阿久悠・筒美京平コンビによる7枚目のシングル。「ロマンス」のNo.1ヒット以来、トップ5ヒットがこの曲で6曲続くことになる。実力派アイドルの名をほしいままにした、岩崎宏美第一次黄金期とも言えるであろう。持ち前の透明でかつ力強い声も、この時期とりわけよく伸びているように思う。この「ドリーム」と次の「想い出の樹の下で」は、高音域を活かした楽曲で、ファンの人気も高い。
以前も書いたように、私は「遅れてきたファン」で、この時期をよく知らない。購入したベスト盤で、多くの曲は耳にしたことがあった、という程度であった。たった1枚のベストをカセットテープにコピーし、それこそ擦り切れるくらい聴いていた。聴くほどに、上質の楽曲ばかりであるということと、何と素晴らしい声を持った歌の上手な人なんだろう、という想いは膨らむばかりであった。
中でもこの「ドリーム」は、ハイトーンの美声と誰にも真似できないような歌唱力に、唸るばかりであった。この曲は、「ロマンス」以来のディスコサウンド路線を継承しつつ、ややテンポを落とすことによって、それまでの曲よりスケール感が増している。また、アレンジ面でもギターだけでなくブラスも活躍し、ハードなサウンドに仕上がっており、30周年の折りに宏美さんが述懐していた通り、バックバンドにとっても演奏しがいのある曲であったと思われる。
音楽の世界というのは意外に狭く、当時テレビ番組で宏美さんのバックで吹いたことのある元プロの方が、お二人も(トロンボニストとトランペッター)時にうちのバンドを手伝ってくださっている。そのお二人が異口同音に、「岩崎宏美は本当に上手かった」と仰っていた。当時から、プロのミュージシャンも納得させる宏美さんの図抜けた歌唱力だったのである。
曲が始まり、Aメロの部分からいきなりのハイCが連発である。「♪ あなたにとどけ あなたにとどけ/私のこころ あなたにとどけ/まどをあけてかぜにたくす」ここまでのワンフレーズで、すでに太字の4箇所がハイCである。そして、サビに入るとさらにパワーアップ、ハイトーンでかつロングトーンとなるのだ。「♪ このぼくが〜(C )決めたひと〜(B♭)ただ〜(D♭)一人だけ〜(C)」の4つの長い音符だが、それぞれ声の伸ばし方を微妙に変えているのだ。百読は一聴に如かずなので、すぐオリジナル音源を聴いていただきたいのだが、一応不可能に近い言語化に挑んでみる。
・が(C)➡️スクープ(下から音をすくう)して入り、伸ばしの後半で正確なピッチよりも下の音を一瞬経由して、高い音に泣くように抜ける
・と(B♭)➡️やや弛緩し、大きくビブラートをかける
・だ(D♭)➡️この曲の最高音を、ほぼノービブラートで伸ばす。平行長調のドミナント7thの重要な音をより印象的にしている
・け(C)➡️スクープ気味に入り、自然にややビブラートし開放的な声質
やはりうまく表現できなかった。ついでに言うと、その後の「♪ どんなにか どんなにか」の語尾の「か」は押さずに自然に引くように歌っている。この歌い分けが、ディレクターや作編曲者の指示なのか、自発的なのかわからないが、これが無理なく自然にできてしまう天性の感覚と美声とが揃った時、初めてこのような歌唱が可能になったのだろう。私は、この「ドリーム」の録音を、岩崎宏美の非凡さを何よりも雄弁に物語る貴重なテイクであると思っている。
さて、もう一つだけ触れておきたいことがある。それは、キーについてである。この「ドリーム」は、リリース当時から生演奏の際、半音下げて歌うことが多かったようである。YouTubeで確認できるヒットスタジオの動画、30周年BOXのスター誕生のビデオ共に下げている。私の持っている音源では、僅かに’76年の『ロマンティック・コンサートⅡ』だけが原キーであった('78年の『ラブ・コンサートパート2』は半音下)。当時朝早くから夜遅くまで、日に何十回となく歌わなくてはならなかったシングル曲である。冒頭で「高音域を活かした楽曲」と図らずも私が指摘した通り、歌う宏美さんの負担を、スタッフが慮り、(恐らくは議論の末)このような形をとったのではないか、と私は推測している。
岩崎宏美という歌手は、ライブこそが真骨頂である。生歌唱でこそより真価を発揮するステージシンガーである。この曲も、ライブでの名唱はいくらもあるだろう。しかしながら、キーが半音違うことによる声質や緊張感の微妙な、しかし歴然とした差異は如何ともし難い。この「ドリーム」のスタジオ録音は、日本歌謡ポップス史上に残るクォリティの高い歌唱である、と私は確信している。
(1976.11.5 シングル)