宏美さんが事務所を独立して第2弾、通算で37枚目のシングルである。作詞は松井五郎さん、作曲はデビュー前の久保田利伸さん、そして編曲が奥慶一さんである。

 

 この曲が宏美さんの強い意向によってシングルになったことはあちこちで仰っていたが、『cinema』の紙ジャケリリースの折りのライナーノーツにやや詳しく書いてあるので、そのまま引用しよう。

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どれだったか忘れてしまいましたが、当初は別の楽曲がシングル候補だったんです。それを私が大好きだった「月光」を強く希望して、シングルにしたんですよ。「月光」は、まだデビュー前の久保田利伸くんが作曲していますが、この頃“久保田利伸・すごいぞテープ”というのが業界内に出回っていたんです。スティービー・ワンダーやカーペンターズのカバー、それに田原俊彦くんに提供した「IT’S BAD」など4〜5曲が収録されていて、ディレクターから最初テープを聞かせてもらった時は「本当に上手い!」って感心しました。その後、久保田くんと知り合いになって、私のコンサートにも来てくれたり、彼の方もデモテープの評判であれよあれよという間にデビューが決まろうとしていて、電話で相談を受けたりもしました。久保田くんのお姉さんが、私と同い歳らしくてそれもあったんでしょうね。今でも「月光」を聞くと、バッキング・ボーカルをしてくれた久保田くんの声が耳に飛び込んでくるんです。だって、あまりに上手いんですもの。

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 この宏美さんが「忘れてしまった」と書いているシングル候補は「慕情」だったと考えて良いであろう。このアルバムは他にも「星に願いを」「シンデレラ・ラッシュアワー」等、シングルになってもおかしくない名曲揃いだが、カメリアダイヤモンドのCMソングに使用されていたことから言って、まず間違いない。

 

 またこの「月光」については、触れておかねばならないことがある。それはタイトルの読み方についてである。当時宏美さんご自身ももちろん、どこでも〈げっこう〉と普通に紹介されていた。だが、いつ頃からかネット上でこの曲のタイトルは〈つきあかり〉と読むのが正しい、と言った言説が飛び交うようになった。確かに、歌詞の中で何回か現れる“月光”というワードには全て〈つきあかり〉とルビがふられ、そのように歌われている。だが、タイトルはあくまで〈げっこう〉だったはず。

 

 これは、ヒロリンフリークを自認する私としては、動かぬ証拠(笑)を提示せねばなるまい。この時期は独立直後であり、また前作「決心夢狩人」ほどの話題性もなかったため、テレビ出演は限定的であった。個人的に唯一「月光」のテレビ歌唱時に録画できた『ロッテ歌のアルバム』のビデオテープはもうとうに見られなくなってしまっているし…。😭

 

 と思ったが、この“動かぬ証拠”は思ったより簡単に見つけることができた。

 

その①ファンクラブ会報『Hirorin mura no kairanban. 第9号』(1985年9月)

 宏美さん自筆の巻頭メッセージの“月光”に「げっこう」のふりがな発見!(画像参照)

 

 

その②『夜のヒットスタジオDELUXE』で久保田利伸さんと共演時(1987年8月26日)

 「月光」での2人のコラボが話題になり、司会の古舘さんが「げっこう」と言うと、宏美さんが力強く「そうです!」というシーンがある。(動画参照)



 この曲の細かい部分で気に入っているところがある。それは、Aメロのリズムが、1番と2番で意図的に変えてあるところである。1番は4分音符+8分音符×2(譜面赤枠)のところが、2番では付点8分音符×2+8分音符(譜面青枠)となり、ノリ・疾走感が増すのだ。偶然だが、以前「熱帯魚」のブログで指摘したライブ音源とレコード音源のリズムの差異と同様だ。下記の譜面や音源でご確認いただきたい。

 

 

 独立後の岩崎宏美の艶やかなイメージを彩る松井ワールドに、久保田くんの若き才能が負けじと火花を散らす。奥慶一アレンジは宏美さんも好きなクインシー・ジョーンズネタ(『早すぎた吉田美和?』という、「月光」を絶賛した方のブログに詳述されている)。そこへ充実し切ったこの時期の宏美さんの硬質なキラキラとした突き抜ける声、そして吹っ切れたようなシャウトに近い唱法。出来が悪かろうはずがない。久保田くんのスーパー・バッキング・ボーカルも含めて、ゆっくりご堪能あれ。

 

 

(1985.10.21 シングル)

 

P.S.何と!灯台下暗しと言おうか、シングル曲の中にシングル曲のタイトルがあるのに落としていた!😫

月光 ➡️ ♪月光 ひとしずく 「胸さわぎ」 止められない〜😉