1980年秋、日本は2大スーパースターの引退に揺れた。10月に伝説の歌姫・山口百恵が、11月に世界の王貞治が、相次いで芸能界、球界を去ったのである。その頃、われらが宏美さんが歌っていたのが、この「摩天楼」であった。

 

 「摩天楼」は、宏美さんが22歳になる秋にリリースされた22枚目のシングルである。作詞は、それまでアルバム曲は書いていたが、シングルには初起用の売れっ子松本隆さん。作曲は両A面シングルの「愛の生命」に引き続いての浜田金吾さん。編曲の井上鑑さんは、この翌年やはり編曲した寺尾聰さんの「ルビーの指環」が大ヒット、ソロデビューも果たしている。

 

 

 「摩天楼」は、ちょうど1年前の秋に歌っていた「万華鏡」に類似した内容を持つ。「♪ ドアのすき間 一部始終/あなたの巻き毛に/埋められたマニキュア」(万華鏡)と、「♪ あなたの部屋を訪ねたら/バスルームから誰かの声 誰かの声」(摩天楼)。いずれも恋人の不倫現場に踏み込んでしまった主人公、というシチュエーションだ。それが冒頭に来て、そのショックから心ここに在らずで街を彷徨い歩く後半も似ている。

 

 またこの2曲は、スタンドマイクでの歌唱、両腕を使った大きな振り付け、という点も共通している。さらに遡ると78年秋の「さよならの挽歌」もスタンドマイクであり、何となく「秋の宏美はスタンドマイク」の流れができつつあったのか?この辺りについては、「振り付けが印象的な宏美さんの歌ベスト20❣️」でも論じた(笑)ので、ご参照いただきたい。

 

 サウンドやボーカルはと言うと、「万華鏡」がボーカルの音域は低く終始控えめ、キメや幻想的なフレーズなど、バックは不可思議な魅力があるのに対して、「摩天楼」の方はよりアップテンポで、グルーヴするベースなどゾクゾクするリズム感があり、サビの「♪ In the city, I'm crying crying crying/地下鉄を乗りついで〜」も含めて音域的にも上のC音を連発している。

 

 特に「♪ 私が死んでも このビル街は/そしらぬ顔して動き続ける」の大サビは、「私が死んでも」という深刻な歌詞にマッチしたやや大仰なバックの演奏を伴って、インパクト大である。宏美さんのボーカルは、レコードではやや抑えていたものの、歌い慣れてくると適度に声を張り、宏美節がここ彼処に顔を見せるのも良かった。

 

 この「摩天楼」は、この年のNHK紅白歌合戦でも歌われた。イントロのリフの部分を、ニューヨークの摩天楼からの中継でトランペットの日野皓正氏がコルネットを吹いたのも忘れられない。

 

 

 この歌の時期、宏美さんは大人の女性への脱皮を図っていた。歌の内容だけでなく、前髪を伸ばしてパーマをかけたり、ワンショルダーのセクシーな衣装を着たりしていた。それらは賛否両論あったらしい。私の周囲の友人でも、「髪型変えたのが気に入らなくて、ファンをやめた」と言っていたヤツもいた。

 

 当時私は大学1年生の夏休み明け、学生宿舎生活も板についた頃である。この歌を聴くと、私はどうしても大学の宿舎での生活を思い出すのだ。今思うと隔世の感があるが、当時の宿舎は

・宿舎のトイレ・洗濯機・炊事場は共用。

・家への電話は公衆電話から。

・家からの電話は宿舎の共用棟にかかり、伝言板に貼り出される。

・共用棟では一応食料品から日用品まで最低限の物は揃う。食堂や浴場もあった。

というような生活であった。

 

 留守を守る弟(=宏美ビデオ担当)とのやりとりは、もっぱらハガキだった。弟が私より早くこの「摩天楼」を聴き、「今度の新曲なかなか良いよ」とハガキが届く。次のハガキには「『なかなか良い』じゃなくて『最高!』に訂正」とあった。😊

 

 今ならLINEでチョチョイのチョイ、以上終了である。毎日共用棟に行き、家族・友人からの郵便物がないか、伝言板に自分の名前が貼り出されていないか確かめていたあの頃。弟からのタイムラグのある宏美さん情報を楽しみにしていた日々。ああ、古き良き時代よ。

 

(1980.10.5 シングル)