大阪・奈良漫遊2日目。

 

羽曳野から南下、富田林に向かいます。

 

そこには、寺院が統治した町があります。

 

富田林駅から徒歩10分程。

 

時を越えた江戸の世に迷い込みます。

 

◆富田林寺内町◆

(重要伝統的建造物群保存地区)

 

永禄3年(1560)、僧侶の証秀が当地を購入し、寺院を中心とした自治都市を形成します。

 

江戸時代には天領となり、南河内の商業の中心として栄えました。

 

町内には、今も生活の場となっている町家建築が連なっています。

*公開中の2軒程を除き非公開

 

それでは、

 

町の中央通り、城之門筋を進みます。

 

奥谷家住宅

 

19世紀初期の築造。

 

奥谷家の本家で、"岩瀬屋"の屋号で材木商を営んでいました。

 

屋号は出身地の河内長野市岩瀬に因みます。

 

(東)奥谷家住宅

 

奥谷家の分家で、元油屋。

 

文政9年(1826)の築造です。

 

(南)奥谷家住宅

 

こちらも奥谷家本家6代目時の分家で、味醂製造業を営みました。

 

城之門筋から右手へ入ります。

 

葛原家住宅

 

19世紀初期築の元酒屋。

 

虫籠格子がたまらない。

 

(南)葛原家住宅

 

安政元年(1854)築造。

 

葛原家の分家で、酒造業を営んでいました。

 

年貢米を保管していたという三階蔵が大迫力。

 

城之門筋に戻ります。

 

杉田家住宅・田守家住宅

 

杉田家(左)は油屋、田守家(右)は木綿商。

 

いずれも18世紀の築造です。

 

町の中心には豪壮な寺院が建っています。

 

興正寺別院

(国指定重要文化財)

 

町を興した証秀上人により、永禄元年(1558)頃に創建され、町の中核を成しました。

 

表門は伏見城の城門を移築したものと言われています。

 

その向かいにも、寺院。

 

妙慶寺

 

城郭並みの迫力。

 

町の守りは堅く、竹藪の土居で囲まれ、出入口も限定されていました。

 

また、町筋の交差も"あてまげ"と呼ばれる造りで、見通しを妨げていました。

 

 

町の南側を巡ります。

 

木口家住宅

 

宝暦3年(1753)築造で、元木綿問屋。

 

玄関先の庇が良い感じ。

 

仲村家住宅

(大阪府指定文化財)

 

天明初期(1782頃)の築造。

 

当時、河内随一の造り酒屋で、吉田松陰を始めとする多くの文人墨客が訪れたそうです。

 

上野家住宅・仲村家住宅

 

上野家住宅(左)の丸い虫籠格子が風流。

 

町の南端には町家レストランも。

 

 

展望広場から望むと、町が高台にある事が分かります。

 

 

東の町筋を通って戻ります。

 

越井家住宅

 

煉瓦の袖壁・うだつが目を引きます。

 

材木商を営んでいたそうです。

 

一角を占める巨大な米蔵は明治期のもの。

 

 

町家ばかりかと思えば、洋風建築も。

 

中内眼科医院(旧国分銀行本社屋)

(国登録有形文化財)

 

大正13年(1924)頃築造の旧銀行建築。


旧田中家住宅

(国登録有形文化財)

 

当地の名家、田中家の旧宅で、無料公開中。

*同じく公開中の旧杉山家住宅の記事は次回

 

風流なる格子の美。

 

 

寺院を中核とした自治区、富田林寺内町。

 

今も往時の町割りのまま残る古き町並み。

 

この風景いつまでも。

 

ご当地マンホール

 

町家と市の花ツツジ・木クスノキの柄。

 

続く。

 

 

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