メルマガの「がんばれ社長」か「人間力」だったか忘れてしまいましたが中国の古典で

「いったいどれだけ忍耐すれば良いのか」

との問いに

「相手が投げつけた唾が 乾くまで!」

との答えが、未だに頭から離れない、、、。忍耐を身につける事はかなりハードです。
昨夜は今年初めて薪ストーブを使用、朝方は冷えました。まだ切った薪は10日分ぐらいしかありません。ちょっと今年はマラソンで薪を作らないといけない。もしくは電気でヒーターを使うかお金か時間の戦いです。腰を痛めないよう、ゆっくりした方がいいみたい。
今晩は今年初のちょっと寒くなりそうな夜になりそうです。が、薪がない、、、。仕事を終えてから暗くなるまでずっと薪作り。ほんとは切ってから一年ぐらい寝かせて?おかないと、乾燥しきらず燃焼率が悪いのですがそうもいってられない。しばらく、薪作りで大変です。ハイ、肉体労働、、、。

でも明日はプラブパーダヴィレッジで12時間キルタンがあるので行ってきます。車で2時間ほどかかりますが、しっかりビデオに撮ろうと思います。ではお休みなさい。
「罪の行為を避け、神聖な仕事をし、修行者と正しい付き合いをし、善行に励むことが幸せになるための最高の手段である。もともと幸せとは無縁の身に生まれた人間が欲望に縛られれば、迷いの底に落ち込んで苦悩にさいなまれるのは避けられない。悲しみは欲望と快楽の結合から生まれるのだ。欲望に捕らわれる人間の知識は不安定である。欲望を捨てなければ、悲しみから逃れることはできない。欲望が高ずると迷いの網が広がり、その網にかかって人は現世でも来世でも悲しみにつきまとわれるのだ。幸せを求めるなら、あらゆる方法で欲望と怒りを抑圧しなければならない。なぜなら、この二つの悪徳は幸福を破壊する元凶だからだ。苦行を怒りから、富を嫉妬から、学問を高慢から、魂を自己陶酔から守らねばならぬ。」(マハバーラトよりサナトクマールの言葉)

こういう言葉を生み出すのも大変でしょうが、それを自分のものとするのは至難の技という気がします。が避けるわけにもいかず、、千里の道も一歩から。まずはしっかりハレークリシュナを毎日唱えましょう。
日本で本屋さんに寄った時、ちょっとびっくりしたのが「フェイスブック」関係の本が目立っていたこと。みんな関心があるのでしょうか?本買って勉強するのもいいし 熱意をあげるのもいいけど、僕の感じでは あまり続いている人が多くない。個人的には「習うより慣れろ」という感じですね。まあお金を回す意味では本につぎ込むのもいいけど世の中、興味の対象がありすぎてフォーカスするのが大変です。46年の間にどれほど釣られてしまったか?う~ん。今、メルマガとアメブロ、フェイスブックとこれだけでもちょっとオーバーしてる感じなのです。フェイスブックはやっぱり便利です。ミクシイはリンクしてるだけ、メルマガはほとんど手応えないし、アメブロは、どうも使いにくい、、、。写真はアップロードしたくても手間がかかります。リンクもしにくいけど、フェイスブックだとかなり拡張性があります。たくさんの人の「顔」も実写で親近感あるし、、、今年の課題の一つは、、、「ネット時間の整理」かな。
この週末は寺院でお祭り、タイトルが長いので省略、、、雨模様で外のステージが使えませんでしたが、まあまあ、TKさんがかなり良かったです。ただビデオの音声がかなり悪くてアップロードするのはあきらめました。これは去年のです。



今回はお寺の中と外と2ヵ所でしたので、全部ビデオに撮るのは不可能、おまけに外のはTKさんのだけなぜか極端に音が悪かった、、、のが残念です。これは中でミトラセーナさんが披露したもの。自分で楽器を作って、、、僕は好きです。



第3巻目をもうすぐ終わるかなというところの「マハバーラト」。ビーシュマがユディシティラに語ってます。

「子牛が何千頭もの牝牛の群れの中から、正確に自分の母親を見つけ出すように、前世の業因は必ず当人のもとへやってくる。しかし、汚れた衣類も水で洗えばきれいになる。断食で身を苦しめる人は魂が浄化されて、末永く不変の幸せを享受できるのだ。長期の苦行をすれば、過去の罪障は消滅し、願い事はすべて叶えられる。大空を飛ぶ鳥、水中を泳ぐ鳥が動いた跡を残さないように、善行者の功徳はその場では眼に見えないものだ。他人を不当に非難したり、言葉で人を傷つけたりするのは不幸の元だ。自分に快いこと、人にそうしてもらいたいこと、そしてだれにも幸せをもたらす仕事をすべきだ」
目も耳も手も足も同じように2つあって姿は同じように見えますが、何か根本的に性質が違うんじゃないかとときどき思ってました。もちろんどこか共通する部分はありますし、個人差もありますから断定することでもありませんが、文化も教育も違いますし、何より埋み込まれた潜在性が全然違う。マックとウインドウズのように表面上は同じように使えるけど構造は全く異なるのでしょう。そういう背景を知らないと余計な神経を使うんだろう、と今頃になって思った次第です。そういう複雑怪奇なパズルを作り上げた「神」の技、、、僕の理解できる能力を超えています。ある時は師で、ある時は友達で、ある時はお父さん、怪人二十面相なんてもちろん比較にならない。どうやって限られた言語、思考で神を知りえましょう?

ハレークリシュナのマントラはわずか3つの言葉「ハレー」「ラーマ」「クリシュナ」で構成されていて、そのマントラは「全く神と変わらない」とされてるわけです。

でも、あと25年で理解できるか全く先が見えない、、、
この前のサンデーフィースト、左側のジャヤデーヴァさんはこの三日前にこのメロディが頭に浮かんだそうです。なんという才能でしょう!作曲なんて僕には到底理解出来ない分野です、、、。

アルンダティ(大熊座のなかにある小星)やドウル(北極星)を一度も見たことのない者、見せてもらったことのない者、また満月の円と灯明の炎の右半分が欠けたように見える者の命は、一年間のうちに尽きます。
他人の瞳に自分の影が映らない者の寿命も、一年の残りしかありません。眩いばかりに輝く光がくすんで見え、判断力が乏しくなり、心に大混乱が生じ、黒色の肌が黄色に変色し始め、天人を侮り、ブラーマン族に敵意を持つ者は、6ヶ月以上は生きられません。

太陽と月がくもの巣のように穴があいて見え、寺院で焚かれる薫香を死臭のように感じる者は7日以内に死にます。

鼻と耳が曲がり、歯の色が黒ずみ、目の輝きが失せ、失神を繰り返し、体が冷たくなり、左の目から急に涙が噴き出し、頭から煙が出て立ち上りはじめる感じになると、もはや臨終が近づいたと判断しなければなりません。


以上、マハバーラト第3巻の1052pに書いてます。

ほとんどの人は自分の感覚に動かされて生活していて、次の日に死を迎えるなんて考える人はいないでしょう。でもいつか必ず誰にでも訪れるのが、「死」です。今乗ってるいすゞの車は製造からすでに15年過ぎてますが、ときどき

「このままずっと乗り続けていられればいいなあ」

と幻想に陥れられます。vwのビートルみたいに何十年と乗り続けられる車は非常にまれで、維持するのにかなりの出費を強いられるし「永遠」に乗り続けられることは不可能!です。

この体もいつか老いぼれて朽ちる時がやってきます。もし老後を心配して年金を払うことを忘れない理解力があるなら、どうかその能力を死後について、使ってください。

輪廻の繰り返しから解放されたくありませんか?