ワインは素敵な恋の道しるべ -92ページ目

ワインは素敵な恋の道しるべ

白ワインは天使の如く貴方の心を解き放ち、赤ワインの真紅のグラスの底には悪魔が潜む。そして貴方は天使の如く大胆に、悪魔の如く繊細に、新たな恋の道を歩み始める。

5月のウォーキング。

 

塀の上に顔を出しているカーブミラーに映る自分に向かい、羽をばたつかせ、嘴でつつき、鋭い鳴き声で威嚇を続けるカラスを見付けた。

鏡に映る自分の姿を、縄張りに侵入してきた敵と認識しているのだろうか。

その様子を撮影しようとスマホを掲げた途端、身体を固めて新たな敵(私のこと)に意識を集中してしまった。

 

そして鋭い声でひと鳴き。

まるで、「俺は忙しいんだ、早くあっちへ行け」と叫んでいるようだ。

それにしてもこのミラー、何のためにここに置かれているのだろうか。

 

光沢のある濃いピンクの花は、ハマミズナ科ランプランサス属/デロスペルマ属の常緑多年草、マツバギク(松葉菊)。

原産地は南アフリカ。

 

花色は、赤、紫、ピンク、白、黄、オレンジと多様だが、もっとも多く見かけるのはこの濃いピンク。

花言葉は多く、”心広い愛情”、”のんびり気分”、”怠惰”、”愛国心”、”勲功”、”忍耐”、”無邪気”、”可憐”。

 

ピンクの細かな花がびっしりと咲いているのは、シモツケソウ(下野草)。

光が強くて白けて見えるが、実際にはもっと鮮やかな濃いピンク。

バラ科シモツケソウ属の落葉多年草で、原産地は日本で、関東以西の本州、四国、九州。

 

花色はピンクのほかに白がある。

花言葉は、”純情”、”穏やか”。

 

花の記事も今や5ヶ月遅れ。

そこでたまには現在の花の写真もアップ。

芳香に導かれて見付けたのは、大きなキンモクセイ(金木犀)。

 

モクセイ科モクセイ属の常緑小高木で、原産地は中国。

キンモクセイの中国名は丹桂、ギンモクセイは銀桂、ウスギモクセイは金桂、これらを総称して桂花と呼ぶ。

あれ、桂花と言えば、熊本ラーメンの名店を思い出す。

 

春の沈丁花、夏の梔子、秋の金木犀は、三大香木と称される。

花言葉は、”謙虚”、”謙遜”、”気高い人”。

 

そして現在のベランダガーデニングのお話。

今は松葉牡丹が花盛りで、毎日30~40輪も咲いている。

オオベンケイソウの花も咲き始めた。

そして形が悪いこの植物は、アリッサム。

何故こんなぼうぼうなのかというと、これは園芸店で買ったものではない。

 

アリッサムは耐暑性がなく、日本の夏の暑さには弱い。

昨年秋に買った株が夏に枯れてしまったが、その後こぼれ種が発芽し、成長したもの。

見た目はあまりよくないが、実生で育てた花だと思うととても可愛い。

 

先週の収穫。

ミニトマトはもう成長しないまま赤く色づくようになった。

鷹の爪は高温障害による発育不良の実が減り、形の良いものが増えてきた。

 

今週の収穫。

明るい場所で撮影したら色が白けてしまったが、実際の色合いは上の写真と同じ。

発育不良のミニトマトはあと僅かを残すのみ。

鷹の爪は少しは収穫本数が増えてきたが、昨年はこの時期には毎週数十本が採れていたので、今年は高温障害のため70%ほどの減収。

 

10日前に蒔いたフェンネルの種が発芽した。

これは大きく育てるための苗ではなく、冬の間室内で育て、料理に使うためのもの。

二年前に採取した種なので発芽するか不安だったが、発芽率50%といったところで一安心。

 

今夜のナイトキャップはテキーラ。

テキーラはメキシコのハリスコ州を中心とした五つの州でブルーアガヴェを原料として造られた蒸留酒。

 

ホセ・クエルボは1795年創業の老舗で、テキーラの販売量No.1を誇る生産者。

 

今夜はロックで飲みたいので、「帝国ホテル」の『オールド インペリアル パー』のグラスを使うことに。

 

氷を入れる前に、ストレートで香りを楽しむ。

こうして撮影しても、水にしか見えない。

 

上から見ると、”IMPERIAL HOTEL”の文字が見える。

透明なので、ここにテキーラが入っていることがわからない。

若い頃は六本木のクラブでテキーラをガンガン飲んでいたことを思い出す。

テキーラを楽しんだ、ある夜のナイトキャップでした。

 

 

 

 

 

 

4月のこと、友人達と京橋の「アーティゾン美術館」で過ごす楽しい美術鑑賞の続き。

今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。

 

鑑賞している企画展は、”見る、感じる、学ぶ アートを楽しむ”。

 

セクション3は、”印象派の世界を体感する-近代都市パリの日常風景”。

印象派の画家たちが活躍した19世紀最後の四半世紀、この時代のパリを舞台として、二人の画家、ベルト・モリゾとギュスターヴ・カイユボットに焦点を当てて作品が展示されている。

 

ベルト・モリゾは印象派グループの数少ない女性画家の一人。

エドゥアール・マネと家が近く出身階級も同じであったことから、モリゾ家とマネ家は親密な付き合いがあった。

マネはベルト・モリゾをモデルとして11点の作品を描いている。

 

ベルト・モリゾ、「バルコニーの女と子ども」(1872年) 油彩・カンヴァス

ベルト・モリゾの代表作で、今回の企画展パンフレットの表紙になっている。

場所はシャイヨー宮にほど近いモリゾの自邸のバルコニー。

見える景色はトロカデロ庭園、セーヌ川、シャン・ド・マルス公園、遠景にはアンヴァリッドの金色のドーム、サント・クロチルド聖堂のふたつの尖塔、そしてノートルダム大聖堂。

これらの遠景に較べ、人物はとても精緻に描かれている。

印象派の手法が色濃い作品だが、この絵を見て何時も思うのは、右側の花台となっている無骨な石柱の存在。

この絵にこの石柱が必要なのかと不思議に感じてしまう。

 

ファッションプレート(1872年頃)

モリゾの絵に描かれているのは、長姉のイヴ・ゴビヤールとその娘、ポール・ゴビヤールと考えられている。

母親は黒のウォーキング・ドレスにフォワード・ティルト・ハット、手にはピンクの日傘。

娘はピナフォア・ドレス。

スカートの後部を膨らませるバッスルの形がわかるように母親は横向きに描かれ、娘はドレスの細部がわかるように後ろ向きに描かれている。

まさに当時のパリの高級ブルジョア階級の流行ファッションなのだ。

 

2018年4月の調査により、この絵の下には別の絵が描かれていることが判明している。

それは子供を抱く母親のようだ。

気に入らない絵を塗りつぶし、次の絵のカンヴァスとして利用したのだろうか。

 

シャルル・ロイトリンガー、「エドゥアール・マネ」 ウッドベリータイプ

ベルト・モリゾと親交があり、モリゾの絵に影響を与えたエドゥアール・マネの写真も展示されている。

 

エドゥアール・マネ、「オペラ座の仮面舞踏会」(1873年) 油彩・カンヴァス

シルクハットと燕尾服の上流階級の男性達と一緒に居るのは、踊り子や高級娼婦達。

今から舞踏会が開演するのだろうか、人々の興奮や熱気が感じられる。

 

エドゥアール・マネ、「メリー・ローラン」(1882年) 油彩・カンヴァス

マネは最晩年になると病気のため大作を描くことができなくなり、親しい女性たちの肖像画を描くようになった。

その中でもお気に入りはメリー・ローランで、彼女の絵を何枚も描いている。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール、「少女」(1887年) パステル・紙

印象派と言えば、ルノワールなしには語れない。

ブルーの瞳と、ドレス、背景のブルーが調和して美しい。

イタリア・ルネッサンスや新古典主義の影響を受けていた”硬い時代”の作品なのだそうだが、やはりルノワールらしい絵だ。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール、「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」(1876年) 油彩・カンヴァス

ルノワールの少女像は本当に可愛い。

パトロンの出版業者、ジョルジュ・シャルパンティエから最初に依頼された家族の肖像画で、モデルは長女のジョルジェット(当時4歳)。

 

エヴァ・ゴンザレス、「眠り」(1877-78年頃) 油彩・カンヴァス

エヴァ・ゴンザレスも、印象派の女性画家。

16歳でシャルル・シャプランのアトリエで学び始め、のちに弟子としてデビュー。

また、エドゥアール・マネの唯一の正式な弟子としても知られている。

マネの人物を浮かび上がらせる写実的な手法を用いながら、女性の美しい肖像画で有名なシャプランのロマンチックな女性表現が見られる素晴らしい作品だ。

 

カミーユ・コロー、「オンフルールのトゥータン農場」(1845年頃) 油彩・カンヴァス

まさに風景画家コローの名作。

コローはノルマンディー地方の港町オンフルールを1820年代から何度も訪れている。

オンフルールの高台にあるサン=シメオン農場は宿屋を兼ねていた。

やがて「トゥータン叔母さんの農場」と呼ばれるようになり、ここに多くの画家が逗留した。

 

次に焦点が当てられているのは、ギュスターヴ・カイユボット。

印象派の画家で、印象派展に出品する傍ら、その活動を経済的に支えたことでも知られる。

 

ギュスターヴ・カイユボット、「ピアノを弾く若い男」(1876年) 油彩・カンヴァス

1876年の第2回印象派展に出品された、カイユボットの代表作の一つ。

パリのミロメニル通りの自邸でピアノを弾く弟のマルシャルを描いたもの。

ピアノは当時好まれた画題だが、弾き手が男性というのは珍しい。

まず目を奪われるのはその精緻な表現。

窓から差し込む光がピアノや脚に反射し、上げられた蓋には指や鍵盤が映っている。

これは印象派としてはかなり異質で、題材は別として新古典主義の絵なのではと思ってしまう。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール、「ピアノを弾く女」(1875-76年)

アート・インスティテュート・オヴ・シカゴ

1876年の第2回印象派展に、「ピアノを弾く若い男」と同じく出品された作品。

同じ印象派のルノワールが描くと、ピアノを弾く女性はこんなに違う表現となる。

 

エラール社、グランドピアノ(1877年)

19世紀後半にフランスで最も人気のあったピアノメーカーは、エラール社。

当時はエラールという言葉自体がピアノを意味したほどだ。

 

エドガー・ドガ、「浴後」(1900年頃) パステル・紙

同じく印象派のドガは踊り子と共に浴室の裸婦を題材とした絵を多く描いている。

カイユボットとの画風の違いが一層際立つ。

 

エルガー・ドガ、「レオポール・ルヴェールの肖像」(1874年頃) 油彩・カンヴァス

ルヴェールは、ドガの友人の印象派の画家。

頭部は極めて精緻に描かれ、一方で洋服や背景は素早く大胆な筆遣いで描かれ、印象派の特徴が出ている。

 

ギュスターヴ・カイユボット、「イエールの平原」(1878年) パステル・紙

印象派の画家は風景画も得意としている。

パリ郊外のイエールにカイユボット家は11ヘクタールの敷地を持つ夏の邸宅を保有していたことから、カイユボットはイエールの風景を数多く描いている。

 

マリー・ブラックモン、「セーヴルのテラスにて」(1880年) 油彩・カンヴァス

印象派の女性画家、マリー・ブラックモンもパリ近郊のセーブルの様子を描いている。

 

フェリックス・ブラックモン、「セーヴルのヴィラ・ブランカのテラスにて(制作中のマリー・ブラックモン)」(1876年) エッチング

マリーの夫、フェリックスの作品。

 

カミーユ・ピサロ、「菜園」(1878年) 油彩・カンヴァス

パリの北西約40kmにある街、ポントワーズに度々滞在し、膨大な量の絵を制作している。

この「菜園」はポントワーズの名産品、キャベツの畑を描いたもの。

 

この後さらに、もう一つの企画展、”画家の手紙”や常設展も鑑賞したが、全部で83点もの作品群だったので、今回の記事では割愛。

 

クリスチャン・ダニエル・ラウホ、「勝利の女神」

最後に、大好きな大理石の彫像の前で記念撮影。

友人たちと過ごす、京橋の「アーティゾン美術館」での楽しい午後でした。

 

 

 

 

 

 

4月のこと、友人達と京橋の「アーティゾン美術館」で過ごす楽しい美術鑑賞の続き。

今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。

 

鑑賞している企画展は、”見る、感じる、学ぶ アートを楽しむ”。

セクション2は、”風景画への旅-描かれた景色に浸ってみよう”。

昨日の記事で旅した街は、銀座、パリ、ニューヨーク。

 

続く旅の行き先は、自然。

 

ポール・セザンヌ、「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」(1904-06年頃) 油彩・カンヴァス

生まれ故郷のエクス・アン・プロヴァンスに聳え立つ石灰岩の山、サント=ヴィクトワール山の連作の一枚。

目に見える一瞬のきらめきを絵画にする印象主義の絵を超え、より強固で堅牢な質感を持つ絵を追い求めた作品。

この革新的絵画が後のキュビスム、フォービスムに与えた影響は大きい。

 

ピエール・オーギュスト・ルノワール、「カーニュのテラス」(1905年) 油彩・カンヴァス

ルノワールはリウマチを患い、温暖な南仏で過ごすようになり、ニースの西、カーニュ=シュル=メールに1903年に拠点を移している。

画面右端の建物、メゾン・ド・ラ・ポストに部屋を借り、1907年までここで過ごしている。

 

ポール・ゴーガン、「乾草」(1889年) 油彩・カンヴァス

1889年秋から1890年11月までの間、友人のオランダ人画家メイエル・デ・ハーンと共に小さな宿屋に滞在し、この宿屋の食堂の4つの壁面を自分たちの作品で飾る計画に着手した。

「乾草」はそのうちの1点。

色面に区切られた地面には規則的な筆致が見られ、垂直に伸びる木々は装飾的な効果を生み出している。

 

アルフレッド・シスレー、「サン=マメス六月の朝」(1884年) 油彩・カンヴァス

サン=マメスはパリの南東約60kmにあるフォンテーヌブローの森の東にある小さな村。

印象派の風景画家の真骨頂ともいえる作品で、特徴のひとつである”青で表現された影”を観ることができる。

 

ピエール・ボナール、「ヴェルノン付近の風景」(1929年) 油彩・カンヴァス

ノルマンディー地方、ヴェルノンの自宅近くの風景を描いたもの。

奥に突き抜けた中心を明瞭に描き、周囲は抽象的に曖昧に描く構成は、ボナールが人間の眼が見ている情景をそのまま絵画に落とし込んだもの。

ボナール曰く、「要は、生きた対象を描くのではなく、絵画を生きたものにするということである」。

 

パブロ・ピカソ、「生木と枯木のある風景」(1919年) 油彩・カンヴァス

ピカソには珍しい風景画。

ブラックとともにキュビスムを追求していたピカソが、再び写実的で三次元的空間表現を復活させた新しい様式、いわゆるピカソの新古典主義の傾向が認められる作品。

画面奥の単純化された建物にはキュビスム的な平面性が残されているが、陰影を施された樹木や画面全体の空間には奥行きや量感が感じられる。

 

ヴァシリー・カンディンスキー、「3本の菩提樹」(1908年) 油彩・板

カンディンスキーは20世紀前半の抽象絵画の創出と発展に大きな役割を果たしたロシア出身の画家。

バイエルン州のアルプス山脈に近い場所で描かれた、カンディンスキーの作風が大きく変化した頃の作品。

厳格なまでの構図と力強い色調の組み合わせが一体となって、不思議な調和、居心地の良さを生み出している。

 

パウル・クレー、「小さな抽象的-建築的油彩(黄色と青色の球形のある)」(1915年) 油彩・厚紙

1910年代は、ピカソやブラックが主導したキュビスムが美術界に大きな影響を与えた時期。

フランスの美術界の動向に刺激を受け、この絵は”クレーがこれからクレーになろうとしている時期”の作品なのだそうだ。

「アーティゾン美術館」はクレーの絵を27点も所蔵している。


アンリ・マティス、「コリウール」(1905年) 油彩・厚紙

1905年5月から9月まで、マティスは友人の画家ドランとともに南フランスの小さな漁村コリウールに滞在し、それまでの点描から色面での表現へと大きく画風を変化させた。

この作品では風景が大胆に表現され、色彩が自由に使われている。

中央の緑色は教会、前景に広がる薄緑色は浜辺、右側のピンク色はヨットの浮かぶ海。

同年のサロン・ドートンヌでは、マティスら若い画家たちは原色を多用した粗々しい筆づかいからフォーヴ(野獣)と評された。

ここからフォーヴィスム(野獣派)という名称が誕生した。

 

パウル・クレー、「島」(1932年) 油彩、砂を混ぜた石膏・板

点、線、面、そして色彩という基本的要素を使って造形の無限の可能性を追求する作品なのだそうだ。

音楽を表現したとも言われているが、シチリア島を訪問した後に描かれており、標題どおり島を描いているのかもしれない。

 

パウル・クレーは好きな画家。

以前「アーティゾン美術館」でクレーに焦点を当てた展示があったので、興味のある方は鑑賞記をご覧ください。

 

ピート・モンドリアン、「砂丘」(1909年) 油彩、鉛筆・厚紙

極限まで抽象化された新造形主義。

色彩の点を重ねただけなのだが、砂丘に見える。

 

ウジェーヌ・ブーダン、「トルーヴィル近郊の浜」(1865年) 油彩・板

ノルマンディー地方出身の画家、ブーダンは海景画を得意とした。

彼の作品では多くの場合、低い位置に地平線が設定されている。

この作品でも上半分以上を空が占め、下部に浜辺と人々が描かれている。

ノルマンディー地方にある小さな漁村、トルーヴィルの浜辺に集うのは、流行の衣服をまとったパリの上流階級の男女。

左側のグループの中で、山高帽をかぶって立つ男性は、ロトシルド(ロスチャイルド)男爵、日傘をさして椅子にすわる白い衣服の女性は皇妃ウジェーヌ。

 

ピエール・ボナール、「海岸」(1920年) 油彩・カンヴァス

先に紹介した言葉に加え、ボナールにはもう一つ有名な言葉がある。

「絵画にまったくふさわしい公式がある。一個の大きな真実をつくり出すためのたくさんの小さな嘘」。

 

藤島武二、「屋島よりの遠望」(1932年) 油彩・カンヴァス

主に人物画を描いていた藤島武二が風景画を描くようになったのは1928年から。

風景画においては画面構成上、敢えて実景を変えているとのこと。

この絵においても中心をなす海面に意識を集中させるため、周辺の景色をぼかし省略して描かれている。

ピエール・ボナールに相通じる風景画だ。

 

次の旅の行き先は、イタリア、ヴェネツィア

ここではクロード・モネのヴェネツィア旅行について詳しく紹介されている。


クロード・モネ、「黄昏、ヴェネツィア」(1908年頃) 油彩・カンヴァス

この絵も好きで、「ブリヂストン美術館」の時から何度も観に来ている。

モネはヴェネツィアが気に入り、約二ヶ月の滞在中に約30枚の絵を制作している。

海の筆の静かなタッチと空の筆の激しいタッチの対比が見事。

 

この絵が「アーティゾン美術館」に収蔵されるまでの経緯も紹介されている。

 

クロード・モネ、「睡蓮」(1903年) 油彩・カンヴァス

モネの睡蓮の絵は、水面に写り込むイメージ、水面そのもののイメージ、そして水底のイメージ、その三つが絵画で表現されているように感じる。

 

クロード・モネ、「睡蓮の池」(1907年) 油彩・カンヴァス

まだ若かった頃、そしてここが「ブリヂストン美術館」だった頃のこと。

この絵の前に座り、一時間以上も絵を眺めていたことがある。

すると心が平安になり、迷いも消え、仕事の新たな着想も湧き、気持ちを新たにして美術館をあとにしたことを思い出す。

 

これでセクション2は終了。

セクション3へと続きます。

 

 

 

 

 

 

4月のこと、友人達と京橋の「アーティゾン美術館」で過ごす楽しい美術鑑賞の続き。

今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。

 

鑑賞している企画展は、”見る、感じる、学ぶ アートを楽しむ”。

セクション1は、”肖像画のひとコマ-絵や彫刻の人になってみよう”。

最初のテーマは昨日ご紹介した、”自画像”。

そして次のテーマは、”画家とモデル”。

 

アンリ・マティス「画室の裸婦」(1899年) 油彩・紙

画家にとってモデルの存在はとても重要。

マティスが学んだエコール・デ・ボザール(フランス国立美術学校)では19世紀後半から裸体の女性モデルが導入されている。

30歳の時のこの絵は、既にマティスらしい大胆な表現で描かれている。

 

アルベール・マルケ「フォーヴの裸婦」(1898年?)ボルドー美術館所蔵

マティスと共に学んだマルケの絵は、同じモデルを少し違う角度から描いている。

おそらく二人は並んでこの裸婦を描いていたのだろう。

マルクの絵に記入されている1898年の年号は、1899年の間違いだと考えられている。

 

アンリ・マティス「縞ジャケット」(1914年) 油彩・カンヴァス

モデルは娘のマルグリット。

軽快なタッチで描かれ、これだけ抽象化しながら人物の個性をしっかりと表現していることは驚き。

顔の表現を見ていると、後年没頭した切り絵の要素を感じることができる。

 

アンリ・マティス「青い胴着の女」(1935年)

モデルは、マティスの秘書も兼ねていたリディア・デレクトルスカヤ。

1934年頃からマティスが他界する1954年までマティスのモデル兼秘書を務めている。

 

マティスは絵の制作途上を撮影していて、この絵にも三枚の写真が残されている。

左上から1935年6月4日、6日、22日の日付で、完成作品は下書きから随分変化している。

 

アンリ・マティス、「ジャッキー」(1947年) インク・紙

1954年に84歳で他界したマティスの晩年の作品。

モデルは孫娘のジャクリーン・マティス・モニエで、16歳の時のもの。

マティスのデッサンは心に浮かんだものを力強い線で一気に描いている。

 

パブロ・ピカソ、「画家とモデル」(1963年) 油彩・カンヴァス

単純化、抽象化された絵の中には、居心地の良さ、温かさを感じることができる。

 

次のテーマは、”道化師の肖像”。

 

パブロ・ピカソ、「道化師」(1905年) ブロンズ

道化師、ピエロは、多くの芸術家に題材として取り上げられている。

パリに来て一年目の若きピカソ(24歳)は、メドラノ・サーカスを観て帰宅後にこの像の制作に取り掛かったとのこと。

 

アンリ・トゥールーズ=ロートレック、「サーカスの舞台裏」(1887年頃) 油彩・カンヴァス

18歳で画家を志しパリに出てきたロートレックは、モンマルトルで劇場やダンスホールやサーカスに通い、そこで働く人々を描き始める。

この絵はフェルナンド・サーカス(後のメドラノ・サーカス)の舞台裏を描いたもの。

 

アンリ=ガブリエル・イベルス、「サーカスにて」(1893年) 4色刷りリトグラフ

線や色を重視した抽象的な表現で、サーカスや前衛的な演劇を題材として描いた版画家・イラストレーター。

この絵にはその特徴が良く表されている。

 

ジョルジュ・ルオー、「芝居の呼び込み」(1906年) 油彩・カンヴァスで裏打ちされた紙

家具職人の家に生まれ、ステンドグラス職人のもとで修業をした労働者階級出身のフォーヴィスムの画家。

場末の市にかかるサーカスや旅回りのサーカスに親しみ、サーカスを題材とした多くの絵を描いている。

 

ジョルジュ・ルオー、「ピエロ」(1925年) 油彩・紙

自分を含む人間すべてを道化師とみなしていたルオーが描くピエロは、静かに目を閉じ人生の重みを噛みしめているかのようだ。

ルオーが描くキリストの絵にも相通じ、宗教画のようにさえ見える。

ルオーの絵を観ると、本郷の赤門前にあった『喫茶ルオー』を想起する。(今は正門寄りに場所を移して再開。)

本物のルオーの絵が飾られていたこの店で、一杯のコーヒーを飲みながら何時間も難解な経済モデルの数式を解いていたことを思い出す。

 

パブロ・ピカソ、「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923年) 油彩・カンヴァス

サルタンバンク=旅芸人とは思えない、重厚な存在感を持つ、端正な顔立ちの若者。

ピカソの新古典主義時代の代表作の一枚だ。

この絵はピアニストのウラディミール・ホロヴィッツが所有していたことでも有名。

この絵の不思議なところは、画面左側に鉛筆による下書きのような人物がうっすらと残っている点。

 

そして更に不思議なことに、近年の科学調査により、うっすらと残る人物とは別に、サルタンバンクに寄り添う女性の姿が元々は描かれていたことが判明している。

 

セクション2は、"風景画への旅-描かれた景色に浸ってみよう"。.

 

最初の旅は、銀座。

 

岸田劉生、「街道(銀座風景)」(1911年頃) 油彩・カンヴァス

フィンセント・ファン・ゴッホに惹かれていた時代に描かれた作品。

20歳の時に、銀座通り(中央通り)銀座二丁目にあった実家近くの銀座通りの景色を描いたもの。

画面の半分以上を明るい路面が占めるという面白い構図。

右端に路面電車が描かれているが、軌道や架線は省略されている。

 

次の旅は、パリ。

パリには多くの芸術家が集まり、モンマルトルやセーヌ川は彼らの良い画題となっていた。

 

ケース・ヴァン・ドンゲン、「シャンゼリゼ大通り」(1924-25年) 油彩・カンヴァス

パリで活躍したオランダ出身のフォーヴィスムの画家。

第一次世界大戦後の、開放的な雰囲気、軽やかなファッションが活き活きと描かれている。

アーティゾン美術館の中で、私のお気に入りの絵のひとつだ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ、「モンマルトルの風車」(1886年) 油彩・カンヴァス

ゴッホのパリ時代の絵。

オランダ出身のゴッホにとって、モンマルトルの丘にある風車は懐かしい景色だったのだろう。

でもこの風車はオランダのそれとは違い、ダンスホールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。

 

モーリス・ユトリロ、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1933年) 鉛筆、パステル、紙

モンマルトルの丘の麓に生まれたユトリロにとっては、この風車は馴染みのある画題で数多くの絵を描いている。

 

アンリ・ルソー、「イヴリー河岸」(1907年頃) 油彩・カンヴァス

イヴリーはパリ南東部のセーヌ川沿いの工業地帯。

長閑な景色に見えるが、工業化を示す工場の煙突や飛行船が描かれている。

 

岡鹿之助、「セーヌ河畔」(1927年) 油彩・カンヴァス

童話の挿絵になるような可愛い絵だ。

岡は1925年(大正14年)にパリに渡り、第二次世界大戦勃発までの14年間を過ごした。

この絵を観ると、ルソーの影響が感じられる。

 

梅原龍三郎、「ノートルダム」(1965年) 油彩・金箔押しした羊皮紙

1908年(明治41年)にパリに渡り、戦後は1956年(昭和31年)から頻繁に渡欧している。

若いころから慣れ親しんだノートルダム寺院を題材に描いた作品。

 

モーリス・ユトリロ、「パリのアンジュー河岸」(1929年) 油彩・カンヴァス

アンジュー河岸は、パリ中心部、4区のセーヌ川沿いにある。

左手に描かれた立派な建物は、建築家ルイ・ル・ヴォーによって建てられたランベール館。

 

更に続く旅は、ニューヨーク。

 

猪熊弦一郎、「都市計画(黄色 No.1)」(1968年) 油彩・カンヴァス

ニューヨークで活躍した猪熊がニューヨークの街を俯瞰的に表現した作品。

表現様式は日本の畳や絣の文様を想起させ、日本的な美的感覚が斬新であると評価された。

 

友人たちと楽しむ美術鑑賞は続きます。

 

 

 

 

 

 

友人達と日本橋の『富錦樹台菜香檳(フージンツリー)』で台湾料理とワインのランチを楽しんだ後は、京橋に移動。

今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。

 

今日はランチの後に、日本橋クルーズの船を予約していた。

ところが、雨のため欠航。

そこで私が代案として提示したのは、日本橋から近い順に、「三井記念美術館/どうする家康展」、「アーティゾン美術館/アートを楽しむ」、「アートアクアリウム/めっちゃSAKURA」。

皆さんが選んだのは、「アーティゾン美術館」。

そこで、ランチ中にネットで「アーティゾン美術館」のチケットを購入。

 

まず向かったのは、6階展示室で開催されている、”ダムタイプ|2022:remap”。

 

この展示は、第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示に選出された「ダムタイプ」の作品を再構成したもの。

「ダムタイプ」は、ヴィジュアル・アート、映像、コンピューター・プログラム、音楽、ダンス、デザインなど、様々な分野の複数のアーティストによって構成されるグループ。

メンバーは10人で、その中には坂本龍一氏も含まれていた。

 

「アーティゾン美術館」と「ダムタイプ」の、坂本龍一氏への追悼文も掲示されている。

 

展示室内はほとんど真っ暗で、不思議なサウンドに満たされている。

 

空間に色々な映像が浮かび上がる。

 

不思議な音の源は、ここ。

 

このレコード盤から流れるサウンドは、坂本龍一氏の作品。

 

5階展示室では、今回のメインイヴェントの企画展、”見る、感じる、学ぶ アートを楽しむ”。

 

この企画展は、”肖像画のひとコマ-絵や彫刻の人になってみよう”、”風景画への旅-描かれた景色に浸ってみよう”、”印象派の日常空間-近代都市パリにいってみよう”の三部構成。

 

セクション1は、”肖像画のひとコマ-絵や彫刻の人になってみよう”。

このセクションでは、多くの自画像を残した17世紀オランダの画家レンブラント・ファン・レインから、肖像画の名手、19世紀フランスの画家エドゥアール・マネ、道化師がモティーフのパブロ・ピカソ、美術家の森村泰昌が青木繁に触発されて制作した作品まで、「アーティゾン美術館」を代表する肖像作品が紹介されている。

 

最初のテーマは、”自画像”。

 

レンブラント・ファン・レイン、「帽子と襟巻を着けた暗い顔のレンブラント」(1633年) エッチング

 

27歳の時に制作された初期の作品。

既にこの頃から影と光の表現を追求していたことがわかる。

 

中村彜、「自画像」(1909-10年) 油彩・カンヴァス

日本で自画像が描かれるようになるのは明治以降。

中村彜はレンブラントの画集を繰り返し見ながらこの自画像を描いたのだそだ。

暗い自画像だ。

”にがむし”という別名が付いている。

中村彜(つね)は幼い頃に、両親、姉、兄を亡くし、自身も肺結核で身体が弱かった。

37歳で夭逝している。

 

青木繁、「海の幸」(1904年) 油彩・カンヴァス

一人だけいる顔の白い青年が本人の自画像だと言われています、と皆さんにお話ししたが、肝心の人物が照明の反射で見えない。

 

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これは一年前に撮影した画像。

随分色合いが異なるが、こちらを見る白い顔の青年を見ることが出来る。

青木繁の息子が尺八奏者の第一人者、福田蘭堂で、その息子、つまり青木繁の孫が石橋エータローなのですよ、とご紹介。

福田蘭堂は釣りの名人としても有名で、彼の著書、「釣った魚はこうして料理」は愛読書の一つ。

 

森村泰昌、「M式「海の幸」第1番:假象の創造」(2021年) 発色現像方式印画、透明メディウム

森村氏自身が作中の一人一人に扮して撮影し、背景や三匹のサメ、銛は小型模型を製作して撮影、それらの画像をコンピューターに取り込んで合成した作品。

 

青木繁、「自画像」(1903年) 油彩・カンヴァス

随分老けて見えるが、21歳の時の作品。

8年後の29歳で夭逝している。

 

森村泰昌、「自画像/青春(Aoki)」第1番:假象の創造」(2016/2021年) 発色現像方式印画

これも同じ方式で制作された作品。

 

エドゥアール・マネ、「自画像」(1978-79年) 油彩・カンヴァス

マネは肖像画の名手だが、自画像は1878-79年(46-47歳)の時に描かれた2枚のみ。

精緻に描かれた顔に較べ、下半身や背景は簡略化されており、それがマネの存在感を一層高めている。

この絵は鏡に映った自分を描いているため、ジャケットが右前となり、不自由な左脚で身体を支える、有り得ない構図となっている。

マネはこの4年後、51歳で他界している。

 

ナダール(フェリックス・トゥールナション)、「エドゥアール・マネ」 鶏卵紙

これが実際のマネの写真。

左脚側は椅子で支えている。

 

これが、もう一枚の自画像、「パレットを持った自画像」(1879年)。

これは「アーティゾン美術館」にはなく、個人蔵。

 

ポール・セザンヌ、「帽子をかぶった自画像」(1890-94年頃) 油彩・カンヴァス

モデルを使うことを苦手とするセザンヌは、生涯30点を超える自画像を描いている。

意図的な塗残しが、画家の厳格な存在感を引き立てている。

 

小出楢重、「帽子をかぶった自画像」(1924年) 油彩・カンヴァス

8点の自画像を描いているが、これは36歳の時に描いた唯一の全身像。

画中では左手に絵筆を持っているが、これも鏡に映った姿を描いたので左右逆転しているのだろうか。

 

小出楢重の写真を見ると、絵筆は右手に持っている。

 

こんなコーナーもある。

私は右手に絵筆を持っているが、後方の鏡の中では持ち手は左になっている。

 

次のテーマは、”画家とモデル”。

長くなったので、この続きはまた明日。

 

 

 

 

 

日本橋の台湾料理の名店、『富錦樹台菜香檳(フージンツリー)』で友人達と過ごす楽しいランチの続き。

 

樹子水蓮、水蓮菜と木の実の炒め。

水蓮菜は台湾で一番美味しい野菜と言われ、高雄市郊外の美濃という場所でのみ栽培されている。

長さ3mに及ぶ水草で、和名はタイワンガガブタ。

 

水蓮菜は歯応えが良く美味い。

加えられている木の実は、破布子(ハブシ)で、別名は樹子。

ムラサキ科のカキバチシャノキ(和名はイヌジシャ)の果実で、生は有毒。

茹でて醤油漬けにし、調味料として使われる。

 

水蓮菜とシャルドネが良く合う。

 

飲んでいるのは、カリフォルニアのベリンジャー、ファウンダーズ・エステート、シャルドネ、2021年。

 

老皮嫩肉、台湾揚げ出し豆腐。

 

豆腐は玉子豆腐。

オイスターソースが美味い。

 

糖醋百花油條、揚げパンと海老すり身の甘酢炒め。

 

添えられたエディブルフラワーと共にいただく。

ドラゴンフルーツとキウイが良い仕事をしている。

 

蜜棗雞、鶏唐揚げの棗ソース和え。

 

棗ソースが鶏唐揚げの美味しさを引き立てている。

生の棗と干した棗の両方が使われている。

 

赤ワインを抜栓。

カリフォルニアのベリンジャー・ヴィンヤーズが造る、ベリンジャー、ファウンダーズ・エステート、カベルネ・ソーヴィニヨン、2021年。

ベリンジャーは1876年にナパ・ヴァレーに設立された、ナパで最古の歴史あるワイナリー。

 

カシス、プルーン、ブラックベリーなどの豊かな香り。

黒果実の強い果実味、シルキーなタンニンを持ち、酸味は控えめ。

熟成はフレンチオークの樽(85%)とアメリカンオークの樽(15%)で5か月間。

 

白ワインの最後のグラスと共に、並行飲み。

 

油條蒜蓉鮮蚵、牡蠣と揚げパンのニンニクソース。

 

プリプリの広島産の牡蠣がたっぷり。

添えられているのはバジルの葉。

 

蜜棗煨肉、豚バラ肉の角煮、棗とハイビスカスのソースはここの人気メニューで、私も毎回食べている。

 

松花蒼蠅頭、ハナニラとピータン豚挽肉のピリ辛炒め。

 

米飯、赤米入りご飯。

 

ご飯に豚挽肉のピリ辛炒めを乗せて食べるととても美味い。

右横に豚バラ肉の角煮が見えている。

 

デザートは、豆花、キビ砂糖のシャーベット。

 

最後に四人で記念撮影。

 

飲んだ二本のワインの空き瓶に別れを告げ、満腹で席を立つ。

 

今回の食事も美味しかった。

やはりここは好きなお店だ。

ゆっくり食事を楽しんだので、満席だった店内もこの時間は空席が目立つ。

 

このフロアーには、台湾の誠品生活が入っている。

台湾発の”世界で最もクールな百貨店”と言われ、50店舗目となる日本橋店は中華圏外では初の出店。

友人達と過ごす、日本橋の楽しい午後は続きます。

 

 

 

 

 

 

記事は時系列に戻り、4月のこと、友人達と日本橋でランチの約束。

 

日本橋の地下道には、”熈代勝覧”の展示。

原画はベルリン国立アジア美術館に所蔵されている。

 

この絵巻は原画を約1.4倍に拡大し、全長約17mと、とても長い。

文化2年(1805年)の江戸の、日本橋から今川橋までの大通り(現在の中央通り)を東側から俯瞰描写した作品で、絵師は不明。

 

絵巻の上下には詳しい説明が入っていて興味は尽きないが、詳しく見ると時間が掛かる。

 

作品には88軒の問屋や店、1671人の様々な職業の人、犬20匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹2羽が生き生きと描かれている。

 

今日のお店は、「コレド室町テラス」の中。

外は雨なので、地下鉄から地下道直結が嬉しい。

 

ここは台北で人気の高級台湾料理店が海外に初出店したお店。

 

『富錦樹台菜香檳(フージンツリー)』のコンセプトは、”台湾料理でシャンパーニュ”。

 

入り口側の席はランチの客で満席。

奥のこの一角は予約席で、今はまだ空いているが、テーブルはすべて予約済。

 

春や秋は広いテラスで食事をするのも楽しい。

今日は雨だが、大きなガラス屋根があるので濡れる心配はない。

 

テーブルには四人分のセッティング。

ワインリストをもらい、今日のワインを選ぶ。

最初のページは全てシャンパーニュ。

 

生ビールで乾杯。

今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。

 

生ビールはハートランド。

 

富錦樹開胃菜、前菜三種盛合わせ。

 

黒キクラゲの黒酢和え。

 

三色の玉子焼き、ピータン入り。

 

胡瓜の甘酢和え、山椒と唐辛子添え。

 

特調白斬雞、冷製ゆで鶏の柑橘醤油添え。

パクチーとニンニクがたっぷり入ったソースが上品な味わいでとても美味い。

 

青パパイヤのようにも見えるが、これはたっぷりの針生姜。

 

生ビールを飲み干すと、白ワインを抜栓。

カリフォルニアのベリンジャー・ヴィンヤーズが造る、ベリンジャー、ファウンダーズ・エステート、シャルドネ、2021年。

 

ベリンジャーは1876年にナパ・ヴァレーに設立された、ナパで最古の歴史あるワイナリー。

ベリンジャーのワインには外れが無いので、アメリカでもよく飲んでいた。

 

熟した洋梨やパイナップルの香り。

カリフォルニアの太陽の恵みを感じる果実味。

とてもバランスが良いシャルドネだ。

熟成はフレンチオークの樽で4ヶ月。

友人達と過ごす、日本橋の楽しい午後は続きます。

 

 

 

 

 

 

9月のある休日、友人たちと過ごす町田散策の楽しい午後の続き。

今日のメンバーは、naonaoさん、mayuさん、そして私。

 

向かった場所は、町田仲見世商店街。

 

昭和な商店街が今も残っているとは素晴らしい。

 

かなり古びてはいるが、どのお店も元気に営業しているのは見ていて嬉しくなる。

 

このタイ料理店は雰囲気があって良さそうだ。

 

次回はここで食べたいね、と話しが弾む。

 

naonaoさんが昔からよく知っているお豆腐屋さんに立ち寄る。

 

糠漬けが美味しそう。

 

三人とも、茄子、胡瓜、蕪の糠漬けを購入。

 

おじさんによると、昔ながらのお店がどんどん閉店し、飲食店に代わっているとのこと。

このお店には元気で頑張ってもらいたい。

撮影してよいですかと聞くと、ピースサインをしてくれた。

 

もう少し飲んで帰ろうということでお店を探したが、ランチとディナーの間の中途半端な時間ということで、なかなか営業しているお店がない。

ようやく見つけたここに入店。

 

皆さん同じ思いでここに辿り着いたのだろうか、この時間にしてはそこそこ客が入っている。

 

箸袋を見て初めて、ここが『木村屋本店』というお店であることがわかる。

 

お通しは、糸こんにゃくの煮込みとペンネのクリームソース。

 

三人で乾杯。

ランチにイタリアンでワインを飲んできているので、選んだのはレモンサワーと生ビール。

 

ここの生ビールは、プレモル。

 

まだお腹がいっぱいなので、おつまみは枝豆だけ注文。

 

生ビールを飲み干すと、mayuさんと私はメガハイボール。

 

ここのアルコール飲料はサントリーのようだ。

 

話しが盛り上がり時間を忘れてしまった。

気が付くと、他のテーブルはほとんど空いてしまっている。

私たちもそろそろ帰途に就くことにしよう。

友人たちと過ごす、楽しい町田の午後でした。

 

 

 

 

 

 

9月のある休日のこと、友人達と町田のイタリアン、『トラットリア テッラ・マジカ』で過ごす楽しい午後の続き。

今日のメンバーは、naonaoさん、mayuさん、そして私。

 

白ワインのボトルを飲み干すと、mayuさんが選んでくれた赤ワインを抜栓。

 

マルケ州のアントニオ・ファイローニが造る、ロッソ・ピチェーノ、2017年。

 

アントニオ・ファイローニは1990年創業の家族経営のカンティーナ。

このワインはオーガニック。

EUのオーガニック認証マーク、ユーロリーフが付いている。

 

三人で乾杯。

濃厚な果実味としっかりとしたタンニンを持つ、リッチなヴォリューム感のあるボディ。

アルコール度数も14%と高め。

ぶどうは、モンテプルチアーノ、サンジョヴェーゼ、メルロー。

 

肉料理用のカトラリーが届く。

 

ナイフもフォークもラギオール。

ナイフだけラギオールが出される店が多いが、ここはフォークもラギオールで合わせるとは素晴らしい。

 

naonaoさんのメイン料理は、愛媛県伊予灘産鮮魚のソテー。

魚は片方は真鯛、もう片方は失念。

 

mayuさんのメインは、ハンガリー産鴨の胸肉のオーブン焼き。

 

私のメインは、スペイン産イベリコ豚(ベジョータ)のオーブン焼き。

 

仔牛肉かと見紛うような焼き色。

ジューシーで旨みが凝縮されていて美味い。

 

食後も赤ワインが残っていたので、パルミジャーノ・レッジャーノを出してもらう。

 

ここでサプライズ。

不覚にも全く予想していなかったので、本当に驚いてしまった。

 

ハピバプレートを前に、記念撮影。

naonaoさん、mayuさん、本当にありがとうございます。

 

三人に取り分け、美味しくいただく。
 
コーヒーを飲みながらも、楽しく話しは続く。
 
気が付くと、お店に残っているのは私達だけ。
 
ランチ営業の終了時間となってしまった。
 
『トラットリア テッラ・マジカ』を出ると、町田の繁華街を散策。
 
『もへじ』を見付けた。
三日後に丸の内に新しく出来た『もへじ』で食事をする予定だったので、思わず撮影。
 
富澤商店には前回来た時も立ち寄った。
食材の種類が豊富なお店だ。
友人達と過ごす、町田の楽しい午後は続きます。
 
 

 

 

 

 

またまた時系列を飛び越して、9月の記事をアップ。

9月のある休日のこと、友人達とのランチに町田に降りたつ。

 

小田急線東口を出ると、徒歩僅か1分でお店に到着。

 

ランチのお店は、イタリアンの『トラットリア テッラ・マジカ』。

 

予約名を告げると、この優雅な階段を上り2階に案内される。

 

二階には広々としたダイニングルーム。

 

店内には既に多くの客が訪れているが、その全員が女性客。

私は今日も黒一点となってしまいそうだ。

 

ご一緒するお二人は既に到着されていたので、早速冷えた白ワインで乾杯。

メンバーは、naonaoさん、mayuさん、そして私。

ここはnaonaoさんの行きつけのお店。

前回同じメンバーで町田で食事をした時に、二次会で連れて来ていただいた。

その時にこのお店が気に入り、次はちゃんと食事をしたいとお願いし、今回の会となった。

 

前回の訪問記事はこちら。

 

 

ソムリエ・エクセレンスのmayuさんに選んでもらったワインは、カンパーニャ州のペティーリアが造る、ペティーリア、フィアーノ・ディ・アヴェッリーノ、2019年。

 

ペティーリアは2000年に設立された若いカンティーナ。

このワインのぶどうはフィアーノ100%で、ペティーリアはフィアーノを始め、グレコ、アリアニコなどのカンパーニャの地ぶどうを用いた高品質のワインを生み出している。

 

フィアーノ・ディ・アヴェッリーノは、2003年にDOCGに昇格している。

グレープフルーツ、夏ミカンの香り。

辛口のアタック、そのあとに姿を現す豊かな果実味、ナッツのニュアンスも、そして後味はかなりドライ。

 

二種のパンがどちらも美味い。

お供はE.V.オリーブオイル。

 

アンティパストミストが届く。

 

カボチャの冷製スープ。

 

モルタデッラとフランス産プロシュート。

ここはイタリアンだがフランス産なので、ジャンボン・クリュと言うべきか。

生の無花果が嬉しい。

 

イナダのカルパッチョ。

 

自家製スモークサーモンのクロスティーニ。

その奥に少し見えているのが水牛のモッツァレラチーズ。

 

mayuさんのパスタは、スパゲッティ、焼きナスとトウモロコシのトマトソース。

 

naonaoさんと私のパスタは、スパゲッティ、魚介のラグーとエリンギ、しめじのペペロンチーノ。

 

魚介のラグーソースがとても良い味をだしている。

アンティパストとパスタで白ワインを飲み干したので、赤ワインを選ぶことにしよう。

友人達と過ごす、町田のイタリアンでの楽しい午後は続きます。