良で県から表彰されるなど、実業家一家の環境で育ち、14歳の頃に行商を始め、20歳で家督を相続すると、米穀や天然真珠や鮑などの海産物を取り扱い、地元の名士となっていきます。そして、明治23年(1890)にアコヤ貝の養殖実験を始め、その3年後に養殖真珠に成功、明治32年(1899)に東京京橋に御木本真珠店を開業、真珠王の名を欲しいままにします。博物館1Fは養殖真珠の生産から流通までを学べる展示がされています。真珠は真珠貝の体内で形成される球形の貝殻。貝の殻の内側は貝殻・真珠層・外套膜(所謂、ヒモ)から成っていて、外套膜の上皮部分が真珠層を分泌しています。それが何かのきっかけで、外套膜の軟体部組織内に入り込むと真珠袋が形成され、それが真珠になっていきます。これが天然真珠のできる工程です。これに対して、養殖真珠は外套膜片(ピース)を球体にして軟体組織中に移植します。すると、数週間で真珠袋ができて真珠が形成されます。クロチョウガイ黒真珠を生み出すクロチョウガイ。養殖場から引き揚げられたアコヤ貝は、真珠の入っている身と食用の貝柱に分けられます。ところで、真珠貝などに見られる虹色の虹彩は光の反射・屈折・散乱・干渉により生じる構造色と呼ばれるもので、これはCDやシャボン玉も同じ仕組みだそうです。様々な貝から生まれた真珠たち。海女の実演時間になったので、一旦、表に出ます。実演は1日6〜7回行われます。桶を持って素潜りでアコヤ貝を獲ります。志摩半島の海女は「万葉集」にも詠まれるほどの歴史があり、現在も500名程が現役で活躍しているそうです。神宮に献上されるノシアワビは鳥羽の海女が獲ったものとのこと。実演ショーを観て、博物館2Fへ。真珠を使ったお宝を鑑賞します。夢殿(株)ミキモト新装具が平成5年(1993)に作った作品で、真珠の他、ダイヤモンドやサファイア、ルビーなどが使われています。淀川三十石船貝工芸家・水田晃玄による作品。シロチョウガイにクロチョウガイ、アワビの貝殻で作られています。ペンダント月桂樹と鳩のデザインのペンダント。大正12年(1917)、宝石商・ジュリアーノ家が顧客からの特注で製したものだそうです。シードバール・パリュール19世紀中期にフランス(またはアメリカ)で製作されたセットジュエリー。祈祷書「政務日記」明治12年(1879)にパリで製作されたもので、シロチョウガイの貝殻が使われています。御木本五重塔大正15年(1916)、米国独立150周年記念万国博覧会に出品されたものです。使われている真珠総数は12,760個。今でこそ世界に流通している日本の養殖真珠ですが、海外進出時には、ヨーロッパの宝石商が養殖真珠を偽物と主張し、排斥運動が起こったりもしました。これに対して、御木本側は訴訟を起こして全面勝訴しています。自由の鐘昭和14年(1939)、ニューヨーク万国博覧会に出品されたもので、真珠12,250個、ダイアモンド366個が使われています。ミキモト パールクラウン養殖真珠誕生85年を記念して昭和53年(1978)に製作されました。帯留「花車」帯留「桜流水」いずれも昭和期の御木本真珠店の製作品。大将連創業者・御木本幸吉が10年以上の歳月を費やして選んだという、至高の真珠のネックレス。貝が体内の異物を包み込む事で生まれる真珠。生命の不思議とも言える副産物ですね。また、古来、装飾品としてだけでなく、呪術的な意味も持ち、神宝や七宝にもされた真珠。そんな希少な宝石を養殖するという技術を生み出した偉人、御木本幸吉。真珠の美しさだけでなく、日本人の技術の素晴らしさとその歴史を学んだひと時でした。連泊のホテルに戻り、いよいよ最終日。