デビュー3年目の夏、宏美さん10枚目のシングルである。デビューから2年間は、阿久悠・筒美京平コンビのいわゆるカタカナシリーズなどで、トップ5ヒットを連発してきた。この1977年は、高校卒業を機に、阿久先生が「どうやって岩崎宏美を成人させようかずっと考えていた」と言われたように、若干の模索が始まる。作詞はずっと阿久先生であったが、作曲者は1曲ごとに交代していった。筒美京平、大野克夫、川口真、三木たかし。この「熱帯魚」は川口真先生が作・編曲である。セールス的にもスマッシュヒットを記録し、宏美さんの歴代シングルの中で、「ドリーム」「万華鏡」に次いで第11位と健闘している(2020年7月現在)。

 

 「♪ ああ 今夜はもう帰りません私/叱られてもいい なじられてもいい〜」と、いきなりキャッチーな頭サビで始まる。このサビの歌詞は、清純派のイメージが強かった当時の宏美さんのファンには衝撃的だったのではないだろうか。情熱的な宏美さんの歌唱が、そしてメロディーとアレンジが、歌詞の内容を盛り立てる。特に、イントロから何度となく繰り返される同じリズムは、この曲を通じて一貫して流れるモチーフと考えて良いだろう(譜例1、赤枠)。

 

【譜例1】

 

 頭サビに続くAメロ「♪ カクテルに夜が溶けていくようなブルー〜」の部分では、イントロで4回繰り返したリズムが、ベースやドラムスのリズムとして出現する(譜例2、赤枠)。

 

【譜例2】

 

 そして、Bメロ「♪ ゆらゆらとゆれるからだ〜」で、F#マイナーからレラティブ・キーのAメジャーに転調すると、今度は同じリズムがボーカルのメロディーに現れるのだ(譜例3、赤枠)。

 

【譜例3】

 

 

 ところが、宏美さんは生歌唱では、リリース当時からこのリズムを崩して譜例4の緑枠のように歌われているのだ。

 

【譜例4】

 

 

 歌謡曲では、クラシックと違い、あまり譜面にとらわれない。歌い慣れてくると、少しリズムを崩したり、遅れ気味に引っ張ったりして歌う、ということは日常茶飯事である。しかし、ことこの曲に関して言えば、この執拗に繰り返す同じリズムに、作・編曲者の意図があると私は思うのだ。それを宏美さんが安易に(と私には思われる)リズムを変えて歌っていることが、私には釈然としないのだ。

 

 もっとも、99%の宏美ファンは、「そんなの、どっちだっていいじゃん」と思われているだろうし、私ももうすっかり耳に馴染んだライブでの歌唱のリズムを、今さら変えて欲しいなどと思っているわけではない。ただ、ずっと漠然と疑問に思っていながら、誰にも伝える機会がないまま40年が過ぎてしまったことを、このような形で皆様に聞いていただくことができて、本当に嬉しく思っている。それだけなのだ。感謝である。🙏

 

 

 この「熱帯魚」を聴くと思い出す、ほろ苦い思い出がある。大学生になってまもなく、私は児童文化研究会のようなサークルに入った。要は地域の子どもたちと遊ぶだけなのだが、近隣3校の学生が参加していた。新歓コンパが学生寮の共用スペースで行われた。そこで意気投合した看護学校の女の子が、酒の勢いもあって私の部屋までついて来てしまったのだ。「♪ ああ 今夜はもう帰りません私」という訳である。さて困った。

 

 うぶだった私は、初対面から間もない、飲み会で盛り上がっただけの女の子を、どう取り扱ったらいいのか分からなかった。彼女に自分のベッドを明け渡し、自分は部屋の隅に体育座りをしたまま、まんじりともせず夜を明かした。その間、頭の中では「熱帯魚」のサビがヘビロテである。🤣こんな事態が、歌の世界だけでなく、自分の身にも本当に起こるんだ、とある意味笑っちゃうような気分だった。翌朝、簡単な朝食を作って彼女に食べさせ、そのまま送り出した。もちろん、2人の間にはその後も何事も起こらなかった。愛しい私の青春の1ページである。

 

(1977.7.5 シングル)