木島亭年代記 -2ページ目

木島亭年代記

東北在住。
最近は映画も見てなきゃ本も読んでない。
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今年も終わろうとしている。誰にとっても厳しく辛い冬のような一年だった。そしてそれは来年も下手をすれば数年も続きそうである。それどころか、終わりはあるのだろうか。先の見えない、濃密な闇のような時代が始まった。終わりの見えない地獄と言うのは、ただの地獄より、きつく重い。そうはいっても、と言うより、他に選択肢はないから、我々はそれでも生きていかなきゃならないし、日々を一日一日消化していく他ない。よくよく考えれば、ずっと昔から、何があっても、大きな事件がなくても、そうやってやっていったのだから、大筋は同じだ。

とは言うものの、当たり前が当たり前でなくなると言うのはしんどい。やるのはやるけど、しんどい事に代わりはない。愚痴の一つや二つ、十や二十、なんなら千や二千、言いたくなるし、言わせてもらいたい。今年はいろんなことがおじゃんになったし、100万単位の損失もあったりしてかなりこたえた。良いこともあった。もちろん。生きてるだけで良いこともある。当たり前だ。

来年こそ良い年になんてとても楽観的には言えないが、祈るのは自由だ。人が人であるためには多分希望が必要だし、幸い希望はタダだ。だから、祈るだけ祈る。時折腹をたてながら、時々悲観しながら、良いことありますようにと、信じてもない神様に祈る。

こうやってポエム調の文章を吐き出せるのはブログの良いところであり悪いところでもある。

さて、今年は、ろくに映画も舞台も、見てないが、来年は頑張るかな

それでは良いお年を
 
新型コロナの影響で、周辺もいささか物寂しい。飲み会何てご法度だし、ミーティングもWebがほとんどで、職場ですら決まりきった人たちとしか会わない。映画館に行くこともままならないし、ライブや演劇は余計にハードルが高い。とは言え、話題の「鬼滅の刃」は観に行ったし、チケットがキャンセルできなかった劇団四季の舞台も観に行った。けれど、そう言ったものを観に行ったことをだれかに言うのが憚れるし、少々の罪悪感すらある。厭な世の中だ。

今年映画館で見たのは、先述した「鬼滅の刃」とアカデミー賞を獲った「パラサイト」の二本だけだ。コロナの影響も大きいが、年齢の影響もある。物語を消費する欲求がかなり薄れてきているのだ。昔はどうしてあんなに夢中になれたのだろうか。また小説に関してもこれといったものはほとんど読んでいない。ただ、2つだけ長編漫画を読んだ。ひとつはさっきから何度もあげている「鬼滅の刃」で、もうひとつは「約束のネバーランド」という漫画だ。

昔、宇野某が書いた評論で、「バトルロイアル」以降、物語は残酷な世界でサバイバルする若者が主役になると言うような(ずいぶん昔に読んだので正確には覚えてない)事が書いてあったが、今あげた2作品はまさにそれで、前者は「鬼」よって世界を壊された子供たちが命を賭けて残酷な戦いに送り込まれる物語だし、後者は「鬼」の餌になるため養殖されていた子供たちがそこから逃げ出自由を勝ち取るお話だ。両者ともに残酷であり、描写もなかなかハードだ。

コロナ以前から、子供たちは、守られるべき存在を放棄され、自ら過酷な世界を戦って生きなくてはならないという物語にシンパシーを感じるようになっていた訳だが、ここに来て更にその状況は悪化しているように見える。自助という政府、自己責任論の蔓延、所謂正しさというのは失われ、代わりに損得が異常に幅をきかせ、矜持みたいなものを掲げると馬鹿にされてしまう。物事は数字にコントロールされ、曖昧なものは避けられる。弱者より強者にスポットが集まる。

昔からそうだったのかもしれないが、国をはじめそれを隠そうもしなくなり、それによって状況は更に悪化している。まあ、そっちが正しいという人たちが増えているから、彼ら彼女らにとっては、状況は改善しているわけだが。

こっから先、強さを求められていく傾向は更に増していくんだろうと思うと、気が滅入る。漫画の残酷な表現はもはや眉をひそめるような蓋を閉めて隠蔽しとくべきものではなく、堂々と「これが現実の比喩」と遠慮なく大勢で享受すべきものになっているのかもしれない。

かつて、暴力表現について、「目を背けてはいけない。これが現実のある種の側面なんだ」って世間の批判に対して噛みついていた人々は、私を含めてこの現状をどう感じてるのだろうか。もはや暴かれたところで誰も痛痒すら感じなくなっている様に見える。






ハハノシキュウっていうラッパーがいる。男性のラッパーで、華奢な体つきをしていて、髪が長く、独特のダミ声でライミングをする。とにかく観ただけで異質さ、もしくは異物感を感じる。なかでも目を引くのは表情だ。表情と言っても、自身のオリジナルキャップ(色は黒)から伸び出る長い黒髪で表情はわからない。髪の毛に覆い隠されてるその奥にある表情はこちらの想像をかき立てる。因みにキャップには「8×8=49」と書かれている。

そんな彼は小説も書いていて、私が今回読んだのは2作目の「ビューティフルダーク」。探偵小説と帯だか宣伝用のサイトだかに載っていたので手に取った。他には、現と虚が交差するだかなんだか。勝手な印象だが、文学よりの作家が書く探偵小説は往々にしてハードボイルドミステリーの体裁が多い。ハハノシキュウが作家としてどういったスタンスかわからないが、帯に「妻の失踪」とか並べられると、どうもそっち系の探偵小説をイメージしてしまう。で、読んでみて思ったが、ここで登場する探偵と言うのはどっちかというと、本格ミステリーの探偵であり、なんなら安楽椅子探偵っぽい。しかも日常の謎系。じゃあ、本格として、論理的な展開があるかというとそう言うのはまったくない。くそしょうもない謎が、くそ雑な推理で解かれるだけだ。まあ簡単にいうとミステリーとしては読むべきところがない。

事件も最終的には陰惨さもなければ、ヒリヒリと神経を削ってくるような厭だ味もない。登場人物の嘘とか妄想みたいのが異常ではあるが、正直それもあまり引っ掛かりはない。まあよく思い付くなとは思うけども。

面白かったのは『笠井潔の「六枚のとんかつ」批判』を引用するところ。正直予想もしない引用で、そんなの書いても誰も分からんぞと思う。要はミステリーとしてはふざけてますよっていう事を示してるのだろうけども。

それにしても、久しぶりに読んだあとに思わず「つまんねぇ」と溢してしまった。

とはいえ、文体は割りと好きなので、そのうちデビュー作も読もうかな。
読み終わってから時間がたったので記憶が曖昧である。ここんとこそういうことが多い。観たもの読んだものを端から忘れていく。これが老化か。という訳で、覚え違いがあったらすいません。


物語は、端的に言えば少年が問題のある母親と向き合い、立ち上がって、成長していくと言うことになる。ジャンルとしては青春もののようにも見えるが、いわゆる青春する様な話ではない。そこにはその手の作品が大半要素として持っている恋愛すらない。代わりにあるのは、様々な登場人物がそれぞれ抱え込んだ複雑な問題であり、支配的なものによる抑圧に苦しんでいる様だ。ちょっと過剰に要素として社会的トピックスを盛り込みすぎとさえ思える。主人公の少年は、野蛮な母親によって、常に緊張を強いられている。もっとも母親自体が主人公にそれほど執着があるようには見えないが。野蛮な母親は次から次に若い女の子を食い物にする。性的な意味と精神的な意味で彼女は被害者をもてあそぶ。側で行われる蛮行に頭を抱える主人公。何しろ目下被害にあってる女子高生は自分のクラスメートなのだ。愚かで純粋な、そして繊細で不幸な彼女は、えげつない捕食者にいいように洗脳されている。主人公はそれが耐えられない。姉はとっくに忌まわしき家から脱出していて、弁護士の恋人がいる。恋人は良識のある素晴らしい人間だ。主人公は精神的に病んでしまい、入院し退院と同時に姉とその恋人の基に匿われる。が、母親の方は息子に興味を示さず、自分の獲物であるクラスメートの女の子に執着する。特殊な力を使い、クラスメートの女の子を連れ去る母親。そこで今まで逃げ回っていた主人公は母親と対峙することを、あるいは自分と向き合うことを選ぶ。クラスメートを救うために、彼はNPO法人を運営している姉の恋人の友人犬塚らを交えて、立ち向かう準備をする。ここで彼が異性としてクラスメートを救いたいという思いがあるようにも見えるが、彼はアセクシャルであると語られる。つまりそこには性的な動機はない。単純に母親というこの世界の悪意を具現化したような化け物から、餌食になった人間を救いだしたいという思いだけが動機だ。もしかしたら、母親に対する責任を感じているのかもしれない。メンバーは、犬塚の父親を頼って(犬塚は犬塚で長年父親からモラルハラスメントを受けている。父親はそれを理解できずにいたが、この件を気にそれを理解し反省する)、化け物を迎撃する。いくらかの犠牲を払って、精神的、肉体的にクラスメートを救いだし、主人公は母親と直接対峙し勝利する。呪縛から解放された主人公とクラスメートはそのあと一度だけ会う。二人とも、無傷とはとても言えないが、這い上がっていっている。傷つけられた人間はそれが解決されたとしても、そのあとも必死にやってかないといけない。生きるのはきつく、生きていくにはタフさが必要なのだ。そして主人公の基には一通の差出人不明の絵葉書が届くのだが、そこには不穏さが残る。
最後にお話と関係ない暴行事件のニュースが書かれる。今こうやって私が小説を読んでる間にも理不尽な暴力は振るわれていて、そこには被害者がいる。被害者の傷は簡単にはいえないだろう。

物語は傷つけられたものたちへの眼差しが優しい。その上で理不尽な世界に立ち向かう姿を描く。

無料の小説だが、読みごたえがあり、とても面白かった。




鹿子原 凜香(かごはら りんか)
兎月 茜(うづき あかね)
犬塚 蘭玉(いぬづか らんぎょく)
熊取谷 潤(いすたに うるう)
熊取谷 汐乃(しの)
熊取谷 千鶴(ちず)
雀野 紗子
獅子堂 将(ししどう たすく)
犬塚 一輝(いぬづか まさき)

この小説の登場人物は皆動物の名前を持つ。大半が名字についてるが、熊取谷 千鶴にだけ名前にも入っている。それぞれの動物は登場人物のキャラクターを象徴している。"熊を取る"獰猛さを持った汐乃に、鹿の子のように無防備な凛香は得物にされる。犬の名を持つ蘭玉は、汐乃に噛みついていく。獅子の名を掲げた将はどしっりと構え、筋のとおった強さがある。

クライマックスの直前まで、物語は章の名称に語り部のキャラクターの名前を掲げる。短い物語の中で主観が色々分かれると感情移入の面で少々弊害を感じるのも事実。村上春樹の云うところの"総合小説"のようなものを目指しているのかもしれないし、単にそれぞれの抱える問題をフューチャーしたかったのかもしれない。正直、うるう君以外のキャラクターは割りと"語られ"の中途半端な物語を持っている印象も受けた。

とは言うものの、ぐいぐい読ませる筆力があり、最初は読みきるのが不安だったが、一気に読ませられた。

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