7月
こんにちは7.8月と5分ですら心休まる日がなかったなぁ今日、ようやく自分だけの時間を少し取れてます。7月中旬悪夢はここから始まりました三男の東日本の大会で仙台へ私の運転で、仲間を乗せていかなければならないためキャンセルは出来ないしかし、体調悪い微熱37.8度くらいあり解熱剤を飲めば下がる仙台までの運転に不安があるけど三男をこの真夏の中親なしの試合を2日間やらすわけにもいかないし。。最悪、向こうで親の私はゆっくりしておればいいか。と思い行くことにしました1日目の試合は何とか乗り越えましたが夜から熱中症の様な症状と吐き気、咳。部屋で這いつくばりながら、吐き気を耐え、血の気が引くのを堪えている姿に仲間のお母さんに、まるで陣痛が始まった様だったと言われました仲間に迷惑をかけてはいけないと思えば思うほど、血の気がひいてくるこんな時くらい、誰にも気を使わないで済む強靭なメンタルが欲しいと思うばかりでした。結果、次の日夫が仲間のお父さんの車に便乗し仙台まだ来て帰りの運転をしてくれました。次の日の試合、私は一日中車で寝ており、息子の勇姿は見れなかったのです。この日から、体調の良い日が1日もない状況で8月を迎えましたおそらくコロナだったと思います。帰ってからも病院へ行くことすら出来ない状況で、判断はできませんが、しばらく経ってから仲間の保護者の方が、私の少し前にコロナだったことが分かりました。もちろん、その方は試合には同行せず、旦那さんにお任せしていたので感染拡大になる様なことはなかったです。もはや、私と一緒に同行し、部屋も同じだった仲間にうつらなくて良かったと思いました念のため、マスクを2重にして、ご飯の時も1人外れて食べていたのが、不幸中の幸いだったのかも知れません。さて、夫運転の仙台からの帰宅時少し寄り道をして帰りました。あの日13mもの津波が本当に来たんだなぁとまだ三男はお腹にもいなかったですがこの事がきっかけでもう1人産むことが私の役目でもあるなと感じる出来事でもありました。そして帰宅して食欲のない私に次男が作ってくれたおじや。この優しい味は一生忘れません。食べながら涙がでましたそんなこんなの7月中旬の出来事。三男はこの大会で個人戦はベスト16東西対抗の試合の出場権利を得ました。来年の1月、また仙台ですそして団体戦は東日本大会優勝本当におめでとうそして、お疲れ様