私についてお伝えするのに
母を避けては通れません。
最初に母の話を聞いて頂けますか?
母は山口県に生まれました。
農地改革前は、
たくさんの農地を所有していて
乳母に育てられたとか。
名家の娘だった母は、
それはそれは厳しいしつけで
育ったそうです。
「○○の家のものとして
恥ずかしい事はしないように。」
が家訓。破ると真っ暗な蔵に
閉じ込められる。
母の祖父は町長。
母の父は校長先生だったので
どこへ行っても人の目があって、
自由がない。
母は、とても器用な人で、
和裁も洋裁もこなしました。
何かを作っていると幸せ。
高校を卒業する頃、
素晴らしい洋服をデザインする
杉野芳子さんに憧れを持った母は
彼女の作った杉野女子短期大学に
内緒で願書を送り、
寝台列車に乗って逃げるように
東京へ出て受験、そして合格。
結果的には許可を得て
仕送りをもらったそうですが、
グングンとその才能を発揮して
洋服を作る毎日。
そんな中で素敵な恋をして、
初めての自由を味わい、
もちろん家には帰りたくありません。
でも、卒業したら戻るのが条件。
母はまじめで、親や親せきを
悲しませたくなかったので
泣く泣く家へ帰りました。
そんな時代だったのでしょう。
その後は地元の病院の検査技師として
結婚までの花嫁修業。
次々とやってくる縁談の中で
父と出会います。
心に決めている人は東京にいるし、
好みではないし何度も断りました。
でも母に一目ぼれした父は
あきらめない。
父は小学校から大学まで
無遅刻無欠席、成績もよく
真面目なところが好まれたのです。
最後は、親戚中に囲まれ、
もう年も年なのに(たった22歳;;)
こんないい縁談を何で断るんだと
脅されて、結婚を承諾。
母は、6人兄弟の3男で
名家だけれど布団袋一つの父と
横浜で新しい生活を始めるのでした。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
ブログを最後まで読んで頂き、
ありがとうございます。
いつも感謝の気持ちでいっぱいです
ここだけのお役立ち情報発信中
公式ラインに登録下さい↓↓↓