われらがニッパツ三ツ沢球技場ができたのは、1955年今から70年も前だ。
とはいえ、昭和の頃は、ほとんどの横浜市民にとって、あまりなじみのない施設だった。
”三ツ沢”といえば陸上競技場、おれ自身も球技場の存在を知らなかった。
いうまでもなく、球技場が大注目されるようになったのは、1993年のJ開幕だ。
1万5千人収容の、決して大きいとは言えない球技場が、横浜マリノスと横浜フリューゲルス、2つのクラブのホームスタジアムになった。
開幕直後の大ブームにより、球技場は連日熱気に包まれた。
既に古かった球技場だが、1992年中にスタンドを中心に大改築されて面目を一新、当時あまり老朽した施設とは感じなかった。
当時は、東側サイドスタンドに電光表示板があった。
四色磁気反転式と言われた独特の表示方法、たぶん清水の日本平スタジアムも同じ種類のものだったと思う。
プレートが回転して、赤、緑、濃紺、白をドット表示するもので、なんとなく選手の顔写真も再現していた。
ただし、メンバー一覧などはカタカナ表示、当然動画は再生できない。
絵が変わるとき、カシャカシャカシャと音がした。
交換部品が生産中止になったこともあり、2009年頃に撤去された。
この際、ホーム側のファンが見やすいよう、新しい表示板が西側に設置されたのはご存じのとおりだ。
日本平のほうも、長いこと運用を休止していたが、今度造り直すと聞いた。
バックスタンド及びサイドスタンドの座席は、1ブロック分繫がったベンチシートだった。
薄くてちゃちな作りだったので、すぐに割れたらしく、修復されてあちらこちら色が変わっていた。
スタグルとか、試合演出はいろいろ変化している。
しかし、30年前から本質的に何も変わっていないのが、ニッパツ三ツ沢球技場だ。
今と懐かしさを同時に味わうことができる稀有な空間だ。
マリノスのリーグ戦開催は、観客動員的に厳しくなったが、まだまだ活躍してほしい。
隣接して、新球技場が完成しても、まだまだ需要がある。
来年も、何度もニッパツ三ツ沢球技場に出かけたい。
横浜市内企業である日本発条株式会社様も、スポンサード引き続きよろしくお願いいたします。




























































