ちょっと間が空きましたが、京橋の「アーティゾン美術館」でちぃさんと過ごす美術鑑賞の楽しい午後の続き。
6階で、”写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策”、5階で、”Transformation 越境から生まれるアート”の二つの企画展を楽しんだ後は、4階に移動し、”石橋財団コレクション選”を鑑賞。
ここでは特集コーナー展示、”ピカソとミロの版画-教育普及企画-”も観ることができる。
ここからは名画がずらりと並ぶ。
カミーユ・コロー、「ヴィル・ダヴレー」(1835-40年)。
コローならではの奥行きのある風景画。
父親が購入した別荘がヴィル・ダヴレーにあり、その一室をアトリエにして絵画制作に励んだのだそうだ。
カミーユ・ピサロ、「菜園」(1878年)。
パリの北西約40kmにある街、ポントワーズに度々滞在し、膨大な量の絵を制作している。
この「菜園」はポントワーズの名産品、キャベツの畑を描いたもの。
アルフレッド・シスレー、「サン=マメス六月の朝」(1884年)。
サン=マメスはパリの南東約60kmにあるフォンテーヌブローの森の東にある小さな村。
印象派の風景画家の真骨頂ともいえる作品で、特徴のひとつである”青で表現された影”を観ることができる。
エドゥアール・マネ、「オペラ座の仮装舞踏会」(1873年)。
シルクハットと燕尾服の上流階級の男性達と一緒に居るのは、踊り子や高級娼婦達。
今からオペラが開演するのだろうか、人々の興奮や熱気が感じられる。
クロード・モネ、「黄昏、ヴェネツィア」(1908年頃)。
この絵も好きで、「ブリヂストン美術館」の時から何度も観に来ている。
モネはヴェネツィアが気に入り、約二ヶ月の滞在中に約30枚の絵を制作している。
海の筆の静かなタッチと空の筆の激しいタッチの対比が見事。
ポール・シニャック、「コンカルノー港」(1925年)。
まるでモザイクのようなシニャックの絵も好きだ。
そう言えば、ゴッホも新印象派の手法の絵を試していた。
コンカルノーはブルターニュの港町。
モーリス・ド・ヴラマンク、「運河船」(1905-06年)。
マティスやドランと共にフォーヴィスム運動の中心的画家。
20世紀初頭は工場の煙突がもくもくと煙を吐き出していたことがわかる。
アンリ・マティス、「画室の裸婦」(1899年)。
点描で描かれた作品。
台の上でポーズをとるモデルの周りには、画学生。
裸婦像は絵を学ぶ者にとって重要な画題。
アンリ・マティス、「縞ジャケット」(1914年)。
モデルはマティスの長女、マルグリット。
私でも描けそうに思えるが、実際にはこんなきれいなバランスと色使いで描くことはできない。
アンリ・ルソー、「牧場」(1910年)。
66歳での没年に描かれた作品。
不思議な絵だ。
遠近法や対象物の前後関係などを無視しているのだが、観る者の心を和ませる力がある。
フィンセント・ファン・ゴッホ、「モンマルトルの風車」(1886年)。
ゴッホのパリ時代の絵。
オランダ出身のゴッホにとって、モンマルトルの丘にある風車は懐かしい景色だったのだろう。
昨年秋にゴッホ展を観たばかりなので、どの時代の作品かだいたいわかる。
ゴッホ展の記事はこちら。
ポール・ゴーガン、「馬の頭部のある静物」(1886年)。
ゴーガンも新印象派の手法で絵を描いていたのか。
それにしても不思議な静物画だ。
ギリシャ彫刻の馬の頭部、中国とも日本とも思える人形、そして和の団扇。
この後ゴーガンは日本美術の技法を学び、平面的な単純化の画風を確立していくこととなる。
ジョルジュ・ルオー、「ピエロ」(1925年)。
人々を楽しませるピエロが持つ、深い悲しみ。
ルオーは家具職人の家に生まれ、ステンドグラス職人のもとで修業をした労働者階級出身のフォーヴィスムの画家。
社会の底辺の人々やキリストを多く描いた。
ルオーの絵を観ると、本郷の赤門前にあった『喫茶ルオー』を想起する。(今は正門寄りに場所を移して再開。)
本物のルオーの絵が飾られていたこの店で、何時間も一杯のコーヒーを飲みながら難解な経済モデルの数式を解いていたことを思い出す。
ジョルジュ・ルオー、「郊外のキリスト」(1920-24年)。
パリの場末の貧しい親子を描いた絵。
夜に小さな子供を連れて路上を歩く家族。
胸を締め付けられるような悲しさ、侘しさ、そしてそこには家族を見守るルオーの、いやキリストの温かい眼差しを感じることが出来る。
パブロ・ピカソ、「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923年)。
ピカソの新古典主義の時代の終盤の作品。
サルタンバンクとは、大道芸人のこと。
海外で一番最近にピカソ展を観たのは、コロナの前、パリの「オルセー美術館」でのこと。
その時の記事はこちら。
その前に観たピカソの作品は、バルセロナの「ピカソ美術館」。
その時の記事はこちら。
マリー・ローランサン、「二人の少女」(1923年)。
マリー・ローランサンの絵は誰が見てもそれとわかる独自の画風を確立している。
ドイツ人男爵と結婚したため、第一次世界大戦ではスペインへの亡命を余儀なくされたが、離婚後パリに戻り、パステルカラーの美しい画風で20年代には時代の寵児となった。
西麻布の『レストランひらまつ レゼルヴ』にも絵が飾られているので馴染みのある画家だ。
ケース・ヴァン・ドンゲン、「シャンゼリゼ大通り」(1924-25年)。
パリで活躍したオランダ出身のフォーヴィスムの画家。
第一次世界大戦後の、開放的な雰囲気、軽やかなファッションが活き活きと描かれている。
ラウル・デュフィ、「オーケストラ」(1942年)。
マティスの影響を受けたフォーヴィスムの画家。
音楽家一家に生まれたことから、楽器、譜面、そしてオーケストラの絵を多く描いている。
オーギュスト・エルバン、「コンポジション、抽象」(1925年)。
キュビスムを自らの幾何学的抽象絵画に発展させたフランスの画家。
私には評価能力なし。
フェルナン・レジェ、「抽象的コンポジション」(1919年)。
何を描いているのか、などど考えてはいけないのだろうか。
画家になる前は建築の製図工だったと聞けば、何となくわかる気もする。
ジャン・メッツァンジェ、「円卓の上の静物」(1916年)。
新印象主義、フォーヴィスムから、キュビスムに転じた画家。
遠目にはブラックの絵かと思ったが、ブラックよりは色彩が豊か。
アルベール・グレーズ、「手袋をした女」(1922年頃)。
キュビスムの画家。
女性の肖像画を幾何学的図形の集積で構成する試みの作品。
ジーノ・セヴェリーニ、「金管奏者(路上演奏者)」(1916年頃)。
イタリア出身の、パリで活躍した画家。
キュビスム的要素が強い絵を描いている。
長くなるので今日はここまで。
”石橋財団コレクション選”鑑賞記は続きます。