宏美さん26枚目のシングルにして、草花シリーズ第3弾。作詞:竜真知子、作曲:水谷公生、編曲:萩田光雄。

 

 

 まず、草花シリーズについておさらいしておこう。1980年、宏美さんはシングル・セールス的には雌伏の時期を過ごす。当時、「岩崎宏美の歌は難し過ぎて、カラオケで歌えない。もっと『月見草』のような素朴な、誰でも口ずさめるような曲を」ということで草花シリーズがスタートした。

 

 「難し過ぎる」と言うのは、「スローな愛がいいわ」「摩天楼」「胸さわぎ」辺りを指しているんだろうな、と思った記憶がある。それにしても「『月見草』のような素朴な歌」→草花の優しさを歌ったシリーズ→「恋待草」、という発想はどうだったのだろう。「恋待草」が「誰でも口ずさめるような素朴な歌」とはとても思えない(曲の良し悪しとは別問題)。

 

 その意味で、宏美さんが持ち込んだ姉の初美さんのレコード、「すみれ色の涙」が第2弾に採用されて大ヒットになったのは、宏美さんのインスピレーションが素晴らしかったという他ない。

 

 「すみれ色の涙」は、スバルレオーネのCMで使われたため、『夜のヒットスタジオ』では新曲発表時のみで、以降スポンサーの関係で歌えなかった。その代わり、草花シリーズ第3弾の候補曲の一つだったと思われる「れんげ草の恋」を2度(81年の7月と8月)披露されている。それが好評で、シングル化に繋がったのだ。

 

 当時のオリコン・ウィークリー誌上でも、「宏美の新曲は、やっぱりアノ『れんげ草の恋』に!」などと取り沙汰された記憶がある。

 

 夜ヒットで披露された「れんげ草の恋」は、まだ決定稿ではなく、シングルバージョンとエンディングが異なっている。夜ヒットバージョンは「♪ れんげ草のような恋でした」と歌っていたが、シングルは「♪ れんげのよーーな恋でした」と変更になっている。

 

 愛らしい小品なのだが、悔しかったのは「恋待草」や「草花シリーズ」を知らない一般の人からは、「『すみれ色の涙』がヒットしたから、二番煎じか」と思われてしまったことである。😂すみれとれんげは、イメージも似ているし、宏美さんご本人もその都度説明するのが面倒になったのか、テレビやラジオで、「すみれの次はれんげですか…」などと言われると、開き直って「そう!すみれ→れんげ、しりとりみたいでしょ?」と答えていらした。

 

 

 さて、曲そのものの話をしよう。歌詞の世界は、眞峯隆義氏も「パピヨン」との類似を指摘していらしたが、失恋以前の哀しい物語である。「忘れられた訳ではなく、初めからあなたの目には止まらなかっただけ」という、1番の歌い出しから哀しすぎる。全編を通じて「です、ます」調なのも、れんげに喩えられるような目立たない素朴な女の子にふさわしいように思える。

 

 ピアノとストリングスによるイントロは、れんげ草が夕闇に紛れていく様を表しているようで、すこぶる印象的である。メロディーラインは最初チェロだろうか。そしてピアノへとバトンタッチされる。

 

 

 出だしの「♪ わかってました そうよ私は〜」は、最初アコギだけの伴奏で、宏美さんの沁み入るような声で歌われる。「♪ はじめから あなたの目には〜」でピアノが加わってくる。

 

 Aメロが終わると、ブリッジなしですぐサビの「♪ 薄紫の れんげ草が〜」に入る。ここからはベース、ドラムス、ストリングスも一斉に加わる。宏美さんも感情がほとばしり出るような歌い方である。「♪ 夕やみに まぎれるように」の後の、煽り立てるような32分音符のストリングスのパッセージは特にドラマティックだ。

 

 「♪ ちいさな恋の 涙になど/気ずかずにいてほしい」の部分は、主人公の本心なのだろうか。気づかないで欲しい、なんてもし本当の気持ちなら、これもあまりにも哀しい。「♪ 涙にど」の「な」のファルセットに抜ける宏美さんの声も、とても儚い。

 

 ワンコーラス後のアコギの忍び泣くようなソロは、作曲者の水谷さんだろうか。

 

 2番最初の「♪ こぼれて落ちた 白い夜露に〜」という表現は、たいそう美しい。れんげ草に喩えられた彼女の流したひとつぶの涙に、初めて彼が彼女を見つめるのだ。

 

 サビの歌詞「♪ せめて野におけ れんげ草」は、江戸時代の俳人・滝野瓢水の句「手に取るなやはり野に置け蓮華草*」から取られたのであろう。れんげ草は野に咲くからこそ美しいのであって、摘んで来て家に飾っても調和しない、の意だ。実に哀しい、れんげ草の恋である。

 

 宏美さんの哀しげな恋の歌が幕を下ろすと、イントロとほとんど同じアウトロが演奏される。歌の世界の余韻に浸る私には、同じフレーズが全く違う印象を伴って胸に迫って来るのだ。

 

(1981.10.21 シングル)

 

*瓢水は、遊女を身請けしようとした知人を諌めるためこの句を詠んだと言われる。